第49話 Let's enjoy Summer Vacation! Part1

 八月八日、この日は先月の冷夏がまるでウソのような真夏日和。

 日向は双胴型の高速船の舳先の手すりを掴みながら、徐々に近づいて来る新島を見てキラキラと目を輝かせている。

 白い飛沫を散らしながら波を切り裂く高速船は、黒宮家が所有している船だ。ここ数年使われた形跡がなかったが、今回の件で徹一が業者に頼んで急ピッチで点検と修理をしてくれたおかげで新品同然の姿に戻った。


「おい日向! そんなトコにいたら海に転がり落ちるぞ!」


 船室からスポーツドリングが入ったペットボトルとつばの広い帽子を持った悠護が呼ぶと、日向は目を輝かせた状態のまま振り返った。


「悠護! あたし、こんなに速い船に乗ったの初めてだよ! 速いし風が気持ちいいし最高だね!」

「お、落ち着けって。お前、なんか普段より興奮してねぇか?」


 初めて乗った高速船に興奮が抑えきれない日向の頬が微かに赤くなってるのを見ながら、悠護はやれやれと肩を竦めながら帽子を日向の頭に被せた。


「今日は日差しが強いんだから外にいる時くらい帽子は被っとけ。それと水分補給もな、島に着いた途端熱中症になったーなんてことなったらせっかくの旅行が台無しだろ」

「う、うん……ありがとう」


 悠護の言葉で少し冷静になったのか、気まずい顔をする日向は悠護から受け取ったペットボトルのキャップを外し、そのまま口つける。

 冷蔵庫から出したばかりなのか、冷たい液体が喉を通って渇きを潤してくれる。ごくごくと喉を鳴らして口を飲み口から離すと、中に入っていたスポーツドリングの中身は半分も減っていた。


「それにしても本当にいい天気だね、この前はあんなに寒かったのに」

「今年の冷夏は七月いっぱいまでだったらしいからな。八月は今までと変わらない夏になりそうだぜ」

「へー……そうなんだー……」


 後ろからうんざりした声が聞こえてきて、思わずぎょっとしながら二人は後ろを振り返る。

 舳先の後ろのデッキでは怜哉が体を左右に揺らしながら立っていた。だがそれは船の揺れではない、彼自身の体が揺れているのだ。

 怜哉はもはやチャームポイントと言っても過言ではない赤のパーカーのフードを目深く被っているのに、日傘を差している。


 だがフードから覗く怜哉の顔はいつもの無気力感が三倍増しになっており、心なしか顔色も悪いような気がする。


「れ、怜哉先輩、大丈夫ですか? 顔色すっごく悪そうですけど……」

「全然大丈夫じゃないよー……僕、暑いのダメだからさあ……。正直今でもぶっ倒れる自信あるよー……」

「なら船室に戻れ今すぐッ!!」


 今にも目を回してぶっ倒れる寸前の怜哉を見て、悠護は彼の背中を押しながら船室の方へ連れて行く。

 日向も悠護の後について行き、船室へと入った。十畳ほどの広さを持つ船室の壁には地図、救命胴衣、船員の写真がかけられており、中央に置かれた長テーブルには左右前に白いソファーが配置されている。


「れ、怜哉先輩っ!? 大丈夫ですか!?」

「おいおいスッゲー真っ青じゃねぇか。大丈夫か?」


 船室に入るや否や、右のソファーで座っていた心菜が慌てて駆け寄り、樹は怜哉の顔色を心配そうに覗きこむ。

 それを左側のソファーで分厚いハードカバーを読んでいた陽が立ち上がり、怜哉の方に近寄ると彼のフードを取った。


「あー、なるほどな……。真村、枕あったら用意しぃ。神藤、魔法は必要ないから冷蔵庫からスポーツドリング持ってきぃ。できれば電解質が含んどるヤツな」

「お、おお」

「は、はいっ」


 陽は指示に従って簡易キッチンに向かう二人を見送ると、怜哉を心菜と樹が座ってソファーに寝かせた。

 日向は脱いだ帽子をフックにかけると、怜哉の額に手を振れて熱を測っていた陽に訊いた。


「陽兄、怜哉先輩は大丈夫なの?」

「ああ、安心しぃ。軽い脱水症状起こしとるだけや。魔法ならすぐやけどそれだと自然治癒力を低下させてまうからな」


 生魔法は他者の傷を癒したり、呪魔法の解呪としても使われる魔法だ。だがこの魔法は使い過ぎると人間の自然治癒力や免疫力を低下させてしまうため、魔導医療を行っている病院では前もって患者にそう説明されている。

 それでも魔法に対して『なんの見返りもなく奇跡を起こすモノ』だと認識している一般人が多く、たとえ説明されても納得いかない人もいるらしい。


 怜哉は心菜が持って来たスポーツドリングを飲むと一息つき、今は樹が持って来た枕に顔を埋めながら眠っている。

 小さな寝息と少しだけ青くなくなった顔を見てほっと安堵の息をつく。


「はぁ……ったく、目ぇ離せんなぁ。ワイが来て正解やったわ」

「ごめん、陽兄。ほんとなら陽兄にもゆっくりしてもらいたかったんだけど……」

「まあワイの世話焼きコレは性分やから気にしぃや。それより黒宮、新島まであとどれくらいなん?」


 陽の質問に、悠護は「えーっと」と言いながら壁に取りつけられている時計の時間を確認する。


「そうだな……あと一〇分くらいですね。別荘はもう掃除してあるし、食材もある程度揃えてあるって親父が言ってたし、荷物置いたらそのまま海に行けますよ」

「えっ?」

「そか、なら白石はこのまま寝かすか。いやぁー、それにしても海とかホンマ久しぶりやなぁ」


 陽が船室の窓から眩しそうに海を眺めていると、日向は初めて聞いた情報を言った悠護を軽く睨みつける。

 悠護は何故か睨みつける日向に驚きながらも、なんとか平常心を装う。


「な、なんだよ日向、なんで睨んでくるんだよ」

「掃除も買い出しも済んでるなんて聞いてないけどっ?」


 プンスコと頬を膨らませる日向を見て、悠護は自分を睨みつけてきた理由が島に着いたら掃除も買い出しもする気満々だったのにいきなり出鼻を挫かれたことであると理解できた。

 律儀なところも日向らしいといえばらしいが、こんな時くらいそういったことは気にしない欲しいと思う。


「あのな、今回の旅行は俺が招待したんだ。なら招待された側が快適に過ごせるようにするのも仕事なんだよ」

「でもそれだとあたし達が楽してるみたいで嫌だよ」

「それが目的の旅行だろーが。それにどうせ別荘に着いたらメシの支度と片付け、帰りの別荘の掃除もするんだから行きの時くらいは楽してもいいだろ?」

「あ、それもそっか」


 完全に帰りのことが頭からすっぽりと抜けていた日向が納得したように手を叩くのを見て、悠護は呆れたようにやれやれと肩を竦めた。

 ちなみに悠護は最初別荘に着いたら掃除も買い出しもやろうと考えていたが、その時すでに徹一が現地にいる家政婦数名に頼んだ後だったことは内緒にしようと心の中決めた。


「おい! 見えてきたぞーっ!」


 いつの間にか船室に出てさっきの日向と同じように舳先の手すりを掴かんでいた樹の大声に怜哉以外の全員が船室から出て、デッキの方へ降りる。

 船の先には緑生い茂る島が遠い場所でも目視出来、あの島で二泊三日過ごすと考えると楽しみで胸がドキドキと高鳴ってくる。

 そんな胸の鼓動を感じながら、日向は徐々に迫る島から目が離せなかった。



☆★☆★☆



 新島。

 伊豆諸島を構成する島の一つで、腕利きのサーファーや海水浴客などに主眼を置いた観光業と漁業などが盛んな島だ。

 黒宮家が所有する別荘は、二年前に西南側に新しくできた浅黄海岸から徒歩一〇分のところにある。別荘は黒宮家本家とは正反対の、黒い瓦と漆喰壁が特徴的な二階建て家の和風家屋だ。


 陽と同じ長さの生け垣が建物を含む土地を囲み、門は立派な屋根付きだ。門から感じる格式の高さや重厚感に、日向と樹の庶民組は思わず息を呑んだ。

 それに対して悠護と心菜、それにまだだるそうになりながらもなんとか回復した怜哉と陽は平然とした態度で門を潜っていく。


「……樹」

「なんだ?」

「門を見ただけで怖気づいてるあたし達っておかしいのかな?」

「いや、全然おかしくないぜ。ただ周りに慣れてる奴が多いだけだ」

「だ、だよねっ!」


 自分の緊張感はおかしくないとはっきり言ってくれたおかげなのか、なんとか持ち直した日向は樹と一緒に門を潜り家の中へ入る。

 家の中はホコリ一つなく、明るい茶色の床はガラスのようにピカピカだ。白い壁には汚れもなく、島の風景写真が飾られている。靴箱の上にはひまわりを差した花瓶が置かれている。

 外観だけでなく内装も素晴らしい別荘に思わず感嘆の息を漏らすと、悠護は入り口手前の階段を指差す。


「二階は部屋があるから好きに使っていいぜ。で、この廊下を真っ直ぐ行って右に曲がると台所、左だと浴場兼洗面所。一階と二階の廊下の途中にトイレがある。そして、すぐそこの襖は大居間だ」

「へぇー、結構広いんだな」


 さっそく玄関で靴を脱いで上がった樹が襖を開けると、その広さに関心したように言った。

 日向と心菜もつられて襖の向こうを見ると、そこには三十畳の大居間があり障子を開けると縁側もあった。


「これだけ庭も広いとバーベキューとか出来そうだね」

「それならそこの蔵にあんぞ」

「あんのかよ」

「じゃあ今日の夕飯はバーベキューだね!」


 屋敷同様見事な外観をした土蔵に向けて指差しながら答えた悠護に、隣にいた樹は思わずツッコむ横で日向はまだ昼前なのに夕飯のことを考え始めた。

 陽は一通り室内を見渡すと、パンパンッと手を叩いた。


「ほら、ちゃっちゃと支度しぃ。島に着いたら海行くって言ったとったやろ?」

「あー、そういえばそうだったな」

「えー……もう行くの? まだのんびりしたいよ……」


 畳の上でアザラシみたいに寝そべっている怜哉が、嫌そうに顔を歪める。

 幾分かマシになったとはいえ、日差しが燦々と照りつける外には出たくないのだろう。スライムのようにぐだーっとなっている怜哉を見て、陽はしばし考え込むように顎に手を当てると、ニヤリと笑みを浮かべる。


「……そういえば白石、あんたがここに来る条件として『黒宮と一回戦う』やったよな?」

「? そうだけど……それがどうし――」

「もし今ワイらと海に行くんなら、その相手を黒宮からワイに変更してもかまへんで?」


 その言葉に、怜哉の体がピクリと震える。顔はいつもと変わらない無表情だが、猫のようなアイスブルーの瞳は歓喜と猜疑心が宿っていた。

 あの【五星】から決闘を誘われるのは戦闘狂である怜哉にとってはこれほどまでに喜ばしいものはないが、何故陽がこんな提案をしたのか疑問ができる。


「……いきなりどうしたの?」

「いや何、単純に今の七色家がどれほどの実力なのか知りたいっちゅーワイの個人的な興味や。それ以上も以下の理由はないで」

「興味、ねぇ……」

「不服か?」

「ううん」


 彼が何故そんな興味を抱いたのか理解出来なかったが、その名を世界に轟かせた魔導士と戦えるのなら本望だ。

 怜哉はゆっくりと、だがさっきとは打って変わって生き生きとした動きで畳から起き上がる。


「……いいよ、僕も海に行く」

「ありがとな。お盆明けにできるよう調整しとくから、白石もちゃんとやっときぃ」

「分かった」


 そう言って怜哉は玄関前に置いた日本型専用魔導具《白鷹》が入った竹刀袋と荷物を持って、上の階へ上がってしまう。

 怜哉の階段を上る足音が小さくなって聞こえなくなった頃、悠護は微かに眉を寄せながら陽を睨む。

 彼の目には怜哉よりも強い猜疑心が宿っていた。


「……どういうつもりなんだよ」

「何がや?」

「何がって……なんであんなこと言ったんだよ。別に俺でもよかったはずだ、そもそもあんたに白石と戦う理由なんてねぇだろ」

「まあ確かにな」


 悠護の言い分に陽はカラカラ笑いながら肯定する。


「けどな。さっきも言う通り、ワイは純粋に今の七色家の実力を知りたいんや。豊崎陽という魔導士として、な」

「………………本当にそれだけなのか?」

「当たり前やろ? ほら、ちゃっちゃっと着替えてきぃ。時間は有限なんやから」


 とっとと話を切り上げて廊下へ出て行く陽。いつもの飄々とした彼の後ろ姿を、日向達は困惑顔で見送った。



「よいしょっと」


 あの後、各自選んだ二階の部屋の部屋に入った日向は荷物を床に降ろして一息つく。

 日向が選んだ部屋はちょうど真正面から海が見える真ん中の部屋で、窓を開けると潮風が入ってきた。潮の匂いに鼻が刺激されるが、久しく海に行っていない日向にとっては懐かしく感じた。

 部屋は和風家屋に相応しい畳部屋で、左角には文机と座椅子、右角には姿見が置かれていた。右側の襖には二人分の布団がしまっており、どうやら二人一部屋で使えるようになっていた。


「それにしても陽兄、なんであんなこと言い出したんだろう」


 本来なら怜哉と戦うのは条件を出した張本人である悠護だった。それを陽は代わりにすると言い出した時は、日向も目玉が飛び出るほど驚いた。

 だが陽が歴戦を勝ち抜いた戦士を見るような目をした時、彼も何か考えがあって言ったのだと思うとすんなり納得できる。

 だが豊崎陽という男は、何も考えず無闇に行動を起こすような男ではないことは妹である自分は嫌でも分かっている。


「まあ気にしてもしかたないや。早く着替えないと」


 いくら兄を問いただしてもはぐらかされる未来しか見えてこない日向は早々に諦め、旅行鞄を開けると昨日買ったばかりの水着を取り出す。

 日向が選んだ水着はオレンジのビキニ。トップスの中心とボトムスの両端にリボンがついている、スタンダードのものだ。

 着ていた服を脱いで水着に着替えると、姿見に映る自身の姿を見て恥ずかしそうに頬を赤く染める。


「うーん、やっぱりこれちょっと派手じゃないかな……?」


 学校指定の水着しか持っていない日向は、一人でショッピングモールの水着売り場に行ったが、種類の豊富さにどれを選んでいいのか頭を悩ませた。

 その時ちょうど店員が日向を見つけるや否やハンターのような目つきで詰め寄り、店員が血眼に選んだ水着を強く勧められそのまま買ってしまった。


 だが実際に着てみると、確かに可愛いが日向からしたら少し派手に見える上に、こういった露出度の高いものはあまり着たことがないせいで自身の平々凡々な体型も気になってしまう。

 かつて小学校時代からの親友である相模京子が、水泳の授業で水着姿に日向を見て「日向って見た目より細いし胸も平均だけど、それが逆に綺麗に見えるから不思議だよねー」って言われたが、イマイチその言葉の意味が分からないままだ。


「でも替えの水着なんてないし……これで行くしかないよね」


 いくら後悔しても時すでに遅し。こうなるなら別の水着も用意すればよかったと思いながらため息をついた日向は水着の上からパーカーとショートパンツを着て、タオルやスプレータイプの日焼け止めを入れたビーチバッグを持って部屋を出ると、ちょうど同じくビーチバッグを持ったノースリーブワンピース姿の心菜も部屋から出て来た。

 彼女の頭にはつばの広い麦わら帽子を被っており、容姿も相まって深窓の令嬢の雰囲気が増している。


「心菜も水着に着替えたの?」

「うん。向こうにも更衣室あるけど楽かなって」

「だよねー。あたしもこの下水着だよ」


 他愛のない会話をしながら玄関を出ると、強い日差しが目に刺さり思わず目を細めた。

 門の前ではすでに男性陣が持参したビーチバッグだけでなく、恐らくあの土蔵にあったであろうパラソルやレジャーシートも持っており、日向達を見つけると樹が大きく手を振った。


「遅いぞー! 早く来いよー!」

「分かってるー! 心菜、行こっ」

「うんっ」


 樹に急かされバックから取り出したビーチサンダルを履いた日向は、同じくビーチサンダルを履いた心菜の手を取って急いで悠護達の元へ駆け出した。

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