第234話 裏小鳥遊家
精密検査で異常が発見されなかった凛音が無事退院したその日、日向達は学園側から許可をもらって外を出て、現在IMF所有の新幹線に乗っていた。
この新幹線は仕事の関係で地方への出張や事件に赴く職員専用なのだが、今回は悠護が徹一に頼み込んで特別に貸してもらったのだ。
徹一本人も混色家の問題が届いていたのか、貸出申請はすぐに通ったらしい。
日向達が着ているのは、樹が徹夜で仕上げてくれた軍服に似た魔装。
濃緑色で金のラインとボタンが使われているそれは、保温性と機動性を重視しつつ防御魔法や治癒魔法の自動発動が付与されている。
もはや学生の域を超えている技術に、彼が毎日腕を上げているのだと伝わってきた。
「ほな、今回の作戦を伝えるで。今回の作戦の第一目標は小鳥遊楓華の救出、次に小鳥遊家が秘密裏に企てている計画の露見。この二つさえクリアすれば、ワイらの作戦は成功してると言っても過言やない。……けど、一つだけ懸念がある。小鳥遊小夜子や」
今回の事件の黒幕の名に、全員の顔つきが変わる。
実の孫を殺すことも厭わず、己の目的のために他者の人生を狂わせた魔女。
今まで敵として戦ってきた者達がいたが、彼らは総じて己の欲望と目的を果たすためならば、悪に手を染めても禁忌を犯すことはなかった。
しかし、小鳥遊小夜子はその
たとえどんな目的があろうとも、魔導士が絶対に犯してはならない禁忌に手を伸ばした事実は、ここにいる誰もが見過ごせるものではない。
すると、今回の作戦に同行兼ギルベルトの護衛として参加した怜哉がタブレットを片手に言った。
「小鳥遊小夜子は自然魔法と精神魔法を得意としていて、やり方はお察しの通り狡猾で奇襲が得意。小鳥遊家には魔導士遺児養護施設で選んだ優秀な子を一〇名ほど抱え込んでいて、そのどれもがまだ晴天学園就学前にも関わらず一年生レベルの実力者らしいけど……ま、このメンバーじゃオーバーキルだけどね」
(確かに……)
カラカラと笑う怜哉を見て、凛音はちらりと日向達に視線を動かす。
特に無魔法使いに七色家次期当主、イギリス第一王子だけでなく【五星】までいる。樹と心菜も三年生としてはかなり上位に入る実力者。
……はっきりいって、これから彼らを相手にする小鳥遊家の連中に同情してしまうほどだ。
「とにかく、今は目的地に着くまで体力をつけろ。食事も仮眠も十分に摂れ」
そう言って、ジークは駅で買った駅弁を渡す。
駅弁は二種類あり、一つは牛そぼろを牛肉煮が半分ずつご飯の上に乗った牛肉尽くし弁当。もう一つは煮アナゴが盛り込んだ深川めしだ。
男子陣は牛肉尽くし弁当を選び、女子陣は深川めしを選んだ。途中でおかずやご飯を交換し合うなどの楽しげなやり取りをして、そのまま眠る。
互いのパートナーの肩や頭に寄り掛かるように眠る姿は、彼女らの関係がとても良好であると教えてくれる。
最初はいくら相性が合わない相手でも、三年も時を過ごせば絆が生まれるのだろうと思っていると、陽が亜空間から取り出した毛布を一人ずつかけていく。
同じように毛布を持ったジークが凛音に毛布を渡してきた。
「お前も寝ておけ。寝ぼけ頭のまま戦うわけにはいかない」
「あ、ありがとうございます」
ベージュ色の毛布を受け取り、隙間なく巻くように被る。
毛布はとてもふわふわしていて、今度どこの製品なのか調べて買おうと頭の片隅で考えるくらいいいものだ。毛布の感触にうっとりするも、凛音は反対の席で窓を眺めるジークに訊いた。
「あの……どうしてみんな、そんなにリラックスできるんですか?」
「? リラックスしているのか?」
「は、はい……俺から見たら……」
少なくとも、さっきの日向達はこれから戦いに挑む者のような緊張感がなかった。
単純に場数をたくさん踏んでいるのか、それともただの能天気なのか。
判断がつかない凛音に、ジークは小さく笑いながら答える。
「確かにあいつらはリラックスしているかもしれない。でもそれは、悪い意味ではない」
「悪い意味じゃない……?」
「ああ。むしろあんな風に変わらないのは、互いを信頼し合っている証そのものなんだ。だからこそ……こっちも安心して任せられるんだ」
「信頼と、安心……」
どっちも凛音にはなかったものだ。
自分は楓華のことを信頼することもせず、彼女に安心と思われるようなことをしていない。
だからこそ、日向達の関係がひどく羨ましく感じた。いつか、自分もあんな風になりたいという憧れと一緒に。
「もう寝ろ。たとえ一時間でも睡眠は大事だ」
「……はい」
ジークに促され、凛音は瞼を閉じる。
新幹線は地下鉄電車のように揺れることはないが、ひどく心地よい。
駅弁をたらふく食べたこともあるだろうが、日向達ならばきっと楓華を取り戻してくれるのを手伝ってくれるという信頼もあった。
しばらくして、凛音からすこやかな寝息が聞こえてくる。
車内にいる全員が眠っているのを見て、ジークは優しい眼差しを向けながら自分も眠りの世界へ向かった。
目的地である山梨県に到着し、甲府駅で降りた日向達。
駅のホームには出張から戻ったサラリーマンや旅行を堪能して東京に戻る人がそれなりにいて、日向達は改札を抜けて駅前で停まっていた車に乗り込む。
この自動運転車は軍用車両並の防弾・耐熱・衝撃・魔法吸収耐性機能に兼ね備えており、IMFが要人の送り迎えの際に利用されることが多い。これも新幹線同様、IMFに貸し出しているものだ。
小鳥遊家は山梨県の北東部にあり、衛星写真では山々に隠れるようにぽつんと洋館が建っている。
自動車は整地された道路を走る。腹ごしらえと仮眠を済ませたおかげで、道中お腹が鳴って眠くなるということは起きなかった。
不気味なほど静かな道路を走る車は蛇行を繰り返しながら先へ進むと、ようやく小鳥遊家に辿り着いた。
黒い瓦屋根と赤煉瓦の壁をした洋館。壁には蔓草が二階まで伸びていて、家周辺の芝生は丁寧に整えられている。
日本にいながら西洋の文化が感じられる瀟洒な館。だけど……この洋館は、凛音にとっては嫌な思い出しかない場所だ。
「……これはこれは。かなりの大所帯でお越ししましたね、凛音様」
ギィィと音を立てたドアから現れたのは、真鍮製の取っ手がついた杖を突く老女。結膜が黒く染まり、コスモス色の双眸が黒いサングラス越しでも迫力を感じる。
小鳥遊小夜子。今回の事件の黒幕であり、凛音にとって許しがたい存在。
「白々しんだよ、クソ婆! 楓華を返せっ!!」
「『返せ』……? 何をおっしゃいます。認めたくありませんが
「はっ! テメェの自由なら家族殺しすらやっても構わないってか? どんだけ狂ってんだよアンタは」
蔑みながら言う凛音の言葉に、小夜子はきょとんと首を傾げた。
ごく自然に。なんの違和感もなく。おかしそうに。
「それのどこがいけないのですか?
詫び入れることなく本心からそう告げた小夜子の言葉に、誰もが言葉を失っているとプツンと何かが切れる音がした。
その音の発生源は、凛音の中にあった理性の糸だった。
もう我慢の限界だった。楓華を、自分の孫娘を道具扱いするのではなく、処分すら疑問に感じないこの魔女に。
「小夜子ぉぉぉぉぉぉぉッ!!」
「桜小路くん!」
日向の制止を聞かず、怒号を上げながら凛音は小夜子へと急接近する。
強化魔法による脚力強化で一気に距離が縮まり、同じく強化魔法により腕力が上昇した拳が小夜子の顔に突き刺さろうとした。
直後、
凛音は驚愕で目を見開くも、そのまま地面に一回転して起き上がる。
『
その異常性が今になって浮き上がりになり、背中から嫌な汗が流れた。
「まったく、あなたは堪え性のなさは困ったものです。少しはお父上のように人の話を聞く姿勢を持ってください」
「うるせぇよ、この外道が……!」
「私もそう易々と捕まるわけにはいきません。ですので――場所を変えましょう」
小夜子が杖をトンと地面を叩いた瞬間、屋敷を含む周囲が魔法陣で囲まれる。
突然のことで困惑する凛音だが、陽だけはそれがなんなのかすぐに察した。
「『
「話はそこでつけましょう。我が異界――裏小鳥遊家で」
その瞬間、目が開けられないほどの光に包まれる。
たった数十秒の出来事。その間に、その場にいた者は全員姿を消した。
あるのは、不気味な夜の静寂と木々のせせらぎだけだった。
☆★☆★☆
「う……ここは……?」
いきなり視界が変わってくらくらする頭を押さえながら目を開けると、小鳥遊家であって小鳥遊家ではない場所に立っていた。
全てが灰色で覆われていて、森へ向かう道は見えない壁のせいで通れない。ぶよぶよとした壁に触れていると、陽は特に顔色を変えず説明してくれた。
「『
「そんな報告、ウチには来てなかった……」
「当たり前だ。自分の安全地帯をいくら主家だろうと易々と答えるわけがない」
ジークの言い分は正論だ。
現に桜小路家にも異界はあり、機密情報であるため小鳥遊家には伝えていない。そう考えるとどっちもどっちかもしれない。
ずっと信じていた相手に裏切られた事実に、凛音は胸がずきりと痛むもあの魔女ならしてもおかしくないとさえ思ってしまった。
「とにかく、洋館の中に入ってみよう」
「そうだな。ここでうじうじやってても仕方ない」
「アンタらの辞書に『躊躇』の文字がないのか!?」
トラップの可能性を微塵も考えないまま洋館の中へ入る日向と悠護に、さすがの凛音もツッコんでしまう。
玄関を開けた瞬間、中から複数の魔法陣が展開されるも、日向があの時見た剣を手にすると一瞬で砕け散った。
しかも、彼女が一歩ずつ歩くたびに色んな魔法陣が砕けていく。思わず呆然と見ていると、近くにいた樹が遠目で見ながら言った。
「日向のヤツ、今回気合い入ってんなー」
「それだけ許せない相手ってことかな?」
「自分に関わりあるものに手を出そうとしたんだ。今回ばかりは無傷では済まないだろう」
彼らの中で共通している話題なのか、凛音には一体なんの話をしているのか分からない。
だが、少なくとも小夜子が日向の怒りの琴線に触れてしまったことだけはなんとなく理解できた。
「そうだ。桜小路くん、一応君の許可が欲しいな」
「許可? なんのですか?」
「小鳥遊小夜子の殺害許可」
ひゅっと息を呑む。
平然と普通の会話をするように殺害許可を求めた怜哉に、思わず恐怖を抱き一歩後ずさる。
それを見て怜哉は《白鷹》を鞘から引き抜いた。
「今回の件、下手をしたら混色家の立場を壊すものだよ。白石家次期当主としては、彼女のような不穏分子をそのまま生かすことはできないんだ」
「そ、それは……」
「それとも、君が一生彼女を飼い殺しにしてくれるの? 無理だよね。君さえ持て余す化け物を、そう簡単に手懐けることなんて」
怜哉の言う通りだ。
小夜子はもう、桜小路家では手に負えないほどの化け物に成長している。もっと早く彼女の異常性と残虐性について早く知っていれば対策できただろうが、今となってはもう遅い。
あんな存在を一生監視するなど、凛音も……恐らく父すらも難しいはずだ。
「彼女を殺すのは一体誰なのか分からないけど……少なくとも、そうなった場合は覚悟しておいて欲しい」
「…………はい」
「その返事、了承として受け取るからね」
怜哉は俯かせる凛音の横を通り過ぎ、そのまま洋館へと入って行く。
樹や心菜、ギルベルトも同じように入って行く中、凛音は陽に背中を押される形で一緒に入る。
強者揃いの中で自分だけまともな覚悟すらできていないと痛感しながら。
赤い絨毯が敷かれた廊下を歩く。悪意を持って襲いかかる魔法陣は、
壁側には様々な虫の標本が飾られていて、まるで生きたまま串刺しにされたような雰囲気が伝わってくる。
《スペラレ》を握り、襲いかかる魔法を斬り消す。魔法陣が光の粒子となって消えるのを見ながら、日向は歩む足を止めない。
「日向」
でも、恋人の声にその足を止めた。
後ろを歩いていた悠護は真紅色の双眸を向けており、いつもと様子が違う自分のことを案じていることが伝わってくる。
この時の彼の顔は変な言い訳ができず、日向は静かな声で言った。
「悠護。あたし、多分小鳥遊小夜子のことを殺すかもしれない」
「そうか」
「多分、だけど……カロンにしたことをするかもしれない」
「ああ」
「……だから、ね。こんなことを、言うのは卑怯かもしれないけど……」
そして、泣きそうな笑みを浮べながら言った。
「あたしのこと――嫌いにならないで」
日向からの懇願は、悠護の目が軽く見開くほどの効力があった。
そして、日向の手首を掴んで自分の方へ引き寄せ、そのまま抱きしめる。
敵の本拠地だと理解していても、今の彼女の恐怖を消すにはこうするしか方法がなかった。
「――嫌いになるわけがない。たとえお前がどんな大罪を犯そうが、俺はずっとこの手を離さない……もう二度と、自分から離すような真似はしない……っ」
「…………うん、そうだね」
前世の後悔を滲ませながらも、日向にとってはその誓いだけで十分だった。
そっと左手で悠護の胸板を軽く押すと、くっついていた二人の体は離れる。
「もう大丈夫だよ。……行こう、悠護」
「……ああ。どこまでも、地獄の果てにだって付き合ってやる」
直後、廊下の先の暗闇から四足歩行した生き物が出てくる。学園で見たネオキメラと似た個体達だ。
違うとすれば肌は灰色で、大きさも大型犬くらいなくらい。
それでも、大きな一つ目が自分達を狙っていることは理解できた。
日向は《スペラレ》を握り、悠護は双剣モードの《ノクティス》を展開する。
武器を手にした二人を見て、ネオキメラが床を蹴って走ってくる。狭い廊下でそのまま跳んで襲いかかる異形に、二人は一斉に剣を振り上げた。
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