24話

「このあたりですね」


 フィリアの指示の声で、あなたは船を止めた。

 湖の中心と言うわけではない位置だ。


 登って来た滝壺のある方角を北とすれば。

 おおよそだが南に3キロほどの位置である。

 20分ほどで到達したが、ハバクックは今のところ問題なく浮いている。

 そろそろ再冷凍しておくかと、『アイスボルト』を打ち込んだ。


「うーん。水中になにかあるのかしら」


「顔を突っ込んでみるか?」


「顔がなくなるかもしれないわよ」


「まぁ、問題なく死ねばセーフだろう」


「なにがどうセーフなの……」


 レウナがなんだかよく分からないことを言いながら水中に顔を突っ込んだ。

 しばらくブクブクと顔を突っ込んでいたが、やがて顔を上げた。


「ぺっ……よく見えなかった」


 そうだろうなと思いつつ、あなたは水中に入り口があるのかとフィリアに再度訪ねた。


「はい。位置的に間違いありません」


 では、泳ぎが得意なやつが2人で偵察してくることにしよう。

 誰か立候補者は? とあなたが意見を聞く。


「私はそこまで深く潜れないわ」


「荷物が軽いのでいけます。ただ、50メートルの深さまで潜れるかはちょっとわからないです」


「私も同じく……」


「泳ぎは得意だが潜水は……」


 では、とりあえずサシャで。あなたはサシャを指名した。

 そして、言い出しっぺのあなたが水中に入ることにした。

 あなたとサシャの2人での偵察だ。


 サシャを選んだ理由は、酷薄な見方だが、損失しても惜しくないからだ。

 レインは高位の秘術使いで、フィリアはさらに高位の奇跡が使える。

 対するサシャは剣士としても魔法使いとしてもまぁまぁ止まりだ。

 戦力と言う意味では、サシャはあなたの下位互換に過ぎない。喪っても惜しくないのだ。


「じゃあ、水中呼吸の呪文をかけますね」


 フィリアがあなたとサシャの手を取り『水中呼吸』の呪文をかけてくれた。

 この呪文は触れている相手にかける魔法なので、何人にでもかけられる。

 ただ、効果時間は人数で等分されるので、無制限にかけられるわけではない。


 あなたは腰に吊っていた剣を抜き放つと、剣帯と鞘を『ポケット』に仕舞いこんだ。

 剣自体は濡れても多少の手入れで済むが、鞘はそうもいかない。

 まぁ、今回は間に合わせとして金属製のただの筒状の鞘を使っているので濡れても大した問題はないのだが……。

 その鞘の代わりとして、金属製のリングを取り出す。


 荒っぽい連中が使っていることのある鞘と言うかリングだ。

 極めて素早く抜くことができるが、剣が傷むし、普通に危ない。

 今回は水濡れさせないための予防措置として使う。


「いきましょう、ご主人様」


 あなたは頷くと、サシャと共に水中へと飛び込んだ。



 水中は特にこれと言って代わり映えのしない光景だ。

 ごく普通の水中であり、深くに行けば行くほどに暗い。

 あなたは自分の剣に『持続光』の魔法をかけた。

 サシャがそれを見て、あなたへと剣を突き出して来た。


 なにかジェスチャーで伝えようとしているがよく分からない。

 あなたは口で説明してもらえないだろうかと頼んでみた。


「あ、水中呼吸の呪文かかってると喋れるんですね……私の剣にも『持続光』をもらえませんか?」


 お安い御用だとあなたはサシャの剣にも『持続光』をかけてやった。

 水中でランタンを取り出すのは、あとの手入れがめんどくさい。


 明かりによって周囲を見渡す。

 特に何かあるような雰囲気はない。

 ではもっと深く潜るかと、あなたは体を倒して水底へと向かって泳いだ。


「息ができるのに泳いでるのって変な気分……普通に喋れちゃうし」


 まったく同感である。しかし、この呪文はじつにいい。

 さほど使い道がないだろうからと真剣に覚えていなかったが。

 水中で喋れるようになるなら使いどころが多い。

 具体的に言うと、水棲種族をナンパしたり、エロいことするのに使える。

 あとでレインかフィリアにこの魔法を教えてもらわなくては。


「あれ、なんでしょう。何か光ってます」


 サシャが指差した先は水底。たしかに何かが光っている。

 真ん丸なそれが、ぎょろりとあなたを睨んだ。

 あなたは警告を発した。あれは生物だ!


「ええっ!?」


 サシャが叫んだのも束の間、それは水中とは思えない機敏な速さで何かを向けて来た。

 赤い表皮を持つ巨大な棒状のそれは、瞬く間にサシャを絡め捕った。

 サシャが咄嗟に振るった剣戟も易々躱す機敏さは、水中では類を見ないものだった。


「ぐっ! あっ、ああっ……!」


 もがくサシャだが、脱することは出来そうにない。

 あなたは素早く接近すると、剣を振るってサシャを捕らえる物体を切ろうと試みた。

 しかし、水中で剣速がきわめて鈍いこと。

 それが非常に柔軟かつ強靭であること。

 その2つの条件が重なり、半ばまで食い込んで剣が止まった。

 力づくで押し切ることは出来るが、それはセーフだろうか?


 そう逡巡したのも束の間、サシャが動き出す。

 自ら泳いだのではない。棒状のそれ……腕の持ち主がサシャを引き寄せている!


「ぐっ、く……!」


 あなたは『魔法の矢』を放った。

 エルグランドの無法な威力のものではない。

 この大陸で用いられる安心安全な使い心地と、安全な威力を提供してくれるものだ。

 10の魔法の弾丸が生成され、それは水底に潜む赤い表皮を持つモンスターに襲い掛かる。


 体表が脆いのか、赤い表皮がぼろぼろと散って、白い肉が見えた。

 目を細めたあなたは、それが信じ難いほどに巨大なスクイッドであることに気付いた。


「ス、スクイッド……!? こんな大きいスクイッドが……!」


 なんとか腕から脱するサシャ。

 あなたは剣では不利と、『魔法の矢』の連打を提案した。


「それが確実ですね! 『魔法の矢』!」


 耐性や対策を取っていない限り、大体通じる魔法、それが『魔法の矢』だ。

 あなたとサシャは、スクイッドの巨大触腕から逃れながら『魔法の矢』を連射した。

 捕まれば厄介ではあるものの、逆を言うと捕まらない限り相手に攻撃手段はない。


 1分足らずで50発以上の『魔法の矢』を叩き込まれたスクイッドが沈黙した。

 途中、墨を吐いて目くらましをしたりと頑張っていたが、無駄だった。


「ひぃ、ひぃ……さすがに、きついですねぇ」


 泳ぐというのはそれだけで重労働だ。

 それに加えて戦闘しながら魔法の詠唱。たしかに疲れるだろう。

 あなたは手早く次の階層に入って休憩しようと提案した。


「そうですね。それにしても、入り口はどこに……」


 とりあえずは水底まで移動してみよう。

 そのように提案し、あなたは水底まで一気に潜った。

 そして、水底に階段があるのを発見した。


「これがそうみたいですね。行ってみましょう!」


 あなたは頷き、他の仲間たちには悪いが一足先に4層を見物することにした。



 階段に入り込んでいくと、忽然と水が消え去る。

 着地してみると、階段ではなく平地となっており、前方に道が続いている。

 視界のまったく効かない、不可思議な真っ暗い通路を歩いていく。


 そして、突如として光が目に飛び込んで来たか。

 同時、身を切り裂かれたような鋭い痛みが全身に走った。

 

「ひぃっ!」


 サシャが悲鳴を上げる。あなたも思わず悲鳴を上げた。

 あなたにとっては故郷エルグランドであまりにも慣れ親しんだ感触。

 それは極寒の強風そのものであり、身を裂くほどに冷たい気温をより一層凶悪にするもの。


 あなたとサシャは雪に覆われた巨峰、そのふもとに立っていた。

 山のふもとを流れる巨大な川の水が弾け、それが粉雪となって周囲を舞っている。

 降り注ぐ陽光を反射しているのが、場違いなほどに美しく見えた。


 高く見積もっても、気温はマイナス5度ほどだろうか。

 強風が吹き荒んでいることもあり、体感気温はさらに低い。

 挙句の果てに、あなたとサシャはずぶ濡れ。体感気温は地獄の如きそれだ。

 4層『氷河山』。まさに名の通りの階層であり、極低温があなたたちに牙を剥いていた。


「うえ……か、体が……うごかな……」


 サシャがガクガクと震える。

 あなたは咄嗟にサシャを引っ掴むと、階段を引き返した。


 階層の名前は知っていて、寒いのだろうとは思っていたが。

 ここまで一気に殺しに来る感じの寒さとは思わなかった。


「はぁ、はぁ……し、しぬかと……」


 少なくともここで体を乾かさないと1分保たない。

 寒さを舐めていると普通に死ぬ。


「そ、そんなにですか……」


 仮に死ななくても、手指が腐ったりとか、鼻がもげたりとかする。

 まぁ、即死はしないので、あとでフィリアに治してもらえるだろうが。


「治るにしても手指が腐るのは嫌です……」


 それはそう。

 あなたはとりあえず水上に戻って仲間たちに報告しようと提案した。




「うーん、なるほど……極低温環境……ごめん、ぜんぜん想像つかないわ。寒いってどれくらい? 冬より?」


「いっぱいお洋服を着るのではだめですか?」


 レインとフィリアはいまいちピンと来ていないようだ。

 まぁ、雪もめったに振らないほど温暖な大陸だ。それも当然だろう。


「どれくらい寒いのだ? こう、なにか分かりやすい目安は?」


 レウナの質問に、あなたは川の水が弾けると、空中でそのまま凍る感じと答えた。


「すると気温は推定でマイナス20度くらいか……」


 なかなか洒落にならない気温である。

 あなたでも普通に寒いと思う気温であり、半袖で過ごすのは厳しく思う。


「長袖なら平気ってこと?」


「防寒着をちゃんと着れば大丈夫そうですね……薄手のしかないけど、大丈夫でしょうか」


「待て待て待て。なんとなくそうじゃないかと思っていたが、あなただけ別大陸出身だな? どこ出身だ?」


 あなたはエルグランドの割と北の方と答えた。

 冬の最低気温はマイナス50度くらいだ。マイナス30度までは普段着でいける。


「なるほど……あそこは倫理観とか死生観だけでなく、気温感覚も狂っているからな……なんと説明すればいいんだ?」


 1回体感させればいいんじゃないかな。

 あなたはそのように提案してみた。


「割と真剣にショック死の可能性があるが……」


 そうだね。それが何か問題?

 あなたがそのように答えると、レウナが頷いた。


「それもそうだ。仮に死んだところで、ラズル様が暖かくお迎えくださるから問題ないな。では、行くか」


 レウナも割と普通に倫理観が狂っているところがあるらしい。

 まぁ、話が速いのはいいことだ。

 あなたたちは水底を目指して、全員で水中へと飛び込んだ。





「ひぃっ、寒い……! し、死んじゃいます……!」


「げほっ! ゲホゲホッ! ゴホッ! ゲホッ! ゲホッゲホ! くるし……げほっ! ゲホゲホ!」


「…………あったかぁい。この雪、あったかいわ……すごい……」


「地獄絵図だな」


 サシャだけが覚悟を決めていたからか、辛うじてまともだった。

 フィリアは入った瞬間うっかり深呼吸をキメた結果、咳が止まらない。

 レインは直滑降で体温が低下したせいか、温度感覚が狂って倒れ込んでいた。

 あなたは寒いなとぼやき、レウナは毛皮を被るだけで耐えていた。


 あなたは『壁生成』の魔法で周囲に壁を作った。

 その上で、雪を掘って地面を露出させると、そこで火を熾した。


「おお、これはいい。薪をジャンジャン追加しよう」


 レウナが薪をジャンジャン追加してくれた。

 あなたはその間にも壁を追加していく。

 そして、サシャたちを焚火の周りで待機させ、あなたはテントを張り始めた。


 この迷宮に入ってからと言うもの、テントが大活躍だ。

 ハイランダー伝統様式のテントが大活躍で、何やらうれしい。

 あなたは手早くテントを組み終え、内部で火を焚いた。

 そして全員を内部に避難させると、『四次元ポケット』で暖かい飲み物を取り出して振舞った。


 それから全員を無理やり着替えさせた。

 濡れた服を着ていると、それだけで死ねる。


「げほげほ……ごほっ、ごほんっ……! やっと、落ち着いて……けほっ」


「暑い……暑いわ……服なんか着てられないくらい暑い……」


「レインだけ矛盾脱衣をするくらい冷えているようだな……服を着ろ」


「嫌よ、暑いもの」


「それは錯覚だ。実際は寒い。ちゃんと服を着ないと、死ぬぞ」


「こんなに暑いのにそんなわけないじゃない」


 いまいち目の焦点があってないレインがそんなことをぼやく。

 レインだけ人一倍冷えているようだ。考えてみるとレインの冒険用装備はミスリルを織り込んだローブ。つまり金属鎧に等しい。


「なるほど、それか……もう気絶させるがいいか?」


 あなたはしょうがないねと頷いた。

 そして、レウナがそっとレインを抱き寄せた。


「ちょっ、暑いわよ!」


「うるさい、大人しくしろ」


「嫌よ! 離しなさいったら!」


 とか言ってるのも束の間、ガクンとレインが気絶した。

 これにて一件落着と、レウナがレインを寝かせて毛布をかけた。


「しかたないので添い寝してやるか……まったく……」


「え、なんのためにですか?」


「レインは体温が下がり過ぎている。私の体温を分けてやらんと、このまま2度と目が覚めんぞ……くそっ、冷たいな!」


「えええ……こ、怖ぁ……」


 北国における常識も、この大陸では非常識だ。

 どうやらレウナは比較的寒冷な地方の出身らしく、種々の対処法を知っているようだ。


「あ、あの、私は大丈夫でしょうか!?」


「そこまでハッキリものが言えるなら問題ないだろう。深部体温が下がり過ぎなければそれでいい。暖かいものを飲んでおけ」


「怖いですね……けほっ」


 あなたは特に手足や指はちゃんと乾かし、暖かく保つように言った。

 気付いたら指が真っ黒になって、カチコチになっていることがある。

 そうなったらもうおしまいだ。指は切り落とすしかない。


「えええええ……」


「『再生』の呪文で回復は出来そうですけど、叶うことならやりたくないですね……」


 寒さと言うのはそれほどに恐ろしい。

 この4層の攻略はなかなか難しいものになりそうだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る