第267話 加速する事態
少し時間は遡る。
日向が緊急連絡した直後、IMF施設全体が激しく揺れる。窓から見えるエントランスホールの入り口で黒煙が混じって火の粉が舞うのを見て、悠護が一目散に会議室から飛び出した。
両手には双剣モードの《ノクティス》を握っており、完全に臨戦態勢状態。しかも分かりやすいほど殺気をバチバチに放っている。
すでに遠くなった背を見送る横で、陽ががしがしと乱暴に髪を掻いた。
「クソったれが!! ここまで先延ばしにしとったんは、そういうことかいな!?」
「お、おい! 何が起きたんだよ!? なんでIMFが襲撃されてんだ!?」
現状を理解できていない樹に、ギルベルトは険しい顔のまま言った。
「樹、クーデターがあるだろ? あれは具体的にどういった方法でやる?」
「え、えっと……政府とかを襲って自分の思うように政変させるとか?」
「そうだ。カロンは今、その方法を取っている」
悲鳴と指示が飛び交う廊下を見ながら、ギルベルトは続けた。
「今のIMFは差別派の活動や魔導犯罪者の取り締まりのせいで物資は底を尽き、職員もほとんどが疲弊している。奴はその隙を狙い、IMFの機能を停止させようとしているんだ」
「そうなった場合、IMFが担当していた魔導犯罪は警察などの行政機関に一時委任される。だが、今までこちらで任せていた仕事を一朝一夕で完璧にこなせるわけがない」
「じゃ……じゃあ、もしIMFが機能停止しちまったら……!?」
「当然、この国の治安は悪うなるやろな。警察でさえ対処しきれへん魔導犯罪が跋扈する情勢になってまう」
世界各国にあるIMFは、魔導士に関わる行政を担っている。
戸籍・教育・医療福祉・税務・住宅などの生活に必要な行政事務と警察活動は、政府の許可により全てIMFが一任されている。
通常の行政機関もIMFの業務に携わる機会はあるが、あくまでサポートが中心だ。もしIMFが機能停止し、これまで一任されていた業務が他の機関に一時委任されてしまったら、まともな指揮系統での仕事はできず、通常業務にも支障をきたしてしまう。
カロンの狙いは、IMFを機能停止させ、さらに他の行政機関の機能も停滞させること。
そうなった場合、日本はあらゆる犯罪が飛び交う無法地帯に等しい状態になってしまう。
そこから出てくる犠牲者の数など想像したくない。
「とにかく、まずは施設内にいる職員を避難させろ。悠護のことは私に任せておけ」
「ジーク!?」
颯爽と悠護の元へ走るジークを見て、日向も急いで追いかけようとする。
だが、走り出そうとした日向の手を陽が取った。
「陽兄!?」
「アカン! 奴の目的がIMFやとしても、日向が狙われとる可能性はゼロやない! 今はワイらと一緒にいるんや!」
「……!」
陽の言葉に、その可能性が捨てきれないと理解した日向が、ぐっと唇を噛んで頷く。
もし自分が変に前に出て、相手が隙を狙って人質を取って交渉されたり、戦闘に気を取られて捕縛されてしまったら、それこそ向こうの思惑通りになってしまう。
たとえ助けたくても、こうして唇を噛んで耐え忍ばなければならない状況など、これから先あるのだから。
(……スマンな、日向)
そんな
優しい彼女のことだ、自分のせいで巻き込まれたと思っている。
だけど、それは違う。カロンのやり方は、最初に自分にとって邪魔となる土台を崩し、その後でゆっくりと標的を狙う、かつて前世でやっていた狩りと同じだ。
アリナの兄として、カロンと狩猟を元にした時、彼の狩り方はとても合理的だった。
狙う獲物を見つけたらすぐ、笛を使って猟犬を自在に操り、所定のポイントへ追い込んだ後、弓矢で仕留める。
当時はまだ犬笛という技術はまだなかったが、カロンは笛を使って犬を躾けることができた。
あの頭脳には驚いたと同時に、恐ろしく感じた。
もし、この男が我欲のために悪事を働いたら、自分は彼を止められるのか?
そんな不安が食い込んだ小さの棘のように残り、日に日に肥大化した直後に『落陽の血戦』が起きた。
陽は、あの時のことを何度も後悔した。
あの男の思考を、思惑を、欲望をもっと早く気付いていれば、あんな悲劇は起きなかったんじゃないか? と。
それがたとえ前世の話で、全て終わったことだと理解していても、同じ過ちは繰り返したくない。
一階から起きている爆発の音は一〇階にいる自分達の耳にも届き、黒煙が空気の流れに従って上へ昇っていく。
ハンカチで口元を覆いながら職員達を必死に堪える表情を浮かべるも、避難誘導をする日向を見つめながら、陽は座標指定で近場の公園へ転移させる魔法陣を展開させる。
その間にも、今はいない二人を心配しながら心の中で呟く。
(……悠護、ジーク。無事でいるんやで)
理性を失う――その事実は、この戦いでは最も危険な代物。
理性は人間が物事を判断するために必要な機能であり、善と悪を識別する能力だ。リンジーには悲惨な経緯から善悪の識別が欠落していたが、今は違う。
血がこびりつき、刃毀れをした《インフェリス》を振り回し、血走った目で自分の命を狩ろうとする。
「hclsifbxhaかakfbvsxpfiorioeえbsapwnetuば!!」
意味のない文字の羅列を吐く彼の中に、もはや善も悪もない。
いや、リンジーにはすでに、人としての知能も、顔の識別も、言語も失われている。
残っているのは、相手を殺す技術と、悠護が殺すべき相手だという本能。
(ここまでくると殺戮兵器…………いや、ただの獣だな)
同情はする。しかし、だからといって殺さないという選択肢はない。
彼の手によって積み上げられた屍の山は高く、温情も慈悲も必要のないほどの罪で穢れている。
そして、この救いようもない死神を殺せるのは、自分しかいない。
リンジーの猛攻は、まさに怒涛だ。
骨があるのか疑ってしまうほどの柔軟かつでたらめな動きで体を動かし、すっかり彼の一部になっている《インフェリス》を振り回す。《ノクティス》でそれを弾き、接近しようとするも、リンジーは空中で身を捻らせて後退させる。
新体操選手も目玉を飛び出して驚くほどの動きだが、いくら魔導士の身体能力が高くても普通ならば不可能だ。
リンジーは今、『
彼の中にある寿命がどれほど残っているかしらないが、少なくとも目的を達成するまでは理性などで代償を肩代わりしている。
あの不可解な動きも、人間の中にある肉体へのリミッターを失ったからこそできる業。
「bskfofhofmaemaofg!!」
「なっ……!?」
何かを叫んだ直後、《インフェリス》から
たとえ言語能力を失っていても、魔法の使い方まではさすがに失われていない。
あの言葉は、今のリンジーにとっての詠唱。それは、詠唱の内容で対抗策を取る魔導士にとってはかなりの痛手となる。
炎球は人間の頭くらいの大きさで、速度は普通のマシンガンと同じくらい。
悠護にとっては追いつける速度ではあるが、後方にいる魔導士はそうではなかった。たとえ意識がついていけても、体が追い付かなければ意味がない。
結果、何人かが炎球が直撃し、そのまま丸焼けになるか全身に火傷を負った。
肉が焦げる匂いと音に顔をしかめながら、悠護は《ノクティス》を弓矢に変える。
近距離での攻撃はどちらにも分はあるが、肝心のリンジーが接近を許さない。すぐさま遠距離攻撃に変え、魔力を帯びた矢を放つ。
放たれた矢は炎球に接近すると爆発を起こし、黒煙が晴れる前にすぐさま別の矢を射る。
続け様に射られた矢は、《インフェリス》によって弾き落されるも、取りこぼした矢はそのままリンジーの四肢を射抜く。
矢が彼の身体に刺さった直後、魔力が膨れ上がる。
「『
詠唱後、矢から鎖の形状をした雷が迸り、リンジーの全身を駆け巡る。
『
相手が複数人、もしくは職員が束になっても敵わないほどの戦力を持つ場合は有効だ。
雷の鎖がリンジーを縛ると、矢を金属操作魔法でX字に変化させ、その場で磔にする。
持続的に電流が流れているせいで、びくびくと痙攣するも、リンジーは胡乱な目を向けながら
あまりにもちぐはぐな有様になった彼に、悠護はわずかながらも憐憫を抱く。
(……お前は、こんな風になってまで、俺を殺したいのか?)
『落陽の血戦』で、彼の境遇と見た目に同情して見逃したのは自分だ。
これまで屈辱しか与えられなかったリンジーにとって、
他人の情けほど、彼の自尊心を傷つける武器だから。
だからこそ、リンジーは悠護に執着した。
たった一度の同情によって、己の人生の中で味わった苦労を侮辱し、誰の得にもならない偽善を押し付けた男を。
たとえ肉体が老化し、知能も理性も退化してでも。
リンジーは、悠護を殺したかった。
殺しという、最も単純な復讐方法しか知らないから。
(……なら、こいつのためにも、俺がこの手で終わらせる)
一年前の夏に、自分は決めたのだ。
次は見逃さない。必ずこの手で殺すと。
《ノクティス》が双剣から一振りの剣に変わる。
ゆっくりと近づき、切っ先を心臓のある左胸に添える。
両手で柄を握り締め、ぐっと力を込めて。
「終わりだ、リンジー」
黒い刃が、死神の命を貫こうとした直後。
―――ザシュッ。
☆★☆★☆
ジークが1階に辿り着いた時、すでに戦いは終結していた。
魔法でリンジーを捕獲しており、悠護が覚悟を決めたように《ノクティス》の柄を握り締めていた。
あの様子を見るに自分にできることは何もない、と安堵しようと直後。
――ぞくり、と背筋に悪寒が走る。
まるで、何かを見落としているかのような感覚。
この感覚を、ジークは一度味わっている。
そう、これは、あの時と同じ――――
「……ッ!」
地面を蹴る。魔力探知で周囲を探り、見つける。
手にナイフを持ち、血走った眼をしながら、少年の覚悟を壊そうとする姿なき者を。
魔法で吹き飛ばすには、時間が足りないほど迫っている。
ジークはさらに足に力を込め、急接近する。
魔法による身体強化ではない、普通の人間としての脚力によるものとは思えないほどのスピード。魔力探知に優れている者でも、ただの脚力ではすぐに反応できない。
このジークの機転により、襲撃者の動揺を誘うには十分すぎるほどだった。
―――ザシュッ。
ジークの左腹部に、ナイフが突き刺さる。
久しぶりに味わう金属の感触。口から一筋の血が流れるも、ジークは小さく笑みを浮かべる。
魔法で姿を消していた相手は、動揺のあまり魔法を解除する。
自分にナイフを突き刺したのは、IMFの職員……いや、正確にはIMFに潜んでいた内部犯だ。
内部犯の腹部に容赦なく拳を打ち込み、そのまま意識を刈り取る。刺された音を聴いて、それに気付いた悠護がこちらを振り返った。
「ジークッ!?」
「私に構うな! 早くリンジーを殺せ!」
悠護の意識がリンジーに離れた直後、その一瞬を狙って金属が破壊される音が響く。
振り返ると、そこにはぐったりとしているリンジーを抱えているサンデス。
彼はこっちを見ている自分を見て、「げっ」と顔をしかめた。
「サンデス……!」
「あー、あーいや、その俺はただの回収班! こいつの回収しに来ただけだから!」
「その前に、IMFの襲撃に関してなんか話せ。でなきゃどっか刺す」
「どこを!? ちょっやめて切っ先向けないで!」
消える前に金属操作魔法で足元をがっちりと拘束したのを見ながら、ナイフを引き抜いて治癒魔法をかけたジークはサンデスの頭をがっしりと掴む。
俗に言う、アイアンクローだ。
「……さて、サンデス。貴様の頭が卵みたいに割れたくなければ、正直に話せ」
「あ……えっとそのー……今回の襲撃は、IMFの機能停止もあるんですが……」
「あるんですが?」
「えっと…………あと、ちょっと都内のあちこちで、テロを………発生させようと………」
サンデスからの話を聞いて、その場にいた全員が目を見開いた直後だ。
『ジジジ、ザザザザ―――こちら、渋谷駅前! IMFより応援要請! 複数の魔導士によるテロが発生。至急、応援を!』
『こちら、神田! 同じく魔導士テロ発生! 応援を求む!』
『こちら、丸の内! 魔導士テロにより、道路が陥没――う、うわぁっ!?』
あちこちで背後に控えていた職員が持っている無線機から、応援要請と悲鳴と爆発音が響く。
それを聞いて、思わずサンデスの方に視線を向けると、彼は情けない顔で笑うだけ。
元第三王子の情けない顔を見て、二人は一斉に吐き捨てた。
「「やりやがったな、クソったれが……!!」
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