第5話 魔導士嫌い

 放課後を過ぎた本校舎はどこか薄暗い。

 橙色の夕焼けの日差しが差し込むも、影が色濃くなっていく。電気もついていない中、廊下を歩く日向の足音しかしない。

 放課後を過ぎた学校を残る物好きはおらず、早く帰ろうと思い歩く足を速める。窓の向こうから景色を横目に、日向は疲れたように息を吐きながら今日までのことを思い出す。


 年明けに魔導士として目覚めて以来、日向の日常は一変した。

 病院で一ヶ月以上入院し、その間にIMFの通達によって強制的に聖天学園に入れられた。魔法の勉強もほんの触りしか学べず、卒業まで他のクラスからの好奇心の目を晒される日々は精神的に苦痛だった。

 志望校合格のために費やした時間が無駄になり、体も普通の人間から魔導士に作り変わり終えるまではロクに起き上がれず、散歩する時は車椅子で移動するしか方法がなかった。


 魔導士という立場は国にとっては貴重なものだと理解はしていても、興味のない派閥争いなどに巻き込まれるのは御免だ。

 自分はただ周りに流されるのではなく、これからは魔導士として生きていく道を探したい。贅沢なんて言わないから、友人達と楽しく学園生活を送りたい。ただそれだけしか望まない。

 ……そう思っているのに。


「見ぃつけた」


 通り過ぎようとした階段の上から声が降る。

 声がした方を見ると、制服を着崩した女子三人が階段で座り込んでいる。学校に残りたがる物好きならば気にしないが、彼女達の嫉妬に塗れた眼差しと歪んだ笑顔を見れば違うとすぐに分かった。


「こんなド素人が黒宮くんのパートナーなの? ムカつく」

「ほんと、全然大したことないじゃん。なんで選ばれるのかな?」


 嘲笑が周囲に響く。こういった視線は小中学校と鳴れている日向にとっては恐怖の対象ではないが、いつでも逃げられるように身構える。変に相手をして逆上させるより、素直に逃走本能に従った方が一番いい。

 悠護が『黒宮家』という名家出身で、その彼のパートナーになった自分はきっと魔導士家系出身の息女にとってはただの障害物。目障りで、消したくて堪らない女だ。


 聖天学園はIMFの取り決めによって、敷地内全域を完全中立地帯としている。

 この取り決めは政府・企業・団体など権力や金を持つ集団から生徒達の身を守るためで、もしこの取り決めがなければ、いち早く魔導士を手に入れようとする国々の思惑に巻き込まれていた。


 もちろん名立たる魔導士家系もその集団の中に入っており、彼女達の家がどれほどの権力と金を持っていようとも、校内で起きた不祥事を揉み消すことはほぼ不可能のはず。

 だけど、彼女達にとっては不祥事の後始末よりも日向を消すことに集中している。そうでなければ、次に起きた光景に説明がつかない。


「少し痛いかもしれないけど我慢してね? アンタが悪いんだから。私達より劣ってるただの人間風情がこの学園に入って、おこがましくも黒宮くんのパートナーなったんだから」


 女子の一人がブレザーのポケットから長方形のハンドルを取り出した。脇にある突起部分を押すと鋭いナイフが飛び出て、日差しの反射でギラリと光る。明らかに私物であろうフォールティングナイフが日向に向けられ、当然のように階段を一歩一歩降りていく。

 日向は息を呑むもその場から一歩も動かず、少しずつ後ずさったが背中が窓に当たる。それと同時に女子の手に握られたナイフの先が突きつけられる。


「……こんなことしたら、無事じゃすまないって分かってるの?」

「そんなの後からどうとでもなるわよ。そもそも、クズの人間のくせに選ばれた魔導士達に刃向かうなんて。ほんっと目障り」

「あんた達はただの家畜、素直に私達に従っていればいいのよ」

「命令も口答えもしないで。どうせ何もできないザコのくせに」


 息をするように吐かれる罵倒。嫉妬と憎悪が入り混じった炎はどす黒く変色し、少女達の美しい顔を醜く歪ませる。

 これまで大事に育てられ、ただの人間がどれほど下等で劣る存在なのか刷り込まれた彼女達にとって、口から吐き出される言葉は正しいと認識していた。


 だけど。

 魔導士家系でないほぼ一般家庭に近い家で生まれ、これまで困っている人のために手を尽くしてきた両親の背を見て育った日向にとって。

 彼女達が投げた矢は的だけでなく、その後ろの壁にまで深々と突き刺さって穴を空けた。


(クズ? 人間が? 魔導士に選ばれたからって、そう言っていいの? 魔導士は世界の人々にとって必要不可欠なのに? それなのに魔導士彼らは一般人として暮らす人々をそう呼んでいる? クズって呼んで、守るべき人達を蔑んでいる……?)


 それは、魔導士としてはあるまじき発言。

 日向は魔導士になったばかりでまだ魔導士界に精通しているわけではない。

 けれど、その発言はたとえ魔導士であっても、そうでなくても聞き捨てならなかった。


 ――ふざけるな。そんなの、誰であろうと許されない。


 そう思った瞬間、日向の体の芯が熱に浮かされたように熱くなった。


「……けんな……」

「え?」

「何よ?」

「ふざけんな、って言ったんだよ! 思い上がりバカ女共がッ!!」


 静寂を破る大声に少女達は肩を震わす。そんなのお構いなしに日向は叫ぶ。


「人間をクズだ……? ただちょっと魔法が使えるだけの奴がそんなこと言っていいと思ってんの? そんなわけないでしょ!? あなた達魔導士の力は、世界にいる力ない人達を助けるためのものでしょ! そのためにここに来たんじゃないならなんのために来たの!?

 普通の人達を蔑みたいから? 自分が上に立つ人間だって優越に浸りたいから? ふざけるな! 他者を見下し、侮辱し、存在すら否定する権利は誰も持ってないんだ! こんな真似する暇があるなら、その腐った性根叩き直してから出直してきやがれこの性格ブス共ッ!!」


 日向の剣幕は彼女達の息を呑ませる威力があるも、屈辱と捉えてもおかしくない発言にを聞いて、怒りで顔を真っ赤にする。

 目の前の女子が持っていたナイフを振り下ろそうとするも、刃は真紅色の粒子に纏わりつくと花火のように破裂した。女子が悲鳴を上げながらハンドルを捨てると同時に下の階段に目を向けると、日向だけでなく他の女子達も目を見開いた。


「――悠護」


 右手を前にかざした悠護が、鋭い目つきで女子達を睨みつけていた。

 あの粒子は可視化された魔力……昨日見たばかりの悠護の魔力であると気づくも、女子達は怒気を孕んだ空気を感じ取ったのか、怯えた表情を浮かべながら身を寄せ合う。

 ちらりと女子達を一瞥するもすぐに興味を無くした悠護は、つかつかと日向に近寄り彼女の手を取った。細く、肉があまりついてないせいで骨ばった手。その手の冷たさに思わず背筋がぞくりと粟立つ。


 無言で手を引っ張って去ろうとする二人を、我に返った仲間の一人が「ちょ、ちょっと待って黒宮くん!」と声を張り上げる。

 声に反応して立ち止まると、悠護は暗澹とした目を向けた。


「なんだよ」

「さ、さっきの聞いてたでしょ? 彼女は私達魔導士を侮辱した最低な女よ。これは七色家のあなたも見過ごせないはず」

「……そうだな」


 肯定の言葉を出した悠護に顔色を明るくする少女達。だが、


「正論を言われたにも関わらず反省しないお前達は誰よりも最低だな」


 その後に吐かれた一言に、彼女達は言葉を失う。

 悠護はこれ以上女子達のそばにいたくないのか、日向の腕を細身に合わない強い力で引っ張りながら下へ降りる。

 昇降口を足早に通り過ぎて学生寮に向かう途中、速度はゆっくりとなるが微妙な間隔をあけながら彼の後ろを歩くも気まずい沈黙が流れる。


(どうしよう……)


 怒っているのか無言になっている悠護。なんとか話しかけようとするも言葉が出ず、どうすれば分からなくなる。

 何を話せばいいのかな? と思っていると、目の前を歩いていた悠護の足が止まり、思わず自分の足も止めた。


「さっきの、大丈夫だったか?」

「あ……うん、悠護のおかげでなんとか」

「正論を言うのはいいが、それで痛い目にあったら元の子もないだろ。あんな風になったら迷わず逃げろ」

「そ、そうだね……」

「補習終わったらメッセージ送れよ。で、そのまま教室にいろ。そっちの方が安全だ」

「うん……今日は、本当にごめんなさい」


 沈んだ顔で頭を下げる日向に、悠護ははっとした表情をするとすぐに気まずそうに顔を逸らす。


「あ、いや……その、キツい言い方して悪かった。あれはお前のせいじゃないのにな……」


 俯かせる悠護の顔は暗く、夕暮れのせいでその陰が強くなる。

 だけど、その時見たのだ。彼の真紅色の瞳の奥にある感情を。

 その隠された感情は―――あらゆる理不尽に対する怒りと憎しみだった。


 ……だからなのか、日向は思わず言ってしまった。

 いや、訊いてしまった。


「――悠護は……魔導士が嫌いなの?」


 そう言った瞬間、悠護の瞳が大きく見開かれた。

 まるで隠し事をしていたのに、何も言っていないのに、言い当てられてしまった子供のように。

 しばらくその状態のまま固まっていると、彼は顔を俯かせるもすぐに上げて言った。


「……ちょっと、時間いいか?」



 悠護の後を追って辿り着いたのは、オナガガモの親子が一列になって泳ぐ小さな湖だった。

 少し歪んだ円のような湖は夕日の光を浴びてキラキラと輝いており、茜色に染まっている。その湖の前に悠護は座り込むと、日向も彼の隣に座る。しばらく湖を見つめたまま、悠護は口を開いた。


「多分もう知ったと思ってるけど、黒宮家は『七色家』の中じゃ一番強い発言力を持っている家だ。由緒正しい名家でしかも金もあるから、昔から色んな奴らが誕生日とか正月の時に連れてくるんだ。俺の妻にさせるための女達を」


 まだ幼い子供ならば誕生日や正月は年に一度しかこない楽しい行事、という認識だ。

 普段食べられないご馳走が食べられ、誕生日には綺麗な包装がされたプレゼントがたくさん贈られる素敵な日。

 だけど、悠護の場合は違う。お祝いの言葉よりも好きでもない女の子を紹介され、いつか自分の妻にしてくれと頼み込む醜い大人達を見続ける。


 権力と地位を求める大人達の我欲は、ご馳走もプレゼントも全てが色褪せてしまう。

 そんな一日を、彼は何度も過ごしたと考えると胸が痛くなる。


「物心ついた時にはすでに魔導士としての才覚があった俺は、家のこともあって

「許された……?」

「たとえば分家の子供の大事にしてたおもちゃを無理矢理奪って、そのまま壊す。それだけ聞くとどう思う?」

「どうって……最低だよ。勝手にそんなことされたら誰だって泣く。あたしだったら泣くより先に怒るよ」

「ああ、それが正しい反応だよな。……でも、ウチじゃ逆だった。その分家の子供が自分の親に殴られて、悪いはずの俺に頭を下げて謝るんだよ。『悠護くん、ウチの子が失礼なことしてごめんなさいね』って言いながらな」

「え……?」


 信じられない話に耳を疑うが、愁いを帯びた悠護の顔を見てそれがウソではないと嫌でも分かった。


「で、そんな親に殴られた子供も悔し泣きしながら俺に謝るんだ。力と権力の前では人は正しさを歪める。それをさせているのが『魔導士』っていう力と権力の塊だ」


 悔しそうに唇を噛む悠護の横顔は、今にも泣きだしそうな子供そのものだった。


「……俺は、魔導士が嫌いだ。魔法が使えるからって高慢に威張り、使えない奴を蔑み嘲笑うあいつらが。だけど、俺もその魔導士の一人だ……そう思うたびに俺はどんどん自分が嫌いになっていく……」


 いつしか悠護は膝を抱えながら頭を俯かせ、深い悲しみを絞り取るような声を出す。

 それだけ彼がどれほど辛く、孤独な境遇にいたのか。そして、自分もそんな目に遭わせた人達と同じなのだと何度も思い、自分自身すら嫌いになっていった。

 それは……なんて悲しいことなのだろうか。


「だから、昨夜のお前が羨ましかった……。魔導士なのに他の奴らと違って素直で、なりたいものを探そうと真っ直ぐでいられるお前は……俺の目にはすごく眩しく見えたんだ……」


 目の縁に浮かび始めた涙を、悠護は零さないように手で拭おうとする。だがその前に、彼の手を取った日向が、気づけば悠護の体を抱きしめていた。

 肉がほとんどついていない、華奢というにはあまりにも痩せっぽちな体。ゴツゴツとした骨の感触が服越しからでも伝わり、こんな体で今までずっと一人で耐えていたと思うと悲しくなる。


 彼は……どれだけ辛かったんだろう。

 間違った正しさをする人達を見続け、己の我欲のために利用され続け、悩みを打ち明ける相手が誰もいないまま一五年という時を過ごすのは……一体、どんなに苦しかったんだろうか?


 想像することしかできない痛みを抱えた少年のことを思うと、日向の胸が締めつけられていくのを感じた。


「お……お前っ、何やって……!?」


 突然日向に抱きしめられて数秒くらい固まっていた悠護だったが、我に返るとすぐに離れようと腕に力を込めた。

 その抵抗を拒むようにさっきよりも強く、でも彼が痛がらないように優しく抱きしめる。


「……ったね」

「え……?」

「頑張ったね。悠護はすごいよ。あたし、あなたより心の強い人はいないと思う。だから……もう、泣いていいんだよ。ここには君が泣くことすら許さない人はいないんだから」


 まるで母親が子供をあやすように彼の髪を、何度も何度も撫でる。

 その手つきなのか、日向の言葉が引き金になったのか、悠護は体を震わせながら日向の肩に顔を埋める。


「っふ、く……う、ゔぅ……」


 瞳から零れ落ちた涙は日向の肩を濡らす。

 今まで我慢していた嗚咽は乾いた声を出しながら溢れ出る。


(そう、それでいい。あなたはもう充分苦しい思いも辛い思いもした。だから、もういいの。もう思う存分、自由に泣いていいの)


 彼の涙につられるように自分の目からも涙が零れる。

 頬に伝うその感触を味わいながら、日向は悠護が泣き止むまで抱きしめ続けた。



☆★☆★☆


 日もすっかり暮れ、空は真っ黒に染まっていた。都内のように光源が少ないため星が目視できるほど綺麗に見える。

 ようやく悠護を離した日向は、目元を赤く腫れさせ鼻を鳴らす彼に持っていたポケットティッシュを渡す。


「はいティッシュ」

「ああサンキュ」


 悠護はそれを受け取り数枚取ると、そのまま鼻をかむ。ずびぃいいい、とかなり豪快な音がティッシュで覆われた鼻から聞こえてきた。

 使い終わったティッシュはそのままブレザーのポケットに突っ込む悠護の横で、日向は空が藍色でほとんど埋め尽くされているのを見て、慌ててスマホを取り出した。


「そうだ! 心菜達に電話しないと。きっと心配して――」


 スマホの電源を入れて画面を確認した直後、固まりそのまま震え始めた日向を見て、困惑した悠護が彼女の肩を叩いた。


「お、おい、どうしたんだよ」

「こ、これ……」


 真っ青な顔しながら日向のスマホの画面を見せると、悠護は顔をひきつらせた。

 理由はこの不在着信。それだけなら別に普通なのだが、問題はその件数だ。


『不在着信 172件』


 過去最大であろう件数の相手は友人二名と陽。その八割が陽。これには軽く恐怖を覚える。

 するとスマホが震え出し、慌てて画面を確認する。電話の相手は陽。それを見て、日向達は冷や汗を流しながら目だけ合わせる。


「これ……出ないとマズい?」

「……マズいだろうな」

「多分陽兄めっちゃ怒ってると思うから少しだけスマホ遠ざけるね」

「そうした方がいいかもな。じゃないと鼓膜が破れる」


 もはや危険物扱いになっているスマホ片手に話し合いした後、日向は自分の耳から思いっきり遠ざけ、着信ボタンをタップする。

 バイブが止んだその三秒後だ。


「も、もしも――」

『―――――――――――――――――――――――――――――――――――ッッッ!!!』


 もはやただの雑音と化した声がスマホから響いてきた。

 何を言っているのか分からず、電話口から離れていてもガンガン響くその声を恐ろしく感じながら止むまで待つ。

 しばらくするとぜぇぜぇと息切れがしたのを聞き、日向はそっとスマホを耳に近づける。


「えっと……ごめん陽兄、さっきの全然聞こえなかった……」

『………………こんな時間まで一体何しとったんや? お兄ちゃん、そんな子に育てた覚えないで……?』

「ひぃっ!? ご、ごめん! 本当に全然気がつかなっただけなの! 別にやましいことはしてないから!!」


 ドスの利いた低い声はかなり怒っているサインだと分かる日向は慌てて弁明しようとするが、その前に悠護にスマホを盗られてしまう。


「すみません、豊崎先生。こんな時間まで日向を連れ回したのは俺です」

「ちょ、悠護!?」

『黒宮? なんであんさんが謝るんや?』

「俺の用事に日向が付き合ってくれたんです。でもこんなに遅くなるなんて思わなくて……ご心配をおかけしてすみません」


 全部とは言わないがほぼ合っている内容を伝えると、電話口から『うーん……』と悩む陽が聞こえてきた。


『まあ今回はええわ。でもいくらパートナーやからって遅くまで付き合わせるのはアカンで』

「はい」

『とりあえず二人はさっさと寮に戻りぃ。ルームメイト達が心配しとったで。あ、日向には明日みっちり説教するから覚悟しぃって伝えておき』

「……分かりました」

『ほなな』


 何回か言葉を交わした後、悠護はスマホの着信を切るとそのまま日向に返す。


「陽兄はなんて?」

「とりあえず今日のことはお咎めなしだと。……あと、お前には明日説教だって言ってた」

「あ~~、やっぱりかぁ~~~」

「……悪い。俺のせいで」

「いや、悠護は悪くないよ。気にしないで」


 もっと早めに心菜か樹に連絡を入れておけば避けられた事態だ。誰の責任でもない。

 スマホをポケットに入れ直し、日向達は学生寮に戻るために歩き始める。だけど、日向はその前に足を止める。


「日向?」


 突然足を止めた日向に悠護が不思議そうに首を傾げる。

 そんな彼を見て、右手の魔力抑制具を左手で握り潰さんばかりに掴みながら口を開く。


「……悠護。あたし、まだみんなに言ってないことがあるんだ」

「……そうか」

「でも、これに関しては自分でもまだよく分からないから、ちゃんと整理して話すつもり」

「そうか」

「多分時間もかなりかかると思うけど……その時は、ちゃんと聞いてくれる?」

「……ああ、もちろん」

「……そっか。ありがとう」


 自分でもかなり勝手すぎるお願いだと思ったけど、悠護は嫌な顔せず頷いてくれた。

 それがなんだかとても嬉しくて、思わず涙が出そうになるもぐっと我慢し、日向は彼の後ろを追いかけるように歩き出した。

 その時、ビキッと魔力抑制具から不穏な音がしたことに日向は気づかなかった。



 黒宮悠護。『七色家』が一つ、黒宮家の嫡男であり次期当主候補。

 それが、彼という人間の最初の情報だ。


 七色家というのは、魔導士界と表社会の秩序を保つための役割を与えられ、日本を守護する宿命を背負った集団だ。

 第二次世界大戦で日本を勝戦国へと導いた功績を認められ、時代の流れと共にその影響力を強くしていった。


 それが原因なのか、七色家に媚びを売る者達は後を絶たなかった。

 誰もが別に欲しくもない高価な物をプレゼントしてきて、誕生日には自分の子供を紹介して友達もしくは婚約者として仲良くしてもらうように薦める。

 あまりもバカらしく、吐き気がする行為。それを味わうたびに何度も食欲をなくした。


 ああ、本当に魔導士という生き物は救いようがない。

 自分に気に入られたいからって、必死なって上辺だけの言葉をつらつらと並べることしか頭にない大人も。

 家の力を狙っているからって、何も知らない女を婚約者候補として紹介する親も。

 親の命令だからって、俺と仲良くしようと近づいてくる子供も。


 全員がどうしようもないバカばかり。

 彼らがあまりにも醜いのだから、悠護は同じ魔導士でありながら魔導士を大嫌いになった。


 仕事人間の父はここ数年ロクに話すらしてないし、実母は六歳だった悠護を置いて逝ってしまった。

 実母の喪が明けた頃に再婚した義母は、再婚の件で怒り狂った自分のことを気にしているのか必要以上に関わろうとしないし、その後生まれた七歳年下の義妹もロクに関わろうとしなかったから遠巻きに見るだけで何も話してこなかった。


 我欲に塗れた大人。親の言いなりになった子供。形だけの家族。

 どこにも味方がいない世界を、彼は独りでずっと怠惰に生きてきた。


 ……だから、だろうか。

 まだ出会って二日しか経っていない少女に憧れて、心を開いたのは。


 豊崎日向。

 年明けに魔導士になったという珍しい後天的覚醒者。あの【五星】の妹で、魔導士についてあまり知らない一般家庭組なのに、魔導士家系の息女に対しても啖呵を切るという根性ある女の子。

 周囲からの陰口や視線も気にせず、〝何かになりたい〟という漠然とした渇望を抱く風変わりな子。


 自分とは違う環境で育った彼女は、周りの魔導士が持つ排他的な常識に囚われず、自分が思う常識を持って行動する。

 あの時、なんとなく胸騒ぎがして校舎に戻ってナイフを突きつけられた日向の剣幕は、正直見ていた自分もおっかないと思ったのと同時に嬉しかった。


 日向が言った言葉は全部、悠護がずっと言いたかったものばかりだった。

 くだらない思想を当たり前に受け取って、邪魔だからと排除しようとする者達に言いたくて仕方がなかったそれを、彼女が代わりに言ってくれた。

 だからこそ、悠護は初めて他人に自分のことを話したんだ。


 だが……さすがに、抱きしめられるとは思わなかった。あれは普通に驚いた。

 ……でも、あの時は本当に久しぶりに泣いた。最後に泣いたのはもう何年も前だ。

 不思議な気分だった。あの時の悠護は、本当に昔の……普通によく笑ってよく泣いた子供の頃に戻ったのだから。


 日向は言っていた。まだ話していないことがあるって。

 恐らく彼女が魔導士になったきっかけだろうと予想できたけど、それ以上無理に聞き出すことはしなかった。

 誰にだって秘密はある。無理に解き明かすなんてマナー違反だ。だから悠護は待つ方を選んだ。時間が経てば、日向ががちゃんと話してくれると信じているからだ。


 ――なあ、日向。お前がどんな秘密を話しても、俺はお前のそばから離れないよ。


 ――お前は、俺にとっては孤独の海に沈んだ心を救い上げてくれた恩人。恩に報いるような真似は絶対にしない。


 悠護は魔導士が嫌いだ。だけど、自分を救ってくれたのは日向という魔導士の少女。

 今の彼女の周りには歪んだ選民思想を持つ人間達がいる。そいつらは必ず悪意を向けてくるだろう。


 なら、その悪意を全て斬る剣になろう。

 自分を救ってくれた、太陽の光で輝く琥珀と同じ色をした髪と瞳を持つ、あの優しい少女を守る盾になろう。


 それが、悠護が〝なりたいもの〟だ。

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