6話

 浜辺に戻ったあなたはさっそく昼食の準備をした。

 やはり、海水浴で浜辺となれば、バーベキュー以外にはありえない。

 エルグランドでもそれは変わらない。焚火をして体を温めつつ、肉などを焼くのだ。

 あなたは用意してきた鉄串に刺した肉や野菜を、バーベキューセットで次々と焼きだした。


「わお、豪華ね」


 どんどん焼くからどんどん食べなさいとあなたは冒険者学園の同輩たちに声をかけた。

 こういう時には盛大にやる方が楽しい。本題は訓練だが、半ば行楽でもあるのだし。

 あなたは香辛料をたっぷりと振りかけた串焼きを次々と焼き上げて行った。


「わぁ、美味しそう! ご主人様、食べてもいいですか?」


 いっぱい食べなさいとあなたはサシャに笑顔で促した。

 さっそくサシャが鉄串を手に取る。肉と野菜が順番に挟まれた串だ。

 先端の肉に齧りつこうとしたサシャだが、その前にピタリと動きを止めた。


「あの、ご主人様。これ、なんのお肉ですか?」


 あなたは知らないと端的に応えた。『四次元ポケット』に入っていた山ほどの肉を適当に使ったから本当に分からない。

 10年分はあろうかと言う肉の消費の機会があれば、率先して使うのは当然だ。

 わざわざそこらで買って来るなどと言う面倒なこともしたくない。処理が正しいかも分からないのだし。

 『四次元ポケット』に突っ込んである肉は、間違いなく食用可能で、処理もあなたがしっかり行っているものだ。

 美味しく食べられるのは間違いないのだから、それでいいではないか。

 まぁ、見た目からしてまず間違いなく牛肉なのだが、確信があるわけではないし。


「う、うぅん……」


 こわごわと肉を見ていたサシャが、やがて意を決して食べ出した。


「おいひぃ! このお肉すっごくおいしい! 食べたことない味です!」


「……ほんとだ! センパイちゃんのお肉おいしい!」


「マジだ! 凄い美味い! なんの肉だろこれ!」


 サシャが食べ出したのを見て、他の者たちも次々と串を手に取っていく。

 あなたも大回転で串を次々と焼き上げて行く。存分に食べて欲しい。

 しかし、これだけの人数が食べても、なんの肉なのかは分からないらしい。


「あら、ほんとに美味しい。贅沢ねぇ」


 レインはどうやら牛肉らしいと感づいたようだ。貴族だからだろうか。

 あなたの持ち歩いている肉は多岐に渡るが、数が多いものは大抵が自前の牧場で繁殖させたものだ。

 そうした肉は、硬くなったり臭くなる前に、つまりは若く健康な個体を屠畜して食肉にしている。

 牛や馬を労働に使わず肉にするために育てる、と言うのはなかなか贅沢な行為なのだ。庶民ではなかなか口にできない。


「野菜も美味しいし……って言うか、なんでこんなに野菜持ち歩いてるのよ、あなた」


 農園でハーブ栽培の傍ら、野菜なども適当に栽培しているためだ。種が余るからしょうがない。

 ハーブ栽培のために鍛え抜いた栽培技術はあらゆる農夫を凌駕し、割と栽培のむずかしいハーブも大豊作。

 対して野菜などいくら枯らしても惜しくないと適当に世話をしているが、適当に世話をしても大豊作になってしまう。

 枯れても惜しくはないが、実ったら打ち捨てるのはなんか惜しい。なので収穫して『四次元ポケット』に放り込んでいたのだ。


「なるほどねぇ……ねぇ、午後からは教える必要とかある?」


 妙な質問だなと思いつつも、なにか教えていない技法があるならぜひ教えてもらいたいとあなたは答えた。


「私の方はもう何もないわ。サシャの方が泳ぎは得意みたいだし」


 なら、午後からは特段に必要はないだろう。遠慮せず遊んで欲しい。


「そう……なら、アレを出してちょうだい」


 あなたは苦笑してレインに頼まれて『四次元ポケット』に入れていた樽を取り出した。

 突然酒問屋に呼び出されたと思ったら、酒の樽を3樽も渡されたのだ。

 保管料は払うから、『四次元ポケット』に入れておいて欲しいと頼まれたのである。

 特段に苦労することでもないので了承したのだが、こういう時に飲むためのようだ。


「これよこれ! ありがとう!」


 抱き着いて頬にキスをされてしまった。水着姿なので肌と肌が触れ合って心地よい。

 酒が絡むとレインは突然大胆になる。夜のお誘いをする時は酒を飲ませているせいだろうか?

 レインは酒樽を開けると、『ポケット』から取り出したジョッキを突っ込んで豪快に汲みだしている。

 酒を飲むとなると、やたらと豪快になるのはなぜなのだろうか。飲み方も豪快だし。


「はぁー……よく冷えたビールは、最高ね……!」


 レインが飲んでいるのは、割と最近製法が開発されたというラガーだ。キレのある苦味が特徴。

 そのラガーの中でもピルスナーと言う細分化された種類で、黄金色の美しい酒である。

 あなたも何度か飲んだが、爽やかな苦味があって中々に美味だった。一気に飲むのが特に美味い。

 油の強いものや、塩気の強いものを洗い流すようにして飲むと抜群に美味いので適当な選択と言える。


「魔法でキンキンに冷やしたビールを飲めるのは、魔法使いをやっていてよかったって思える瞬間のひとつね」


 それでいいのだろうか、魔法使い。まぁ、魔法の使い方など人それぞれではあるが……。

 そんなことを考えていると、キンキンに冷えたビールを独り占めしているレインに人が群がり出した。

 まぁ、この暑い中、キンキンに冷えた飲み物があると分かれば人も集まる。


「1杯銅貨5枚よ」


 そしてレインは商売をし始めた。エールが樽で銀貨5枚であるから、かなりのぼったくりである。

 まぁ、まだ醸造してる場所も少ないピルスナーは高価だし、魔法で冷やしているという付加価値もあるので、妥当と言えばそうかもしれないが。

 しかし、銅貨5枚など冒険者ならばはした金も同然。美味い酒のためなら躊躇せず払える額だ。

 見習い冒険者でも冒険者としての仕事をしていれば、十分に払える。そのためか飛ぶように売れ始めた。

 しかし、ビキニ姿でジョッキを手にビールを売り捌くレインの姿がなにやら妙に扇情的に見えるのはなぜなのだろう。


「冷たい飲み物……うぅ、でもビール……」


 へにゃりと耳を垂れさせながら迷っているのはサシャだ。

 サシャは苦味のあるラガーは好みではないらしく、水とラガーなら水を選ぶ。

 しかし、暑い中で泳いでいたから喉は乾いているので、冷たいものは飲みたい。

 そんな葛藤をしているようだが、あなたは苦笑してサシャの頬にスパークソーダの瓶を当てた。


「ぴゃっ!?」


 ぶわっ、と耳と尻尾の毛が逆立ち、サシャが背筋をピンと伸ばした、よほど驚いたらしい。

 あなたはそのサシャの手にスパークソーダの瓶を渡してやる。キンキンに冷えている。

 酒樽を保管する代価として、あなたの所有する飲み物類などもキンキンに冷やしてもらうように頼んだのだ。

 キンキンに冷えたスパークソーダの犯罪的美味さと言ったら例えようもないほどである。


「わぁ、すっごく冷たい! ありがとうございます!」


 サシャは喜んでくぴくぴとスパークソーダを飲み始めた。

 疲労回復効果もある一種のポーションでもあるので、この場には最適だろう。

 あなたは他の酒が苦手な生徒たちにもスパークソーダを薦めた。





 酒とスパークソーダで喉を潤しながら、バーベキュー。

 午後にはもう泳ぐという雰囲気ではなく、各々が好き勝手に行動をしている。

 あなたも水泳の訓練は終わりとし、サシャと浜辺でのんびりと過ごしていた。


 最近のサシャは授業に訓練にと大忙しの日々だ。

 休日にはしっかりと羽を伸ばし、次の授業のための英気を養わなくてはいけないだろう。

 あなたはサシャと寄り添って座り、穏やかに揺れる波を眺めていた。


「ご主人様。限界を超えるって……出来るものなんですか?」


 サシャが突然そのようなことを言い出し、あなたは首を傾げた。

 限界。実に様々な場面で使える言葉だ。そのどれなのかが分からないと何とも言えない。

 関節の限界なら簡単に超えられる。骨が折れるなどの些末な問題もあるが、超えられるのはたしかだ。


「それを超えたと言いますか……」


 関節の稼働限界を超えて動かせるようになるのはたしかだ。

 まぁ、凄まじい筋力が無ければ自由には動かせないが。


「凄まじい筋力があれば動かせるって言う考え方がもう……いえ、それはいいです。ええと、私が言いたいのは……なんと言うか、強さの限界と言うか……そう言うものって、超えられるんでしょうか」


 あなたはどの程度のことを言うかによるが、可能であると答えた。

 仮に数値で人間の能力を示す場合、まぁ、普通の人間は10程度の能力があると言える。

 15あれば優秀、20あれば生来の才能で言えば人間の頂点を極めたと言っていいだろう。

 あなたは筋力、魔力、容姿、頑健さと言った肉体的素養や魔力的素養に20前後の数値を持って生まれたと言える。


 そしてこれを鍛えに鍛え抜いていくと、30や50と言った数値までは割と簡単に到達できる。

 簡単と言っても1日10回腕立て伏せをしていれば楽勝! と言う感じではなく。

 厳しいトレーニングや実戦に身を置けば1年やそこらで至れるとかそう言う感じだ。

 それからさらに100前後くらいまでは、苦労こそすれども誰でも辿り着ける領域だろう。

 そこをさらに超えていくには凄まじいほどの努力が必要で、そうした時に人間は限界に突き当たる。


「それ以上は鍛えられなくなる、ってことですか」


 それは違う。限界とは心だ。もういいのではないかという諦めが限界となって立ちはだかる。

 よくないと自分を叱咤激励して、壁を乗り越えて行かなくてはいけないのだ。

 そして、それでもなお行き付いた壁をこそ、本当の意味で限界と言うのだろう。


「その壁を超えることは……できますか?」


 できる。あなたは確信を持って答えた。

 なぜなら、あなたはその限界の壁を幾度となく超えて来たからだ。


「……それは、どうやって?」


 真剣な顔でサシャが訪ねて来る。

 あなたは努力あるのみとしか答えようがなかった。


 限界と言う壁に突き当たった時、あなたはいつだって正面突破してきた。

 裏技やら秘術やらと言ったものに頼ろうとも、結局は努力で超えて来た。

 限界と言う壁に努力でもって激突し続ければ、いつかは壁を越えられる。


「あ、あまりにも脳筋……!」


 しかし結局それが一番たしかなのだ。他にもいろいろ方法はあろうが。

 サシャに与えているハーブをドカ食いしまくるとかも手だ。


「ええ……ええと、それでも行き付く壁ってありますか? どうしても越えられそうにないというか……」


 それもまたある。あなたは頷いた。

 数値で言えば、1000とか2000とか、そう言う桁違いの単位になるが。

 もうこれ以上は鍛えることが出来ないという領域がある。

 これはもうどうしても超えられない限界だとあなたは思い知らされた。


 どれほど努力をしても、その努力がどこかに抜けて行ってしまうような……。

 成長の確信が失われていく、あのおぞましいほどの喪失感のある限界の壁……。


「そんな、壁が……」


 あの時は本当につらかったとあなたは笑った。

 どうしても超えられなくて自暴自棄になりかけたこともあった。


「ご主人様が?」


 サシャはあなたのことをちょっと特別視し過ぎている部分がある。

 あなただって挫折や限界に行き当ったことは何度だってある。

 もうこれでいいんじゃないかと諦めそうになったこともある。

 なんとかかんとか上手く乗り越えて来たが、何か1歩違えば、あなたはこうまでなっていないだろう。


 なんでもかんでも余裕しゃくしゃくで乗り越えて来たわけではないのだ。

 何度も何度も限界に行き当たって、苦労し、時に涙しながら超えて来た。

 その果てに今の自分があり、ちょっとやそっとのことでは苦にもしなくなっただけだ。


「それを、どうやって乗り越えたんですか?」


 エルグランドには、深淵につながるとされる迷宮が存在する。

 それは過去の遺構ではない、この大陸における迷宮に近しいものだ。

 その迷宮には生物としての位階を超える作用があるという。

 そのためか、その迷宮に住むモンスターはおぞましいほどに強い。


「そんなに強いんですか?」


 具体的にどれくらいと言われても困るものの、たとえば1層に済むドラゴンと、100層に住むゴブリンが戦ったら余裕でゴブリンが勝つ。

 それくらい下層に行くほど異常な強さへと至っていくのだ。


「そんなに……」


 その作用は冒険者にも及び、1000層を超えて潜りに潜ったあなたは限界の壁を超えた。


「エルグランドには、そんなダンジョンが……!」


 まぁ、サシャがそこに潜る必要が訪れるのは、ずっとずっと先だろう。

 今のペースで成長しても、軽く10年はかかるのではないだろうか。


「なるほど……それくらい、限界の壁と言うのは遠いんですね」


 遠い。それでもいつかは辿り着くことができる。

 そして、辿り着いたのならば、それを超えて行かなくてはならない。

 ノン・プルス・ウルトラなんてことはないのだ。


「えと? ノン・プルス・ウルトラ……?」


 成句なのだが、通じないようだ。

 この先にはなにもない、と言う意味である。

 かつて、エルグランド以外に大陸があると知られていなかったころ。

 遥か北の果て、つまりはエルグランド最北端の崖にそう記された柱が立っていたのだとか。

 だが、実際にはほかに大陸はあった。ノン・プルス・ウルトラは間違っていた。


「プルス・ウルトラ。さらに先へ、ですか」


 プルス・ウルトラ。胸に刻んで進まなくてはならない。

 限界とは自分が決めるもの。そして、どうにもならない限界だって、なんとか超える方法はあるかもしれない。

 さらに先へ先へ。進み続ける限り、それが歩くような速さでも、いつかは超えられるかもしれないのだから。


「限界に挑み続けること……それがご主人様が今ほど強くなれた理由、ですか」


 そう言うことだ。


「その迷宮に挑めるほど、私も強くならなくちゃ……!」


 と言っても、先ほど言ったように、今のペースで成長しても軽く10年はかかる。

 まぁ、あなたよりも遥かに効率的な訓練を行っているので、もしかするともう少し早いかも。


「なるほど…………」


 納得したようなそぶりを見せたサシャだが、途中で何かに気付いたような顔をした。


「あの……ご主人様って、その迷宮に挑むまでに何年くらいかかったんですか?」


 挑むこと自体は割と初期からやっていた。だが、本格的に挑んだのは結構後になってからだ。

 先ほどサシャに言ったように、軽く10年は経ってからだったような気がする。


「……ご主人様って何歳なんですか?」


 あなたは以前にも答えたように、よく分からないが永遠の15歳前後であると答えた。


「そう、ですか……」


 サシャはそっと何かを諦めたように眼を伏せた。

 それから頭を振って、何か思考を追い出すような仕草を見せた。


「ところでご主人様、今日の夜はなにかご予定はありますか?」


 あなたは何もないと答えた。実際に何もない。


「そうですか。休みの日ですし、ゆっくりと休まないとですもんね」


 そう言ってサシャはニッコリと笑いながら、あなたの手を遠慮がちに握って来た。

 あなたもニッコリと笑って同意しつつ、サシャの手を優しく握り返した。


 サシャからの今晩どう? のサインはなんとも奥ゆかしくて可愛らしい。

 夜の予定を聞きつつ、手を握って来る。うっかりすると見落としそうなサインだ。

 だが、かわいいサシャの夜のサインを見逃すわけがない。あなたに応える以外の選択肢もないのだし。

 それに元よりサシャと遊ぶ気満々だったので、あなたからしてもうれしい限りだ。


 今夜は眠れないな!

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