ソーラス迷宮編
1話
鬱蒼とした森には巨木が数え切れないほどに立ち並んでいる。
赤い樹皮を持つ木はまさに巨木と言うに相応しく、あなたが10人ほど輪にならなければ囲うこともできそうにない。
樹高も、50メートル超の巨木がごまんと並んでおり、100メートル近いというものも散在している。
自分が小人になったような、そんな不思議な感覚に陥らせて来る森だ。
地面にはそんな巨木から剥がれ落ちた樹皮が山積しており、赤茶けた道ができている。
時折、緑の繁茂する地点もあるが、森と言うには幾分か赤い。そんな場所がソーラス大森林だった。
「ジャイアントウッドね。この巨木の処理に困るというのも森の開拓が困難な理由のひとつよ」
それもそうだろう。普通の木を10本切り倒す間に、これを1本切れるかも怪しいところだ。
切り倒したあと、玉切りをして、薪に加工するのも恐ろしく手間がかかりそうだ。
その分だけ得られるものも多いだろうが、危険な森の中でやるのは無謀と言える。
丸ごと焼いてしまえば、と言う意見もあったようだが、このジャイアントウッドは火にも強い。
極めて分厚い樹皮を持つため早々焼き払えず、しかも火の熱に反応して種を散らすのだとか。
この森がジャイアントウッドだらけなのも、幾度かあった山火事と、開拓に際して焼き払おうとして失敗した結果なのだとか。
こんなたくましい巨木を前にすれば、開拓事業の失敗もむべなるかな、と言ったところだろうか。
「見晴らしはいいけど、その分だけお互いに見つけやすい。戦闘になる可能性が高い分、迷宮に辿り着くまでの消耗も激しいわ」
それは難点であると同時、利点でもある。
たしかに遭遇率は上がるだろうが、その分だけ準備がしやすい。
人間は眼に頼った生き物であるから、視界の利かない森の中で嗅覚に優れた獣と戦うのは難しい。
難点はあるが、不利ではない。そう言う状況である。
これが優れた野臥せりがいるとか、相手も同じく人間であるとかならまた違って来るが。
ある意味でおあつらえ向きと言えばそうである。
不利な状況で戦うことは、どうしてもままあるものだ。
そうした経験は積めないが、分かりやすい戦闘の経験を、比較的に安全に積める。
「こういうところですから、やりやすい迷宮ではあるんですよ。私たちは正面戦闘に優れたパーティーでしたし」
思い出すようにフィリアが言う。かつていた『銀牙』のことだろう。
フィリアも武闘派の宗派に属する修道女なので、正面戦闘が得意なのだという。
まぁ、物騒なメイスと、ごついクロスボウを背負っているのをみれば、納得と言うべきか。
「どれだけうまく戦闘を切り抜けるか。ソーラス大森林はそう言う迷宮ですね」
さっさと終わらせて手傷を負う可能性を減らすのか。
じっくり戦って、手傷を負ってでも消耗を減らすのか。
パーティーの編成、それぞれの技能、性格、投入できる資金。
さまざまな点から勘案し、戦略を決めなくてはいけない。
あなたが考える限りでは、速攻をかけて突き進んだ方がいいだろう。
基本的に攻撃寄りのメンバーである。あなたが重武装して盾を持つという選択肢もあるにはあるが。
ある程度傷を負うことは甘んじて受け入れ、戦闘回数を最小限にし、時間を浪費せずに進む。
幸い、このパーティーのメンバーは異次元レベルに強いあなた、一流クラスのフィリア、初心者のレインとサシャと言う取り合わせだ。
一流クラスの回復魔法の使い手がいるのであれば、ある程度のダメージは回復してもらえる。
まぁ、それができるかできないかで言えば、できないだろうが。
「あっ! チョウチョです! チョウチョ!」
サシャの指差す先には、それはそれは巨大な蝶が飛んでいた。
真白い翅を持つ蝶は一見すれば美しいのだが。サイズが。
翅を開いた大きさは1メートルほどはあろうか。どうやって飛んでいるのか謎なくらいに大きい。
複眼と、もさっとした毛のようなものが生えた胴体。
率直に言って、キモい。できれば近付いて欲しくもない。
あなたは虫の類は苦手ではないが、好きではなかった。
どんなものでも、大きくなるとキモくなる。そう言うことだ。
「片付けるわよ。『熱線』!」
レインが即座に杖を掲げ、放つは熱光線。
それは蝶へと吸い込まれるように直撃すると、ぼっ、と間抜けな音を立てて燃え上がらせた。
ぱっ、ぱっ、と空中に火の粉が弾ける。眼に見えないほどに小さな毒針が舞っているのだ。それに燃え移っている。
蝶は元より声を発する機能など持たない。そのため、音もなく燃え崩れて行く。
翅が真っ先に燃え尽き、うごうごと蠢く胴体だけが残ると、芋虫のそれに類似して見える。
すごくキモイ。あなたはこの蝶に近接戦闘を仕掛けたくないなと内心で思った。
「意外とあっさりね」
「1匹だけですからね。毒撒き蝶は5~6匹で群れることもあるので」
「うげぇ……それだと『ファイアボール』とかで焼き払う必要があるわね」
「それが一番楽なんですけどね……」
でも難しいだろうとフィリアが言葉には出さずに語る。まぁ、難しいだろう。
遭遇率がどの程度か知らないが、毎回『ファイアボール』とやらを使えるほど消費の軽い魔法でもないだろう。
「1匹くらいなら私が片付けますから、集団で現れた時用に魔力は温存しておいてください」
「そうするわ。それ以外は……まぁ、石でも投げるわ」
「そうですね。手ごろなやつを山ほど拾っておいてください。大事ですよ、石。だって、タダですし」
感慨深げにフィリアが言う。たしかに大事だ。だって、タダだし。
あなたが石ころで戦う理由はタダだからではないが、かつてはそう言う理由もあった。
「私も石拾っておこう……」
サシャが周囲を見渡すが、森の中なので石は見当たらない。
あなたは懐から取り出した石をサシャへと渡す。
「わぁ、ありがとうございます、ご主人さ、まっ!?」
受け取ったサシャがバランスを崩して転びそうになる。
咄嗟に肩を掴んで支えてやると、辛うじて持ち直した。
「す、すみません。この石、見た目より重くて……」
手ごろなサイズの、ちょうど手の中に納まるサイズの石だ。
この石はあなたが普段投げつけている石ころだ。拾ったものを投げてることもあるが、大体はコレ。
愛用品ではあるが、べつに価値のある品ではない。
ただ、低品位のアダマンタイト鉱石だというだけである。
そして、投げてもひとりでに戻って来てくれる魔法がかかっている。
「へぇー! 投げても戻ってくるんですか!」
「『リターン』の魔法がかかってるんですね。まぁ、強力かもしれませんけど……」
普通にアダマンタイト鉱石を売って、もっと手ごろな武器を使えばいいのでは? みたいな顔をされた。
石ころも結構使い道があるのだ。紙の中に包んで投げれば手紙を届けたりできるし、雪玉に仕込んで雪合戦とかもできる。
エスカレートするとグレネードとか『ナイン』と同系列の小型爆弾『ワン』を仕込んだりするが。
『ワン』は掌に載るサイズなので辛うじて雪玉に仕込めるのだ。威力は小さい村なら丸ごと消し飛ばせる程度と、サイズと同様に威力もお手頃である。
「まぁ、石投げ合戦とかもあるし、分からないことはないけど……」
石投げ合戦。石を投げ合う遊びだ。エルグランドでもよく遊ばれていた。
と言うか、普通に死人が出ることもある危険な遊びなので、エルグランドくらいでしか遊ばれていないと思っていた。
こっちの大陸も意外と命は軽いのではないか? あなたは訝った。
「ねぇ、私にもちょうどいい石とかない?」
残念ながら石はいくつも持ち歩いていない。サシャに貸したっきりである。
あなたの遠距離戦は魔法か弓であり、その2つを使うまでもない相手や、咄嗟の時には石ころで対応していた。
そのため、弓なら貸せるが、いわゆるロングボウしか持っていないので無理だろうと答えた。
「そうね……ロングボウだとかなり強いのが多いし……あなたのことだから、相当な強弓なんでしょ?」
その通りである。残念ながらサシャでも引き絞るのは難しいだろう。
それに引き絞れたとして、弓と言うのは素人では真っすぐ飛ばすのですら難しい。
ショートボウとロングボウでは勝手が違うので、ロングボウにはロングボウの修練が必要なのだ。
「だから、クロスボウです」
フィリアが割り込んできて、力強く断言した。いきなりどうした。
「クロスボウはザイン様がお与えくださいました。人が作ったものじゃありません。ザイン様の恩恵なのです」
フィリアはどうしたのだろう。突然変なことを言い出した。
思わずレインに視線を向けると、ああー……と言う感じのなんとも言えない顔をしていた。
「お姉様、クロスボウはお好きですか?」
好きか嫌いかで言えば、まぁ、好きだ。
と言うより、嫌いな武器自体がないのだが……。
武器は武器であって、嫌いとか好きとかそう言うものではないだろう。
「クロスボウがお好きですか? とてもいいことですね! では、さらに好きになってもらえますよ! さ、どうぞ!」
クロスボウを渡された。一体なんだというのだろうか。
「最新鋭のクロスボウですよ! 軽くて快適でしょう?」
たしかに軽い。木材と鉄で出来ているようだが、見かけの印象よりも軽く感じる。
職人が丁寧に仕上げたことが分かる仕上がりのよさも伺え、高品質の逸品であることが分かる。
「ああ、いえ、いえ、仰らないでください。お姉様なら、もっといいクロスボウに触れたこともあるのは分かっています」
それはたしかである。ただの木と鉄で出来たクロスボウよりも優れたクロスボウには触れたことがある。
クソほど重い代わりに性能も優れているアダマンタイト製のクロスボウなども手に入れたことがある。
そうしたものと比べれば、このクロスボウは高品質なだけで極普通のクロスボウである。
「でも、木材と鉄で作られたクロスボウが一番シンプルで、だからこそよく手に入って馴染みます。特別な素材のクロスボウに慣れると、普通のクロスボウが扱えなくなってしまってろくなことはありません」
まぁ、そう言う考え方もないではないが。それならそれで、そうしたクロスボウを安定して手に入れられるように努力すべきではないだろうか。
そう簡単にはいかないのも分かるが、性能を追い求めるならそうすべきではないだろうか。
「サイズもほどよくて、どんな身長の方でも大丈夫」
たしかにほどほどのサイズである。威力と取り回しのよさのバランスを追求したタイプの品なのだろう。
大きければ威力は上がるが巨躯の持ち主でなければ扱いづらく、小さくすると扱い易いが威力が落ちる。
あなたの体格でも、フィリアの体格でも問題なく扱える、ほどよいサイズと言える。
「どうぞ、回してみてください」
促されて、あなたはクレインクラインと呼ばれる部位を回した。
これはラック・アンド・オピニオンなる機構で、回転を直線に変換することができる。
つまり、ハンドルを回転させることで弦を引き絞れるという、手軽にクロスボウを装填するための機構だ。
高威力と手軽さを両立させるための機構と言うわけだ。割と高度な品なので、単なるクロスボウより高価になる。
ともあれ、ぎこぎこと回して、ガチンと引き絞りを終える。歯車の具合がよく、なかなか楽に回せた。
「余裕の音ですね、精度が違いますよ」
鼻高々と言った感じである。フィリアは一体どうしてしまったのだろう。
「え、えーと……ああ、その……フィリアは、ブルーフレイムオースの教派なのね」
ブルーフレイムオースとは?
「蒼炎の誓いって言われる教派で……ゾエラって言う聖人の故事にちなんで、武器を用いた戦いを積極的に肯定する教派よ。特徴は……まぁ、うん」
つまりフィリアみたいなクロスボウフェチが大半を占めると言うことだろうか。
まぁ、宗教には色んな宗派や教派があり、人それぞれの主張があるのもたしかだ。
エルグランドには元素を司る神がいるが、炎を強調して言うことがあるので、炎の神とされることもある。
破壊に秀でる炎を重視しているだけで、ちゃんと元素の神だとする者たちもいて、そう言う教派の違いがあったりする。
エルグランドでは神自身が「それ解釈違いだから……」と訂正してくれることもあるが、こちらはそうではないらしい。
そう言えば、以前にサシャが神は高位の神官にしか言葉を授けないと言っていた。と言うことは、その考えであっているのだろう。
「どうです、お姉様。気に入っていただけましたか?」
まぁ、気に入ったと言えば気に入ったとあなたはフィリアに頷いた。
ただ、一番気に入ったのは……。
「なんですか?」
あなたはクロスボウを横へと向け、バチンと音を立てて発射した。
放たれたボルトは空気を引き裂いて飛翔すると、あなたたちの死角から迫っていた熊の眼球を貫いた。
ぐらり、と熊の巨体が
一番気に入ったのは、威力である。
こうした機構を用いる武器は威力が一定なのだが、なかなかの威力と言えよう。
一撃で仕留められたのはあなたの技量も相まってだが、根本の威力が不足していれば技量がいくらあってもどうしようもない。
そう言う意味で言えば、このクロスボウは威力も精度も十分な素晴らしい一品と言える。
「ソーラスの大熊! こんな音も無く忍び寄ってたなんて……」
レインが慄きながらもあなたが仕留めた獣を言う。
ソーラスの大熊。捻りも何もないド直球の名だが、まぁ、そんなものだ。
体重400キログラム超、身長2メートル超の屈強な獣であり、直接戦闘においてはソーラス大森林の死者の9割以上を生み出している。
冒険者と言うのは大抵が強者であるが、駆け出し冒険者はそこらの一般人よりはマシ程度のものでしかない。
そうした者たちにとり、このソーラスの大熊は死神の如き存在として立ちはだかる脅威である。
「大きいですね……ちょっと苦戦するかも……」
サシャが難しそうな顔で言う。あなたの魔法で召喚される熊よりも大型の種なのだ。
とは言え、そこまで劇的な差と言うわけでもないので、戦えば勝てるだろうが。
それでも油断すれば大怪我を負うだろう。サシャは熊相手の戦いに慣れていて、熊を殺傷できる攻撃力を持つにすぎない。
迂闊に挑めば負けることだってありえる。
加えて言えば、この熊の脅威は単純な強さではないという。
この熊は極めて知能が高く、悪辣な戦いを仕掛けてくるのだとか。
弱いものから仕留めるとか、足だけを狙って戦うとか、足に重傷を負わせたら放置して他の人間を襲うとか。
そう言った、効率的に人間を殺傷する方法に長けるのだという。
今回はあなたが察知して仕留めたからいいが、そうでなければ1人殺されていただろう。
熊の見ていた感じからすると、おそらくサシャを狙っていたようであるし。
最も小さいので与しやすいと見たのだろう。実際は直接戦闘で熊を倒せる強者だが。
「危なかった……あなた、よく気付けたわね」
視界の範囲内ならば、気を張って察知していればモンスターの気配は分かる。
ただ、常時把握しているわけではないので、あなたの察知も完璧ではない。
フィリアが長広舌を披露している間に不安だったので周囲を探知していたのだ。
「な、なるほど……ご迷惑をおかけしました……」
フィリアが頭を下げるが、あなたはこれを笑って許した。
あなただってウカノ様の教義について語らせれば長い。
それと同じものだと思えば、つい熱くなるのも分かるのだ。
「お喋りはなしで、油断しないで進まないとね」
あなたは頷くと、とりあえず熊をどうしようかと語った。
あなたにしてみれば肉は食べられないこともないな、くらいなのだが。
「うーん。一応毛皮には価値があるらしいけど……そこまで高値で売れるわけじゃないし」
「あとは、臓物のいくつかに薬品としての価値があるくらいですね。解体しますか?」
あなたは少し考えてから、解体しようと提案した。
ぶっちゃけいらない。だが、こういうことは他のモンスター相手でもある。
周囲を警戒しながら、戦利品を剥ぎ取る。こうした行為は練習が必要である。
物品としての価値こそ低いものの、得られる経験には万金の価値があるだろう。
そのため、レインとサシャが主体となって解体してもらうこととする。
「そうですね……私とお姉様がやったらすぐ終わっちゃいますし」
「……やるけど、やり方は教えてちょうだいよ?」
レインにそう言われ、もちろんであるとあなたは頷いた。
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