レイン 3話
夢のない話をひとつするとしよう。
なぜ魔法使いは杖なんてものを持っているかだ。
物語の魔法使いたちは杖でもって魔法を使う。
しかし、実際のところ魔法使いは杖などなくとも魔法を使える。
杖があれば有利であるとか、そう言うこともない。
むしろ杖なんか持っていたら身振り手振りの必要な魔法に支障をきたす。
呪文構築に必要な小道具を、秘術触媒ポーチから取り出すのにも不便だ。
なのに、なぜ魔法使いたちは杖を持っているのか。
物語の魔法使いの多くは、皺深い老人であることが多い。
それは魔法には数多の知識が必要だからだろう。
老人とは知恵深いものである。そのような意識から物語の魔法使いは老年に描かれる。
肉体は衰えども、その頭脳は衰えることを知らず。
鋭い冴えを見せる灰色の脳髄こそ魔法使いの真髄……。
重要なのはそこだ。頭脳の冴えではなく。肉体の衰え。
そう、肉体とは衰えるものだ。これは生ある者に絶対の原則である。
武僧ならば絶え間なき研鑽によって完成した肉体は老化すらも忘れるが、魔法使いはそうではない。
足腰は萎え、力は衰え、眼は霞み、筋肉痛は2日後に来るし、うっかり走るとすぐスッ転ぶ。
眠りは浅くてすぐに起き、トイレは近いし、硬いものは噛み切れないし、固形物が喉に引っかかって飲み込めない。
そう、皺深い賢者たちはご老人なのである。
しかも、普段は魔法を探求する学徒なのだ。
そんな彼らの足腰が達者であるはずもなく。
つまりは、そう、彼らの持つ杖とは。
彼らの萎えた足腰を補佐するための道具でしかない。
杖でもって魔法を使う理由など、単純なことだ。
手がふさがっているのだから、それでやるしかないだけのこと。
どうしようもないほどにしょうもない事実だが、そう言うことだ。
そして、それは現実であっても同じことなのだった。
レインはまだ年若い少女だ。足腰が萎えるには早い。
だが、毎日ヒマがあれば鍛えている戦士よりは遥かに虚弱だ。
魔法使いに必要なものは冴え渡る叡智なのであり、漲る筋力ではない。
知を深めるのに健脚さを捨てねばならないならば、健脚さを捨てる。
魔法使いとはそうした人種なのだ。
そのため、戦士や狩人なんかよりずっと足腰が弱い。
それを補うために、杖を手にしての行軍を行っていた。
最初は男でもなければ老婆でもないというのにと思っていたが。
使ってみるとこれが案外と楽でいいのだった。
加えて言うと魔法使いポイントが高い。
魔法使いポイントとはレインが個人的に定めているポイントだ。
魔法使いしている魔法使いであるほどにポイントが高い。
つまりとんがり帽子をしていたり、怪しげな薬を作っていたり。
そんな物語に出て来そうな魔法使いらしさを追求するのだ。
同時に年頃の少女としての美意識も追求しなくてはならないのが難しいところだろう。
そのため杖は手にしていなかったのだが、使ってみると快適。
真新しい杖ではなく、もうちょっと渋みのある様子にすればもっと魔法使いポイントは高いだろう。
柿渋でも塗り込んでみようか。あれはいい味わいが出る。
「今日はばかに暑いな。こんな日は酒でも飲みたいところだが……レイン嬢はどうだ、イケる口か?」
「ええ。気が早いでしょうけれど、仕事が終わったら転移魔法で帰れるわ。終わり次第引き上げて飲みにいきましょう」
「ははっ、それはいい! 往路が楽なのはいいな。高位の秘術使いがいると便利でたまらんな」
髭の生えた顎をさすりながらトノイドがそう笑う。
エルグランドの爆裂に危険な『引き上げ』の魔法もあるが。
いまやレインはこの大陸の魔法である『転移』も使える。
まぁ、この人数を纏めて連れていくには『引き上げ』でなければいけないが。
『転移』は距離制限があるし、人数制限や重量制限まであるのだ。
『引き上げ』にはそう言った制限が一切ないというのが強みだ。しかも必要な魔力量も少ない。
失敗時に「ごちゃまぜ」か「ばらばら」になるという恐ろしいリスクはあるが。
「3日は張ってなきゃなんないから、一瞬で帰れるのはありがたいねぇ」
「なんなら、毎晩帰ることもできるわよ。朝になったらまた転移で向かって、夜は転移で帰るって感じで」
「……本気でそんなことができるのか」
ミフルダが愕然とした調子で言う。ドワーフは矮躯であるから移動速度が遅い。
そのため、転移であっと言う間に移動できることが余計にすごいものに感じられるのだろう。
「ええ、でも、魔力を半分は使ってしまうわね。時間経過で回復する分を考慮しても、本来の7割くらいの魔力でやりくりする必要があるわ」
「ふむ……しかし、5階梯まで使えるレイン嬢だ。7割あれば十分……そうとも言えるな」
「まさか本気で帰るつもりかい? あたしは反対だね。毎日家に帰ってちゃ気が緩むし、そもそも真夜中に取引をしてる可能性だってあるんだ」
「まぁ、サフアギンは昼間は見えんから、そっちの可能性の方が高いな」
「なら、逆に昼間に帰って、夜に戻ってくるって言うやり方をすればいいんじゃないのか?」
「うーん。ミフルダの言う通り、それが一番賢いような気はするが……僕はナーフィーの意見に賛成かな。やっぱり気が緩むと思う」
侃々諤々と意見を交わし合いながらも、足は止まらない。
レインと同じく魔法使いであるラークァンもなかなかの健脚ぶりだ。
「うむ……しかしな、たとえば、そう……レイン嬢だけが帰って、毎晩酒樽を買って来るとか……そう言うことはできるんじゃないか?」
「ははぁ、なるほど……なるほどね……たしかに、それくらいの楽しみはあってもよさそうだ」
「ほっほう、そりゃいい。それは実にいいぞ。俺はそのやり方は賛成だ」
トノイドの提案にナーフィーとミフルダが賛意を示した。
時折3人が口をつけていた水筒から、酒の香りが漂っていたあたり、そう言うことなのだろう。
冒険者の携える水筒の中身に酒が混ざっているのはごく普通のことだ。
むしろ酒そのものだったりするのもまったく珍しいことではなかった。
「えー……レインさん、この酒飲みどもの言うことは無視していいからね」
「毎晩お酒を飲んでもいいなら、私は喜んで転移するわよ」
「おーっとぉ……レインさんも酒飲みだったかぁ……」
あちゃー、と思わず額に手を当てて天を仰ぐラークァン。
彼は頼れる誠実な仲間たちを信頼しているが、酒に大いなる関心がある点はちょっとどうかと思っていた。
まぁ、仕事に差し支えるほどに呑まないくらいの分別はあるが……。
「なかなか話せるじゃないかレイン嬢。どうだ、卒業後はうちに来ないか?」
「おいおい、5階梯も使える勤勉な魔法使いを俺らみたいな場末の集団に誘っちゃかわいそうだ。ま、俺は大歓迎だがね」
「あたしも同じ女が増えるのはありがたいけど、レインにゃうちは物足りないだろうよ」
スカウトまでされてしまい、レインは思わず苦笑する。
「ごめんなさい、卒業後は……と言うより、今もEBTGって言うチームのメンバーなのよ」
「ほう、EBTG。聞いたことがないチームだが……」
「あたしは聞いたことがあるよ。学園で首席の『寡婦の旦那』がリーダーやってるチームだろ?」
「そんな異名あったの……」
『紅の聖女』もそうだが、冒険以外で妙な異名を作り過ぎである。
「寡婦の旦那、ね。よっぽどいい男なのか?」
「いや、女の子だよ。それもとびきり可愛い」
「ほう? それで旦那とは?」
「いや、そのまんまだよ。サーン・ランドの寡婦に援助をしてんのさ。だから『寡婦の旦那』ってんだ」
「はー……そりゃまた酔狂な子だな」
酔狂と言うか、ふつうにあれは狂人と言うべきだが。
さすがにそんな狂人ぶりを説明したくもないのでレインは口をつぐんだ。
「かなり強い魔法剣士って聞いたことがあるけど、どうなんだい? 対抗演習では負けたって聞いたけど」
「少なくとも私の知る限り、彼女より強い人間はいないわね」
たしかに対抗演習では破れた。が、それは試合だからだ。
実際の殺し合いにはタイムアウトや場外負けなんてものはない。
まぁ、負けは負けなので、そのあたりは潔く認めていたが。
と言うかそもそもの話、学園側が一種の反則をしたからああなったのだ。
学園の卒業生ですらない超一流クラスの冒険者を招待するなんて真似をしたからこそ。
その冒険者がコネを使って、超一流クラスを招集するなんて普通はありえないのだ。
少なくともレインは、あの女たらしが弱かったとはまったく思っていない。
絶対に他人には言わないが、レインにとってあの女たらしは救世主だったのだ。
自分の置かれていた環境から圧倒的な力で救い出してくれた、白馬の王子様……いや、女なのでお姫様?
そんな自分の救い主が弱かったなんて思いたくないのだ。
「ソーラスの迷宮に挑んだこともあるけれど、素手でソーラスの大熊を爆散させてたし」
「素手……武僧だったのかい?」
「いえ、魔法剣士よ。ただ力任せに殴っただけ」
「力任せに殴っただけ……」
「ものすごい馬鹿力なのよ。海賊船を担いで運んでたこともあったわよ」
「船を担いだ!?」
「待て、それって『歩く戦艦姫』じゃないのか? 戦列艦を担いで運んだって言う……」
「そんな異名まであるの……戦列艦ではなかったと思うけれど、たしかに船を担いでたわよ」
昨今はガレオンやスクーナーが主流だが、その重量は楽勝で数百トンだ。
やもすれば1000トンを超えることもあるし、戦列艦となると3000トンクラスもありえる。
精霊を呪縛したエレメンタルガレオンなど、5000トンクラスまで達することもあった。
それを担いで運べるなど、常識的に考えてありえないのだが……たしかにやっていた。
人々はなにかしらの高位魔法の使用を考えていたが、アレは多分純粋な力技で持っていた。
「なかなかとんでもないやつがリーダーなんだな……その手のやつは大成するぞ」
「そうかもしれないわね……」
現時点でアレなのであり、すでに大成したと考えていいだろう。
この大陸ではまだ結果を出していない。それだけのことだ。
「やることなすこと無茶苦茶だけど、すごい冒険者なのは間違いないわ。彼女の冒険についていけば、まだ知らないものを知れそうなのよ」
腕利きの冒険者には富と名声が集う。
レインは名声にはさしたる興味はないものの、富には大いなる関心がある。
金があればまだ知らない魔法を得ることもできる。
そして、その知らない魔法を我が物として体得することもできる。
少なくとも魔法使いにとって金と言うのは必須の代物だ。
魔導書と言うのは魔法使いが記すものであるから、間違ってもそこらに落ちていたりはしない。
遺品を売り捌くものから買い取るか、あるいは金を払った魔法使い本人に教えてもらうか。
少なくとも一文無しでは魔法使いとしてはやっていけない。
そして、秘匿された魔導書を見つけ出すには冒険が必須。
隠遁した魔法使いは秘境に居を構えていることがある。そしてそこで死ぬこともある。
そうした場所を見つけ出すには冒険して自ら見つけ出さなくてはいけないのだ。
「ふ、ふふふふ……レイン嬢もなかなかどうして冒険者らしいな」
トノイドが笑いを零しながら水筒の中身を呷った。
ぷぅんと濃い酒精の香りが漂い、レインも酒が欲しくなった。
悪い癖だとは自分でも分かっているが、酒の美味さは何物にも代えられないのだ。
おおよそ3時間ほど歩き通し、入り江へと辿り着いた。
爽やかな潮風が吹き、明媚な風景に思わずレインは感嘆の息を漏らす。
別荘地にありがちな地形と思ったが、まさにその通りの地形だ。
「まずは野営の準備だな。3日ほどは張ることになる」
「潮風を避ける手段が必要ね」
「そう、その通りだ。さて、レイン嬢、どう対策する?」
「『石の壁』で潮風を受け止める壁を海側に作るわ」
「……なるほど、魔法使いならそれもできるのか」
トノイドは一瞬呆気にとられた顔をした。
普通は木々を集めて壁を作るとか、地面に杭を打ち込んでそこに布を張るとかが必要だ。
ラークァンはおそらく生得的に魔法を使える種類の魔法使いだ。
高速の詠唱と優れた魔力容量が強みの戦闘魔導士とも言われる。
一方で、レインのように知識として学んだ学術魔導士とは違い、使える魔法が極端に少なかったりする。
レインの言う『石の壁』のように、直接的に戦闘に役立たない魔法は会得していないのだろう。
好みや性格が如実に出るというから、おそらくその通りなのだろう。
「では、そのようにするのか、レイン嬢」
「いいえ。私なら『安全なシェルター』を使って野営用の拠点を作るわ。ほぼ丸1日保つし、『見えざる下僕』つきで世話も焼いてくれるしね」
「……高位の術者ってのはなんでもありか?」
「ほんとうに高位の術者なら『魔法使いの豪邸』を使うと思うわよ」
『安全なシェルター』が4階梯。『魔法使いの豪邸』は7階梯魔法だ。
『安全なシェルター』はよくても中位と表現するのが正確だろう。
「じゃあ、『安全なシェルター』で家を作ってもいいかしら?」
「あ、ああ……」
位置は既に、入り江側からは見えない森の中だ。
幾度となく野営に使ったような形跡があり、似たような依頼は今までに何度も出ているのだろう。
ここならばちょっとした家を作っても問題ない。
レインは空き地へと杖を向けると、魔法の回路を構築し、それをこの世に表現した。
瞬く間に表れたのは、砂岩と木材で出来た素朴なコテージだった。
床面は平らでよくできていて、頑丈そうなドアと立派な鎧戸のついた窓が2つある。
なかへと入ってみれば、内部には荒い作りの家具が備え付けてある。
「ベッドは8台あるから、全員寝泊まりするのには十分でしょう。椅子も机もあるしね」
「ほう……暖炉もあるのか。このドアには鍵がかからんようだが?」
「物理的な鍵はないけれど『秘術の錠前』がかかっているから魔法的に施錠できるわ」
「なるほど……」
「仮にそれを開錠して入れる侵入者がいても『警報』の呪文がかかっているから音で知らせてくれるわ」
「至れり尽くせりだな。木製の壁のようだが、これは大丈夫なのか?」
「見た目はそうでも強度は石くらいあるわ。剣で切り付けてみてもいいわよ」
「ほう」
言うや否やトノイドが胸元のダガーを抜き、壁を軽く殴りつけた。
が、ごいんっと鈍い音がした木製の壁がダガーをはじき返した。
「妙な手応えだ……だが、これならサフアギンごときでは破れんな。火にはどうなんだ?」
「それも石製とおなじくらいね。少なくとも巨人族が攻めてこない限りは平気よ」
「まったく頼もしいな。野営の準備はしなくて済むうえ、こんなに安全な家で眠れるとは……」
言いつつも溜息を吐くトノイド。
秘術に熟達せるものと組んだ経験がなかったのだろう。
魔法使いがいる旅とは、このようなものなのだ。
さておき、レインは手にした杖を壁に立て掛けると『四次元ポケット』を開いた。
取り出すのは、たんまりと詰め込んだ酒樽だった。どれも魔法によってキンキンに冷えていた。
1バレル。およそ150リットルもの液体が入ったタルを仕舞う力量はレインにはない。
だが、手がないわけではない。あの金髪の女たらしが持つ剣には魔法効果増強の効果がある。
あの金髪の女たらしを拝み倒し、一時的に装備を借りて収納したのだ。
「これにはピルスナーがたんまり入っているわ」
「ほう……」
「私の奢りよ」
「私たちはどうやら大正解の学園生を引き当てたらしいな。レイン嬢に乾杯させてもらうとしよう!」
「まったく、たまらんな! さぁ飲もう飲もう!」
「あたしは秘蔵の干し肉でも出させてもらおうかね!」
「仕事に差し支えない程度にしてくれよ……」
ラークァンの苦言をなかば無視し、のん兵衛どもが酒樽へと群がる。
ちゃんとベロベロに酔っぱらわない程度に抑えるつもりはある。
まぁ、その自制がうまくいかないことも多々あるのが冒険者と言うやつだが……。
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