サシャ 4話

 素焼きの壺が飛んでいく。

 それはあばら家の壁にぶつかると割れ、中身を飛び散らせる。

 粗末な素焼きの壺の激突ですらかすかに揺れる家。

 そして家屋へと肉薄し、手を差し向けるサシャ。


「第二の法『熱線』!」


 サシャは魔法をダメージソースと見なして扱っている。

 これはご主人様の魔法があまりにも強烈な破壊力を齎すことが印象に強いのが理由だろう。

 魔法とは常識を打破し、敵を打ち破る威力。そのような認識だ。

 そのため、サシャには魔法の威力を最大化することに大いなる関心があった。

 多大な魔力を注いで威力を引き上げる技術の会得するに至るほどの関心が。


 放たれた『熱線』は白い灼熱の波動を迸らせながらあばら家へと突き刺さる。

 そして、その秘めたる秘術のエネルギーが解放されるや、あばら家が燃え上がった。


 サシャの『熱線』は直撃すれば、屈強な軍馬でも一撃で焼き殺すほどの威力だ。

 よほど頑健で生命力の強いグレートホースならば生き残れる目が1や2はあるかも……それほどの威力だった。


 防火処理もしていないあばら家が耐えきれるわけもなく。

 壁にかかった錬金油に引火すると、さらに燃え上がっていく。


「オ、オォォォオオオオ――――!」


 そして、家の内部から地響きと錯覚しそうなほどに重苦しい雄叫びが響いた。

 あばら家が揺れる。危険を悟ったサシャが下がるのとほぼ同時、あばら家が内部から爆散した。


「これは……」


 飛び出して来た者は、サシャが想定していたそれよりも、遥かに大きかった。

 平均して身長3メートルと言うオーガの中にあって、ことさらに巨躯を誇る者。


 その屈強な異形の肉体は身長4メートルに達そうかと言うほど。

 分厚い皮鎧を纏い、手には若木を引きむしって来たのかと言うようなグレートクラブ。

 腰に巻き付けた粗末な荒縄のベルトには投げ槍が3本も4本もぶら下がっていた。


「……きもちわる」


 露わとなった家の中に目をやれば、そこには裸体を晒すオーガの姿もあった。

 はた目からも分かる外性器の様子からして、女のオーガ。そして飛び出して来たのは、男のオーガ。

 グロテスクに隆起した逸物から性別が分かり、今の今まで何をしていたかも分かる。

 おそらく、息子たちは狩りに行かせ、自分は女とお愉しみをしていたということだろう。


『まったく、見下げ果てた家長ね……交尾のことしか頭にないブタ野郎は挽き肉よ』


 習い覚えた巨人語でそう嘲ってやったところ、オーガの眼にあからさまな怒りの色が宿った。

 オーガは共通語は解さないものの、巨人語であれば概ね解する。

 

『おまえか! 俺様の家を燃やしたちびは! こい! おまえのはらわたでタペストリーを編んでやる!』


 その言葉と同時、オーガが腰にぶら下げた投げ槍を引き抜き、放った!

 その巨躯由来の剛力と、人間とは大幅に異なる腕の長さからなる強烈なストローク。

 豪速で迫りくる投げ槍を前に、サシャの心は据わっていた。


 腰にぶら下げていた剣、今となってはショートソード同然の長さとなった愛剣を抜き放つ。

 そして、迫りくる投げ槍を打ち付け、それを打ち払った。

 まるで教会の鐘を乱暴に殴りつけたような、鈍い轟音が響き渡った。


 投げ槍の柄が凄まじい衝撃にたわみ、揺れながら落下していく。

 地面へと突き立つと、びぃんと震動音を放ちながら震えていた。


『その下品な目玉をくり抜いて、ぐしゃぐしゃのミンチにしてあげるわ。生まれてきたことを後悔するのね!』


 酷く爽快な気分だ。使い慣れない他言語での暴言は、どこか高揚する。

 ぺろりと舌なめずりをし、サシャはオーガへと迫る。


『生意気なちびめ! ぺしゃんこにしてやる!』


 オーガが手にしたグレートクラブを両手で握り締め、それを高々と振り上げた。

 剛力で知られ、その魁偉な体躯からなる圧倒的な膂力。

 オーガを相手に力比べを挑むことが、どれほど無謀なことか。

 それを知っていて、それでもなお、サシャは真っ向勝負を選んだ。


 空気を引き裂いて迫るグレートクラブの一撃。

 引き攣れて乾燥した樹皮は、引っかければ皮膚を裂くことだろう。

 無論のこと、したたかに打ち付けられれば、常人ならば骨ごとぺしゃんこだ。

 サシャは手にした剣を掲げ、その打ち付けを真っ向から受け止めた。


「ぐうっ!」


 メキメキと音を立てて軋む骨。筋肉が膨れ上がり、オーガの剛力へと抗う。

 手首、肘、肩、膝、足首と、地面へと力の伝達する経路上にある関節が悲鳴を上げた。

 腕が押し込まれ、掲げたサシャの剣が額まで押し込まれる。

 あわやそのまま押し潰されようかと言う時、クラブがピタリと止まった。


「はあっ!」


 そして、それをサシャが下側から力づくで押しのけた。

 オーガとの真っ向勝負、力と力の正面衝突。

 サシャはあえて無謀な勝負に挑んだ。彼我の力の差を分からせるために。

 どちらが強者であるのか、どちらが脅かす側であるかをはっきりと示すために。


『目ざわりだわ……苦しみなさい!』


 サシャの剣が閃いた。

 そして、オーガの醜い逸物が切り落とされた。

 それは戦いのためではなく、ただの悪癖だ。

 つまり、サシャはオーガを嬲るために狙ったのだ。


『オオォォォ! きさま、俺様のものを!』


 オーガには再生能力の類はない。ただ巨躯と剛力を誇るだけの巨人だ。

 サシャに切り落とされた逸物はもはや使い物にならないだろう。

 だが、それが理解できるほどオーガが賢いわけもなく、咄嗟に拾い上げようと手を伸ばす。


『オイタはだめよ』


 その前にサシャの脚が、その手を鋭く蹴りつけていた。

 爪先に鉄板の仕込まれた冒険用の靴がオーガの手の甲を砕いた。

 痛みにオーガが呻き、手を抑えてのけぞる。

 そして、サシャの脚が切り落とされて血を流す逸物を踏みつけた。


『アハハ! ミンチミンチィ!』


 蹂躙じゅうりんし、地面へとそれをこすりつける。

 オーガの汚らしい逸物が土と血混じりの肉片になるのは一瞬だ。


『ゴミの分際で生意気よ。お仕置きが必要ね』


 地面に広がる汚らしい染みに、喜悦の笑みを零すサシャ。

 無意味な嗜虐だが、どうしてもやめられないのだから仕方ない。

 それにこれはあくまでも挑発……オーガが襲ってくるのを待つための挑発行為なのだ。

 内心で誰に向かってのものかもわからない弁解をするサシャ。

 それが詭弁であるのは聞く者がいれば明らかだった。


 名残惜しいが、ちゃんとあと数合で仕留めるつもりもある。

 本当なら10分くらいは嬲って楽しみたいところなのだから我慢している方だろう。


『こ、殺す! おとなしくしろちびめ! おまえのことを頭から食ってやる!』


 ほとんどただの言い訳だった挑発だが、それは上手く作用していた。

 オーガが手にしたグレートクラブを横殴りに叩きつけて来る。

 サシャはそれを後ろ跳びに躱すと、最も使い慣れた魔法を構築する。


「第一の法『魔法の矢』!」


 構築される2発の力場の矢。

 サシャの指先から放たれるや、オーガへと襲い掛かる。

 その肉を打ち据え、魔法的に浸透するダメージの波動。


『ちょこまかと厄介なちびめ! 大人しくしろ!』


 業を煮やしたオーガが突撃の姿勢を見せた。

 ならば迎え撃つと、サシャは残り少ない魔力で魔法を発動させる。

 指先の細やかな手ぶり、腰元に添えつけられた秘術触媒用ポーチから触媒を取り出す。

 体に叩き込んだ動作は滑らかに行われ、魔法は正しく起動した。


「第一の法『必中』……!」


 起動した魔法は攻撃魔法ではなく、サシャが好んで使う補助系魔法。

 占術によって冴え渡る直感。それは未来予知にも匹敵するほどの洞察力を発揮する。

 どこに動き、どこへ向かえばいいのか、そしてどこへ放てばいいのかが、わかる。

 感じ取った最適な未来へとサシャは足を進める。


 手にしたショートソードへと渾身の力を籠める。

 拡張された意識の中で見える未来。

 そのラインをなぞるように放たれる斬撃。


 放たれたオーガのクラブの一撃を紙一重で躱す。

 迫りくるオーガの脇腹を深々と切り抉る一斬。

 サシャが1歩前へ、オーガが喪われ往く生命の熱に震えながら、1歩2歩と惑うように歩く。


『お、俺様が、負ける、わけが……』


 うわごとのように、そんな言葉を漏らして。

 抉られた腹の傷から、勢いよく臓物が飛び出した。

 びちゃびちゃと音を立てて零れ落ちる臓物。

 そしてそのままオーガが倒れ伏すと、もう動くことはなかった。


 手にした剣へと豪快な血ぶりをくれてやるサシャ。

 オーガの腹とあばら骨を断ち切って曇りひとつなく。

 そのアダマンタイトとミスリルによる剛剣を鞘へと納める。


『来世ではもう少し賢く生まれることね、ブタ』


 そう嘲り笑うと、サシャは周囲へと目をやる。

 『銀色の牙』は、いまサシャが仕留めたオーガの番と交戦中だ。

 すでに相当な手傷を負わせている様子であり、あともう一押しと言ったところだ。


「ふぅん……まぁ、サボりだと思われたくないし。あなたも殺してあげる、メスブタちゃん」


 オーガの腰元に括りつけられた投げ槍を手に取る。

 重さを確かめた後、渾身の力で持ってそれを投げ放った。


 男女のべつなく3メートルの巨躯を持つオーガ。

 それは標準サイズの人間の中ではぴょんと飛び出して見える。

 その飛び出した上体、胸のほぼど真ん中を投げ槍がぶち抜いた。


 突然自分の胸に突き立った投げ槍に目を見開くオーガ。

 その隙を逃すことなく『銀色の牙』が一斉に襲い掛かった。




 オーガの家長であろう男と、その妻であろう女のオーガ。

 その死体を見分し、このオーガによる犠牲者の遺品がないかを確認する。

 幸いにもそう言ったものはなく、このオーガ連中が最近移り住んで来て人を襲う前だということが伺えた。


「ふむ。俺たちはほぼ無傷だが、サシャ、君はどうだ?」


「はい、私もほとんど無傷です。ただ、魔力はほとんど使っちゃいました」


 およそ7割強は使っただろうか。サシャの魔力はその程度しかないのだ。

 昼に『四次元ポケット』で使った魔力は戦闘開始時点では回復していた。

 つまり、今の戦闘で使ったわずか3回の魔法で7割消費したことになる。


「その程度で済ませたなら十分だろう。俺たちより強いんじゃないか?」


「あのジャベリンの威力ったら痺れたぜ」


「ああ、俺の真上を飛んでったから、ちびるかと思ったぜ」


「あはは……ごめんなさい」


「いやいや、気にしなくていい。ちゃんと当たらないよう上向きに投げたみたいだしな」


 実際、あの投げ槍は外れていても、彼方に飛んで行くだけに終わったろう。

 万一にも誤射しないように気を付けて投げたのだ。


「よし。オーガの探索に戻るぞ。推定だがもう3体くらいはいてもおかしくない」


「うーっす」


「また、今日はここらで野営することになるので……晩飯用の食える野草を見つけたら摘んでおくこと!」


「へーい」


「うぇーい」


「おねっしゃーっす」


 全員一仕事終えたと達成感からか、返事がやけにおざなりだった。

 サシャは苦笑しつつも、自分も食用の野草を見つけるべく目を光らせた。



 数時間ほど探索して、2体のオーガと遭遇してこれを討伐した。

 やや小柄で細身だったのは年若い少年だったからなのだろう。

 2体同時ではあったものの、今回はひと固まりとなって戦えた。

 サシャの魔力が枯渇していたが、なんら問題なく討伐は完了した。


 さらに数時間ほどかけて探索を続ける。

 この森からオーガを排除するのが任務なので、何体倒したら終わりではないのだ。

 少なくとも1日くらいは野営して探索する必要がある。

 帰着予定は、明日の夕暮れ前である。


 そして野営となれば、必然的に夕食も必要となる。

 『銀色の牙』は慣れた調子でスープを作り、パンとチーズにサラミで夕食を済ませるようだ。


 サシャはと言うと、なけなしの魔力で『四次元ポケット』を使用した。

 無事に発動し、ほっとしたのも束の間。強烈な痛みが胸の中で弾けた。

 口の中に鉄錆臭い味と香りが広がるが、それを無理やり飲み下した。


「っ……!」


 魔力不足による生命力の強制置換。

 エルグランドの魔法のおぞましい機能のひとつだ。

 命を粗末にすることこの上ない機能だが、役立つこともある。


 いまみたいに魔力が足りなくて使えないと、普通は飯抜きだ。

 だが置換機能があれば、『四次元ポケット』無理やり開ける。

 実際に魔力不足の剣士になってみると、これが実にありがたい。

 おぞましいのはたしかだが、ありがたさは骨身に沁みて分かる。

 無理やり魔法を使っても死なない程度の見極めも重要技術と言える。

 金髪の女たらしが心を鬼にしてサシャに叩き込んだ技術だった。

 咄嗟に使えれば『四次元ポケット』の中のアイテムのおかげで助かることもあるかもしれないからだ。


 さておき、サシャは『四次元ポケット』から夕飯を取り出す。

 鍋一杯のアツアツポタージュにふかふかの柔らかパンが山盛りのバスケットである。


 ついでに2本のポーションも取り出す。

 ごく普通の『軽傷治療』のポーション。

 疲労回復用の『スパークソーダ』。


 いま無理やり魔法を使った反動を癒す用。

 そして1日の疲労を慰めるための嗜好品だ。


「いただきます」


 サシャの信仰する神、ウカノに教えられた言葉だ。

 糧となった命への感謝の言葉。

 万物の生命流転、人々の良き営みへの喜び。

 そんなものがない交ぜとなった言葉だとサシャは感じていた。


「めっちゃうまそうなんだが。サシャちゃん、そのポタージュいくらで売ってくれる?」


「銀貨1枚です」


「うーん……! 銀貨1枚か……!」


「八百屋の前にできた水たまりみてぇなスープが銅貨1枚だから、その10倍は安いんじゃねえか?」


「って言うか、このポタージュが銀貨1枚なら普通に町中の相場じゃねえ? 俺1杯買うわ」


「俺も俺も」


 今回は買い取り交渉があった。

 サシャは気前よくそれを売り渡した。

 ご主人様特製の濃厚ポタージュの美味しさを知ってもらいたかった。


 賑やかに和やかに、野営の夕食は進んでいく。

 『軽傷治療』のポーションはまずいが、スパークソーダはうまい。

 ご主人様特製のポタージュはもちろん最高においしい。


 野営なのにこんなに贅沢な夕食が食べられる。

 『四次元ポケット』を無理やり使う価値はあった。

 レインに知られたら思いっ切り突っ込まれそうだが、サシャは本気でそう思っていた。


「うめー、このポタージュうめー、うめー」


「マジでうめぇ、なんなんこれ? サシャちゃんこれどうやって作ったの?」


「ご主人様が作ってくださったんです」


「はえー……『紅い聖女』は料理もできんのかよ」


「いいなぁ、俺もなぁ、あんな美人の下僕になりてぇなぁ。踏まれてぇよ」


「おまえちょっと難儀な性癖してんな……」


「私はご主人様は踏みたいですね」


「おっと、サシャちゃんもちょっと難儀な性癖してんね……」


 焚火を囲みながら、卒業試験の夜は静かに過ぎて行った……。

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