第230話 息を潜める時

 お祖母ばあ様。

 写真に写る女性を楓華がそう呼んだ直後、悠護達の反応は驚愕と困惑だった。

 彼女の話が本当ならば、この写真の女性は実の孫すら殺そうとしたということになる。


 家族殺し。それは、魔導士界の中で最も忌むべき禁忌。

 魔導士というのは貴重な存在であり、国の宝。五〇パーセントの確率で魔導士が生まれない場合がある以上、親が子供に危害を加える、もしくは殺害を企てることは重罪。逆も同じだ。

 魔導士崩れが一向に減らないもの、たとえ出来損ないと見限っても家族殺しは禁忌とされているが故に起きている。


 その禁忌を恐れず実行した楓華の祖母に、魔導士界の常識を知っているこの場の誰もが言葉を失うのは無理もない。

 しかし、楓華の祖母のことをよく知る凛音と追憶夢でその祖母を見た日向は無言で黙り込んでいた。


「……小鳥遊楓華。本当に、この写真の相手はお前の祖母なのか?」

「は……はい……」

「それが本当なら小鳥遊家に連絡を取らなければならない。家族殺しは重罪だ。たとえどんな理由があろうとも……実の孫を殺す者は放っておくわけにはいかない」

「…………それは、分かってます……」


 楓華が震えた声で答える。彼女の顔色は真っ白で、このままでは倒れそうなほどだ。

 今までそんな顔しか見たことのない日向は、陽の方を見ながら言った。


「ね、ねぇ陽兄……彼女の顔色かなりヤバそうだし……今日はここまでにしない?」

「……せやな。このまま倒れてまうのは避けたい。ジーク、悪いが尋問は後日や。もうそろそろ寮へ帰さなアカン」

「本当にお前達は甘い……と、言いたいところだが、そうだな。私もこの後仕事がある。桜小路、お前は私と来るように」

「は、はい」


 ため息を吐きながらジークが凛音と共に談話室を出たのを合図に、陽が笑顔で手を叩く。


「んじゃ、ワイらも帰るで。ああ、小鳥遊はワイが送るから安心しぃ」

「先生。俺と日向は残ります」


 陽が指示を出した直後、悠護が挙手しながらそう言った。

 それを見て全員が一瞬きょとんとするも、彼の意図を察したのかそのまま日向に同情の眼差しを向ける。

 彼らの眼差しを一身に受けた日向が、悠護がこの後何をするのかすでに理解していたからこそ、正座のしすぎで痺れる足を引きずりながら救いの手を伸ばす。


「み、みんな待って! あたしを――」

「んじゃ、俺らは帰るな~」

「しっかり叱られろよ」

「ご、ごめんね……!」

「ばいなら~」

「薄情者共め―――っ!!」


 日向の制止をスルーした面々が談話室を出て行く。

 助けが期待できないならば自分の足で逃げた方がいいと思いつき、震える足で立ち上がった直後、日向の体ごとふわっと浮いた。

 全身に真紅色の魔力が纏われていることから、悠護が『浮遊ナタレ』を使ったのだ。


(ああ、説教コースに入っちゃう……!!)


 今回は自分でも無茶をした自覚はある以上、これから入る悠護の説教を受けることに覚悟を決める。

 しかし、日向の体が悠護の足の間に移動すると、そのまま背後から抱きしめられる。

 まさかの行動に目を丸くしていると、そのまま日向の顔に額を置いた悠護がぽつりと呟く。


「…………心配した」

「うん」

「めっちゃ心配した」

「うん」

「右腕の怪我、見た時は心臓が冷えた気持ちになった」

「ごめんね」

「無理なお願いかもしれねぇけどさ……頼むから、俺の目から離れた場所で怪我しないでくれ」


 日向を抱きしめる力が強くなる。

 微かに腕も振るえていて、彼がどれだけ心配していたのかが伝わってきた。日向はそっと彼の黒髪を撫でながら、優しい声で言った。


「絶対は約束できないけど……あなたのそばから離れないように努力するね」

「……そうか」


 努力する。その言葉は、『もしもの時は自分の目が届かない場所で怪我をする』と言っているようなものだ。

 日向がお人好しなのはすでに知っているし、彼女が誰かを助けるために無茶をすることも知っている。


 だけど……前世のように、自分が死んで彼女も後を追うような事態になる可能性だってある。

 今世では幸せになると決めた。しかし、周囲の思惑や陰謀がそれを許さない。


(なら、せめて……形ある約束が必要だ)


 まだ早いと思っていながら用意していた物が、こんなに早く使うとは思わなかった。

 心配ばかりかける愛しい少女を抱きしめながら、悠護はそっと桜色に色づく唇に自分の唇を重ねた。



 凛音は寮の外にいた。

 近くにある自販機で買ったコーラを飲みながら、ベンチに座って星も月もない夜空を眺める。いつもなら夜に飛ぶ飛行機を探しているが、あの話のせいでそんな気分になれない。

 チッと舌打ちをし、飲み終わったコーラ缶を握り潰す。そのままゴミ箱に向かって投げると、ひしゃげた缶は方曲線を描いてそのままゴミ箱へ入る。


(あのクソ婆、本気で楓華を始末する気だったんだな)


 あの後、先に談話室を出た凛音はジークに二人の関係について分かる範囲で話した。


 彼女の父親は小夜子の決めた女性と結婚せず、身寄りのない母親と結婚したこと。

 そのことで楓華の母親と楓華を恨んでいること。

 そして、両親の死後、祖母の与える任務によって楓華の性格が今のようになってしまったこと。

 その時に、あのことも話したのだ。


 ――過去の任務で楓華は人を殺し、それが原因で殺しと破壊を極度に嫌うようになったことを。


 凛音の話を聞いて、ジークは何故小夜子があの人狼夫婦をけしかけた推測を立てた。


『恐らくだが……小鳥遊小夜子は、小鳥遊楓華に日向を殺すよう命令された。しかし、あの少女の性格上それは難しいと分かっていた。だからこそ、あの人狼をけしかけ、二人は相打ちによって殺された風に仕立て上げようとした。邪魔な二人を消し、自分の手を汚さない、完璧な殺人計画――作られた『悲劇』をな』


 その推測は、凛音にとっては正解そのものだった。

 小夜子は自分が選んでいない女の腹から産まれた楓華を汚物を見るような目で見ていたし、両親が死んでからは手酷い扱いをしていた。

 そんな女が、楓華をいつ始末しようと画策していてもおかしくはない。


(このことは父さんも知らない。……もし、本当にそれが真実なら、桜小路家も小鳥遊家も混色家の席から外される)


 元々、そこまで固執していない席だ。

 むしろ父も自分もいつこの席から外れるのか考えていたので、むしろ今の状況は好機である。

 しかし……腑に落ちない疑問もある。


(あの婆は、なんのためにあんな回りくどい真似をした?)


 いくら家族殺しをしたくないからといって、わざわざ他所から魔導士崩れを連れ出すなど手間がかかる。

 そもそも、何故小夜子は楓華に日向を殺す命令を下したのだろうか?

 本当に『悲劇』を作るためだけに、利用したとは考えにくい。


(どちらにせよ、いずれ婆の悪行をこれ以上許すわけにはいかない)


 忠誠心ありまくりのフリをして、裏ではずっと己の計画を緻密に企てていた小夜子。

 大切な少女をあそこまで追い詰め、永遠に癒えない傷をつけさせた罪は重い。

 私情だろうが構わない。もう――我慢の限界だ。


「俺がいつまでも愚痴ばかり吐く情けない男だと思うなよ。やる時はやるんだってこと、思い知らせてやる」


 もう二度とあんな辛い思いも悲しい思いもさせない。

 彼女の笑顔を取り戻せるならば、長く仕えてきた家を切り捨てることすら厭わない。

 凛音の色違いの双眸には、確かな決意が強く宿っていた。



☆★☆★☆



「そうか……では、失礼する」


 ガチャ、と受話器を固定電話機の上に置く。職員室にある自分のデスクで、ジークはふぅっと深いため息を吐く。

 芸術の神が作り上げた人形のように整った顔には苛立ちが浮かんでおり、眉間にはシワも寄っている。

 白い髪を乱雑に掻いていると、コトンと缶コーヒーがデスクの上に置かれた。


 音をした方を見ると、陽がデスクに置かれた同じメーカーの缶コーヒーを持っており、わざわざ自分の分を買ってきてくれたのだと刺した。

「わざわざすまない」とお礼を言うと、そのまま缶コーヒーのプルタブを捻り口付ける。ほろ苦くもほんのり甘いコーヒーを舌で味わい、半分以上残ったところで缶をデスクの上に置いた。


「さっきの電話、小鳥遊家にか?」

「ああ。なんせ相手は実の孫娘を使って間接的に家族殺しを実行しようとした魔女だ。さすがに自白はしなかったが…………」

「代わりに、証拠がないって突っ張られたか」


 陽の質問にジークはこくりと無言で頷く。

 まだ数分前の出来事だというのに、小鳥遊家小夜子がジークに言った発言はどれも腸が煮えくり返るものだった。


『私が家族殺し未遂犯……? さて、なんのことでしょう?』


『確かに楓華は一応孫ですが、あれはいずれ処分がくるのを待つ出来損ない。わざわざ他国の魔導士崩れを使ってまで殺す理由などありません』


『第一、私が楓華を使い豊崎日向の殺害命令をしたことも、魔導士崩れをけしかけ家族殺しをしようとしたことも……何一つ証拠がないはずです』


『記憶など魔法で簡単に操れてしまう可能性がある以上、あの子の発言すら信憑性がありません。……私を犯人として吊るし上げたいのならば、きちんとした証拠を揃えてからにしてください』


 ジークからの質問をあらかじめ用意したセリフで逸らし、あまつさえ自分の罪を認めない堂々とした態度は癇に障るものだった。

 あの写真通りの姿ならば、小鳥遊小夜子はあの狐の魔女よりも性根が腐っているだろう。


「ワイらから電話がくることも向こうは読んでいたんやろな。じゃなきゃ、お前を退かせうような真似はできひん」

「だろうな。……しかし、今回のことは他の混色家も黙ってはいないはずだ」


 混色家の一つである桜小路家に仕える小鳥遊家の不祥事は、今後の混色家の地位を危うくするものだ。

 もし七色家や日本各地にいる魔導士家系が、今回の件のせいで『混色家は今後も魔導士界を叛逆する可能性が高い』と認識されてしまったら、混色家の枠組み自体を消さなければならない。


 混色家には金枝奈緒のように七色家に嫁入りした家もあり、せっかく順風満帆な新婚生活を送っている彼女らの幸せを壊してしまうこともありえる。

 無論、かつての桜小路家のように下剋上を企てている家もあるだろうが、それでも今回の件が大事になればそれどころではなくなる。

 そう考えると、今回の件はかなり頭の痛い話だ。


「…………そもそもの話だ」

「ん?」

「小鳥遊小夜子は、何故日向を狙ったんだ?」


 日向は今、黒宮徹一の主導の元で準魔導士の互助組織創立のために動いている。

 一部の魔導士には反感を抱かれてはいるが、魔導士界の転機として注目されているおかげで狙うリスクが高すぎている。


「小鳥遊小夜子が血統主義連中らと同じで反感を抱いている……って感じやないしな」

「……もしかしたら、が絡んでいるかもな」


 ジークの意味深な言葉に、陽はピクリと眦を動かす。

 しかし、白髪の反逆者は夜の帳の色を宿した双眸を細めるだけで、何も言わなかった。



「……やはり、勘づかれましたか」


 山梨県の山岳地帯にある洋館。小鳥遊小夜子は窓越しの風景を静かに眺めていた。

 特殊な結界を張っているため人工衛星でさえ捕捉することはできず、広大な土地を他の家よりも強力な魔導士を育成させるための訓練場として利用している。

 そこを所有しているのが、小鳥遊家だ。


 かつての桜小路家は赤城家の分家として尽力し、小鳥遊家もそれに合わせてこの土地の所有を許された。

 謀反を起こし、混色家に下ってからもなけなしの同情でそのまま住むことは許されたが、その地位と権力は昔ほどの効果を失ってしまった。


 面倒なパーティーに出席しても『裏切り者に仕える忠犬』と蔑まれ、血を繋ぐためだけに生んだ息子は自身が用意した相手ではない、どこの馬の骨とも知らない女と結婚しただけでなく、あんな出来損ないをロクに教育しないまま育てた。

 自分の思い通りにならない人生に、もう辟易としていた。

 いっそのこと、今までの出来事を取り消して、かつて抱いた輝かしい人生を歩みたいと願った。


 だからこそ、この計画は小夜子にとっても一世一代の好機でもある。

 もし、もう一度人生をやり直せたら……きっと今よりも幸せになれるかもしれない。

 淡い希望だとしても、小夜子はそれに縋る道を選んだ。


「ですが……警戒されてしまった以上、しばらく大人しくしといたほうが良さそうね」


 本当なら早く済ませたいところだが、学園側の警戒は用心したほうがいい。


「はぁ……まったく、あの出来損ないは。道具としての利用価値もないなんて。やっぱりあんな子、産ませなければよかった」


 深いため息を吐きながら、小夜子は学園にいる実の孫に対して冷たい恨み言を吐いた。

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