第232話 昏き切望

 楓華が誘拐された。

 その報告を受けて、日向はまず向かったのは治療院だ。

 楓華が誘拐された際に凛音もその場におり、彼は全身に擦り傷と打撲はあるもそれ以外は無傷に近い。だが衝撃で後頭部を打った可能性もあり、精密検査を受けるために搬送された。


 受付で面会手続きをして、『面会者』とかかれた名札を受け取ると、凛音のいる病室へ向かう。

 病室は四人一部屋のタイプだが、幸いここには凛音しか運ばれていない。

 ベッドの上で上半身だけ起こしている凛音は腕には包帯、頬にはガーゼと手厚く治療されているが表情は暗く、すでに集まっている面々も同じ反応だった。


「みんな……待たせてごめん」

「いいや、大丈夫や。……それよりも」


 陽がちらりと凛音を見る。

 両手で布団を強く握りしめ、唇を血が出るほど強く噛んでいる彼は、きっと心の中では楓華を守れなかった自分へ罵詈雑言を浴びせているのだろう。

 かつて、日向が四大魔導士の一人【起源の魔導士】アリナ・エレクトゥルムとして生きていた頃、悠護の前世である【創作の魔導士】クロウ・カランブルクを死なせてしまった時も何度も救えなかった自分を罵倒した。


 今の凛音も、あの時の自分とまったく同じなのだろう。

 だが、今は楓華の足取りを追うのが先だ。気持ちを切り替え、日向は陽に訊いた。


「それで陽兄、天川はどうなってるの?」

「真っ昼間の市街地でRPGをぶち込まれたせいでは大混乱や。しばらくはIMFが巡回警備しなアカン状態や。……ったく、女の子一人誘拐するだけでわざわざご苦労なことや」


 忌々しそうに言う兄を見て、ジークはじっと凛音を見た。


「……桜小路。お前は、今回の誘拐犯の正体は分かっているだろう?」

「…………ああ」

「なら、単刀直入に言おう。――小鳥遊楓華を拐かした誘拐犯は、誰だ」


 ジークの言葉が病室中が静まり返る。

 遠くで車の駆動音や休日を謳歌した学生の声が窓の外から聞こえる中、凛音は小さく口を開いた。


「……楓華を攫ったのは…………小鳥遊家が製造したネオキメラだ……。だから、誘拐犯は……………小鳥遊、小夜子で間違いない……」


 小鳥遊小夜子。

 実の孫を殺すことすら厭わない、冷酷非道な魔女。

 なんとなく相手は想像できたが、その前に出てきた単語は聞き逃せなかった。


「ネオキメラを製造って……あれ、小鳥遊家の技術なの……?」

「詳しいことは知らない。だけど、二年前に二〇三条約でキメラ製造が正式に禁止されてから少ししたくらいにばばあがあれを造った。その時はロボットみたいな感じだったけど……」

「少なくとも、学園での試運転が許可されるくらいには性能が上がっている、ということか」

「生きた動物ではなく、その遺伝子情報を使ったネオキメラか……見事に二〇三条約の穴を突いたな」


 ネオキメラを初めて耳にした悠護が苦い顔をし、ギルベルトは肩を竦めた。

 心菜と樹もキメラ製造禁止のきっかけになった事件を思い出したのか、わざわざ新たなキメラを作り出した小夜子に嫌悪感を滲ませた表情を浮かべた。

 しかし、実際にそれを目にした日向はその技術力の高さに不信感を抱く。


「でも待って。そこまでの技術力があるのに、どうして今まで桜小路家に仕え続けたの? その気になれば独立だってできるのに……」

「単純に桜小路家ウチを隠れ蓑にするために従順なフリをしてたんだろうな……。クソッ、あのクソババア!」


 相手の顔を思い出して怒りを見せる凛音は、ボスッと布団を叩く。

 理由は不明だが、恐らく小夜子は何かの目的のために桜小路家に従うフリを続け、さらには楓華を始末するついでに日向を狙った。

 その目的が一体なんなのか……これは、まだ日向の妄想の域なので口に出すことはできない。


「……とにかく、今回の件はさすがに学園側も見過ごせん。桜小路は今日一日休みぃ。怪我はともかく、頭を強く打ったんやから」

「わかりました……」


 確かに、怪我の方は軽いが異常はないといえ頭を打ったのだ。脳震盪の影響も残っているはず。

 凛音もそれがわかっているのか、そのまま布団の中へ戻る。


「ワイらはいつものところで話し合いや。……みんな、気張りや」

「「「「「はい」」」」」


 すでに戦う気もいる日向達に、ジークは何かを考えているのか黙り込むのだった。



 時は少し遡り、楓華は薄暗い部屋で目を覚ます。

 棒で殴られたせいであちこち打撲と擦り傷だらけで、腕には青痣ができている。この様子では足にも痣があるだろうと思い、ゆっくりと起き上がる。

 部屋は照明が一つしかなく、今楓華が寝ているベッドの他に洋風便器と手洗い場しかない。まるで囚人の牢屋のような部屋。しかし、この部屋は楓華には見覚えがあり過ぎた。


「ここは…………まさか……っ」


 ガタガタと震え出した瞬間、目の前の鉄扉が重い音を立てながら開かれる。

 コツン、と杖を突きながら現れたのは黒いロングワンピースに濃いピンク色のチェック柄のショールをした老女。その両脇には不気味な仮面をつけたオバケのような何かが付き従えている。

 だけど、黒いサングラス越しに見えるコスモス色の瞳を見て、楓華は恐怖と怯えで顔を引きつらせた。


「お、お祖母ばあ、様…………!」

「久しぶりですね、楓華出来損ない


 副音声で聞こえてくる蔑みの言葉に、楓華はさらに顔を青くする。

 この部屋は、一〇歳を迎えるまで使っていたかつての自室でありお仕置き部屋。祖母からの暴力をひたすら耐え、ボロボロのままなけなしの体力を回復させ、朝日を浴びることなく起床するだけの場所。

 楓華にとって、もう二度と入ることも見ることもしたくないトラウマの塊。


「私の目が離れている間に、あなたは随分と堕落しましたね。……まさか、あのまま私が見逃すと思っていたのですか?」

「もっ……申し訳、ありません……! 私は、決して……逃げるつもりは……!!」

「当然です。あなたはあの二人の罪を償う義務があるのですから」


 冷たい床に土下座し許しを乞う楓華を、小夜子は冷たい目で見下ろす。

 そのまま持っていた杖で彼女の体を叩いた。杖の先ではなく持ち手での打撃は威力が高く、真鍮製の持ち手が何度も振り下ろされる。

 一歩間違えれば打ちどころが悪いところに当たるため、加減しながらの攻撃だがそれでも楓華の心を縛るには十分なものだ。


 幼い楓華は両親と離された後、この部屋で今の仕打ちを毎日のように受けた。

『泥棒猫の娘』『私の人生の汚点』『生きる価値のない子供』……そんなことを何度も何度も言われ続け、時には服を脱がされ傷だらけの全裸に遠慮なく冷水をかけられたこともあった。

 その時も小鳥遊家の魔導士としての教育を受け、一度のミスで杖の持ち手で頬や体を殴られる。


 暴力と罵声で支配された日々。

 楓華という人格の一部が壊され、歪に作り直された原因。

 そして――この部屋こそが、楓華の人生を縛る『呪い』そのものだ。



「……さて、あなたを連れて帰ったのは他でもありません。そろそろ本格的に計画を動かすためです」

「計画……?」

「ええ。私の――小鳥遊小夜子の人生をやり直すための、ね」


 人生をやり直す。

 それが単純に今の生き方を改めるという意味ではないことくらい、バカな楓華でも理解できた。

 しかし、そのやり方が分からない。一体、この人は何をするつもりなのだろうか……?

 そんな思考が脳に巡った直後、持ち手が頭を叩いた。


「そんなこと、あなたは一々考えなくていいのです」


 こめかみから血が流れる。傷みを堪えながら、歯を食いしばる。

 それが、今の楓華に許されている行動。


「あなたはここで、その腑抜けた精神をもう一度鍛え直します。もちろん、これくらい乗り越えられますよね? 毎日のように受けていたのですから」

「…………はい……できます…………」

「よろしい。では、始めなさい」


 小夜子が踵を返して部屋を出るとき、彼女の両隣にいた何か――ネオキメラの手には荒く削ってできた長い棒を持っている。

 ネオキメラは土下座したままの楓華のそばまでくると、無機質な仮面をつけたまま見下ろし、そのまま棒を傷だらけの少女に向かって振り下ろされた。



☆★☆★☆



 学習棟のいつもの場所で、日向達は集まっていた。

 重苦しい空気が漂い、心菜が気を利かせてクッキーと紅茶を用意してくれた。クッキーはシンプルなバタークッキー、紅茶はダージリン。

 美味しくないわけがないそれを口にし、各々気持ちを切り替えたところで話が始まる。


「今回の小鳥遊の誘拐……桜小路の言う通りなら、例の祖母が主犯のようだな」

「でも、なんで自分の孫を攫うんだよ。わざわざ手間がかかることしないで、普通に呼び出せばいいじゃん」

「それやときっと桜小路が気づくと思ったんやろな。小鳥遊小夜子はなんらかの目的のために小鳥遊を連れ去ろうとしたみたいやけど……結局バレたから無意味やったけど」


 はぁっとため息を吐く陽が、ちょうど適温になったティーカップの紅茶を一気に飲み干す。

 すぐさまジークがおかわりを淹れ、他のみんなの分も淹れてくれた。

 さすがジーク。従者時代のクセが骨身に染みている。


「そもそも、小鳥遊家は最初から桜小路家に仕えていたわけではない。主家の不祥事を疎んで独立を企ててもおかしくはない」

「え? それってどういうことなの?」


 てっきり小鳥遊家は昔から桜小路家に仕えていると思い込んでいた面々に、陽は部屋にあったホワイトボードを動かしてペンを手に取った。


「よぉし、ここで特別講義の時間や。ええか? ちゃぁんと聞くんやで」

「「「「「はーい」」」」」

「返事だけは元気やな……まあええか」


 いつもの授業風景に苦笑しながら、陽はホワイトボードに文字を書いていく。


「元々、小鳥遊家は桜小路家が赤城家に謀反を起こす前に仕えた家なんや。なんでも、当時の小鳥遊家は華族やったんやけど、終戦後に華族制度が廃止されて没落してもうた。ちょうどその頃、魔導士の子供が生まれていた」


 当時、魔導士は軍事利用されていたが日本を勝戦国として導いた功績を讃え、魔導士に人権を与えることを決定。

 その際に『魔導士家系』という家が生まれた。かつては魔導士が生まれた家全般を指していたが、今では多くの魔導士を輩出した名家もしくはそれに準ずる家を指している。


「それに目を付けたのが桜小路家や。衣食住と保護を条件に、今後桜小路家に仕えることを約束させた。没落し路頭に迷っていた小鳥遊家はその条件を呑んだ」

「つまり、相手の弱みに付け込んだってことか?」

「悪い言い方すればな。だが、当時はまだ魔導士の人権が確定されていなかった。もし断っていたら、小鳥遊家は今頃どこかで野垂れ死んでいただろう」


 当時の桜小路家のやり方は汚いかもしれないが、没落し生きるために必死だった小鳥遊家はその手を振り払うほどの余裕がなかった。

 そんな経緯があったが、やがて桜小路家にも魔導士が生まれ、年月をかけて赤城家の分家として肩を並べるほどの実力を身に付けた。


 魔導士家系として頭角を現し、華族時代のような平穏な生活を手にしたと安堵した直後だった。

 血統主義思想だった桜小路家が、本家である赤城家に叛逆を起こした。両家に数十人の死傷者を出し、最後に当主同士の『決闘』で桜小路家は敗北。

『約束』として提示されたのは、分家の除名処分と七色家に一生の忠誠を誓うこと。桜小路家はそれを呑み、主人を止めなかった咎により小鳥遊家は主家と共に同じ運命を共にした。結果、桜小路家は混色家の一員となり、小鳥遊家は変わらずかの家に仕え続けた。


「……余計わからねぇな。なんで小鳥遊家は今回のことしたんだ?」

「それが分かっとったら苦労しぃひんわ。そもそも、目的自体まだ不明瞭やし……」


 樹と陽が頭を抱える中、日向はファミレスで浮かんだ小鳥遊家の真の目的について考える。

 日向自身も桜小路家と小鳥遊家の間に何かあったのか分からない。だが、もし両家の間に何かあり、その時に小鳥遊家が桜小路家を見限ると決めたのなら……そのきっかけがあったはずだ。

 そして、そのきっかけこそが―――


「………………『蒼球記憶装置アカシックレコード』」


 ぽつりと呟いた直後、部屋の空気が一斉に固まる。

 誰もが目を見開き絶句する中、日向は自分の中にあった妄想を語った。


「小鳥遊小夜子の本当の目的は、『蒼球記憶装置アカシックレコード』の管理者権限。楓華の殺害も誘拐も全て、それを奪うための前準備でしかない」



 小鳥遊家の廊下の壁には、初代小鳥遊家当主が蒐集した標本が飾られていた。

 翅に多種多様な模様をした蝶、大きな角や大顎を持つ甲虫、大小様々な蜘蛛など国内外の昆虫を集めたそれらは、小夜子を不快な気持ちにさせる。

 死んでも土に還ることもできず、人間の傲慢さによって死体にピンで刺され、見世物のように飾られているその様は、今の自分と重ねてしまう。


 見世物のように白い目で見られ、自由になりたくても全身がピンに刺されたように逃げ出すことも叶わない。

 ああ――本当に、標本の昆虫のようだ。


「でも……そんな人生からもようやく解放される」


 自室に戻り、小夜子は窓の外を眺める。

 杉の木が多く植生し、屋敷周辺しか伐採していないせいで枝は伸び放題。鬱蒼とした森を眺めながら、シワだらけの口角を吊り上げる。


「『蒼球記憶装置アカシックレコード』。私の人生をやり直してくれる夢の魔導具。必ず、この手にしてみせる」


 ――このクソったれな人生から抜け出せるならば、私は出来損ないの命すら踏み台にしてみせよう。


 人生のやり直しを切望する魔女は、その目にどす黒い執念の炎を燃やした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る