第26話 生徒会長からの呼び出し

 肌を刺す冷気が周辺を凍らせる。

 校舎に設置されているエアコンが、急激な温度低下により自動的に暖房に切り替える。

 魔法の余波で一部の生徒の手や足に軽い凍傷を負う中、日向は右手をかざしながら無傷でその場に立っていた。


 無魔法の自動発動オートモード

 術者の身に危険が訪れると防衛本能によって発動される仕様を利用した防御は、日向と半径一メートルも及ばない周辺には効果があった。

 だが、それ以上の距離にいる者には効果を得られず、突然の攻撃によって体の一部に軽い凍傷を負ってしまった。


 痛みに喚く生徒を見て軽く歯軋りすると、日向はこの惨状を作り出した相手を睨んだ。


「いきなり魔法で攻撃とか一体どういうつもり? そもそも授業以外の校内での魔法の使用は禁止されてるはずでしょ、桃瀬さん」

「そんなこと、あなたに言われるまでもなく知ってるわよ。本当は私だってしたくないのにそうさせたのはアンタでしょ、豊崎さん」


 少女――桃瀬希美は、全身に桃色の魔力と冷気をまとわせながら強く、それこそ憎しみを何十倍に凝縮した目で日向を睨む。

 生まれて一五年の間でそんな目を向けられたことのない日向は内心戸惑うも、何故彼女が自分を襲うのかその理由すら分からない。

 希美とはクラスが違うし、今まで一般人だった日向とは接点なんてものはない。それ以前に彼女にあんな目を向けられるようなことはしていないはずだ。


(あたし、自分の知らないところで彼女に何かした? ……ダメだ、全然記憶にない)


 なんとか原因を探ろうと必死に頭を動かそうとするも、目の前で希美が作り出した氷のレイピアが振り下ろされる。

 一瞬息を呑むもすかさずホルスターから《アウローラ》を取り出し、防御を取る。ガチガチと金属と氷がせめぎ合う音が鼓膜を震わせると、希美は般若のように恐ろしい顔で日向を見下ろす。


「……どうして、どうしてアンタなんかがゆうちゃんの……私の大事な人の隣に立つのよ? 私の方がずっとずっとゆうちゃんを知ってるのに……私の方がずっとずっとゆうちゃんが大好きなのに……なのに、どうしてアンタが第一婚約者候補になるのよ……!!」

「ゆう……ちゃん……?」


 希美の口から零れる言葉。その言葉に、その声に、日向は聞き覚えがあった。

『正しさ』を歪めた大人。その歪んだ『正しさ』に負けた子供。一人で部屋の隅で泣く少年の前に現れた、顔に靄がかかったドレス姿の少女。


 少年の心をさらに傷つける呪いの言葉を吐く顔が分からない少女と、目の前にいる希美の姿が重なる。


「――『ゆうちゃんは気にしなくていいの』」

「っ!?」


 無意識に出た、夢の中の少女の言葉。それを聞いた瞬間、希美の目は大きく見開く。


「『悪いのはゆうちゃんにおもちゃを貸してくれなかったあの子が悪いの。だから、ゆうちゃんは悪くないよ』」


 一言一句間違わずに告げると、希美は足に力を入れると後ろへ跳ぶ。

 ほどよい間合いを取った彼女の顔は、怒りで真っ赤にしているせいでまさに鬼の形相そのものだ。


「……なんで、なんでアンタがそれを知ってるの!? それは、それは私が、昔ゆうちゃんにかけた言葉よ! アンタは絶対に知らないはずなのに……なんで、なんで……!?」


 艶やかな髪を乱し「なんで、なんで」と呟く希美。それに答えたくても、日向の喉から言葉が出ない。

 そもそも『悠護の過去を夢で見た』と答えた時、彼女が何をしてくるのか分からない。今の希美の様子だと最悪また周囲に被害を及ぼすかもしれない。


 下手に答えるよりもこのまま無言を貫いた方がいいのかもしれない、と思った。

 いつまで経っても答えない日向に苛立ったのか、希美はギッと睨む。


「黙ってないでなんとか――!」

「――希美!! お前、一体何してやがる!?」


 希美のヒステリック気味の声を遮ったのは、日向にとって信頼できるパートナーの声。

 悠護は目の前の光景で状況を理解したのか、ギリッと希美を睨む。だが睨まれた希美は、怯えるどころか甘く蕩けた、それこそ恋する乙女のような顔を浮かべた。


「ゆうちゃん! ああ、ゆうちゃんが私の目の前に……!」


 さっきとは一変した態度に日向が反射的に後ずさると、悠護は眉間にシワを寄せながら希美に詰め寄る。


「お前、一体何してんだよ。コイツに何かしたらいくらお前でも許さねぇぞ!」

「ううん、違うのゆうちゃん。私はただ豊崎さんに聞きたいことがあって……」

「魔法まで使ってか? そいつは随分物騒だな」

「それは……違うの。そんな気はなかったの。信じて、ゆうちゃん」


 未だに睨みつけられる希美は縋りつく声で彼の服の裾を引っ張るが、それを悠護は鬱陶しそうに叩き払う。

 戸惑う希美と怒り心頭の悠護の雰囲気を見て、危険はもうないと思った日向が《アウローラ》をホルスターにしまうと心菜と樹、それに両腕を頭の後ろに組んでいる怜哉が駆け寄って来た。


「日向、大丈夫?」

「うん、なんとかね……」

「にしてもスゲー派手にやったな、これ。ここの壁まだ凍ってるぞ」

「あーあ、こうなったか。面倒なことしたね、あの子も」


 樹が凍った壁を軽く触っている横で、怜哉は呆れた顔で呟く。

 すると怜哉は未だ言い合う二人の間に入った。


「はいはい、落ち着いてー二人とも。これ以上ここで喧嘩しても仕方ないって」

「けどよ……」

「元はと言えば君が豊崎さんに婚約者候補の件とかを伝えてないのが原因でしょ? なら君が怒るのはおかしいよね?」


 怜哉の言葉に悠護がぐっと言葉を詰まらせると、今度は二人きりの時間を邪魔されて不機嫌になった希美の方へ顔を向ける。


「桃瀬さん、豊崎さんは婚約者候補の件を含めてなーんにも知らないよ。だから彼女に何言ってもムダだし、黒宮家の決定はたとえ分家の君でも覆せないのは分かってるでしょ? ならこれ以上荒事を立てるのは賢明じゃないよ」

「……そんなの、アンタに言われなくても分かってるわよ」

「へえ、分かっててやったんだ? ふーん、分家のくせにそんな態度を取るなんて、君って意外と厚顔無恥なんだね」

「うるさいっ! なんでアンタなんかにそこまで言われなくちゃいけないのよ!?」


 苛立った口調で詰め寄る希美。だが怜哉は顔色一つ変えずに淡々と言った。


「君こそ何言ってんの? 分家はいついかなる時でも本家の命に従う――『七色家』が創立した時に交わした誓約を忘れたの? 君の今の行動は、その本家の命に逆らってるのと同意なんだよ。そこのところ……ちゃんと分かってる?」

「っ……」

「分かったならとっとと消えなよ。ここには誰一人、君の味方はいないよ」


 怜哉の言葉に希美は周囲を見渡す。

 自分達を取り囲む生徒達は希美を畏怖の込めた目で見つめ、彼女の魔法によって怪我を負った生徒は強く睨みつけている。

 中にはこのゴシップを興味津々に聞いたり、ヒソヒソと陰口を叩く生徒もおり、これ以上いると自分が不利になるとようやく理解した希美は強く唇を噛んだ後、日向を睨みつける。


『全部お前のせいだ』と伝わってくる目に日向が困惑したままでいると、希美は髪をなびかせながらその場を去って行く。

 その後ろ姿が見えなくなると、怜哉はため息をつきながら悠護の肩を軽く叩く。


「一応収めておいたけど、桃瀬家は君の家の分家でしょ? 次からは自分で対処してよ」

「……ああ、悪かったな」

「別に。もっと早く伝えなかった僕にも責任はあるからね。この件、ちゃんと桃瀬家に伝えときなよ」

「分かってる」


 顔を俯かせる悠護の姿に怜哉がもう一度ため息をつく。


「ね、ねぇみんな……何がどうなってるのか全然分からないんだけど……」


 ただ一人、当事者なのに事情をまったく知らない日向を見て、悠護は悔しそうに唇を噛んだ。



☆★☆★☆



「……そっか。黒宮家じゃそんなことになってたんだ」


 あのあと、悠護達に連れられて食堂からオープンカフェに移動した日向は、入り口にいたウェイトレスにケーキセットを注文したあと店内の奥の席であの騒動の原因の話を聞いた。

 初めて知った話になんとなく事情を読み込めた日向を見て、悠護は頭を下げた。


「……ごめん。俺がちゃんと手紙を読まなかったせいであんなことになって」

「それはっ……うーんと、さすがに手紙はちゃんと読んだほうがよかったかぁ~? って思っただけど、別に謝ることじゃ……」

「いやちゃんと読めよ。それでこうなったんだろ」

「そうだね。反省しなよ」


 ……この光景はもう何度目なのだろうか。

 今、こうして日向がフォローをかけようとすると、樹と怜哉からダメ出しが入る。それを聞いて悠護も反論がないのかさらに肩を落ち込ませるという無限ループに陥っている。


 慰めの言葉をかけようとも何を言ったらいいのか分からずオロオロする横で、心菜がちょうど蒸らし終え達ポットを持って人数分のカップに紅茶を注いでいく。

 淡い色をした温かな紅茶が入ったカップが目の前に置かれる。


「二人とも、悠護くんはもういっぱい反省してるんだからそれくらいにしてあげて。日向だってまだ聞きたいこととかあるでしょ?」

「あっ、う、うん! そうだね! あたし、まだ聞きたいことがあるの!」

「……………まあお説教はこれくらいでいっか」

「だな。これ以上やっても堂々巡りだしな」


 心菜の一言と紅茶のいい香りで刺々しい雰囲気が払拭したのか、怜哉と樹は疲れたように息を吐くと紅茶に口つける。

 するとウェイトレスがタイミングよく頼んだケーキセットを持って来た。


「お待たせしました、こちら季節のケーキセットでございます」


 白い陶器の大皿に乗っているのは、マンゴーやレモンなど夏のフルーツをふんだんに使ったカットケーキが乗せられており、それぞれ自分が好きなケーキを小皿に取っていく。

 日向はマンゴーのショートケーキ、悠護はレモンパイ、心菜は白桃のシャルロット、樹はチェリータルト、怜哉は塩レモンのレアチーズケーキだ。


 国際コンクールで優勝経歴のある一流パティシエが経営するオープンカフェなだけあって、フルーツの盛りつけや見た目はまるで一つの芸術品のようだ。


「……それで、桃瀬さんと悠護とはどういう関係なの? 分家とか言ってたけど」

「ああ、希美のいる桃瀬家は俺の家の黒宮家とは親戚関係――分家の中じゃ一番血筋が近い家なんだよ」

「確か君の家の誰かが桃瀬家の人と結婚したのがきっかけなんだっけ?」

「そうだな。確か……俺の曽曽曽祖母の妹だったか? 結構前だから忘れた」

「……そう、なんだ」


 悠護と怜哉の会話を聞きながらぱくりとマンゴーの甘さと甘さ控えめのクリームが調和したケーキを味わう。

 好きなフルーツを使った甘いものが好物を食べているはずなのに、日向の胸がズキリと痛む。


「……?」


 胸に走る強い痛みは一瞬だったが、ジクジクと弱い痛みが胸を蝕む。

 初めての感覚に首を傾げるも、話はどんどん進んでいく。


「……で、悠護の家は日向を呼んでどうする気だ? まさかそのまま消すとかねぇよな?」

「そんなことしたら彼女のお兄さんに殺されるって。さすがに七色家もパートナー制度に関してはなんにも言えないはずだよ。そもそもあの制度を確定させたのも、今のやり方を許可したのは当時の本家当主様達だよ? それをこんな理由で今の当主達が変えることはしないよ」

「でも……悠護くんの家に行って、日向が傷つかない保証もない……ですよね」


 心菜の一言に一同は黙り込んだ。

 確かに黒宮家で滞在する間、日向の身が安全なのかと言えば難しい。聖天学園は七色家のような家や国家の権力が介入しない完全中立地帯だ。今まで生徒同士のいざこざで済んだのは聖天学園の力によるものだ。

 だが、外は違う。あらゆる害意、敵意、悪意が問答無用で襲いかかる。


(でも、それでも俺は――)


 日向を守ると決めた。たとえ世界の全てが敵になったとしても、この少女を守ると。

 紅茶の水面に映る険しい顔をした自分の顔を見つめていると、テーブルの上に乗っていた怜哉のスマホが震える。


 怜哉はスマホを手に取り、画面を確認する。すると怜哉はすっとスマホの画面を日向達に見せる。


「……みんな、その答えは生徒会室で出るよ」


 相変わらず表情に変化がない怜哉の持つスマホの画面には、一通のメールの本文が表示されていた。


『1年A組 豊崎日向、黒宮悠護、神藤心菜、真村樹

 2年A組 白石怜哉

 計五名は、至急生徒会室へ来るようお願いします』



「――会長、白石さんに通達メールを送りました」

「そうか、ご苦労だったな」


 マホガニー材の立派な執務机や本棚が鎮座する一室。執務机の前には赤い絨毯が敷かれ、向かうように置かれた二つの猫脚のソファーの間にはローテブルが置かれている。

 元々は校長室だったが、校舎の増築に伴い学園長室が移動した際にこの部屋を生徒会室にしてもらった経緯がある。

 そのため学園長室の次に立派な部屋には、二人の少年少女がいた。


 童顔の少年は鮮やかな緑色のショートヘアをしていて、前髪には×印のように留めた赤いヘアピンが二つついている。瞳の色は、エメラルドグリーンそのものだ。だが童顔とは似合わない鋭い目つきが台無しにしている。

 少女は肩まで伸ばした金髪をポニーテールにし、胡桃色の瞳はぱっちりとしている。制服も一切着崩さないその姿は優等生そのものだ。


 少女は頬杖をついて左手の人差し指をトントンと机の上で叩く少年を見てクスリと笑うと、ツンと少年の眉間を軽く指で突いた。


「眉間にしわが寄ってますよ、会長。後でラベンダーティーを淹れますね」

「……ああ、いつも悪ぃな」


 少女の言葉に少年がふぅーっと息を吐いた。

 聖天学園の生徒会であり自身のパートナーである少年は、周りに童顔のことをからかわれながらも生徒会長としての職務を的確にこなしている真面目な人だ。

 毎日のようにトラブルが起きるこの学園では、ほとんどの職務はトラブルの処理だ。


 もちろん風紀委員会にも手伝ってもらうが、最終的に生徒会に確認する書類は膨大にある。

 今年は合宿の件で学園側に苦情があり、生徒会はそこまで負担しなかったが、今日起きた騒動に関しては少年も頭を抱えた。

 何故ならこの少年は七色家の一つ、『緑山みどりやま家』の次期当主なのだから。


「……ったく、黒宮の野郎。自分の分家の制御も出来ねーのかよ」

「しょうがないわよ。そもそも桃瀬家があんな真似を出すことすら彼も想像してなかったんじゃないかしら?」

「あの女のクソみてぇな性格を嫌ってほど知ってるあいつが? んなワケねーだろ」


 突然砕けた口調になる少女に気にもせず、少年は鼻で笑いながら吐き捨てる。


「監視カメラの映像を確認してみたが、黒宮は食堂で魔力を暴走させてやがった。恐らくだがあいつ、家の手紙読んでねーな。だからこんな面倒くせーことになったんだよ」

「あら、分かるの?」

「見なくても分かる。あいつの家嫌いは相当だからな」


 少年の言葉に少女は顎に手を当てながら首を傾げる。


「家が嫌いって……そんな理由で手紙を読まないの?」

。あいつにとっちゃ、それで十分なんだよ」


 その時の少年の顔は少し翳り、瞳は何かを思い出すかのように遠くどこかを見ていた。

 少女が困った顔で見つめる中、少年は革張りのリクライニングチェアの背もたれに寄りかかる。


「ま、なんにしても話はあいつらが来てからだ。奈緒、茶の準備しとけ」

「分かってるわ。お茶菓子は?」

「戸棚に俺の親が送ってきたクッキーがあるだろ。それでいい」

「そう。じゃあお茶はシンプルにダージリンでいいわね」


 古今東西の茶葉を扱う会社を経営する家の次女である奈緒と呼ばれた少女は、軽く鼻歌を歌いながらダージリンの茶葉の在庫を確認する。


 出会った時からお茶の入れ方や味にうるさくて、でもそのお茶で心を癒してくれるパートナーの姿を見て苦笑しながらも、少年は椅子から立ち上がり背後にある窓から外の光景を見下ろす。


 ほとんどの生徒が寮へ帰ったり、街へ行く中、この校舎に向かう例の五人の姿を見て少年は目を細める。


「……さて、とりあえず黒宮には部屋に入ったらコイツを額目がけて投げるか」


 少年は『生徒会長』の文字が彫られたゴールドアクリルがついた木製の卓上ネームプレートを左手で持ちながらそう呟いた。

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