第266話 襲撃

 あれから、一月が経った。

 季節は秋へ突入し、暦が一〇月に差し掛かっても、『ノヴァエ・テッラエ』は一切表舞台に出なかった。

 だけど、彼らが蒔いた種は着実に芽吹いていることは肌で感じられていた。


 一向に増え続ける魔導犯罪、不満と憤怒が加速し活発化する差別派、疲弊し物資が尽きかけているIMF。

 誰もがこの状況に危機感を抱き、いつ終わるか分からないことを憂う中、日向はシャーペンを必死に動かしていた。


 カリカリカリカリ、と神聖文字ヒエログリフを書く度に芯が削り減り、これまで書いてきた術式の紙は全て床に散らばっており、足の踏み場がない。

 何日も空気を入れ替えてなせいで淀んだ部屋の中で日向は一心に机に齧りつき、ガリッと一際高くシャーペンの芯が削られたのを機にようやく猫背になっていた背を正す。


「な…………なんとか、できたぁぁぁ~~~~!」


 必死に伸びをして、肩を軽く動かすとバキバキと音が鳴る。

 ようやく必要な術式もとい新魔法の開発に区切りが尽き、風魔法で精密な操作で床に散らばった紙を机の上に集めさせた後、そのままベッドにダイブする。

 黒宮家の使用人達によってベッドメイキングされているおかげで、シーツからは洗剤の匂いがした。


(これでできることは全部した。あとはカロンが動くのを待つだけ)


 しかし、一〇月になっても未だ動いていない。

 向こうに策があるからこそ余裕な態度を取っているのか、それともこちらの消耗を待っているのか。

 前者は可能性としては低くないが、後者は確実にありえそうだ。現に今、IMFも各国政府もすでに疲弊している。


 カロンが一体何を仕組んでいるのか考えようとするも、ズキンッ! と頭に激しい痛みが走った。

 ここ数日、不眠不休で新魔法の開発に取り組んでいたせいで、体がすでに限界に近付いている。今日はさすがに眠らなければならない。

 溜め込んだ眠気に抗うこともせず、そのまま眠りに落ちる。ぴぃぷぅと寝息を立てる日向を、ひっそりと部屋にやってきた悠護は苦笑しながら布団をかけてやった。


「ったく、相変わらず頑張りすぎやがって。仕方ねぇ奴だなホント」


 隈がくっきり残る顔をそっと撫でて、こめかみに口づけを一つ落とした後、そのまま机の上に置かれている紙に目を通す。

 日向から神聖文字ヒエログリフの読み方は教わったが、長文な上に英語のように文法がいつくも使われているせいで解読ができない。


 だけど、この術式全部がカロンの対抗策として用意した魔法であることは理解できる。

 未知数のカロンを倒すに必要なのは、既存の魔法ではなく彼すら知らない魔法。

 それこそ、アリナがカロンを呪ったような力を振るわなければ、この因縁に終止符は打てない。


(カロンと対等に渡り合えるのは、恐らく日向だけ。なら、俺がするべきことは、その生涯を取り除くことだ)


 なるべく足音を立てず日向の部屋に出た悠護は、その足で地下へと向かう。

 黒宮家は地上三階、地下二階の五階建ての洋館で、その傍には住み込みの使用人の住居である二階建ての離れがある。

 離れはかつて使われていない大きな物置だったが、曽祖父の代に使用人の数が増えたのと交通の不便を感じ、急遽改築したのだ。


 黒宮家内部の構造はこうだ。

 一階は大広間やリビング、キッチンに食堂にトイレと共用スペースがある階。

 二階は客室として使われている階で、三階は父が使う執務室や書斎、さらに悠護などの家族の寝室がある階だ。


 地下一階は風呂場と洗濯室があり、特に風呂場は時間制で使用人も使えるようになっている。

 地下二階は被害が外に出ないように特殊な造りをした訓練場があり、家に帰ってきてからはほぼ毎日使用している。

 四方を白一色で囲まれており、床と壁に使われている素材は全て修復魔法が付与されている特注品。耐震性・防音性にも優れており、いくら派手な魔法を使っても上の階には神藤も音も伝わらない。


 訓練場に来た悠護は、スマホサイズのタッチパネル式リモコンを取り出し操作すると、虚空からAR技術をフル活用した黒と白の円が重なった的がいくつも出てくる。

 すぐさま《ノクティス》を展開し弓矢に変えると、そのまま矢を放つ。ヒュンッと風切り音を出した矢は、真紅の魔力を纏い分裂する。

 勢いを殺さないまま矢は全ての的の真ん中を射抜き、そのまま貫通する。矢と共に的も消えた直後ピピッとリモコンから音が鳴り、それを取り出した。


 訓練場のリモコンはAR技術で出した的などを出す機能だけでなく、魔法発動までの速度、威力を計測する機能もある。

 魔法発動速度は三二三msミリセコンド、威力はレッドゾーンとIMF所属の魔導士ならば確実に一流だと言われるほどの腕前。

 だが、これで満足できるほど悠護は楽観視していない。向こうには未だ手札を見せていない相手と規格外の怪物がいる。現代の常識など、彼らには通用しない。


「チッ……!」


 一向に弱い自分に腹を立てながら、悠護はもう一度弓を構えて矢を放つ。

 再び現れた的の中心には、彼の怒りを表すかのように、真紅の魔力を纏った矢が突き刺さっていた。



 城の地下には、死を待つ者達が集められている。

『ノヴァエ・テッラエ』の威光を笠に着て少々者、IMFに捕まる前にこちらの情報を提供しようとした者、後はカロンが排除すべきと思った者だ。

 そういった連中は、リンジーが全て処分するのだ。


 リンジーにはすでにまともな理性はないが、『人を殺す』という行動は手続き記憶の一部となっており、足が自然とこちらに運ぶのだ。

 理性を失ってからまともに手入れされていない《インフェリス》を引きずり、地下に閉じ込められた処分対象えものの元へ向かう。


 罵声や怒号を飛ばす彼らの元へ現れると、一斉に顔を青白くする。

《インフェリス》にこびりついた血とリンジーの今の風貌は、彼らの中にある恐怖心を肥大化させる。

 ぎょろぎょろと濁った眼で周囲を見渡し、口を三日月にように裂けさせた。


「あはっ……あははははははははははははははははははははっ!!」


 リンジーが笑い声を上げながら、《インフェリス》を振り上げると目の前にいた肥満の男の体が二つに切断される。

 臓物だけでなく骨の断面すら露わになった死体を見た直後、阿鼻叫喚が巻き起こる。

 魔法で反抗するも、リンジーは《インフェリス》で全て切り捨て、次々と死体を生み出していく。臓物と血が床に飛び散り、部屋中に殺した人間の血臭が充満する。


 毎日のように処分対象をこの石部屋で殺しているせいで、天井にも床にも壁にも血が染み込んでいる。現に赤黒いシミしかなかった部屋は鮮血がべったりと張り付き、残ったのは荒い息を吐くリンジーだけ。

 処分対象は全て綺麗に体を切断され、物言わない肉塊になっていた。


「ひゃはっ……あー、うあー」


 満足そうにとろんと蕩けた顔をしながら、刃から柄に伝ってきた血を舌で妖艶に舐め取る。

《インフェリス》はリンジーが廃人状態になってからロクに手入れされておらず、こびりついた血はどれほど拭っても落ちないほどこびりつき、穂も刃も刃毀れしているが逆に相手にさらなる苦痛を与える要素となっていた。


 ぺちゃぺちゃと音を鳴らしながら、リンジーは酩酊感を味わいながらわずかに残る記憶を遡る。

 最初に思い出すのは、冷たく無機質なのに豪華な屋敷と、黒く塗り潰されて顔が分からない男の罵声や大人達の拒絶。

 次は灰色に霞んだ路地裏と空。黒ずんだ指先でゴミを漁る手が真っ赤に染まり、最初に見た屋敷が炎に包まれる光景。


 その次はさっきのように殺した人間達と純白の髪をした男。

 そして最後は、自分を見下ろす唯一顔が分かる黒髪の男と、自分の声から放った呪詛。

 このつぎはぎな記憶しか、今のリンジーは何も覚えていない。


 それでも、リンジーは本能で理解していた。

 最後に出ていたあの黒髪の男を絶対に殺すことだけは。

 血を舐め取るのをやめて、ずるずると《インフェリス》を引きずりながら部屋を出たリンジーの前に金髪の悪魔が現れる。


「リンジー、仕事だ。腐ったこの世界をお前の好きな血の赤で染め上げろ」


 本物と比べ物にならない悪魔の囁きに、壊れた死神は嬉しそうに笑った。



☆★☆★☆



 IMFの会議室に集まる日、日向達は一様に暗い顔をしている。

 それもそうだ。肝心の相手がいつまでも動きを見せず、魔導士のネガティブキャンペーンが激しさを増している。

 リリアーヌからも『ノヴァエ・テッラエ』が動き出した情報はなく、向こうもかなりイライラしている。


「おかしい……もうそろそろ動いてもいいはずなのに、一向に動きを見せないなんて」

「も、もしかして、諦めてくれたのかな……?」

「ありえへん! アイツが諦めるなんて、それこそ世界がひっくり返ったっておかしないで!」

「ああ。だが、何故ここまで引っ張るんだ? 私達の疲弊をさせるなら、もう十分のはずだ」


 ジークの言う通り、世界各国の魔導士はすでに疲弊している。

 ブラック企業も真っ青になるほどの激務によって倒れる職員は続出し、休ませたくてもどの病院も排斥運動のせいで出た怪我人が運び込まれてパンク状態。

 ならば、ここで畳み掛けるとしたら、今がまさに絶好の――――


(待って)


 そうだ。この状況は向こうにとっては攻撃しやすい。

 なのに、何故現れていないのか? そもそも、彼らは


 この国を守る七色家? それとも、政府機関そのもの?

 いいや、どっちも不可能だ。政府の要人達などカロンには眼中ないし、七色家は強敵だがそこまでではない。

 ならば。

 彼が一番最初に狙うモノは……!


「……っ!!」


 突然椅子から立ち上がった日向が、大慌てて壁に設置されている内線電話を手に取る。

 内線電話にはスマホの電話のキーパッドのように数字と記号がプリントされたボタンが並んでいるが、『緊急』と白い文字でプリントされた真っ赤なボタンがある。


 このボタンは押すだけで施設全体に設置されたスピーカーに繋がり、どこからでも避難勧告が出せる仕組みになっている。

 そして、『緊急』の赤いボタンを押した日向は、大声で叫んだ。


「全職員に告ぐ! 逃げろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 日向の言葉を聞いて全員がはっと状況を把握した直後、IMFのエントランスホールで大爆発が起きた。



 ドゴォォンッ!! と施設全体が揺れる大爆発。

 魔法だけでなく耐爆性に優れているはずの自動ドアは無残に破壊され、近くにいた職員は爆風で飛ばされたガラスの破片が四肢のあちこちに刺さり、中にはその破片が運悪く深く突き刺さり息絶えた者もいる。

 誰もが悲鳴が上げる中、濛々もうもうと立ち込める土煙の向こうから死神リンジーが現れる。


 以前着ていた紅いローブは脱ぎ捨て、臙脂色のラインが入った黒のマントをなびかせている。服も今の急激に老化した肉体を見せないために顔以外は全部隠されている。

 ブーツでガラスを踏み鳴らしながら進むと、いくつもの魔力弾が飛ばされる。

 それを全て《インフェリス》で斬り捨てると、晴れていく土煙の向こうで職員達が叫ぶ。


「非戦闘員は全員地下のシェルターに避難させろ! 上の階の重役達は、屋上から緊急用ヘリコプターで脱出してくれ!」

「おい、こっちだ! 転ぶなよ!!」

「クソったれ! やってくれてなぁ!?」


 何人かが激怒して魔法を飛ばしてくるが、リンジーにとってはどれも児戯に等しい。

 遠距離での攻撃をもどかしく感じたのか、一人の職員が警防型魔導具を持って吶喊してきたが、まるでダンスのステップを踏むように身軽に躱し、そのまま上半身と下半身が泣き別れさせた。


 ベチャッと血を撒き散らす肉が落ちる音を聞きながら、職員達は機関銃型魔導具を手にして魔力弾を連射する。

 普通の機関銃と威力が変わらないそれを、リンジーは防御魔法をかけないまま急接近する。服やマントに魔力弾が掠っても構わず突き進み、《インフェリス》が獲物の首を狩ろうとした。


 直後、目の前から現れた黒い刃によって防がれる。

 刃は《インフェリス》を受け止めると、そのまま体ごと後ろに投げ飛ばす。宙に浮かびながら自分を吹っ飛ばした相手の顔を見て、リンジーの顔が歓喜の色に染まる。


 その相手はリンジーの記憶と寸分違わない風貌をしていた。

 夜空のような黒髪、両手に持つ黒い剣、そして――自分を睨みつける真紅の双眸。

 雷に打たれたような衝撃を浴びながら、死神はぞくぞくっと身を震わせる。


 ――ああ、彼だ! ぼくが殺す獲物! ずっとずっと恋焦がれていた、白雪のうなじをした男!


 宙で態勢を変え、地面に着地した死神は狂ったように笑う。


「あはははは! あはは! きゃはははははははっ!」

「リンジー……!」


 言葉にせずとも歓喜が伝わるリンジーを見て、悠護は複雑そうな顔をするも憐憫の眼差しを向けながら《ノクティス》を構えた。

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