第231話 平穏は崩れ去る

 人狼夫婦の襲撃から一週間が経った。

 ジークが小鳥遊家に電話したことが功を奏したのか、しばらく沈黙することを選んだようだ。

 凛音は今回の件について家と長々と話しており、楓華は半月もしていた日向の監視をやめた代わりにちょくちょくと遊びに来ていた。


 最初は謝罪のために近付いていたみたいだが、やはり祖母の所業を信じられないのかまだ動揺していた。

 彼女の気持ちを落ち着かせるためにカフェでお茶に誘ったり、一緒に勉強をしている内に打ち解けていき、途切れ途切れではあるが悠護達とも会話できている。

 それを見て日向は、卑屈で自己評価が異常に低いところを除けば楓華も普通の女の子であると再認識した。


「楓華、サイズはどう?」

「だ、大丈夫です……ピッタリです」

「よかった。これでドレスは無事選び終えたね。じゃあ、ちょっとアクセサリーつけてみよっか」

「は、はい……っ」


 そして現在、日向達は五月のダンスパーティーのドレス選びのために体育館に来ていた。

 男子立ち入り禁止の看板が立てられた体育館には、学園側と厳しい機密保持契約を結んだレンタルショップから搬送されたドレスが数千着も並んでおり、女子達は目を輝かせながら選んでいる。

 日向と心菜のようにツテがある生徒は選ばなくていいが、楓華のようにドレスを持っていないもしくは頼めない子はレンタルショップのドレスを借りるのだ。


 楓華が着ているのは、ロイヤルパープル色のドレスだ。

 スカートが花弁のように何層にも重なっており、裾には黒いレースがあしらわれている。二の腕半ばまで長さのある同色の手袋をはめており、髪もシニョンにして黒いリボンを巻き込むように結んでいる。

 最後の仕上げとして首にパールのネックレスをつけてあげると、お淑やかかつ儚げなお嬢様が誕生した。


「うん! 似合ってる! これで化粧すれば文句ないよ!」

「そ、そうでしょうか……?」

「とっても綺麗だよ、楓華ちゃん」


 日向と心菜からの惜しみない賞賛に、楓華は戸惑いながら顔を俯かせる。

 祖母に預けられて以降、罵倒や陰口、心にない中傷には慣れているが、こういう賞賛には不慣れだ。こんな風に褒めてくれたのは……両親と凛音しかいない。


「さて、そろそろあたし行くね」

「ど、どこに行くんですか……?」

「ドレスの採寸。朱美さん……悠護のお義母かあさんが、高校最後の思い出だからって一から作る気満々で……」


 思い出したのか日向が遠い目をした。

 今からドレスを一から作るとなると、かなり急ピッチで仕立てなくてはならない。本当ならそこまでしなくていいと思うがせっかくの好意を無下にすることはできず、日向は心菜と楓華に頭を下げながら体育館を出て行った。


「じゃあ、このドレスとアクセサリー類を当日までショップの人に預かってもらうから脱いでもらえる?」

「わかりました……」


 心菜の指示に従い、楓華は一〇も並べられている仮設更衣室に入る。

 男子禁制にしているためその場で脱いでも構わないが、体型にコンプレッスを持つ女子もいるため仮設更衣室を設置してある。

 楓華は自分の体型について何も感じていないが、祖母の命令で過酷な訓練を繰り返してきたせいで首から下は傷だらけだ。


 どれも傷痕は薄くなっているが、それでも見る者によっては気持ち悪く見えてしまう。

 選んだドレスも胸元周りが見えてしまうが、そこは得意とする魔法で隠せるだろう。ドレスをハンガーにかけ、アクセサリーと靴を専用ボックスに入れて、制服に着替える。

 更衣室を出ると心菜が読んでくれたのか女性スタッフ二人が待機しており、ドレスやボックスを受け取って「こちらお預かりしますね」と言って立ち去った。


「今日はこれで終わりだよ。疲れちゃった?」

「少しだけ……こういうの、あまり慣れてなくて……」


 小鳥遊家でも魔導士家系同士の交流パーティーの招待状は来るが、祖母は楓華のような出来損ないを連れて歩きたくないのか、よく家で育てているお気に入りの子を連れて行った。

 そのせいで他の魔導士家系の子女のように華やかなドレスを着ることも、煌びやかなアクセサリーをつける機会すらなかった。


「……そっか。じゃあ、今度のダンスパーティー、いっぱい楽しもうね」


 きっと何かを察したであろう心菜は、それ以上聞かず笑顔で言う。

 その笑顔を見て、楓華も照れ臭そうに小さく頷いた。



(ひとまず、今はまだ大人しいみたいだけど……こうも大人しいと逆に不気味だなぁ)


 無事にオーダーメイド注文を受け付けるドレスショップで、朱美が満足のいくドレスが用意できた日向は、早めの夕食として制服姿のままファミレスでハンバーグセットを食べていた。

 肉汁溢れるハンバーグを咀嚼しながら考えていることは、もちろん今までの経緯についてだ。


 まず最初に考えたのは、楓華に日向の殺害を命じたことだ。

 彼女が自分を監視していたのは殺すタイミングを計っていたと言っていたが、日向が驚異的な魔力察知能力によって見つけてしまったせいで実行に移せなかったと本人の口から出た。

 これはあの人狼夫婦の襲撃を悟らせないためのカモフラージュの可能性は高く、本人も楓華がこの任務を達成させること自体にはあまり期待してなかったはずだ。


 次に例の人狼夫婦だ。

 研究施設の地下で幽閉されている彼らは、元はロシアにある山で二人の子供と共に暮らしていた魔導士崩れだ。

 しかし小夜子の手によって拉致誘拐され、子供達は未だ小鳥遊家の手の中だ。わざわざロシアまで行って襲撃犯を手配するなど、明らかに余計な労力だ。


 日本ならば魔導士崩れならば手に入りやすいだろうが、現在の日本の魔導士崩れは準魔導士互助組織の影響で鳴りを潜めている。

 犯罪を起こして日銭を稼ぐ生活するよりも、組織の保護を受けて真っ当な仕事をしながら生きる方を選ぶほうが誰だっていいだろう。

 もちろん個人的感情によって犯罪に走る者もいるが、犯罪を犯す権利は自己責任だから止めることは難しい。


 この二つから推測するに、小夜子はなんらかの目的のために日向を狙うと同時に邪魔者の楓華の始末を思いつき、人狼夫婦の子供達を人質に取って襲撃を起こさせた。

 しかしネオキメラの導入によって作戦は失敗し、記憶による念写で小夜子の犯行だと明るみに出た。

 ジークの話では『証拠がない』と容疑を否認しているらしい。それでも、彼女が犯人である可能性が高い以上、時間の問題だろう。


(そもそも、小鳥遊小夜子はなんのためにあたしを狙ったんだろう……?)


 日向にあるのは無魔法と互助組織の関係者という肩書きだ。

 前者は利用価値のあるものが、後者は正直に言うと微妙だ。なんとか互助組織の創立は漕ぎつけたが、それでも事業内容を読んで難色を示す重役達が多い。

 以前ジークが手に入れた裏情報で従いやすくしているが、それでも血統主義・実力主義の魔導士家系出身者には互助組織などただの無駄遣いだと思っている。


 聖天学園の三年生は、二学期になると卒業まで進路先で実習を行う。

 魔導士認定免許証は卒業と同時にもらえるが、IMFは入省試験を突破した者にしか入れない。もちろん再試験はあるし、希望者にはIMFが運営している予備校に通うこともできる。

 その間に挫折し、一般企業や魔法関連企業に就職する者もいるが、それも一つの選択だと思う。


 樹はインターシップのおかげで東京魔導具開発センターに実習に行き、心菜は実家の神藤メディカルコーポレーションで女社長としての勉強をする予定だ。

 ギルベルトは帰国してすぐにとはいかないが国王として即位する予定で、その間は向こうで溜まっていた仕事を消費しながら学園に残ると言っていた。

 そして悠護は徹一の元でIMF東京支部長の勉強をし、日向はIMFで互助組織創立実現のために準備を進める手筈になっている。


(まだ互助組織ができていない以上、他にあたしを狙う理由なんて――……)


 ない、と思った直後だ。

 ごくりと残ったハンバーグを嚥下した日向は、あることを思い出して冷や汗を流す。

 最初はまさかと思ったが、それしか小夜子が日向を狙う理由がない。……いや、もはやそれしかない。


(もしそうだとしたら、これは完全にあの男が一枚噛んでる)


 脳裏に浮かぶ、金髪とガーネット色の瞳をした悪魔の男。

 前世から因縁によって縛られ、あんな派手に登場をしておきながら一向に姿を現さない不気味な魔導士。

 あれからもう一年近くも経っているのだ。そろそろ動き出してもおかしくはない。


(……こんなのまだ推測の域も経っていないただの妄想。もう少し情報を集めないと)


 そこからの行動は速く、夕食をさっさと片付けて会計を済ませた日向は急ぎ足でファミレスを出る。

 電車とモノレールを乗り継いで学園に戻る途中、スマホが震えたためブレザーのポケットから取り出す。

 画面には『ジーク』と表示されており、すぐに通話ボタンをタップし電話に出た。


「もしもし? どうしたのジーク」

『…………日向。大変だ』


 明らかに尋常じゃない雰囲気に日向が眉をひそめた直後、ジークは信じられないことを言った。


『たった今――小鳥遊楓華がかどわかされた』



☆★☆★☆



 時は遡り、ほんの三〇分前のことだ。

 制服から私服に着替えた楓華は、天川に来ていた。アーケード商店街を抜け、人通りの少ない場所にこぢんまりとした神社があった。

 朱塗りの鳥居は年月と共に塗装が剥がれ、神社の守護獣たる狛犬には苔が覆われ、前足や顔の部分が欠けている。社も長年雨に打たれたせいで所々が腐って崩れているが、骨組がしっかりしているのか潰れていない。


 社の周囲には木々が多く植えられており、整えられていないせいで無造作に生えた葉が太陽の光を遮っているため薄暗い。

 木洩れ日を浴びながらお賽銭箱の前に座り込むと、ふと神社の前を通るモノを眺める。

 自動車、自電車に乗った若者や主婦、元気よく走る子供達に父親に抱っこされながら大泣きする幼児……今まで楓華が『モノクロの絵画』として見てきた光景が徐々に色づき始めていた。


(そういえば……こうして過ごすのは、何時ぶりなんだろう……?)


 両親が生きていた頃、あの時はまだ比較的穏やかな生活を送っていた。

 祖母に無断で結婚したせいで家を追われ、桜小路家に住み込みとして置いてもらった。現当主である桜小路千代久ちよひさは温厚な御方で、事情を聞かないまま寝床と食事を手配してくれた。今もあの時のことはとても感謝している。

 凛音ともその時に会い、一緒に遊んだり、魔法の特訓をしたりと楽しい日々を過ごしていた。……少なくとも、両親が死ぬまでは。


「よお。ここにいたのか」


 昔の痛みを思い出し、眉をひそめたと同時に凛音が目の前に現れる。

 楓華と同じ私服姿で、彼の専用魔導具であるシルバーブレスレッドが鈍く輝いていた。


「凛音……どうして……?」

「お前が外に出たのを偶然見かけた。……ここ、いいか?」

「う、うん」


 楓華が許可を出すと、凛音はそのまま自分の左隣に腰を下ろす。

 さわさわと風で動く葉を眺めながら、凛音は静かに口を開いた。


「……お前、最近よく話すようになったな」

「そ、そう……?」

「ああ。昔みたい……とまではいかないけど、少なくとも前よりはマシになってる」

「……そっか」

「うん」


 言葉数の少ない会話。それでも、今まで喧嘩腰と沈黙を続けていた二人にとっては、この会話はちょっとだけ成長したと感じた。

 昔のように木登り競争をして、魔法の勉強を一緒に頑張ったり、そしていつかは……なんて、凛音が淡い幻想を抱いた時だ。

 それが、襲ってきたのは。


 青空を切り裂くように現れた、ダイヤ型の頭部がついた鉄の塊。

 それがグレネードランチャーの弾だと気づいたのは、血相を変えた楓華が防御魔法を発動と同時だった。

 轟音が響く。赤とオレンジの爆発が起き、周囲に黒煙が立ち込める。周辺地域で暮らす住民の悲鳴が聴こえる中、凛音は社の中でぐったりと倒れていた。


 楓華は着弾寸前に防御魔法を張ったが、爆風はさすがに防げなかった。黒煙と風と共に体が簡単に吹き飛ばされ、その際に網格子の扉に体をぶつけてしまい無理矢理開けてしまった。そのまま中に転がるように入り、後頭部に何かをぶつけてしまった。

 意識が朦朧とする中、凛音は賽銭箱の前にいる楓華の姿を見つめていた。


 シーツを頭から被ったような姿をした、不気味なお面をつけた長身の生き物。

 楓華を取り囲み、問答無用で手に持っている長い棒で殴りつけていた。

 ガンッ、ゴスッと鈍い音が響き、楓華の短い悲鳴が聴こえてくるも、体は一向に動かない。その間にも楓華は無慈悲に棒に殴られ続けた。


 やがて青痣を顔に作り、こめかみから血を流して意識を失った楓華を捕まった宇宙人のように連れ去っていく生き物達。

 ずるずると足を引きずらせながら消えて行く少女に、凛音は必死に動かない体を動かす。

 ……でも、動けない。動くことすらできない。


 手を伸ばしたくても伸ばせない。

 起き上がりたくても起きれない。

『待ってくれ』と声を出したくても出せない。


 ああ、こんなことってあるのだろうか?

 自分はまた何もできないまま、彼女を連れ去られてしまうのを見ているだけなのか?

 あの時、ちゃんと手を掴んでいれば、この関係が歪んで壊れてしまうことはなかったのに。


(楓華……待ってくれ……俺は、お前を今度こそ、守りたいんだ……)


 なのに……また守ることができないのか。

 また同じ後悔を繰り返す自分の不甲斐なさと無力さを痛感しながら、凛音の意識はシャットダウンする。

 遠くからパトカーと救急車がサイレン鳴らしながらやってくるまで、凛音は静かに涙を流し続けた。

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