第233話 許されぬ拒絶

蒼球記憶装置アカシックレコード』。

 全ての生き物の魂に刻まれた『魂の情報』とこれまで築いてきた歴史・事件・出来事の集合体である『理の情報』に干渉できる、『地球』という名の巨大魔導具。

 かつて、【起源の魔導士】アリナ・エレクトゥルムは『落陽の血戦』で恋人を失った悲しみから、抗争を終わらせるために〝神〟の言いつけを破り、『蒼球記憶装置アカシックレコード』とリンクした。


 これまでの歴史や何十億という生き物の情報を得た彼女は、そこで己の欲望のためだけに抗争を起こし、恋人を殺した黒幕の存在を知った。

 本当の真実を知り復讐を誓った彼女は、その力で無魔法を生み出した。

 結果、アリナはその黒幕を殺し、彼の『魂の情報』を『何度転生を繰り返しても二七歳で死ぬ』と書き換え、無事復讐を果たした。


 全てを終えたアリナは『落陽の血戦』を終わらせるため、首謀者の凶刃に倒れるという最期を迎えた。

 アリナの死後から数百年が経ち、豊崎日向として生まれ変わった今も『蒼球記憶装置アカシックレコード』の管理者権限は未だ所有していた。


 詠唱一つで相手の『魂の情報』も『理の情報』で悲惨な事件を無にすることもできるその力を使える者は、〝神〟を除けば日向しかいない。

 そして、そのことを知るのは日向を含むメンバーと、かつてアリナが殺した黒幕――カロン・アルマンディンの生まれ変わりである烏羽志紀からすばしきとその仲間達だけだ。


「どういう経緯で接触したのか知らないけど……小鳥遊小夜子はカロンと接触し、そこで『蒼球記憶装置アカシックレコード』のことを知った。彼女は『蒼球記憶装置アカシックレコード』を使った〝なにか〟をするために、楓華を利用したんだと思う……もちろん、これが正解だとは思わないけど」

「いいや、その可能性は十分に高い」


 日向の妄想に近い推測に肯定したのはジークだ。


「むしろそれしか方法がない。あの男が何を思って小鳥遊家に接触したかは知らないが……少なくとも、あいつが動き出したことは事実だ」


 カロン・アルマンディン。

 イギリスの前身であるイングランド王国国王にして、【定命の魔導士】ローゼン・アルマンディンの実兄。

 かの王がアリナの持つ魔法に目を付け、国中に広めることを王命とした。しかしその裏で魔法による非人道的実験を行い、次第にアリナにも歪んだ劣情を抱くようになった。


 しかしアリナがクロウと婚約したことを知ると、ジークに非人道的実験の首謀者の罪を着せ、国も民をも巻き込んだ大規模抗争『落陽の血戦』を引き起こした。

 自身の兵士を上手く利用しクロウを関節的に殺害した彼は、アリナの怒りを買い、『蒼球記憶装置アカシックレコード』による短命の罰を受けた。


 カロンの目的は、この世界を手に入れること。

 世界を手に入れて何をするのかはまだ判明できていないが、『蒼球記憶装置アカシックレコード』の劣化版である『神話創造装置ミュトロギア』と日向を使うことは確定している。

 そう考えると、昔のように自分の手を汚さず獲物を手に入れようとするだろう。


「じゃ、じゃあ……楓華の祖母さんは、カロンと結託してこんな事件を起こしたってことなのか!? あの人狼夫婦をわざわざ用意したのも!?」

「むしろそうとしか考えられん。そもそも、あの男の思考回路はオレでも理解できないところもあった。狂った計画を立てていてもおかしくない」


【定命の魔導士】ローゼン・アルマンディンの生まれ変わりであるギルベルトが、ライオンの鬣のような金髪をぐしゃぐしゃと掻き回す。

 樹は愕然としながら深いため息を吐く横で、心菜は美しいかんばせを歪ませながら言った。


「あの人狼さん達も……ただの道具としか使い捨てるつもりだったってことですか……?」

「……せやな。『口封じのネジシレティウム・ストプラ』を外して取り調べをした結果、あの二人は小鳥遊家に子供を奪われたんや。失敗したら、子供の命はないってことを、言われたみたいや……」

「そんな…………」


 実の孫を殺すことも、平穏に暮らしていた家族を殺すことすらも厭わない小夜子に、心菜はショックを隠し切れず顔を真っ青にした。

 あまりにも自己中心的で非道な計画。今まで相手にしてきた事件とはベクトルが違うそれに、さすがのみんなも神経が疲弊しているようだ。


「…………ともかく、このまま小鳥遊小夜子を放置することはできん」


 しかし、そんな中でもギルベルトは王者としての風格を損ねていなかった。

 たとえ今世では血の繋がっていない赤の他人同士でも、前世からの因縁を見逃すことだけはできない。


「桜小路もこれ以上の狼藉は見過ごせんはずだ。陽、頼めるか?」

「任しとき。家にも伝えるよう手配しとくわ」

「他のみんなはひとまず休もう。後のことは明日、考えればいい」


 ギルベルトの大人の発言に全員が何も言わず同意すると、そのまま部屋を去る。

 だけど、日向だけは一人だけ部屋に残った。色ガラスの向こうの見つめている彼女は、かつてアリナが何か覚悟を決めた時のような表情とよく似ていた。


「……日向」

「どうしたの? ギル」


 思わず声をかけると、日向は相変わらず平然とした顔で小首を傾げる。

 しかし、それが前世からの経験から培った勘から不信感を抱いた。


「ずっと聞こうと思っていたが……貴様、『蒼球記憶装置アカシックレコード』をどうするもりだ?」

「どう……って?」

「貴様のことだ。このままにするわけはないだろう。……だからこそ、問おう」


 目の前で口元に笑みを浮べた盟友であり初恋の少女に、ギルベルトは問いかけた。


「日向――貴様は『蒼球記憶装置アカシックレコード』を、?」



 凛音は再び病室にやってきた陽から事情を聞いた後、あまりの情報量に頭を抱えていた。

蒼球記憶装置アカシックレコード』のことは意図的に伏せられていたが、話の辻妻を合わせるために『小鳥遊小夜子は『人生をやり直しできるすごい魔導具』を狙って、楓華や人狼夫婦を利用した』と話した。

 もちろんそんな荒唐無稽な話を簡単に信じることはできなかったが、凛音には信じるしか道がなかった。


「……あんたらの話の内容はわかった。でも、本気であのクソ婆がそんな魔導具の存在を素直に信じると思うか?」

「信じるはともかく、そんな魅力的な餌を前にすれば誰だって目の色変えるで。……特に、辛い人生を歩んだ人間はな」


 辛い人生。

 あの狡猾で非道な女に、そんな人生を歩んだのか凛音は信じ難い気持ちになる。

 しかし、もし自分がそんな人生を歩んで、やり直しを切望したら……悔しいが小夜子と同じ選択をしないとは言い切れない。


「……それで、ワイらは明後日の夜に小鳥遊家に直接乗り込もうと思う」

「はっ? た、対話交渉なしで!?」

「逆に聞くんやけど……小鳥遊小夜子が対話だけで取引に快く応じる性格しとるんか?」

「……………………………………」


 否定できなかった。

 そもそも、小夜子が話の通じる人間ならばここまで拗れていない。


「今回の件はワイらが昔からの問題も絡んでるし、もちろん参加は強制やない。もし、参加したくないって言うんなら…………」

「行きます」


 即答だった。

 陽もそれは予想していたのか、小さくため息を吐いた。


「そか。……でも、時間はまだある。今は体を休めて、万全の状態で挑むよう準備しぃ」

「……はい」


 頷いた凛音に陽が労うように肩を叩き、そのまま病室を出る。

 残された凛音はベッドに寝転ぶと、枕元にあったスマホを操作する。カレンダーには五月の第一土曜日に『ダンスパーティー』とスケジュール設定されていた。

 凛音にとって白い目と陰口しか向けられないパーティーなどあまり参加したくないが、今年は楓華が参加する。今までパーティーに一度も参加できなった、彼女が普通に参加できる催しがある日。


『ドレス……始めて着たけど、とってもキラキラしてて……少し、嬉しかった』


 試着を終えて、寮に帰る道を心菜と歩きながら語っていた楓華を思い出す。

 小鳥遊家に連れていかれてから、楓華は家が決められた服しか着ることを許されなかった。あのクソ婆が彼女をパーティーに連れていくという思考回路を持ち合わせていないため、家で面倒を見ているお気に入りばかり連れていたのを何度も見たことがある。


 小夜子が連れてきたお気に入りは、彼女の命令に従順で、文句一つも言わない、理想と優秀しかない魔導士ばかり。

 それを見ていつも凛音が嫌悪感を抱いたし、一〇代の子ならば憧れる綺麗なドレスを着る機会すら奪われた楓華がずっと気がかりだった。


『パーティー……今からが、楽しみ、です』


 でも、その願いもようやく叶った。

 自分好みのドレスを着て、煌びやかな会場で夢のような一日を過ごせる。

 その一日すら、奪われかけている。


「絶対に取り戻してやる。もう二度と、奪われてたまるものか」


 色違いの双眸に決意の光を宿した少年は、その日己の殻を破った。



☆★☆★☆



 ふと、目が醒める。

 仕置き部屋で意識を取り戻した楓華は、全裸のまま上半身を起き上がらせる。

 体はすでに芯まで冷え切っていて、全身の傷からちくちくした痛みが走る。腕も脚も痣だらけで、血が流れていた場所には分厚い瘡蓋かさぶたができていた。


 今も生きていることすら不思議な状態に、楓華はドアの前に捨てるように置かれた衣服に手を伸ばす。

 無地の白い下着を身に付け、その上に着るのは白いシャツと黒のロングスカート。白いソックスと黒革靴は、いつもこの家で着ていた格好だ。

 かつて両親が買ってくれた洋服を含む私物は全て捨てられ、祖母が決めた服しか着ることが許されなくなった。この服がいい見本だ。


 震える足で立ち上がり、服が傷に擦れて痛みが走るが、それをひたすら我慢しながら立ったまま待機する。

 霞む視界の向こうでドアが開かれると、小夜子が杖を突きながら現れる。


「どうやら私が来る前に着替えは済ませたようですね」

「はい」

「なら着いて来なさい」

「? どこへ……?」

「いいから黙ってきなさい」

「……はい」


 冷たい声で一蹴され、楓華は傷だらけのまま小夜子の後を追う。

 標本だらけの廊下を歩き、時折足を引きずらせながら、とあるドアのところまで来る。


(ここは……開かずの間……?)


 小鳥遊家内部にある、唯一鍵がかかった部屋。

 いつも鍵がかかっていて、キッチンにあるキーボックスにはそれらしい鍵は一つもなかった。てっきり開かずの間だと思っていたが、どうやら違うようだ。

 小夜子は亜空間から収納されていた鍵を取り出し、そのまま鍵穴に差す。


 ドアはゆっくりと開かれたその先にあったのは、暗闇と長い螺旋階段。

 小夜子は杖を突きながら階段を降りていくのを見て、楓華も同じように階段を降りた。手すりがない長い階段を降りた先は、あの人一人しか通れない細い道とは真逆な開けた空間。

 しかし、そこは普通の空間ではなかった。


 その空間に置かれているのは、駆動音を出しながら動く仰々しい機械。

 機械の中央にあるガラス部分を見て、楓華は目を見開いた。

 機械の中央に埋め込まれた四つの円筒。左側の円筒二つには見覚えのある狼の耳を生やした子供。そして、右側の円筒二つにいたのは……。


「パパ……? ママ……?」


 全裸姿の黒髪の女性と銀髪の男性。

 かつてと違い痩せてしまっているが、忘れるはずもない。楓華の大切な両親だ。


「どうして……? パパと、ママは……あの日、死んだって……!?」

「あんなのはただの嘘ですよ。ちゃんと生きています」


 困惑する楓華に、小夜子は平然と言った。

 そもそも、楓華は両親の死をこの目で目撃したわけではない。突然家に何者かが侵入し、両親が自分を守るために押し入れの中に隠した。しばらく怒声と破壊音が続き、醜い叫びを最後に止んだ。


 そして、押し入れから出た楓華を待っていたのは、おびただしい量の血で染まったリビングと侵入者の遺体の一部。そして、両親が肩身離さなかった指輪だけ。

 その後のことは覚えていない。気がつくと楓華は小鳥遊家にいて、祖母の言う通りに動く道具として生きていた。


「この機械はあの中にいる者達の生命活動を維持するためのものです。少なくとも、あの中にいる間は安全です」

「どうして……私にこれを、見せたのですか……?」


 両親が生きていた。

 その事実は楓華にとって喜ばしいものだが、小夜子の前ではそれすら疑わしくなってくる。

 少なくとも、両親を失い泣き叫ぶ自分に非道な仕打ちをさせ続けた祖母に全幅の信頼を寄せろなど無理な話だ。


「……私がここにあなたを連れてきた理由は、ただ一つです」


 トン、と小夜子が杖を鳴らす。

 結膜が黒く染まったコスモス色の双眸を向け、息を呑む楓華に向けた言った。


「楓華、命令です。豊崎日向を確実のその手で殺しなさい。もし失敗した場合――この機械を強制的に停止させ、中にいる者の命を奪います」

「そ……、そんな……!?」


 その命令は、命を使った脅迫だった。

 以前の楓華ならば、両親を取り戻すためにその命令をすぐ聞き入れただろう。

 でも。


(豊崎先輩、は……もう、ただの殺害対象、じゃない……!)


 楓華の中で、豊崎日向という存在は自分に暖かな光をもたらした存在だった。

 冷たい世界で孤独に生きていた自分を受け入れて、優しくしてくれた。周りにいた友人達もそんな楓華に親切にしてくれて、穏やかな時間を過ごせるようになった。

 ようやく自分の思考で動き始めようとしたのに、この魔女はそれを全て問答無用で奪う。


 喜びも。望みも。平穏も。

 全部全部、あの枯れ木のように細くなった手で奪い去る。

 もう奪われ続け、傷続けられる日々に戻るのは、嫌だった。


「わ、私は……私は、もうそんな、こと、は、できな……っ!?」


 拒絶した直後、腹部に杖の先が食い込んだ。

 何時間も痛めつけられた体に残っている体力など微々たるもので、突かれただけで床に崩れ落ちる。

 血が混じった唾を吐きながら咳き込む楓華を、小夜子はひどく冷たい目で見下ろした。


「何度も言っているはずです。あなたに許されている行為は沈黙、従順、肯定。それ以外は許されない」

「お、お……祖母ばあ、さ、ま……! わた、しは……もう、昔、の私、じゃ、ありません……!」

「黙りなさい」


 今度は杖が振り下ろされた。

 背中と後頭部を中心に打たれ、重く鋭い痛みが何度も走る。


「何度も言わせないでください。あなたは、私の命令に従えばいい。あんな小娘一人を殺せば、大好きな家族を取り戻せるのですよ? 何を血迷っているのですか」

「血、迷って、なんか……いま、せん……! 私、は……絶対、に、豊崎、せんぱ、いを、殺し、ません……!」

「はぁ……もういいです」


 楓華の拒絶を聞いた小夜子は、杖による攻撃が止むとそのまま深いため息を吐く。

 その直後、どこからか現れたネオキメラが楓華の両腕を抱えながら立ち上がらせた。


「言葉では足りないならば、その体に。……あそこに連れていきなさい」


 ネオキメラがこくりと頷き、方向転換し楓華を抱えたままどこかへと連れていく。

 二体と一人の背中が見えなくなると、小夜子は円筒で眠っている息子と泥棒猫に視線を向けて忌々しそうに言った。


「一度決めたら頑固になるところはあなたにそっくりですね。……本当に、嫌になるくらいに」


 憎悪を含ませたその言葉は、当の本人達の耳に入ることは永遠になかった。

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