フィリア 2話

 ドワーフの敵対種族は多岐に渡るが、その代表的なものと言えばオークだろうか。

 それは単に彼らの生息域が、ドワーフの主たる居住地と被っているからなのだが。

 それはこのヒャンの都市でも変わらず、週に1度は襲撃があるほどの頻度で小競り合いが起きている。


 ヒャンの都市へと襲撃があったのは日没から間もない頃だった。

 それは屈強な体躯に猪のような牙を持った人型生物。

 やや頭のデキが鈍い以外は、おおむね人間に似通った能力を持つ種族、オーク。

 だが、その性質は忍耐力に欠け、農業などと言うまどろっこしいものをこなせる個体は少ない。

 なぜなら連中は、それができる者から奪った方が速いし楽だと知っているからだ。


「いけ! 殺せ! 奪え! 食い物も剣も全部おれたちのものだ!」


「うおおおおお――――!」


「進め進め! 夜闇は俺たちの味方だ! ドワーフどもは夜目が利かん!」


 オークには以前、ソーラスの迷宮で出会ったことがある。

 言語すら持たぬオークとは明確に違うものたち。

 いま目の前にいるのは、地上に生きる真正のオークたちだ。

 まぁ、対応など変わらぬのだが。フィリアはボウガンを放ちながらそんなことを思った。


 放たれたボルトが降り注ぎ、投げ斧が飛び、また城壁に備え付けてあるバリスタが吼える。

 屈強な体躯とそれに見合った馬鹿力を持つオークは恐るべき襲撃者だ。

 だが、それは巨人族に比べればいかにも矮躯で非力ある。


 ボルトを防ぐ巨大な岩や木を盾として運べるほどの膂力があるでもなく。

 また、その身を守る防具を作る術を持つ人材を育てる能があるわけでもなく。

 ロクに身を守ることもできないままに、次々とオークが倒れていく。

 特に目立つのは、オークと人間の交雑種であるハーフオークだった。


 子育てなどと言う、農業よりも遥かに忍耐力のいる行為がオークにできようものか。

 しかし、高い能力を持った子が優秀な指揮官やリーダーになるように望む程度の知性はある。

 それゆえに、高い知力を持ち、忍耐力を養えるよう、攫って来た人間の女に子を産ませるのだ。

 そうして生まれたハーフオークのほとんどは長ずることによって優れた戦士となる。

 自らの面倒を見られる知力と、その拙い生活力に耐えうる頑健さを併せ持って育つからだ。

 持てなければ育てぬまま死に、オークたちの腹を満たす肉塊となって終わるだけだ。


 人間には望まれぬ子と蔑まれ、オークには弱者と侮られるハーフオークは、その価値を武勇によって証明せんとする。

 それが善悪いずれの方向に向くかはそれぞれの性質によるが。

 オークの一群の中にいる以上、それは悪の方向へと向いたと考えるべきなのだろう。


 それゆえに慈悲も許容もなく、ただ屠られるのみ。

 ドワーフの持てる技術の限りを尽くした武具がオークを駆逐せんとする。

 オークの一群は後方に控えるリーダーが追い立てるままに突き進んで来る。


「なかなか規模の大きい襲撃ですね」


「そうなの?」


 城壁の上、ドワーフ各々が得意とする遠距離武器で応戦する中、冒険者学園組の2人もそのようにしていた。

 フィリアは次々とボルトを装填しては放ちながら、そんなことを隣の女たらしに零す。

 女たらしはドラゴン素材と鉱石によって造られた剛弓を次々と絞っては放っている。

 下手なバリスタよりも強力な弓から放たれる小型の馬上槍のような矢。

 一撃でオークの命を武具ごと吹き飛ばし、やもすればその背後のオークですら仕留めている。


「ざっと見て、100人くらいでしょうか」


「70人くらいかな。こういうのは人数が多めに見えるものだよ」


「お姉様がそう言うなら70人ですかね。いずれにせよ多めの集団です」


 オークの戦闘集団の基本規模は10人程度からなる。

 この程度の規模になると1人の指揮官によって統率される必要が出て来る。

 そして、これが2倍3倍になると、より強力なリーダーが必要となる。

 70人規模となると、下手な町の1つや2つは攻め滅ぼせる一団となり、リーダーにも相応の格が必要となる。


 人間で言えば精鋭の戦闘集団の長であり、騎士団長クラス。

 実際、おそらくはこの集団の頭目であろうリーダーの力量はその程度はあるように思われた。

 フィリアが挑めば勝ち目は十分にある相手だが、ドワーフの一団ではやや厳しい相手だろう。

 おそらくは雑兵を磨り潰しては集団で圧殺するような形で撤退を強いているのだろうが……。


「この規模の死者を出しながらも撤退しないのは……ちょっと珍しいですね」


「そう言うもの?」


 エルグランドの戦争と言えば絶滅戦争に相違なく、小競り合いなどと言うものがない。

 なにしろ殺したところで蘇るのだから、殺しを躊躇する理由がない。

 応戦する者たちも死を厭う理由がないものだから、英雄的な勇敢さで立ち向かう。


 そのため、オークたちが向かって来る姿は決死のものなのだが。

 金髪の女たらしの眼では、ごくごく普通の襲撃にしか見えない。

 普通は死者を可能な限り出さないよう、遠距離武器を放ちあうくらいの小競り合いが普通なのだが。


「撤退を強いるのなら、オークリーダーを倒した方がいいんでしょうけど……」


 それは学園から出された防衛の依頼としては、どうなのだろう。

 そこまで行くと防衛と言うより攻撃と言うべき状況な気がした。


「じゃあ、私がやろうかな」


「お姉様が? いえ、それでしたら確実に勝てるでしょうけれど。いいんですか?」


 報酬分の仕事はするが、報酬以上の仕事はしない。

 金髪の女たらしの基本スタンスはそれだ。相手が女だと割と簡単に曲げるが。

 そのため、こういう場面で積極的に打って出ることはあまりない。


「まぁ、たまにはね」


 言いながら金髪の女たらしが剣を抜く。

 いつも使っている剣とは違う、不思議な色合いの剣だった。

 なんとも言えない不吉な気配を放つ剣に、フィリアが目を奪われる。


「いい剣でしょ? 『神々の黄昏』の異名を持つ剣だよ」


「神々の黄昏……」


「その興隆の落陽。つまりは死と滅びの運命のことだね。まぁ、いろいろと凄い剣なんだよ」


 じゃあ、行ってくるね。そう言いながら、女たらしが城壁から飛び降りた。

 眼下ではちょうど、オークたちが城壁に取り付いているところだった。

 およそ20名ほどの犠牲者を出しながらも、オークたちは止まることを知らない。

 城壁を乗り越えようと、切り出された丸太を立て掛けたり、縄を飛ばして登ろうとしている。


 夜闇を切り裂く金と赤が音もなく地面へと降り立つと、近くにいたオークを纏めて撫で切った。

 あの女たらしが『剣群スウォーム』と呼ぶシンプルな剣技だ。

 単に周囲を薙ぎ払うだけの技だが、金髪の女たらしが使うと半径数メートルを綺麗に薙ぎ倒す。

 闇の中にあって、ほの白く輝く剣が不可思議な軌跡を描いて奇妙に美しい。


 女たらしが疾駆し、オークの列を突破して闇の中へと消えていく。

 闇の中でも、生来の暗視能力があるというので問題なく見えているのだろう。

 かがり火によって照らされた範囲から出られると、暗視能力を持たないフィリアには何も見えない。

 ドワーフたちは短距離ながら暗視能力があるが、城壁上からではそう遠くまでは見えない。

 ちなみにオークたちはドワーフの倍ほどを見通せる暗視能力がある。


「まぁ、お姉様なら問題ないでしょう」


 あれを殺すとなると、それこそ神話の英雄とかが必要だ。

 というか神話の英雄を持ち出したところで勝てるかどうか。


 自分は自分のやるべきことをやる。

 雑兵の相手をするのが自分のすべきことだ。

 フィリアはそう定めると、ボルトを装填しては発射する戦いに戻った。

 磨いたボウガンの腕と、重たいボルトはいとも容易くオークを貫く。


 女たらしが戻ってくるまでの辛抱。

 そう思った、その直後のことだ。


 大地から火が噴き上がった。

 それは瞬く間に地を舐め尽くし、ヒャンの都市その周辺を赤々と照らし出す。

 大地を焼く火の熱を孕みながら、酷く冷たく感じさせる風が吹いた。


 不浄の気配に敏感なフィリアにはそれがなんであるかを理解できた。

 恐るべき死のエッセンスが含まれた風が吹いている。

 まるで強大なアンデッドがどこかにいるかのような、そんな気配。


「これは、いったい……!?」


 狼狽の声が思わず漏れ出て、同時に城壁の上のドワーフたちも戸惑っている。

 突如として赤く燃え上がった空の色に気付いた市民たちが慄く声が風に乗って聞こえてくる。


「なんだなんだなんだ!? これは何だ!? 何が起こってる!?」


「わ、わからん! こんなのははじめてだ……おお、ザイン様、儂らに加護を……!」


「ええい、落ち着け! うろたえるな小僧ども!」


「おまえに小僧と言われる筋合いはないわい!」


 地響きが鳴る。それはまるで巨人が大地を踏み鳴らしているかのような。

 いや、ような、ではない! まさにそれは神話に語られるがごとき巨躯を持つ巨人の足音だ!

 闇の中より現れたのは、15メートルを遥かに超える存在。魁偉なる巨躯を持った古代種の巨人だ。


「そんな!」


 ヒャンの都市を囲う城壁は特別に高く、立派なものだ。

 それは巨人族の襲撃も考慮した、10メートル級のもの。

 だが、古代種巨人族の襲撃など、想定しているわけがない。


 走り込んで来た信じ難い巨躯の巨人が手にした棍棒を薙ぎ払う。

 それは城壁に取り付いていたオーク族を一挙に薙ぎ倒し、その悉くを大地の染みへと変えた。

 10メートル級の城壁の上に立っているというのに、それよりも遥か上に巨人の頭がある。

 思わず恐怖に震えるフィリアとドワーフたちを後目に、巨人が足元よりなにかを拾い上げる。


 それは今まさに薙ぎ払ったオークの死体だ。

 2メートル近い長身であるはずのオークも、15メートル級の巨人が持てば手の平に乗る大きさでしかない。

 それを、まるで焼き菓子であるかのようにさらりと飲み込んでしまう。

 満足げに息を吐いた巨人が、棍棒を振り上げた。


 10メートルの城壁は、巨人から見ても邪魔な障害物だ。

 人間で言えば、胸元あたりの高さにある壁と言える。

 それを薙ぎ払えそうならば、薙ぎ払うのは自然な考えと言えるだろう。


「逃げて!」


 城壁を薙ぎ払おうとする一撃。それを見て取ったフィリアが声を発する。

 その言葉を受けて行動するよりも早く。棍棒が振り下ろされる。

 もうだめか。そう思った直後、真紅の閃光が奔った。


「セーフ! 危なかった!」


 一瞬にして城壁まで舞い戻った金髪の女たらしだ。

 剣を掲げて、恐るべき巨人の一撃を受け止めている。

 巨人の膂力と、大型ゆえの利すらも踏み越えての防御。

 押し切れないことに巨人が戸惑っているほど異様な違和感のある光景だった。


妖精フィー射手シュッツよ。我が敵を穿つプファイルを!」


 頼れるお姉様の声に、フィリアは思わず安堵の息を漏らす。

 エルグランド特有の爆裂に威力のぶっ壊れた『魔法の矢』が放たれる。

 ところどころ混じる聞き慣れない単語は、彼女が父から習い覚えたアルトスレアの妖精語だという。


 巨人の頭部が一撃で爆散し、その体が傾ぐ。

 地響きと共に倒れ込み、どくどくと勢いよく首から血が溢れ出した。


「うおおおおっ! や、やった!」


「た、助かったぁぁぁ! 儂ら助かったぞぉ!」


「おお、ザイン様!」


 ドワーフたちが歓声を溢れさせ、フィリアも思わず犠牲と名誉の神ザインへと祈りを捧げる。

 恐るべき難敵を前にしても自分は逃げなかった。

 そのことを誇りとしての祈りだったが、同時に気付く。


「お姉様……?」


 剣を納めることもないままに、エルグランドの冒険者は闇を見つめていた。

 まるで、まだ敵がいるかのような……そんな仕草だ。

 その真紅の瞳がフィリアを射抜き、闇を指差した。


「フィリア、暗視の魔法、使えたでしょ。ちょっと見てみな」


「は、はい。『真実の眼』……」


 言われるがまま、高位の呪文である『真実の眼』を発動する。

 不可視の存在や、幻術によって位置を隠蔽されているもの、また隠されているものをも見抜く力を与える。

 その付加効果として、闇を見渡す能力も得られる。

 それは30メートル半ばにも及ぶ高度な暗視能力だ。


 ドワーフ族に倍する暗視能力を得たフィリアは思わず凍り付く。


 見通した闇の中に屹立する、天を衝くがごとき巨人の軍勢。

 夜の空を覆い尽くさんばかりに飛び交うカラードラゴン。

 そして大地を疾駆する金属質の鱗を持つメタルドラゴンの群れ。

 そのいずれもが、1000年以上を生きたハイ・エンシェントと見られる巨躯。

 そしてあるいは、それを遥かに超える……プリモーディアルクラス。

 1000年を遥かに超える最強の段階にまで成長した、世界の覇者たる存在である。


 ありえないことが起きている。こんなことがあるはずがない。

 悪の襲撃者として知られるカラードラゴンが人里を襲うのは不思議なことではない。

 だが、善なる守護者として知られるメタルドラゴンが都市を襲うことはまずない。

 万一、メタルドラゴンの怒りを買ったにせよ、襲撃をするのは1体のみだろう。

 軍勢の如き群れとなって人を襲うなど、ありえないのだ。


 そのありえないことが、今まさに起きている。


 神話に語られる軍勢であっても、こんなことはありえない。

 ドラゴンと巨人の群れが、一丸となって人の共同体を襲うなど。

 だが、それはたしかに目の前に現れた現実であり、ドワーフたちはこの究極の苦難を超えねばならなかった。

 それは当然、この場に居合わせたフィリアと女たらしも同じこと。


 ヒャンの都市、史上最悪の1週間。

 あるいは、この都市を守った冒険者が呼んだ名。

 シンプルに『終末』と呼び、都市の名を冠し『ヒャンの終末』。

 そう呼ばれることとなる事件が幕開けたのだった。

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