第50話 Let's enjoy Summer Vacation! Part2

 目的地の浅黄海岸には、夏休み効果もあって多くの観光客で賑わっている。

 家族連れにカップル、友達同士と様々な人が海で遊んだり、砂浜で城を作ったり貝殻集めをしたりと思い思いに海を楽しんでいた。


「うわぁ、やっぱりすごい人だかりだね!」


 毎年テレビでどこかの海水浴の映像を見ているが、実際に目にするとその賑わいがよく分かる。

 日向が海で楽しそうに遊ぶ観光客の様子を遠目で見ていると、陽がちょうどいい場所にシーツを広げパラソルを立てると、悠護と樹が荷物をその上に降ろし上に着ていたパーカーを脱いだ。


 二人とも細身ではあるがしなやかな筋肉がついており、体格も普通の男子よりかっちりしている。

 太陽の下に晒された二人の肉体を見て、日向だけでなく心菜も気恥ずかしくなって顔を逸らした。


「よいしょっと、これでいいだろ」

「だな。よっし、じゃあ早く海行こうぜ!」

「行くんはかまへんけど、ちゃんと準備運動してからなー」

「おっと、そうだった」


 陽に指摘されて海へ向かう足を止めた樹は、その場で準備運動をし始める。

「1、2、3、4…」と言いながら体をほぐす樹に続いて、日向達も準備運動をし始める。その合間に後ろを見ると、怜哉はシートの上で体育座りの状態でそれを眺めており、陽は持参してきた文庫本を読み始めていた。

 完全に海に行く気がない二人にため息をつきそうになったが、二人らしいと思えばらしいので特に何も言わなかった。


「よっし、これくらいすりゃ大丈夫だろ」

「だね。あたし達も日焼け止め塗ったら泳ごっか」

「そうだね」


 そう言って日向と心菜は着ていた服を脱ぐと、下に隠されていた水着姿を見せた。

 ワンピースを脱いだ心菜の水着はフリルがついた深緑色のビキニ。心菜の母性溢れる胸が強調されているデザインだが、それが逆に彼女の美しさを際立たせている。


 やはりというべきか、心菜が水着を見せた瞬間に近くにいた男達の目が一気に変わった。中には彼女持ちの男もいたが、彼らは嫉妬で怒った彼女に頬や耳を引っ張られている。


(さすが心菜、女のあたしでも見惚れちゃうよ)


 聖天学園一年のマドンアとして名高い心菜の水着姿は、普通の体育の授業でもほとんどの男子から視線を向けられていたのを知っている日向は内心感心しながらも脱いだパーカーとショートパンツを汚れないようビーチバッグに入れる。

 スプレータイプの日焼け止めを取り出すと、ウェーブヘアを三つ編みにして帽子を被る心菜に向かって手招きをした。


「心菜、日焼け止め塗るからおいで」

「ありがとう。お礼に髪の毛結ってあげる」

「ほんと? じゃあお願いしよっかなー」


 きゃっきゃっと笑い合いながら日向が心菜の腕や水着に隠されていない肌に日焼け止めを吹きかけ終えると、心菜が持って来たポーチからゴムを取り出して日向の髪を結う。

 髪を高く結い上げたポニーテールだが、三つ編みを加えた編み込みをしているおかげで、普段は腰まで長さのある日向の髪がうなじあたりまで短くなった。


「おー! 心菜すごーい!」

「これくらい日向ならすぐにできるよ」


 まだ海に入っていないのにすでに楽しそうな女子二人を遠目から見ているのは、海の家から貸し出されている浮き輪を持っているパートナー二人。

 神妙な面立ちの樹は、隣で無表情になっている悠護に話しかける。


「悠護」

「なんだ」

「あの二人にナンパしてくる野郎は俺らでぶっ飛ばそうぜ」

「おう」


 心菜にだけでなく日向にも視線を向けてくる男達を横目に、悠護と樹は『ナンパ野郎追っ払い隊』を結成した証としてがっちりとした握手を交わす。

 ようやく準備が終えたのか、日向と心菜が熱い砂浜を裸足で自分達の元へ駆け寄る。それを見ていた男の、今度は嫉妬交じりの視線が二人に向けられた。


 だがそれも、彼女達をジロジロと舐め回すような視線を向けられるよりマシだと思えば苦ではなかった。


「ごめん、待った?」

「いや別に。それよりほれ、浮き輪だ」


 息を乱して謝る日向に悠護は特に気にしていない体で言いながら、借りてきた濃いピンクの浮き輪を渡す。

 無地のなんのイラストも描かれていないそれを受け取ると、今度は樹が心菜の手を取った。


「なぁ、さっきあそこら辺で綺麗な貝殻を拾えるって海の家にいた子供達に教えてもらったんだ。一緒に行こうぜ」

「え? いいけど……」


 心菜がちらっと日向の方に視線を向けると、日向はひらひらと手を振った。


「あたし達ものんびり海を楽しむから、二人も楽しんできなよ」

「……じゃあ、お言葉に甘えてそうさせてもらうね」


 日向の言葉で踏ん切りがついたのか、心菜は樹に手を引っ張られながら別の方向へと走っていく。

 やっぱりあの二人お似合いだなーと思いながら、日向は受け取った浮き輪を持ちながら自身のパートナーに空いている手を伸ばす。


「あたし達も行こっ、悠護!」

「ああ、行くか」


 伸ばされた手を悠護が掴むと、日向は嬉しそうに顔を綻ばせた。



 ☆★☆★☆



 不規則な波が浮き輪をゆらゆらと左右に揺らす。

 軽くバタ足をすると浮き輪は沖の方へ進み、砂浜にいる人が小さくなる。もう少し先へ進もうとするが、それを力強い手が浮き輪を押さえてしまったため出来なくなった。


「おい、あんま沖の方に行くなよ。危ねぇだろ」

「ご、ごめん」


 浮き輪を掴んでいる悠護はさっき潜ったせいで癖のある髪はぺたりとしており、掻き上げた前髪や頬に伝う海水のせいでそこはかとなく色気がある。

 その顔が黒宮家のお風呂場で鉢合わせした時を思い出してしまい、思わず顔を逸らしながら浮き輪を外した。


「じゃあ潜って来るね」

「おう。溺れんなよ」

「分かってるって」


 日向が水泳はそれなりにできることは知っているはずなのに、こうして心配してくれるのは素直に嬉しい。

 一気に息を吸い、体を海の中へと沈める。体がそれなりに沈んだ頃を見計らってゆっくりと瞑っていた目を開くと、幻想的な光景が広がっていた。


 光の反射で緑に見え、岩礁は薄灰色のものもあれば白いものもある。海藻もゆらゆらと揺れ、まるでダンスをしているかのようだ。

 ひとしきりその光景を楽しんだ後、ぷはっと息を吐きながら海中から顔を出した。


「ゆ、悠護! なんかすごかった! すごく綺麗でもうなんて言っていいか分からないッ!」

「お、おう、落ち着けって」


 目をキラキラ輝かせて鼻息荒く興奮した様子の日向を宥めながら、ひとまず休憩するために浅瀬に向かうことにした。

 その時にふと日向の目が悠護の体型にいった。男しては肌白いが、骨格は一般的な男性そのもの。だがそれより注目したのはその細さだ。


 普段は樹と同じくらいの量のご飯を食べているはずなのに、彼の体には余分な脂肪がない。それどころか女の自分より腰が細い気がする。

 男としてのかっちりした体格をしながらも、女よりも細い彼を見て日向の全身を雷の如く衝撃が襲う。


(あ、あたし……悠護に負けた……ッ!?)


 一体何に負けたのか気になる点があるが、とにかく負けた気がして仕方ない日向がパートナーに対してまるで仇を見るような視線を向けた直後、彼女の方に顔を向けた悠護はぎょっと目を見開いた。


「ど、どうしたんだよ?」

「悠護は……普段何を食べて生きてるのよ……」

「………はあ?」


 普段より一オクターブ低い声で告げられた言葉に、思わず『急に変なこと言い出した』という顔をする悠護。

 だが特訓する時以上に真剣な顔で睨んでくる日向を見て、困惑しながらもなんとか答えることにした。


「お前と同じもんだ、知ってんだろ」

「なのになぜこんなにきゃしゃ」

「なぜって……金属操作魔法って結構頭も体力使う魔法なんだぜ? それに重さも普通のと同じだから使うからな。多分それじゃね?」

「げせぬ」


 感情を押さえているせいでひらがな口調になっている日向の体がぷるぷると震えているのを見ながら、何を思ったのか悠護は彼女の両頬をむにっと片手で挟んだ。


「別にお前そこまで太ってねぇぞ? むしろガリガリじゃねーか、もっと食えよ」

「んぶっ、やめへよ」


 突然の攻撃に思わず変な声を出す日向。自身の手から離れて頬をさする彼女を見ながら、悠護は顎に手を当てながらあらためて日向の体型を確認する。

 普段は制服や私服で分からないが、日向の体型はびっくりするほど左右対称だ。胸の大きさは平均だが、それが逆に彼女の美しさを引き立てている。


 腕も足もガリガリとまでいかないが自身より細くて、少しでも力を込めてしまったら折れてしまいそうだ。

 こんな細い体で傷を負い、自分を助けに来てくれたのだと思うと、『彼女を守りたい』という気持ちが強くなっていく。


(でもそう簡単に守らせてくれねぇよな、こいつは……)


 だが日向も自分を守ることを決めているし、彼女は一度決めたことは頑固になるところがある。

 たとえ悠護自身が何を言っても、日向は何があっても自分を守り戦おうとする。そんなところも好きなのだが、それとこれとは話が別だ。


(せめてもうちっと男らしい体になりてぇな)


 日向は悠護の体を『華奢』と言ったが、自分から見れば『軟弱』がピッタリだ。

 樹も自分と同じくらい細身だがその分筋肉質で、薄っすらとだが腹筋が割れていたのを見た時は内心ショックだった。

 家で自主的に魔法の特訓の他に体力作りもしているが、どうしても筋肉がついたとは思えない。


 どうすればもっと男らしい体になれるのか首を捻ると、


「わっ」


 日向の驚いた声が聞こえてきた。

 視界の端に六歳ほどの子供二人が走っているのを見るに、どうやら自分達の間に子供が全速力で通ったらしい。

 驚いた日向は思わず数歩後ろに下がるが、海水を含んだ砂浜はぬかるんでいるせいでずるっと足が滑る。


「わわっ!」

「っ、おい!」


 転びそうな日向の手首を掴むが、悠護も海水で濡れた砂浜に足を取られてしまう。

 そのままバシャンッ! と音を立てて浅瀬に倒れ込む二人。


「ゲホッゴホッ」

「あ、おい大丈夫か!?」

「う、うん……ちょっと海水飲んだけど大丈夫」


 咳き込む日向に慌てて怪我がないが確認するが、擦り傷一つもないのを確認するとほっと息を吐く。

 ……そこでようやく、今の自分達の態勢に気づく。日向は下半身を浅瀬に着いた状態だが、肝心の悠護はその上に両膝と両手をついている状態だ。

 ほとんど押し倒したような恰好になり周囲から『大胆だな』と囁かれる中、悠護の目は目の前の日向に集中していた。


「悠護……?」


 さっき転んだせいでほとんど乾いていた髪は潤いを取り戻し、毛先や頬から水滴が伝い落ちる。強い日差しを浴びて真っ白な肌が、水滴のおかげでほんのりと輝いている。

 概念干渉魔法で『人魚』を概念にした魔導士を見たことがあるが、その時の姿は童話で出てくるような人魚とはかけ離れていた。


 耳には鰭、指の間には水かきが出来、爪は刃物のように鋭くなり二の腕まで鱗で覆われていた。肌も鮮やかな青緑色と現実離れした色合いになっていたため、子供が見たら一発で泣き出す姿だった。

 だがもし、あんな異形ではなく童話と同じ姿をしていたら、その姿はきっと日向が似合うだろう。


 すっと自分の手が彼女の頬に触れる。

 海で少し冷たくなったが柔らかいそれが徐々に熱を帯びていく。

 琥珀色の瞳は日の光で輝きを増し、金色に見えてくる。


 それに吸い込まれるように自身の顔が日向に近づていき――。


「――何してんの?」

「うおわぁあああっ!?」

「わあぁっ!?」


 突如頭上から影と聞き覚えのある声が聞こえ、二人は悲鳴を上げながら日向は前を、悠護は背後を振り返る。

 そこにいたのは、チャームポイントであるパーカーを着た怜哉。彼はいつもの無表情だが心なしか呆れているように見える。


「こんなところで顔近づけてさ……豊崎先生が見てたら、黒宮くんは間違いなくボコ殴りだったね」

「う、うるせぇな! つーかなんの用だよ!?」


 危うく自分がしそうなことを止めてくれたのは感謝しているが、浅瀬から立ち上がりながら気恥ずかしさからくる怒りに身を任せて怒鳴る悠護だが、怜哉はそんな彼の態度に気にも留めずに右手の親指を後ろに向けた。


「先生がそろそろお昼にしよって。今先生がご飯買いに行ってるから」

「そ、そうかよ……分かった、すぐ行く」


「じゃあ僕は先に行くね」と言って怜哉はさっさと浅瀬から離れていく。

 なんとなく気まずい雰囲気の中、悠護はそっぽを向きながら日向に手を差し伸ばす。


「……ほら、早く立てよ」

「う、うん……」


 差し出された手を掴むと、悠護はぐんっと腕を引っ張って日向を立たせる。

 そのまま「行くぞ」と言いながら浅瀬を出る悠護の後ろ姿に、日向はバクバクと鼓動を動かす心臓がある左胸を押さえる。


(い、今……キスされそうになかった……!?)


 ただの日向の思い違いだと思うが、あの距離ではそう勘違いしてもおかしくなかった。端整な悠護の顔が近づいてきて、普段より彼の顔立ちがはっきりと見えた。

 海水で濡れた黒髪、意外と長い睫毛、すっとした鼻筋、薄い唇、そして自分の顔を映す真紅の瞳――それら全てが日向の頭が離れない。

 両手で押さえている頬の熱が、日差しやこの場の熱気ではなく羞恥が原因であることくらい日向でも分かった。


(はあ……なんか最近変だなぁ、あたし……)


 黒宮家の一件以来、なぜか悠護のことが頭から離れない。

 なんの連絡がないのが寂しくなったり、会話するだけで嬉しくて頬が緩んでしまう。初めてな感覚に日向も戸惑いが隠せない。

 それこそ入学したての頃、自分がどうやって彼と接していたのか覚えていないほどに。


「ほんとになんだろう、これ……今度京子に相談にしてみようかな……」


 自分よりも色々と知っている友人の顔を思い浮かべながら、日向も浅瀬に離れた。



「おっ、見ろよ心菜。ビーチグラスだぜ」


 時間は少しだけ遡る。

 樹に海岸の端まで連れてこられた心菜は、薄い水色をしたガラスの破片を持ってこっちを振り返る樹を少し離れた場所から見ていた。


「樹くん、ガラスを素手で持つのは危ないよ」

「大丈夫だって。それにコイツは角が取れてるから怪我なんてしねぇよ」


 そう言われて樹の持つグラスを覗き込むと、確かに本来なら鋭い角がなく丸くなっているし、曇りガラスのような風合いを出している。

 水質洗浄機能が搭載した清掃整船型巨大魔導具があるとはいえ、狭い場所での清掃は容易ではない。こういった人しか通れない海岸や洞窟には来られないため、清掃船が拾えなかったゴミが流れつくのだ。


 普通の人ならゴミが散乱しているこの場所を見て嫌そうに顔を歪めるだろうが、樹の場合はむしろ宝の山を見つけた冒険家のような顔をしている。

 目を輝かせて新しいビーチグラスを手にする彼の姿に、心菜の口元が自然と緩む。


「それにしても貝殻も結構落ちてんな。なぁ心菜、コイツらでなんか作ってやろうか?」

「作るって……何を?」

「なんでもいいぞ。写真立てでもペンダントでも。あ、でも貝殻は普通に瓶詰めにして飾るのが一番か? でもそうだとグラスのほうが……」


 心菜の質問に答えた後にぶつぶつと呟き始める樹。休日でも魔導具の素材になりそうなものを見つけると、こうして独り言を呟いて動かないということがある。

 そうなった場合は悠護や日向が彼の背中を叩いて正気に戻しているが、心菜の性格上そんな乱暴な真似はできない。

 落ち着くまで放っておこうと思い、樹から離れた場所にある浅瀬に座り込んだ。


「あ、可愛い」


 ふと砂浜に紛れていたものを見つけ拾うと、心菜は嬉しそうに微笑む。砂浜に埋もれていたのは親指サイズの桜貝で、欠けた部分はない綺麗な状態だ。

 ここに来てからそれなりの数の貝殻を拾ったが、そのほとんどが原形を保ったものばかりだ。ここまで綺麗なら、樹の言う通り瓶詰めにして飾るのが一番かもしれないと思った。


「ねぇねぇカノジョー、今一人?」

「なんならオレらと一緒にお茶しなーい?」


 左手に集めた貝殻を大事そうに両手で抱えると、後ろから声をかけられる。

 軽薄そうな声が似合う男が二人。一人は日焼けマシンで肌を焼いた褐色肌の男、もう一人は両耳にいくつもピアスをあけた男。一目で誘いに乗ったらいけない人種の見本のような風貌だ。


「いいえ、連れがいますので」

「そんなこと言わずにさあ」

「そうそう。ほんのちょっと、ちょっとでいいから」


 こういった誘いはパーティーでもよくあることだ。いつも通り心菜は人当たりのよさそうな、だが確実の拒絶を含ませた笑みを浮かべる。そうすれば向こうが気まずい顔をして引き下がるのだ。

 だが目の前の男達はその笑みが分かっていないのか、気安く話しかけてくる。芳しくない様子にほんのわずかに眉をひそめると、心菜は「すみません、これで」と言って早々に立ち去ろうとする。


 そんな心菜の反応が気に入らなかったのか、褐色肌の男が彼女の手首を掴んだ。


「なぁ待てよ、いくらなんでもその態度はないんじゃねーの?」

「っ、離してください!」

「冷てーな。いいじゃねぇかよお茶くらいよー。同い年のくせにお高くとまりやがって」


 ぎりっと心菜の手首を掴む手の力が強くなる。思わず痛みで顔を歪める心菜に気分を良くしたのか、男はぐいっと心菜の腕を引っ張る。


「ほら、あっちに行こうぞ。あそこでたっぷりとオレ達と楽しんで――」

「――『落とし穴フォヴェア』」

「うわぁあっ!?」


 初級自然魔法の一種である魔法名が唱えられた直後、男達の下半身は砂浜に埋もれた。

 突然の出来事に二人に戸惑いながらも脱出しようとするが、砂浜は岩と同じくらい固くなったかのようにピクリとも動かない。

 魔法を使った魔導士――樹は呆然とする心菜に近づき、肩を抱いて体を自分の方へ寄せた。抱き寄せられた心菜は驚きで目を見開くが、樹の顔を見て安堵の息を漏らす。


「樹くん……」


 だが樹の険しい顔を見て、最悪の事態が起こりそうな雰囲気に心配になり震える声で名前を呼ぶ心菜。名前を呼ばれた樹は心菜に顔を向けると、ニカッといつもの笑顔を向けた。


「大丈夫か?」

「う、うん。平気だよ」

「そっか。ちょっとこれ持って待ってろ」


 ぽんぽんとまるで泣いている子供をあやすような仕草で心菜の頭を撫でた樹は、左手に持っていたビーチグラスを渡す。

 取りこぼさないように慌てて受け取ると、樹は未だ砂浜に埋もれている男達を見下ろす。


「て、テメェ魔導士だな!? 善良な一般市民に危害を加えていいのかっ!?」

「はあ? 俺のパートナーをどっかに連れて行こうとした奴らを善良? なんの冗談だよ」


 ギャーギャーと騒ぎだてるピアス男を普段は見せない冷たい目で見下ろす樹。その後ろで心菜が心配そうに見ているのに気づきながら、樹は右足を軽くあげるとそのまま褐色肌の男の後頭部に乗せる。

 足が乗せられたことで男の顔は砂浜に埋もれ、「ゔーゔー!」と呻き声をあげる。


「……今はこれだけで見逃してやると。だがもし、心菜に手ぇ出したら――分かってるよな?」

「ひ、ひぃいっ……!」


 怒りで無意識に褐色肌の男の顔をさらに砂浜にめり込めさせる樹の顔を見て、ピアス男は恐怖で情けない悲鳴を上げる。

 その顔を見て十分にお灸を添えたと判断した樹は、魔法を解いて砂浜から男達を出す。男達は樹の顔を見て怯えた表情を浮かべながら脱兎の如く逃げていく。

 途中でピアス男が転びなりそうな場面を見ながら、彼らの姿が豆粒サイズに小さくなったのを見計らって心菜に近づく。


「わりぃな、俺のせいで。怖かったろ?」

「……ううん、樹くんが助けてくれたら平気だったよ」


 本当は男達にどこかへ連れ込まれそうになって怖かった。だが彼の手が体に触れた時、恐怖を上回るどうしようもない安堵感に包まれた。

 だから今心菜が言った言葉の半分は嘘だがもう半分は本心だ。それは樹も気づいているはずだが、彼はどこか呆れたような笑みを浮かべると心菜の頭を撫でる。


「……そっか。ならよかったぜ」


 そう言って笑う樹の笑顔は、今まで以上に輝いて見えて心菜の心臓が一度、高く鼓動が鳴る。

 もっと見ていたいのに、樹の手が自身の頭から離れると同じタイミングで彼の体の向きが心菜からさっきまでいた海岸の方へ変わる。


「よし、そろそろ帰ろうぜ。悠護達も待ってんだろうし」

「あ、う、うん、そうだね」


 名残惜しい気持ちになりながらも樹の言葉に賛成しながら、心菜は彼の後ろをついていく。同年代の男子と比べて逞しい背中を見て、心菜の心臓はドクドクと静かに鼓動を打つ。

 全身の熱が顔に集中している感覚を味わいながら、別荘から持って来たパラソルが見えるまで心菜の目は樹の背中から視線を逸らさなかった。

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