19話

 翌日、アトリにたっぷりと可愛がられたあなたは気力充実と言った調子で朝の支度をしていた。

 火を使わない、切って挟むだけの簡単な朝食を済ませ、冒険の支度だ。


「まったくもう! まだ若い女の子だって言うのに、こんなになるまで飲んだくれるなんて! お酒を飲むにしても、節度を以て楽しみなさいと私は教えたはずでしょう、レイン・フェル・ステレット! 聞いているの!」


「うぅぅぅぅ゛ぅ゛ぅ゛……ごめ、ごめんなさい、お母様……だ、だから、おおきいこえ、出さないでぇ……」


「酔いつぶれるまで飲むだけに飽き足らず、ミストレスに抱っこされて帰ってくるなんて! いくらミストレスの友人だからって、親しき仲にも礼儀は必要だということをよく覚えておきなさい!」


 べろんべろんになって帰って来て、二日酔い真っ只中のレインをポーリンがカンカンになって説教中である。

 まぁ、言ってはなんだが、ベロベロに酔っぱらって連れ帰ってもらっているのは褒められたことではない。

 世の中には、女を酒に酔わせて不埒なことを考える人間もいるのだ。具体的に言うと、あなたとか。

 昨日はアトリが居たからよかった。もしもいなければ今ごろレインはあなたの手でさらにもう1つ大人の階段を上っていたことだろう。


 レインがあなたに視線で助けを求めて来るが、あなたは最高に魅力的なウィンクで返しておいた。

 なにせ、ガバガバ酒を飲むレインを止めなかったことは状況証拠からありありと分かっている。

 下手な取り成しをすれば、あなたにまで飛び火をするのは明白だった。


 そっと静かにレインを見捨てていると、朝食を終えたモモたちが合流して来た。

 大食漢で、それに見合うほどに早食いのハンターズだが、口の大きさばかりは常人と変わらない。

 そのため、どうしても食事時間が長くなるのは避けられず、こういうタイミングはズレがちだった。


「みなさんおはようございます! 今日も1日がんばりましょう!」


 トモが開口一番、そんなことを言い出した。

 顔には爽やかな笑みを浮かべている。まるで清涼な風が吹いているかのようだ。

 こうまで爽やかな少年と言うのもなかなかに珍しい。


「うるせえよバカ! ひとりだけツヤツヤしやがってよ!」


 そしてそれに対し、容赦なく罵倒を返し、中指をおっ立てるモモ。

 首筋に赤い皮下出血の跡があり、モモがトモに乱暴されたあとであろうことが伺えた。

 つまり現在のトモは冷静な瞬間ということだ。どうりで爽やかなわけである。


「とりあえず、私のまとめた情報を見てくれ」


 そう言ってアトリが差し出して来た紙を受け取る。

 やや不慣れ感のある文字で、これから遭遇するであろうモンスターの情報が記されている。


・大型甲殻種である。体長4~8メートルと思われるが、6メートル以上の可能性高し。

・ハサミの切断力などから見て戦闘向きの種である。

・戦闘が想定される地帯は湿地帯である。

・現地に残されていた武具類の状況、犠牲者の遺体状況などから戦闘力は比較的高い。

・金属防具では切断を防ぎ切れないと考えられ、現場の環境から金属防具は推奨されない。

・現地環境から騎乗動物の使用は推奨されない。


 そう言ったような注意事項が多数書き連ねられており、あなたはそれを頭にしっかりと刻んだ。


「今日はお嬢様がサポートしてくれるんですよね! 私、張り切っちゃいます!」


「ほどほどで頼むでござる。いや、マジでほどほどに張り切って欲しいでござる。拙者らの仕事がなくなるでござる」


「ええ? だって、お嬢様にいいとこ見せたいし……」


「拙者らだって主殿にいいとこ見せたいんでござるが。メアリだけでいいんじゃないかなってぼやくだけのポジションはカンベンでござる」


 メアリはそこまで強いのだろうか。


「そもそも、想定される敵の強さが大したことないでござる。武器の都合さえつけば、アトリ1人でもやれるでござろうし」


「そうなんですよね。モンテルグレワムとかでないかなぁ」


「バカ野郎この野郎ざけんじゃねえでござるよ、ンなもんオメェとモモ以外みんな死ぬでござろうが!」


 あなたも聞き覚えのあるモンスターの名前に苦笑した。

 モンテルグレワム、ボルボレスアスにおける超巨大種モンスターだ。

 かつて、あなたがボルボレスアス北部において国家存亡を懸けて戦いに挑んだモンスターでもある。


 あまりにもでかすぎて全長は不明だったが、見える限りでも300メートル超はあった。

 そんな馬鹿げた巨体のモンスターが、食欲の赴くままにあらゆる生命を貪り食うのだ。

 国ひとつ喰らい尽くしても飽き足らぬ飢餓に突き動かされるモンテルグレワムの脅威は実に凄まじかった。

 この馬鹿げたモンスターが複数体いるというのだからボルボレスアスの凄まじさが伺い知れる。


 これを何とか討伐するか、あるいは撃退するのだが、これがもう凄まじい激戦なのである。

 あなたが参加した討伐戦も、結局討伐には失敗した。撃退には成功したので国家滅亡は免れたのだが。

 いまならば単独での討伐も可能かもしれないが、やりたいとも思わなかった。


「ええええ……討伐戦の参加者だったんでござるか、主殿……」


「いいなぁ。私、あれに参加したことないんですよね」


「なにがいいなでござるか、出ない方がいいんでござる」


「モンテルグレワムの素材で作る武器防具とか、きっとすごい性能があるに違いないのに……」


「そのためだけに出没を願うのはクソボケイカレ女の誹りは免れんでござるよ」


 たしかにその通りとあなたは苦笑した。

 あんなモンスター、出没しない方がいいのはたしかなのだ。

 いかに迅速に対処しても、出没地域は致命的被害を被るのだから。


 ハンターズとあなたで出発の準備を整え、二日酔いで瀕死のレインと、こちらは元気ハツラツなフィリアの手で補助魔法をかけてもらう。

 呼びに行った時点ではまだ説教されていたが、とりあえずこっちは命が懸かっているのでと強弁してポーリンを止めた。

 

「『巌の膚』『鋭い刃』『上級魔法武器』」


「『範囲化:戦象の撃砕』『範囲化:犀の鎧皮』『範囲化:環境耐性』『状態確認』」


 かかる費用などは考慮せず、とにかく一番いいのを。そのように頼んだためか、大盤振る舞いである。

 触媒費用が高過ぎて使えない! とか喚いていた『巌の膚』も躊躇なく全員分使っている。

 たった1度の使用で庶民の1年分の生活費にも匹敵するという恐ろしいコストだという。

 まぁ、それを言ったら熟達の冒険者の装備品など庶民100人の生涯を丸ごと買えるほどの価値があるのだが。

 分かりやすい例で言えばサシャのカバンだろうか。あれは金貨300枚で購入したが、サシャの値段が金貨5枚。つまりサシャくらいの小娘を60人買える。

 読み書きできるという付加価値を踏まえてそれだったので、実際は100人くらい買えるだろうか。なんてことだ、食べ放題である。


「本当なら、『念視』の呪文で対象を探してあげたいんだけど、触媒がないのよ。銀製の大きい鏡が必要なのよね」


 レインがやれやれと言った調子で肩をすくめる。

 高価な触媒は使うアテがなければ持ち歩かないことも珍しくはない。

 そのため、『念視』の呪文とやらに使う触媒は手持ちがなかったらしい。


「『神託』を受けてもいいんですけど、あれは結構使いどころが難しいので、今回は無しで」


 あなたは頷いた。しかし、フィリアも『環境耐性』の魔法が使えるとは思わなかった。てっきりレインしか使えないのだと思っていたのだ。

 この魔法は要するに寒暖の別なく快適に過ごせるようにするもので、サシャがレインにかけてもらっていたものと同じだ。

 つまり、フィリアは自分で使える癖に、使わずに暑さを気合で我慢していたのだ。

 自分を鞭で引っ叩くまことに気色の悪い変態行為を行おうとしていた当たり、フィリアのマゾッ気は相当なものかもしれない。


「軽くかけた魔法を説明するわね。『巌の膚』は皮膚表面に防護膜を展開して攻撃の威力を削いでくれるわ。ただ、アダマンタイトの武器の攻撃は防げないから気を付けてちょうだい。『鋭い刃』は武具の鋭さを引き上げてくれて、致命的な一撃を加えやすくなるわ。『上級魔法武器』はそのまま、武具の威力を引き上げるわ」


「では、私も。『戦象の撃砕』は膂力を底上げし、『犀の鎧皮』は体の頑健さを底上げしてくれます。『環境耐性』は寒暖を緩和します。鎧を身に着けていても楽かと思います。『状態確認』は、お姉様の状態を感じ取れる魔法です。異変を感じたら私も救援に向かいますので」


 なるほど概ね理解したように思う。あなたは頷き、ハンターズの面々も頷いた。


「じゃ、出発といくか」


 モモの号令の下、あなたたちはモンスター討伐のために出立した。





 湖水地帯から離れていくと、少しずつ緑豊かになり始めていく。

 湖水地帯は岩石の上にいくばくかの土が堆積し、そこに草が生えたような土地だ。

 そのため、生命の循環は酷く緩慢で穏やかであり、土地の栄養は極めて薄い。

 木々が生えるようになると、木々から降り落ちる落ち葉が土地を豊かにしてくれる。

 その、落ち葉の元になる栄養がどこからくるのかは分からないが、とにかく豊かになる。


 あなたたちが移動する先は、そのように少しずつ豊かになっている。

 木々の数が増えると同時、足元はぬかるみ、独特の生命の循環を伺わせる香りがし始める。

 やや滞った水、水棲生物特有の臭い、それらを狙う鳥たちの鳴き声。どことなく異郷を強く感じさせる環境だった。


「足場が悪いな。気を付けろ」


「へいへいでござる」


「うおっ、でっけえカニ! 晩飯にしっ、ぬあぁぁぁあ!」


「バカじゃねえのこいつでござる」


 注意した直後、大きいカニを見つけたモモが捕まえようと走り出してスッ転んだ。


「くそぁ! カニごときにおちょくられてたまるか! 舐めてんじゃ、ねえ!」


 モモが勢いよくフライングタックルの姿勢でカニを捕まえに行く。

 見事にキャッチし、泥まみれのカニをモモが高々と掲げる。


「うおー、でっけ……うひょーって言っていいか? うひょーっ」


「たしかにでかいでござるなー」


「モモの顔くらいありますねー」


 カニがでかいのもあるが、この場合はモモが小顔なのではなかろうか。

 まぁ、些事であろうからあなたは口を挟みはしなかったが。


「コイツはスープにすると抜群に美味いぞ。いい料理があるんだが……もっとカニが欲しいな」


「どんくらいでござる?」


「そうだなぁ。1人あたま10杯ってとこか。さすがに全員分は用意できねーな」


「まぁ、悪いけど主殿のとこの使用人らにはナイショと言うことでここはひとつ……」


 それはしょうがない。まぁ、これは命がけで採取しに来た者たちの特権だろう。


「じゃあ、僕たちもカニを獲ればいいんだね」


「ああ。カニさえ用意出来たら、後は大して難しくねーからな。俺に任せとけ」


 そう言うことであれば、あなたも手伝うべきだろう。

 まぁ、本題はあくまで大型甲殻種の討伐。あくまで余裕があればだ。

 とはいえ、相手の強さにある程度見切りがついているからか、全員がかなり和やかな気分のようだ。


 あまり褒められたことではないのだが、そんな雰囲気になるのも自然な話ではある。

 ハンターズは飲んだくれて遊び惚けているろくでなし集団だ。

 だが、そこらの冒険者を軽々と殴り倒せるほどの強さの持ち主である。

 言動はオモロ飲んだくれ集団のように見えても、全員が相当の強者。


 特にメアリ、モモ、トモと集団の中でもトップ3が来ているのだ。キヨとてそれに続く強者だ。

 普通にオールドドラゴンでも討伐可能だし、国家を揺るがすレベルの事件でも解決できる集団だ。

 そこら辺の泥沼に住んでるでかいだけの甲殻類なんかに負ける方が考えにくい。


「お、いたでござる」


 ひゅんっ、と空気を裂いて何かが飛ぶ音がして、カニが地面へと縫い留められた。

 見てみれば、金属製の投擲武器をキヨが投げたらしかった。

 片側を尖らせた金属の棒のようで、俗にシュリケンと言われるもののニードルタイプだ。

 エルグランドでも利用されていた投擲武器だが、あなたはあまり使ったことがない。


「結構いますね~」


 などと言いながら、メアリが手にしている巨大な銃を発砲した。

 常識的に考えれば、施設に備え付けにすべきサイズの銃である。

 放たれた弾丸はカニの足を数本吹き飛ばし行動不能にした。


「お腹いっぱいになれるかなぁ」


 なんて言葉と同時、ずしんっと腹の奥に来るような震動。

 トモが手にした規格外の巨大戦槌で岩を殴りつけたのだ。

 その衝撃で影に潜んでいたカニが気絶し、その隙を見てトモがカニを引っ張り出した。


 荷物持ちはあなたが引き受けた。

 『ポケット』の中に放り込めば泥まみれのカニでも汚れず運べる。


「便利だな……ポーチは汚れるからな」


 かなり簡単に使える魔法なので、ちょっとした対価があれば教えてもいいのだが……。

 ボルボレスアスの人間は、生得的な魔法の才能が絶無に等しいという特徴がある。

 魔力がないとかではなく、もうとにかくセンスがないのだ。洒落にならないほどにセンスがない。


 魔法と言うものが存在しない大陸で生きて来たからしかたがないのだろう。

 狩人たちは若干ながら魔法的要素を含む飛竜と戦う機会があるからか、肌感でなんとなく理解している節もあるが。

 しかし、『ポケット』の魔法を問題なく運用できるまで教えられるかと言うと……。


「まぁ、俺はその手の才能はないから」


「モモ、黙って」


 メアリが手でモモを制し、黙るように言い出した。どうしたのだろう。

 そう思った直後、メアリが膝を突き、地面に手を当てた。


「…………揺れてる。地中を何かが移動してます。来ます!」


 言うや否や、メアリが勢いよく飛び退った。

 モモたち狩人組も遅滞なく離脱し、あなたも同様に離脱している。


 そして、先ほどまであなたたちが立っていたあたりに、巨大なハサミが突き出した。

 それは泥にまみれ茶色に見えたが、その下にある甲殻は黒くてらてらと輝いている。

 壮絶な質量を持つ泥を苦も無く掻き分け、その巨大甲殻種は地上へと姿を現す。


「おーおー……でけぇザリガニ」


「7メートルと言ったところか。ややでかいな」


「食べ甲斐はありそうだけど、食べれるのかな?」


「どうでござろうな。でかい生き物は腹を下すことも多いでござるが……」


 敵を前にして食べれるかどうかの話とは本当に余裕である。

 しかし、こんな巨大なザリガニを食べようとは、ボルボレスアスの人間の食への欲求は凄まじい……。

 あなたは内心で呆れつつも、剣を抜きはらった。


 ハンターズのメンバーらも軽口を叩きつつも、一切の油断なく武器を抜いている。

 さて、ハンターズとの共同作戦のはじまりである。

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