3話
ジル・ラザッツ・オベルビクーンはオベルビクーンの地を治める貴族である。
新大陸のくちばし、オベルビクーンの地を統治する彼は元はと言えば冒険者である。
冒険者として打ち立てた絶大な功績の末、オベルビクーンを平かとし、これを統治する資格を与えられた者。
つまり、冒険者として極限の立身出世を成し遂げた者だった。
人々の多くは羨望のまなざしで彼を見やり、自分もああなりたいとうらやむ。
貴族となり、贅を尽くした生活を送る。多くの人々にとっての憧れだった。
しかして、そんなジルの実態はと言えば……。
「今日の晩御飯は、カレーだぞ! しかもなんと、領民がイノシシを届けてくれたから、カツカレーだァ!」
「わぁい! カツカレー! 私、カツカレー大好きぃ!」
「カツカレーには絶大なパワーが眠ってるって私は分かってるのよー!」
夕飯のメニューを発表するコック長と、それに全力で喜ぶ客人2名。
そんな彼らを眺めながら、今日の執務を雑にこなしているのがジル。
無貌なる神、空白神ブランクの信徒である彼、あるいは彼女は、それにふさわしく白い髪に真白い瞳をしていた。
「ジルくんジルくん! 今日の晩御飯はカレーだって! 楽しみだねぇ!」
そんな幼女のようなバカな報告をしてくるのは、御年201歳のエルフ、ノーラ・アルマンタイン。
彼女はオベルビクーンに設立された冒険者学園の学園長を担っている身だが、やや緩いところがある。
そして、旧来の知己であるからと、いまや伯爵の身であるジルに容赦なくメシをたかる肝の太い元冒険者であった。
こう見えても、黒の呼び声と言われた魔神討伐戦を成功させた立ち役者であり、英雄級の冒険者なのだが……。
「カツカレーはね、毎日食べたって飽きないわ! サイコー!」
そして大喜びして踊っているのは招いた覚えのない客人、ライルスルーフ・アルマンタイン。
御年166歳のエルフであり、名前から分かる通り、ノーラの妹だった。
トレジャーハンターをしており、発掘した宝物を売ってくれるという得難い知己ではある。
エルフ姉妹はカレーライスに対し致命的な脆弱性を持っており、カレーが絡むと知能指数が劇的に低下する。
「ジルもいっぱい食べてくれよな。おいしいカレー作るからな!」
そう言って腕まくりをするのは、コック長を任せているケイ。
本職はトレジャーハンターであり、ライルスルーフ……ライリーのバディなのだが。
トレジャーハントの仕事がない時は、活動資金稼ぎにオベルビクーン伯爵家のコックを務めていた。
年若く見えるが、有角の神童トリケロースの身であり、35歳と割と年嵩である。
まぁ、トリケロースはある程度の歳で老化が止まり、不老長生の種族なので歳にさほどの意味もないのだが……。
出所のよく分からない食材で美味なことこの上ない料理を作ってくれる凄腕料理人だ。
ジルは執務を一時中断すると、ケイに鋭い視線を投げかけながら、自身の要求を突き付けた。
「私はハンバーグカレーが食べたいです。ハンバーグもおねがいしてよろしいですか?」
ジルは揚げ物よりも、ハンバーグが好物だった。
ハンバーグカレー。限りなく最強に近いメニューだった。
「任せとけ! 最高においしいハンバーグも用意しとくからな!」
サムズアップして応えるケイ。オベルビクーン伯爵家は割と緩い家だった。
オベルビクーンは本来、人間の領域ではない。
蛮族。人類に対し敵対的な種族の領域である。
ジルはそれを征伐し、蛮族の地であったオベルビクーンを人類の領域と成した開拓者だ。
まぁ、元を辿ると、王家に喧嘩を売って、遠回しな死刑宣告としてオベルビクーン開拓を命じられた結果なのだが……。
そんなジル・ラザッツ・オベルビクーン。
生来の名を、ジル・ボレンハイム。彼は極めて謎多き存在だった。
性別も種族もまったくの不詳。
まったくもって、謎、謎、謎。
謎の塊、謎が服を着て歩いている。
彼はそんな人間として知られている。
そんな謎だらけの彼、あるいは彼女。
数年前に勃発した星屑戦争、さらに続いて勃発した魔神大戦。
その星屑戦争においても、身分を隠してだが参陣している。
そして、星屑戦争後の魔神大戦。そのさらに後に行われた、死の神のだまし討ち作戦。
彼にとっても人生最大の冒険であり、自身の持ち得る全知全能を傾けての戦いにも参加していた。
神に喧嘩を売り、勝てるか分からない相手に挑む。
数字で世界を見ている、などと揶揄される彼も、それには心躍った。
貴族などにさせられても、やはり自分は根っからの冒険者である。
ジルはそのように自分を評価していた。
「おーい、ジル。お客さん」
「はい」
執務をこなした後、瞑想に耽っていたジルに声がかかる。
一応役職上はコック長のケイだが、実態は何でも屋に近い。
と言うか、同居している世話焼きお兄さんくらいの感覚が一番近かった。
一応は雇い主に対してこの口の利き方なあたり、なんとなく分かるかもしれないが。
「どなたですか。アポはなかったと思いますが」
「ケツを掘り殺されかけてた人」
「モモロウさんですか」
ケイは魔神大戦には参陣していないが、参加者の大半とは知己だ。
魔神大戦の最中は運び屋として荒稼ぎしており、戦地にまで料理を届けたりもしていたのだ。
応接室に出向くと、そこにはたしかに桃色の頭髪をした少年が待っていた。
あいかわらず細身で嫋やか、一見すると少女に見紛うほど愛らしい少年だった。
「よう、ジル。いや、オベルビクーン候と呼ぶべきだったかな?」
「お久しぶりですね、モモロウさん。いえ、トモさんの念友と呼ぶべきでしたか?」
「からかったのは謝るから、やめろ。やめてください。おねがいします」
「はい。それで、今日はどのようなご用件で。まさか旧交を温めに来たわけではないでしょう」
「ああ、ちょっと依頼がな。エルグランド出身のクソヤバ冒険者と、模擬戦をすることになったんでドリームチームを再結成しようと思ってな」
「ほう」
エルグランド。常識と倫理の墓場であり、バカみたいに強い冒険者がたくさんいる大陸。
超絶的に身体能力が優れているのが特徴な代わり、魔法や技能が粗削りなことが多い。
技巧派のジルとしては手玉に取りやすいが、同時に好きに行動させると一瞬でひっくり返される怖い相手でもあった。
「お引き受けするのはやぶさかではありません。エルグランドの冒険者はバカみたいにレベルが高いので経験点がうま味ですしね」
「ああ。報酬なんだが……」
「経験点が得なので、最低限いただければ構いませんよ」
「じゃあ、あくまで模擬戦だし、1戦するだけだから、1万ネルー相当の金貨でどうだ?」
「構いません」
どうせハンターズは大した金なぞもっていないだろうと見切っての要求だった。
ジルがまったく金には困っていないという理由も大きい。
実際は、金髪の女たらしから詐欺同然に金を毟り取ったので割と金は持っていたのだが……。
「では、行きましょうか。他の人たちも召集するのでしょう」
「いや、領地投げ出していいのか?」
「はい。私がいなくても回るようにはしているので」
「そうか。じゃあ、コリントとエルマとセリアンにも渡りつけたいんだよ。転移魔法頼む」
「はい。みなさん異次元空間住まいの方ですからね。最初に私のところに来たのは正解です」
「正解っつーか、ジルんとこしか来れねぇよ」
「でしょうね。通常空間に住んでる私の方が珍しいんですから」
言いながらジルは転移魔法を発動し、モモロウを連れて転移した。
ブライド・オブ・コリントは吸血鬼である。
御年84歳と、絶妙になんとも言えない年齢の高齢少女だ。
アンデッドなのでもはや歳は取らないが、なんとなく言うのが憚られる。
100を過ぎたらもはや隔世の感があり、ためらわずに言えるのだが……。
さておいて、彼女は異次元空間に建立した居城、アマ・デトワールに住んでいる。
ごく限られた知り合いのうち、異次元転移まで可能な凄腕の術者のみが尋ねられる空間だった。
居城には数多の強者たちが彼女の従者、使用人として暮らしている。
主がそうであるように、人間は片手の指で足るほどに異種異形の多い居城である。
コリントがそうであるからか、吸血鬼が圧倒的に多いのは特筆すべきことだろうか。
そんなコリントは旧来の知己に対する手紙を綴っていた。
かつて、神への挑戦行為を行った戦友たちに対する手紙だった。
迎えに行くので、パーティーに来ないか? と言う誘いだった。
コリントの外見は、そうと知らなければ美しいばかりの少女だ。
変わった点と言えば、せいぜいが額から目元までを覆う金と黒の大量のリボンていど。
身に纏う花嫁衣裳のごとく華やかで美しい衣装は、彼女を婚礼を目前に控えた可憐な少女と思わせるだろう。
そんな彼女だが、実際は超級の凄腕冒険者である。
その拳足は竜の鱗をも打ち砕く威力を持ち、世界の神秘を暴き立てる知啓は奇跡の魔法を紡ぐ。
生半な小神程度ならば単独で打破し、仲間と共にあれば名だたる神ですらも打ち破る。
身に纏う花嫁衣裳のような装備も、金属鎧を凌駕する防御力を併せ持った逸品だ。
そんな彼女のかつての戦友となれば、だれもが超級の凄腕冒険者である。
縁を繋いでおくのは賢い選択だし、純粋に仲良くなりたくもあった。
「コリント様」
「なぁに、ロザリア」
ぼんやりとしながらライティングデスクで手紙を綴っていたコリント。
それに声をかけたのは、執事のロザリアだ。彼女も種類は違うが吸血鬼だった。
「門番の雑魚から報告ですが、お客様がご来訪されたようです」
「ええ、気付いてたけど、だれかしら? 雑魚が殺されてない以上、敵ではないのでしょう?」
この異次元空間の創造者であるコリントは、この空間においては神にも等しい。
と言うより、事実上、この空間の神である。そのため、来訪者は一応把握できている。
「ジル・ボレンハイム様と、モモロウ様です」
「まぁ、なんだか不思議な取りあわせね? いいわ。すぐに行く。適当に、アカネとかコンとかミナトにもてなすように命じておいてちょうだいね」
「はい、コリント様」
コリントはロザリアに指示を出した後、綴っていた手紙を眺める。
「せっかくジルに書いてた手紙だけど、要らなくなってしまったわね」
それを破り捨てると、コリントは足早に応接室へと向かった。
「お待たせしたわね」
コリントが応接室に入ると、そこにはたしかに見知った顔であるジルとモモロウが待っていた。
饗応を命じた使用人の姿はなく、さほどに待たせてもいないことがわかる。
「よう、久しぶり。相変わらずいい女ぶりだな、コリント」
「あら、ありがとう。あなたも相変わらずメス臭い娼太ぶりね。尻を好き勝手されるのがあなたほど似合う男もいないと思うわよ」
「ジル、このクソアマをぎゃふん言わせてくれ」
「チャレンジレート50はザラにありそうなので少なくとも金貨100万はもらいたいですね」
「くそったれ!」
ジルに雑に断られ、モモが悪態をつく。
「まぁ、そんな話はさておいて、今日はどうしたの?」
「エルグランドの冒険者と試合するらしいのでいっしょに行きませんか。学園祭みたいなお祭りでやるらしいです」
「へぇ、楽しそうね。いえ、エルグランドの冒険者と知り合いにはなりたくはないのだけども……」
エルグランド。常識と倫理の墓場。コリントでも眼を覆いたくなる地獄。
アンデッドの多くは、その魂から湧き上がるかのように生者への憎しみを持つ。
理由は様々だが、多くの場合において、死への絶望と生への執着によるものだ。
そんなアンデッドであるコリントだが、生者への憎しみなどはない。
これは彼女が自らアンデッドになったので、避け得ぬ死への絶望みたいなものがなかったことに由来する。
そんなコリントだから、その倫理観はかなり人に近い。
そのため、伝え聞くエルグランドの人間のように、軽々しく人を殺したりはしない。
必要とあらば生者を手にかけるのを厭わないが、好き好んで殺す趣味はなかった。
実際のところ、エルグランドであっても荒事に縁遠い一般市民などは、冒険者と違ってそう簡単に殺し合いまではしないのだが……。
大陸を飛び出し、べつの大陸にまでくるような無鉄砲な連中は、間違っても一般市民ではなく、無謀な冒険野郎ばかりなのであった。
「人柄としてはどんな具合なの?」
「モモロウさん、どうなのですか」
「ああ、えーと……」
モモロウが金髪の女たらしの素行を思い返す。
そして、基本的にはかなり善良で模範的な一般市民であると再認識する。
女癖の悪さが常軌を逸しているが、それ以外は大した問題ではない。
と言うか、女の口説き方もかなり紳士的なので、間違いなくトモよりはマシだ。
「ええと、基本的にはいいやつだと思う。約束は守るし、物品や仕事に法外な報酬を要求したりしないし……アトリのカスに詐欺同然に金を巻き上げられても、怒りもしなかったし……」
「心が広いのね。付き合い易い相手と考えてもいいのかしら」
「ああ。ただ、常軌を逸した女好きだから、コリントは気を付けてくれ」
「やんちゃな子なのかしら」
「いや、とにかくもう頭がおかしいくらいに女好きで……守備範囲は0歳から100歳だそうだ。そして俺が見た限り、50過ぎの使用人でもお手付きだったと思う」
「なにそれこわい」
「伝え聞く話によると、80過ぎの元男のババアも食ったらしい」
「なんですかそれこわい」
コリントとジルがあまりに意味不明な情報に震え上がる。
お互いに『空白の心』と言う魔法によって心理を補強しているのだが、それをも超えて恐怖感が湧き上がる情報だった。
「つまりだな、うちのトモちんの女バージョンで、なおかつ3周りくらいレベルアップさせた感じだ」
「つまりなんですか、相手の女を犯し殺してるんですか? 以前にモモロウさんが掘り殺されかけたように」
「それは言うなと言ってるだろうが!」
「そのあとに行われたチ〇コマシーンとか言う拷問器具によるお仕置きが3倍なのかもしれないわよ」
「玉と竿が取れてしまいますよ」
「はいやめ! この下品な話やめ!」
モモロウが強制的に2人の話題を打ち切る。
調子に乗ったトモがモモロウをイカせ過ぎた結果、心不全を起こして死にかけたのは彼にとって最大の汚点だった。
と言うか隣室に医療技術の心得があり、なおかつ回復魔法が使える人物がいなければ本当に昇天していただろう。
「ともかくだな、迂闊な対応するとナンパされるから気を付けろよ! 男だろうが女にして食うからなあいつ!」
「かなり恐ろしいですね。と言うか性転換ってどうやるのですか」
「ああ……これだ」
モモがポーチからワンドを取り出す。
かつてメアリを売り渡した際の報酬として得た『ミラクルウィッシュ』のワンドだった。
「見せてもらっても?」
「ああ」
ワンドを受け取りつつ、ジルがどこからともなく片眼鏡を取り出すと、それを眼窩にはめ込む。
「……これはなるほど。『願い』の呪文が込められていますね。こんなワンドあるんですね」
「同じ種類の魔法が込められた指輪なら100や200は倉庫にあるけど、ワンドと言うのは見たことがないわね」
「ワンドと言うのが実にいい。指輪と違って装備する必要がない。しかしどうやって作ったんでしょうこれ。と言うか階梯が読めない……?」
「階梯と言うか、力の系統も妙と言うか……これ何系統? 私たちの知ってる魔法によく似てるけど、アプローチの異なる魔法のように思えるわ。結果は同じだけど、辿ってる過程が違うというか……」
「電源系では7階梯までしかないからと、2階梯分のSPを踏み倒して『アーケイン・ウィッシュ』を乱用してる私のそれに似てる感じはしますね」
「ワンドって4階梯までしか作れないから、ワンドと言う形をした消費型のマジックアイテムなのかしら? 私たちの知るワンドとは形式が違うわ」
「1回分しかチャージされていないとか、1回分しか残っていないのではなくて、そもそも1回分の枠組みしかない感じと言うか……」
魔法使い、マジックユーザーである2人が額を突き合わせて話し込み始めた。
2人にとってはよほどに興味の引かれるものだったらしい。
しかし、長々と話し込まれても困るので、モモがワンドを取り上げる。
「話を戻すぞ。コリントも参加してくれるってことでいいんだな?」
「ああ、うん、そうだったわね。ええ、かまわないわ。終わった後は、ここで打ち上げでもしましょうか」
「楽しそうだな。が、そのあたりは終わらせてからだ。次はエルマとコリントのところに行かないとな」
「真のドリームチーム作る気満々ねぇ……」
「少しでも強いやつが欲しいんだよ、俺は」
「いいわ。なら私が繋いであげる。『次元門/プレイナーゲート』」
コリントが指を差し向けた先、壁に3メートルほどの大きさの円が創り出される。
「早く入ってね。あまり長く保たないのよ、この呪文。せいぜい5分くらいが精一杯なの」
「5分保つだけとんでもないと思いますがね。では、お先に」
「よく分かんねーけど助かった、サンキュー」
エルマはエルフであり、セリアンはライカンスロープだ。
義姉妹の契りを交わした2人は、その生涯の多くを冒険者として過ごした。
1万年を超える生涯の間に繰り広げた冒険譚は数多あり、またその経験は2人を神がかり的な領域にまで押し上げた。
そうした果てに、現世のしがらみから逃れ、異次元空間での隠遁生活を送っている。
まぁ、2人の冒険心は未だ衰えることなく燻っており。
時折また冒険の旅に出る程度のなんちゃって隠遁生活なのだが……。
「姉者、ヒマだよぉ」
などとぼやくのは、黒髪に黒目の野生美を備えた美女だった。
細身だが鋼のごとく絞り込まれた筋肉を持ち、その頭部には狼の耳。
古き時代に生まれた、獣と人の特徴を併せ持つ生来の戦士、ライカンスロープだ。
「儂もヒマじゃからお相子じゃな」
それに対し、わかるようなわからないような、微妙な返事をするのは笹の葉のように長く尖った耳を持つ少女。
光を反射する白銀の金属光沢のような光を帯びた頭髪。
それは光なき闇の時代に生まれた原初の時代に生まれた証。
夜空に瞬く星々を思わせるきらめく輝きを宿した紫の瞳。
それは星を見る人と呼ばれた者、原初のエルフの証であった。
「お相子じゃな、じゃないんだよ。ひーまーなんだよぉ、あたしに何か面白いヒマ潰しを教えておくれよー」
「庭の落ち葉の数を数えるとかどうじゃ?」
「その激烈に不毛なヒマつぶしであたしが満足すると思ってるなら、あたしを見くびりすぎだねぇ!」
そんな2人はいま、猛烈にヒマを持て余していた。
基本この2人、暇を持て余しては不毛なヒマ潰しに走るところがあった。
最近の趣味は、かつて拾った養い子が旅した後の世界を旅して、我が子の足跡を辿るというやや気持ちの悪い行為だ。
あと、同じく拾ったが、当時それなりの歳だったので養子にはせず、弟子にした子の足跡を辿って辛口評論してみたり。
「なんじゃなんじゃ、カリカリしおって。腹減っとるんじゃないのか、おぬし」
「うーん……そうかも?」
「そうじゃろ、そうじゃろう。実は、儂も腹が減った」
「うん、そう言われると、あたしも腹が減ったような気がして来たよ」
そう言い合って、義姉妹はおたがいに馬鹿に整った顔を見合わせると、ひとくさり笑った。
「飯にしよう」
「飯にしよう」
そういうことになった。
でかい肉。それを、ジュウジュウと焼く。
腐敗防止の魔法がある。『安息の眠り』と言う。これで保護された肉は、妙にうまくなる。
本来の使い方は、違う。死ねば人はアンデッドに変じる。
それを防ぎ、死体を保護すること。それを目的とした魔法なのだが。
この家には、肉好きしかいない。肉好きは、旨い肉が好きだ。
肉を美味にすること。それに払う労苦は厭われない。
ゆえに、『安息の眠り』は肉の保管に使われる。
網の上で焼けていく肉。染み出す油。溢れる肉汁。
焼き目の放つ香ばしさ。たまらぬ香りであった。
「ん?」
エルマがその長耳を揺らした。紫の瞳が、いずこかを見据える。
遠くに思いを馳せるような、そして同時にわずかな険を含んだ眼。
「どうしたんだい、姉者。あたしのお肉になにかあったかい?」
「いや、だれか来たようじゃな。どら、出迎えるか」
「なにかあったら、呼ぶといいよ、姉者」
「うむ」
そう応え、客人を出迎えに向かう。肉の焼ける匂いは名残惜しいが。
エルマは肉が好物だ。肉の焼ける匂いだけでパンが食えるほど。やや、常軌を逸している。
その、肉好きエルフが出向いた先では、見知った顔があった。
「おう、なんじゃ、おぬしら。なにがあった?」
かつて知己を得た相手。ジル・ボレンハイム。ブライド・オブ・コリント。
そして、その2人の友人。モモロウ、狩人なる職業の者。
ある世界でのことだ。偶然に知り合い、共に旅をした仲であった。
まさか、訪ねて来るとは思ってもいなかった。エルマは首を傾げた。
突然の来訪は、分かる。もとより、手紙を送り付けられる場所でもない。
アポが取れない以上、突然訪ねて来る以外に術はなく、必然だろう。
しかし、そもそもからしてだ。ともに、自分から足を運ぶ性格でもない。
それゆえ、なにかしらの緊急事態。その可能性を思い、エルマは尋ねた。
「儂に力になれることか? 言うてみよ」
友のために戦うこと。エルマはそれを厭わない。
このエルフの古老は、友情に篤い性質であった。
「セリアン、 肉を追加じゃ。3人分」
「おやおや! なんだか懐かしい顔があるねぇ! あたしがとびきりおいしいお肉を焼いてあげようじゃないか!」
セリアンが不意の来客に破顔する。
彼女は来客をとびきりもてなす性質である。
エルマの要求を聞くや、食糧庫にえいやと飛び込んだ。
肉をぞりりと遠慮なく切り取る。大盛りであった。
それを網の上に乗せ焼く。
パンの上に載せるも、そのまま喰らうもよし。
まったく、肉とはなんにでもあう。
焼き上がったそれを、ドーンと客人の前に供する。
湯気が立ち上る。肉の焼ける香ばしい匂い。ちゅわじゅわと煮える肉汁。
肉嫌いを除けば、食欲をそそってやまない光景であった。
「茶菓子感覚でステーキと言うのも豪快ですね」
「美味そうな肉だな。牛かな?」
「この量は……」
やや蛮族めいた歓迎。コリント以外は、あっさりと受け入れる。
彼女は生者ではないがゆえ、食事が不要だ。それゆえ、食も細い。
対照的に、異次元の大食漢モモロウ。食べようと思えば無限に食べられるジル。
「なんだい、ぜんぜん食べてないね! たくさん食べなよ!」
「いいところなんじゃぞ。ほれ、食え食え」
「ジルとモモロウみたいに遠慮なく食べるべきさ!」
「アンデッドなんじゃから太る心配もなかろうて」
比較対象が、あまりにも悪い。
コリントは苦しみの中にあった。
肉が、肉が無限に盛られゆく。
無尽蔵に積み上がって行く、肉。
それは、清水が滾々と湧くかのように。
肉の湧き出る泉があったなら。
エルマとセリアンが大喜びしそうだ。
おそらくは、その泉の至近に居を構える。
肉が毎日無尽蔵に食べられる。
ふつうならば、うんざりするだろうが。
この2人の義姉妹ならば、あるいは。
無限肉祭りにも耐えうるやもしれない。
そんな意味不明な妄想が、コリントの脳裏をよぎった。
肉に溺れていた。5ポンドステーキはシャレにならない。
おかわりはやめろ。追加の5ポンドは死んでしまう。
今夜、肉に溺れた。
コリントが肉食べ放題に敗死した。
その尊い犠牲を無駄にすることなく、ジルが交渉を打ち出す。
ジル、計6キロ。モモロウ、計8キロ。合わせて14キロに達す。
コリント、2.7キロと微力を尽くし、総計17キロ。
無論、3人が完食した肉の重量である。
対峙するエルマ&セリアン姉妹、総重量8キロの肉を完食。
勝利の女神がいずれに微笑むかは、自明の理であった。
「エルグランドの冒険者と試合するんですけど、来ませんか」
「嫌じゃ。あいつら頭おかしいじゃろ」
「ですよね」
食べた肉の重量。それが交渉結果に直結するか。無論、あるわけがない。
自明の理であった。勝利の女神は、エルマにのみ接吻を贈ったのだった。
「モモロウさん」
「ああ。なら、依頼する。エルマさん、コイツで引き受けてもらえるか」
モモロウが机上に紙束を並べる。
それらは便箋程度の大きさである。
そのすべてに魔法のオーラが宿っている。
モモロウが旅をする中で見つけたものだ。
スクロール。魔法が封じられた、使い捨ての道具。
ワンドと同種のものであり、同様に魔法使いでなくば使えぬ代物。
魔法の使えぬ彼らにしてみれば、必然的に換金物となる。
金にそう困ってはいないがゆえに、すべてが余っていた。
「おう、おう。スクロールかえ。なるほど。低位から高位まで、色とりどりじゃな」
「総額で言えば金貨2万は下らんと思うが?」
「そんくらいはあるじゃろうな。1度限りの試合と言うことなら、たしかにまぁ、安ぅはないか」
エルマとセリアン。この2人の実力は極めて高い。
それを雇うには、いささか安い額だ。
しかし、エルマやセリアンほどの超人となると、数が少ない。
それゆえに相場もまたあってなきようなもの。
知識も技能も要らぬ、ただの試合と言うことならば、余計にだ。
「来てくれるのか?」
「うーむ……」
エルマが顎に手をやり、考え込む。
やらねばならぬことはない。
やるべきこともまた、ない。
だが、これはやりたいことか。
すべきでないことをしようとしてはいないか。
わからん。まったくわからん。
エルマは、ひとり心のなかでつぶやく。
「おい、おい。エルマさんよ。あんたは並みの魔法使いじゃないんだろうよ」
「む」
「エルマさんよ、あんたはなんでもできるんじゃねえのかよ――」
「モモロウよ、儂にもできぬことはある。あるのだよ」
そうエルマがモモロウの言葉を遮る。
いままで黙っていたセリアンが、突如口を開く。
「姉者。あたしは力になってやろうかと思ってるんだよ」
「セリアン。おぬしは」
「まぁ、大した報酬はでないんだろうけど。でも、なにしろヒマでねぇ」
「おぬしがそうしたいというなら、止めはせぬが」
「どうするんだい?」
「む」
「いかないのかい?」
「むむ……」
エルマが眉間にしわを寄せた。
セリアンがそうであったように。
エルマもまた、ヒマであった。
エルマがその指先で頬を掻き、溜息を吐いた。
ただでさえヒマな身だ。
唯一の同居人がいなくなれば、なおのこと。
「いこうよ、姉者」
「う、む」
「ゆこう」
「ゆこう」
そういうことになったのであった。
こうして、モモロウによるドリームチームが再結成された。
金髪の女たらし泣かせ隊、発足――――!
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