第25話 黒宮家の手紙
体中にある生命エネルギーが燃え、
この感覚はまるで自分の中に火と水が生まれているようで、でもそれが何故かとても落ち着く。
机の上に置かれているのは、ラベンダーのポプリを粉末化したものが入ったビーカー。これに精神魔法を付与させ、眠りを良くする魔導具・魔法薬を作ることがこの授業での日向の課題だ。
もちろん商品として販売するのではなく、精神魔法の操作を試すためだ。授業が終わったら、完成した魔導具・魔法薬は個人で持って帰っていいようになっている。
「『
詠唱を唱えると、琥珀色の魔力が紫色の粉を包み込む。
輝く魔力の光が小さくなるのを見つめていると、陽は横から覗き込む。
「豊崎、どんな感じや?」
「ちょうど終わりました。確認よろしくお願いします」
「ん。どれ――」
ビーカーを取った直後、陽の腕はピタリと止まる。
それに首を傾げると、陽は近くにいた樹にビーカーを向けた。
「先生?」
「あー、なるほどな。……真村、ちょっとこれ嗅いでみぃ」
「え? 分かりました」
突然の申し出に樹は不思議そうな顔をするが、言われた通りにビーカーを受け取る。
そのまま鼻をビーカーに近づけた瞬間、樹はひっくり返るように倒れた。
「い、樹っ!?」
「樹くん!?」
日向と神藤心菜の悲鳴で教室中が騒ぎだすが、倒れた拍子に宙を舞うビーカーの中身を零さずキャッチすると、そのまま日向に渡す。
「どっかで制御を
「……はい」
床の上で豪快なイビキをかく樹を見て、日向はさり気なく危機を回避、といか生徒に面倒を押しつけた兄に非難の目を向ける。
肝心の陽はそれをそよ風のように受け流し、新しい粉末ポプリ入りビーカーを渡す。
「ほいこれ」
「ありがとうございます。……あの、失敗したこれはどうすれば……」
「あー、それか? お湯に溶かして試験管の中に入れとき。失敗作やけどなんかの役に立つやろ」
「……分かりました」
一体どんな時に役に立つのだと思っている横で、未だ寝ている樹を心菜が他のクラスメイトと一緒に保健室に運び、悠護が日向の代わりに水の入った別のビーカーを乗せた実験用三脚の下に置いたアルコールランプに火をつけていた。
「ふぁああああ~~」
「……ごめん、樹。主に陽兄のせいで」
「んぁ? ああ、別にいいって。おかげで疲れも吹っ飛んだしよぉあぁあああ~」
昼時間になり、日向達は食堂に来ていた。頭を下げて謝る日向に、樹はあくび交じりで許す。
結局、樹は授業が終わるまでずっと寝続け、日向は湯で溶かした失敗作はコルクで栓をした試験管二本に入れて持ち帰ることになった。
眠らせた原因は陽にあるのだが、あの失敗作を作ってしまった責任は日向にある。たとえ樹が許しても日向の心は罪悪感と自責の念で一杯だ。
季節は梅雨が明け、夏本番の七月。赤点を逃れるために必死だった期末試験が終わり、明日はついに終業式を迎える。
一学期の範囲の授業は全て修了しており、今日やった特別授業は今後の課題としてやるべき問題を自覚させるものだった。
魔導士には得意な魔法、苦手な魔法がある。一年生で自身に合う魔法を探すことを目標としているため、今回はその苦手だと思う魔法の操作をどれくらい制御できるか試すものだった。
日向の場合、その苦手な魔法が精神魔法――特に催眠系の魔法が苦手なのだ。
何度やっても相手を眠らせることができないのに、今日みたいに魔導具を介した方法だと必ず眠らせるという結果になる。
ただ、ほぼ特化寄りの無魔法以外の魔法は人並にできるてるらしく、陽からは精神魔法はできる範囲で制御を身につけるようにと、授業の後に落ち込む日向の頭を撫でながら言われた。
もちろん日向以外のメンバーにも苦手な魔法はある。
悠護は生魔法、心菜は呪魔法と攻撃系の魔法全般、樹は防御魔法が苦手という結果に、意外だと日向は思った。
同じ魔導士界と縁遠かった樹はともかく、悠護と心菜は幼い頃から魔法の訓練をしている。時間も回数も上のはずの二人にも苦手な魔法があると言われた時は心底驚いたものだ。
それでもまださっきの授業を気にしているのか、頼んだキノコとベーコンの和風パスタにほとんど手つかずの日向を見て、悠護は半分残っているソースカツ丼のトンカツのひと切れを箸で掴むと、問答無用で日向の口に突っ込ませた。
「んぐっ」
「ったく、お前は……過ぎたことおいつまでも気にしてもキリねーぞ。それに、あの授業は自分の苦手を知り、それとどう向かうのかを知るのが目的だ。ならお前がするべきことは一人じめじめ反省することじゃなくて、苦手な魔法を克服することだろ。違うか?」
口を右手で押さえ咀嚼する日向に、悠護は諭すように言った。彼の言葉を聞いて、日向は口を動かしながら熟考する。
悠護の言う通り、どんなものにも得意・不得意が存在する。ただ不得意なものをずっとそのままにするのではなく、克服することこそが大切だ。
口の中のソースがたっぷりかかったトンカツをしっかり咀嚼してごくんと飲み込むと、日向は事前に買っていたペットボトルに入っているミネラルウォーターを一気に飲み干した。
「……ううん、違わない。その通りだよ」
「だろ? じゃあ反省はおしまいだ、さっさとメシ食って特訓しようぜ」
「うん!」
すっかりやる気を取り戻した日向を見て、心菜と樹はほっと胸を撫で下ろす。
今の二人は以前のような一本線を引いた雰囲気は消えさり、今ではどんなに小さな悩みでも打ち明けたり、他愛のない思い出話をするようになっていた。
それより前から仲が良かったが今はそれ以上で、おかげで時折陰口を言っていた女子も何も言えなくなるほどの仲の良さっぷりを発揮している。
だが日向と悠護は恋人同士ではない。
でも恋人と言われてもおかしくないほどの関係を二人は築いている。
(これぞまさに『友達以上恋人以下』の関係って言ったんだろうな)
まるでどこぞの少女漫画みたいな展開に、樹は肩を竦めながらも大盛りチャーシュー麺の分厚く切られたチャーシューを頬張る。
反対に心菜も今の二人を見て微笑ましく感じているらしく、ミックスサンドをちょこちょこ食べてはふふっと笑っている。
一気に食欲が戻ってフォークとスプーンを使ってパスタを食べていた日向だったが、さっき飲み物を全部飲んだことを思い出して席を立った。
「ごめん、ちょっと自販機で飲み物買って来る。みんなは?」
「あー、俺はまだ平気だ」
「俺も」
「あ……じゃあ私、炭酸飲料じゃないのをお願い。お金は後であげるから」
「オッケー」
心菜があまり炭酸飲料は得意じゃないことを知っている日向は笑顔で応じる。
来た時より人が少なくなった食堂を出て、すぐ近くにあるタッチパネル式の自販機の前に立つ。
日向はスカートの中に入っていた小銭を入れ、ミネラルウォーターとオレンジジュースを選ぶ。
取り出し口から冷えたペットボトルが二本出てきて、それを取ると食堂から何やら騒がしい声が聞こえてきた。
「……? 何かあったのかな」
たまに学生同士の些細なケンカが魔法を使う派手な争いになることがある。
今日はそれが食堂で起こっているのかと思い、まだ食堂にいる友人達の元へ急いで戻ろうとした時だった。
日向の後ろで、誰かが魔力を生産する気配を感じた。
後ろを振り返ると、一人の少女が桃色の魔力を纏った右腕をこちらに向ける姿が見えた。
憎悪を宿す眼差しをした少女の正体に気づき目を見開いた瞬間、絶対零度の冷気が日向を襲った。
☆★☆★☆
「あー、いたいた」
日向が自販機に向かった後、入れ違いで怜哉が軽く手を振りながら悠護達のいる席に向かっていた。
彼の手にはざる蕎麦を乗せたトレイを持っており、それをテーブルの上に置いたかと思うとどこかの席の椅子を持って目の前に座った。
相変わらず自分気ままな怜哉の態度に慣れてしまった悠護は、特に気にせずソースカツ丼を食べ続ける。
「何の用だよ、白石。用がねぇなら別の席で食え」
「そんなつれないこと言わないでよ。それにちゃんと用はあるから安心して」
「チッ」
「分かりやすい反応をありがとう」
ざる蕎麦をちゅるちゅる食べ始める怜哉と、分かりやすい舌打ちをする悠護。
日向とは違い、相変わらずの二人の関係を心菜と樹はハラハラと見守る。
二ヶ月前、怜哉は家の命令で日向殺害を企てるも、悠護との殺し合いに近い『決闘』で敗北した。
『決闘』は魔導士が互いの信念を懸け、魂を削りある神聖な戦い。そこで交わした『約束』は絶対に破ってはいけないというルールが設けられている。
その『決闘』で怜哉は悠護に負け、彼が提示した『悠護の下僕になる』という『約束』を今も守っている。
『約束』を破った者には『裏切り』のレッテルが貼られるからか、怜哉自身が敗者になったことを後悔していないのか分からないが、今のところ変な気を起こす様子は見せていない。
今はひとまず安全なのは分かるが、再びあの冷たく恐ろしい牙を向けるか分からない。
「……で、用があるんだったよな。今度はなんだ? またあいつのことで文句を言った女のことか?」
「あーそれはもうほとんどないよ。四月から数はそれなりに減ったけど、ここ二ヶ月でかなり激減したよ。……というか、あんなイチャイチャぶり見せつけられたら誰だって嫌でも諦めるでしょ」
「? なんのこと言ってんだ?」
胡乱な目をする悠護を見て、怜哉は思わず無言になると心菜と樹の方へ顔を向ける。
彼の顔には『自覚なし? ウソでしょ?』と分かりやすく書かれており、二人は苦笑しながら頷く。
これは本当にいいことなのだが、二人の距離は以前より近くなっている。それこそ本当に恋人同士だって言われても疑われないほどに。それでも付き合ってないのだから、余計に性質が悪い。
なんとなく今の二人の事情を察したのか怜哉はため息を吐くと、ズボンの後ろポケットから白い封筒を見せびらかすように取り出した。
口には黒色の蝋燭で封をしており、細やかな細工と共に『B』の文字が刻まれている。電子メールが盛んになっている現代では珍しい紙の手紙に、悠護は目を細める。
封蝋に刻まれている『B』はBLACK――英語の黒の頭文字。この頭文字を使う家は、どの世界でも一つしかない。
「黒宮家からの書状か」
「そう。どうせ君は自分の分の手紙、捨ててるでしょ?」
「いや燃やしてる」
「徹底してるね」
何度も手紙を燃やすところ見ている樹がなんとも言えない顔をする。
白石は平然な顔で封を破き、中に入っている手紙を取り出し読み上げた。
「『謹啓 白石怜哉様
盛夏の候、ますます御健勝のこととお慶び申し上げます。さて、此度は黒宮家現当主・黒宮徹一様の御命令で『七色会議』および御子息・黒宮悠護様の誕生パーティーを開催することが決定されました。
つきましては、黒宮悠護様のパートナーであり第一婚約者候補・豊崎日向様を此度のパーティーに参加することも決定しており、パーティーが開催される間は黒宮家本家で滞在することになりました。
本家滞在期間は聖天学園終業式当日の七月二三日から八月一日までとします。その間の不祥事は目を瞑っていただくとありがたい所存です。
尚、上記二つの催しには必ず参加するようお願い申し上げます。
時節柄くれぐれもご自愛くださいませ。
敬白
黒宮家執事 高橋』」
一瞬、何を言われたのか理解出来なかった。
手紙の内容を聞いていた心菜と樹の耳に、ベキッと何かを折る音が聞こえた。
音をした方を見ると、まだ中身が残っていた烏龍茶のペットボトルを握り潰す悠護。彼の顔は俯いていて、前髪のせいで顔が見れない。
だが、徐々に体から溢れ出る可視化された魔力が伝えてくる。
――悠護は怒っている、と。
「……なあ白石、俺の聞き間違いか? あいつを家に呼ぶとか第一婚約者候補とか変なこと書いてあったけどよ……それ、ただの書き間違いか?」
「聞き間違いでも書き間違いじゃないよ。黒宮家は、豊崎さんを第一婚約者候補として君の家に招待する気だよ」
「――んだよ、それ……」
淡々に真実を告げる怜哉の言葉を聞いた直後、悠護の魔力は一気に膨れあがった。
「――ふざけんなッ!! 何勝手に決めてやがるんだよあいつらぁあッ!!」
テーブルにヒビが入るほどの強さで叩く音と空間さえ震わせる怒声に、食堂にいた生徒達が一斉に恐怖に怯え、顔を青ざめる。
瞳孔を開き、荒い息を吐き、真紅の瞳を怒りでギラギラと輝かせる今の悠護は、まるで血に飢えた獰猛な獣同然だ。
怒りのせいで魔力が異常なほど体から放出させ、スプーンやフォーク、調理器具など金属が使われているもの全ては剣や動物、植物など形を変えていく。
特定の感情による魔力の暴走。魔導士が一番気をつけなければいけない現象。早く止めさせなければ、暴走の影響力は学園の外に及ぶ危険性もある――!
「落ち着け悠護ッ! テメェの気持ちも分かるが魔力を抑えろ、じゃねぇと食堂がヤベいことになるぞ! そもそもお前がちゃんと家の手紙読んでおけばもっと前から知れたはずだろ!? これは完全に自業自得だ! 少しは頭を冷やせッ!!」
あちこちで悲鳴が上がりる中、樹が両肩に指を喰い込ませるほどの力を込めて、悠護の理性を取り戻させるよう呼びかける。
怜哉の持っている手紙に押された日付印を見る限り、あの手紙はこの間悠護に届いたものと同じものだった。
つまり、あの手紙にはさっき怜哉が読んだ内容が燃やされ灰になった手紙にも書いてあったということだ。
止めなかった自分も悪いが、最初から手紙を読む気がなかった悠護にも非はある。これは、ちゃんと手紙を読んでいれば事前に避けたはずの事態なのだから。
樹の言葉に徐々に平常心を取り戻し始めたのか、周辺の金属が元の形に戻って行く。悠護は荒くなった息を肩で整え、脱力した体はそのまま椅子に座った。
「……悪ぃ、そうだよな。ああ、そうだ。全部俺が悪いよな……」
「……いや、俺もちゃんと止めておけばよかった。お互い様だ」
慰めるように言った樹の言葉に、悠護は力弱く笑う。
すると心菜は安堵と困惑が混じった顔で怜哉に訊く。
「で、でも……日向が悠護くんと結婚するなんてまだ分からないじゃないですか。なのに何故、第一婚約者候補だなんて……」
「つーか第一って……他にも婚約者がいるのかよ」
労わるように悠護の背中を撫でていた樹の言葉に、手紙を封筒にしまう怜哉は答える。
「そうだよ。七色家に生まれた子供には家の人間が決めた婚約者が三〇人くらい立候補としてあげるんだ」
「三〇人!? 多すぎだろ!?」
「そう? 僕の曾祖母の時なんか一〇〇人近くいたって言ってたよ。まあ数はその時によって違うし、そこは別に重要視されてないから問題ないよ」
「マジかよ……」
「でも、その全員が選ばれるわけじゃないよ。最終的には九人まで絞って、そして聖天学園で決まったパートナーの子を含めた一〇人が婚約者候補として選出される。そして、その中から僕らの婚約者を選ぶんだ。――ま、相手が子供を産める体じゃなかったら、別の人と交換するけどね」
世間一般では、婚約者といえば通常一人につき一人だ。
だが日本最強の魔導士集団であり魔導士界の頂点に立つ七色家にとっては、自分達の血を受け継ぐ子供を作ることが最優先される。
もし選んだ婚約者の一人が子供を産めない体でも、子供を産める体を持つ別の婚約者に変えればいい。
まるで道具のような扱いに、樹は嫌悪感で顔を歪めると、怜哉は目を伏せながらお茶を飲む。
「……まあ、その反応が当然だよ。でも七色家の分家や一部の人間はそんなこと一切気にしてないよ。『本家の人間の伴侶に選ばれた』という事実はどんな権力よりも強いものなんだ。その事実が手に入れるためならどんな手でも使う。……そういうところは、僕も彼も理解できないけどね」
微かに暗い顔をする怜哉。彼自身もこのシステムにはあまり好ましく思っていないようだ。
まあ勝手に婚約者を決め、どこか欠陥があったら別の婚約者をあてがうのは普通に考えて素直に受け入れるわけがない。
重たい静寂が落ちる中、怜哉はいつの間にかざる蕎麦を完食していた。半分もないつゆ入れをトレイに置く。
「……そういえば豊崎さんは? 彼女に忠告したいことがあったのに」
「忠告?」
きょろきょろとあたりを見渡す怜哉の言葉に心菜が困惑した顔になる。
「そう。彼女がパートナーに選ばれる前の第一婚約者候補だった子がちょっと
「アレって?」
「まあ簡単に言うと、その子いわゆる『ヤンデレ』ってやつなんだ。自分の好きな相手に近づく人間を問答無用で排除するくらい黒宮くんに熱が入ってて、しかも君達と同じ聖天学園の一年生がいるんだ」
「まさか……」
怜哉の口から出てくる人物に心当たりあるのか、悠護の顔色が悪くなっていく。
外れて欲しい、外れてくれ、と願うも、白い死神は無情に告げる。
「――その子の名前は、
まさかの真実に心菜と樹が目を見開いた直後、食堂の入り口で轟音が響いた。
再び騒ぎだす食堂。友人二人が理解する前に、悠護は足をもつれながら走り出す。
「――日向ッ!」
「おい、待てよ悠護!」
「あ、ま、待って!」
悠護の後を追うように樹と心菜も一緒に食堂の外へ駆け出す。
急激に室内の気温が下がり、校内に設置されているエアコンが自動的に冷房から暖房に切り替える。
夏なのに暖かい風を感じながら、怜哉は椅子から立ち上がる。
「豊崎さんのことだから死んでないと思うけど……一応様子を見ておこうかな。それにこれだけ派手なことをしたんだから、きっと生徒会も風紀委員も出張ってくるだろうね」
脳裏にいつも不機嫌顔の少年を浮かべながらも、怜哉はのんびりとした足取りで食堂の外へ向かった。
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