第235話 待ち受ける罠と敵

 裏小鳥遊家は、凛音が想像していたよりも多くの罠とネオキメラが設置されていた。

 罠として用意された魔法陣は落とし穴や受けたら一溜まりもない殺傷性のあるものが多く、ネオキメラは侵入者の排除しか命令されていないのか目が合った瞬間に襲われる。

 確かに自分は侵入した側の人間だが、これまで当たった罠とネオキメラを考えても主家の人間すら殺す気でいると痛感させられる。


 リリウムがネオキメラを斬り伏せると、真っ赤な血の池ができる。

 ネオキメラと遭遇したのはこれで六回目、しかも全て殺しているから廊下が天井まで血だらけ。

 噎せ返りそうなほどの鉄臭さに吐き気を催してしまうが、顔色を悪くしながらも我慢する先輩二人を見てなんとか堪えた。


「これで何頭目だろうね?」

「さぁな。数え飽きた」


 襲いかかるネオキメラに怜哉は《白鷹》で骨ごと一刀両断し、ギルベルトは雷で黒焦げにする。たとえ遺伝子情報を合わせて作られた生き物だが、それでも流れている血や骨を覆う肉は本物だ。

 向こうから襲いかかっているせいで無惨な死骸が大量生産されていき、まだ三頭しか倒せず惨状を見せられた凛音はしばらくベジタリアンになることが決定した。


 魔装は清浄魔法が付与されているのか、服や頬にべっとり付いた血が綺麗になくなる。

 ようやくトラップゾーンを抜け、階段の踊り場に来ると樹と心菜は深く息を吐いた。


「だぁ~、クソッ! ここのヤツはイカれてんのか!? いくらネオキメラだからって、生き物殺すのは結構キツいんだぞ!」

「私も……ちょっと、やりすぎちゃったかも……」

「無理はするな。ひとまず水を飲め」


 ギルベルトが亜空間からミネラルウォーターのペットボトルを取り出し、自分を含めた三人に渡す。

 程よいぬるさをしたそれを飲むと喉が急激に渇いていき、気が付くと一気に飲み干していた。

 ひとまず気分が落ち着いたところで、すぐさま踊り場から離れ先に進む。


「日向達は大丈夫なのか?」

「安心しろ。日向には悠護がついているし、陽とジークは一人でも問題ない。それよりも……まずは己の身を案じた方がいいぞ」


 ギルベルトがそう言いながら一歩前に進んだ直後、姿


「……はっ!?」


 思わず素っ頓狂な声を出す凛音とは反対に、それを見た先輩達は足を止めて廊下の先を警戒する。

 怜哉は猫のような目でじっと廊下の先を見つめると、すぐに「ああ、なるほどね」と言った。


「何が『なるほど』なんだ?」

「この廊下、先に進んだらどこかに転移する魔法が仕掛けられてるんだよ。この手の罠はかなりポピュラーだし、別に警戒しなくてもいいよ」

「警戒しないわけいかないだろう!? どこに転移されるのか分からないのに!」


 魔法を使った罠は国によって多種多様だが、中でもドアを開けたり廊下の一歩先を歩いたらどこかへ転移される罠は一番厄介だ。

 ここが異界だから転移範囲は限られているが、現実世界だとどこに転移させられるのか分からない。


 過去にこの類の罠にかかった人は、数百キロも離れた場所で死にかけの状態で発見されたり、果てには地中深く埋まってそのまま白骨化したといケースもある。

 ある意味博打に近い罠を前に、警戒しないほうがおかしい。


「いくら罠があろうとも、先に進まないと意味ないよ。この手の罠のパターンだと、僕達を倒すための敵が転移先に用意されている。今の戦力でも撃破は可能だよ」

「そ、そうなんですか?」

「うん。僕も『仕事』で何度もそういう罠にかかったことがあるから、可能性は高いよ」


 そう言う怜哉の顔は、くじ引きを引くのを楽しみにしている子供のようだった。

 本人も言っていた『わざと』は、きっと罠があると分かっていて自分からかかりにいったのだろう。

 怜哉の戦闘狂は混色家の人間である凛音にも耳が届いており、彼の相手になった敵は可哀想だと内心同情した。


「じゃあ、僕は行くからね。君らも早く来たほうがいいよ」


 最後にそう声をかけてから、怜哉は廊下の先へ一歩を踏み出し、そのまま消える。

 残された三人は顔を見合わせ、


「……どうする? 行くか?」

「ここにいても何も進展しないよ」

「ですよね……気は進みませんが、行くしかないようです」


 互いの意見を主張し合うと、結局そのまま廊下の先へ足を一歩進めた。

 足が一歩先の床を踏んだ瞬間、凛音の景色がガラリと変わる。

 真っ白な空間。何もなく、白しか色のない世界。現実世界の小鳥遊家にはこんな空間はないが、異界だからこそこんな場所を作れる。


 周囲を見渡していると、背後でこつりと靴音が鳴る。

 その音を聴いて凛音は自分が相手する敵が現れたと思い、何も考えず振り返った。

 だが、たった数秒前の行動がすぐに後悔へと変わった。


 現れたのは、一人の少女。

 小鳥遊家が訓練着として用意されている魔装を身に包み、首から下は手袋や黒タイツのせいで肌が露出していない。

 しかし、人形のように整った顔の左頬には大きいガーゼが貼られ、口元には乾いた血が微かに付着している。


 それだけならば、ただの怪我をした少女だと思えた。

 でも、艶のない銀髪と光を失ったコスモス色の瞳を見て、凛音は顔を青くしながら相手の名前を告げる。


「……ふ……楓、華……?」


 凛音の敵として現れた少女――小鳥遊楓華は幼馴染みの声に反応しないまま、濁った双眸を向け続けた。



「……戻ってきたな」

「……ええ」


 現実世界の小鳥遊家では、狼男と狼女が再びこの地に戻ってきた。

 本当ならこの場には二度と来たくはなかったが、最愛の子供達がここに囚われている。あの琥珀の娘達が魔女と相手にしている間に、彼らは人質を解放しなければならない。


 そもそも、人狼夫婦は何故ここにいるのか。その理由は前日に現れたジークによる提案だ。

 魔導犯罪組織の長として長年暗躍していたジークは、今回の作戦において小鳥遊家が人質をどこかに閉じ込めていると推測していた。

 しかし、これまで狡猾に動いていた魔女を出し抜くには、日向を含める全員を囮に使わなければならない。


 そうなると救出班がいなくなる。作戦の筋書きをある程度固めた後、ジークは回復し万全の状態になった人狼夫婦を使うことを決めた。

 二人には事前に自分の子供だけでなく他に囚われている人質もいる可能性が高いから、その人達も救出することを絶対条件にした。


 この条件を断った場合、子供達は魔導士遺児養護施設行きとなり、夫婦はそのまま魔導士刑務所カルケレムに収容されると伝えると、夫婦は今回の救出作戦に参加することを決めたと即答した。

 二人にとっても悪い条件ではなかったし、子供達と同じ立場にいる人間を見捨てられるほど彼らの性根はそこまで腐っていなかった。


 魔導士崩れのまま生かすにはもったいないほどの逸材に、ジークは事件解決の報酬として、このまま平穏に故郷で住めるよう手配すると約束した。

 人狼夫婦は最初ジークの話には半信半疑ではあったが、殺しにきたにも関わらず自分達を救ってくれた日向のことを思い出し、作戦の間だけ信用することを決めた。


 そして今、人狼夫婦は子供達を含む人質を救うべく、小鳥遊家の中へ侵入した。

 廊下に飾られた昆虫の標本は相変わらず薄気味悪く、建築数も長いため歩くたびにギシリと軋む。

 その音に反応したのか、二人の前にネオキメラが現れる。


 聖天学園で見たものとは違う別個体。

 しかし、あの裂けた口からボタボタと唾液を垂らしている姿を見ると、殺されかけたことを思い出し無性に八つ裂きにしたい気持ちに駆られる。


「行くぞ」

「分かっているわ。絶対に、取り戻してみせる」


 人間の形をした手を、狼の手に変える。

 鋭い爪を生やし剛毛に覆われた獣の手が、異形に向けて振り下ろされた。



☆★☆★☆



(な……なんだよ、この化け物達は……!?)


 山田愛之助やまだあいのすけは困惑していた。

 小鳥遊家に仕える魔導士として選ばれ、実孫より強くなったと自負していた彼は、今回の侵入者撃退作戦に参加した。

 この作戦に成功すれば、魔導士差別主義の家に生まれ、魔導士として目覚めてすぐ養護施設に捨てられた家族を見返せると思っていた。


 しかし、それが如何に幼稚な考えだったのかを思い知らされる。

 彼の前に現れたのは、かつて特級魔導犯罪組織の長として君臨した男。

 その男の前では、愛之助のような子供は赤子の手を捻るより簡単に倒される。


 現に今、愛之助は床の上で仰向けの状態で倒れていた。

 一体何が起きたのか彼自身さえも分からない。分かったことは、男が一瞬で姿を消したかと思ったら自分の真正面に現れ、そのまま宙高く投げ飛ばされたことだ。

 その時に魔力を察知することはできなかった。つまり、愛之助は男の身体能力だけで倒されたということだ。


「生憎、私にはお前のような子供を殺す趣味はない。このまま寝てもらうぞ」

「がっ……はあっ……!?」


 何も言うことも反撃も許さないまま、愛之助の意識は刈り取られる。

 小鳥遊家という狭く小さい世界しか知らない彼が、圧倒的実力差をつけられたことに屈辱を味わい、どのように成長していくのか。

 男――ジークは、できることなら良き方へ転がって欲しいと強く願った。


「さて……どうやら私はここでお役目御免のようだ」


 敵を倒し、現れた道を進み、ドアを開いたそこは小鳥遊家の前だった。

 あの罠は転移された場所にいる敵を倒すと、勝者は用済みとなりそのまま外へ出される仕組みになっている。

 周囲が灰色一色でないのを見るに、どうやら現実世界の方の小鳥遊家だ。


「それにしても、こうもあからさまな態度を見せられるとさすがの私も傷つくな」


 実際には一ミリも傷ついてはいないのだが、ちょっとした仕返しだ。

 今のメンバーの戦力を考えるとすぐに戻ってきそうだが、問題は日向の方だろう。

 元々、小夜子の目的は日向がリンクしている『蒼球記憶装置アカシックレコード』だ。入手するために、日向を孤立させた後に奇襲などで略奪するのだろう。


(だが……アレはそう簡単に手に入るものなのか?)


 ジーク自身も『蒼球記憶装置アカシックレコード』のことは詳しく知らない。

 カロンを消すためにあの力を狙ったのは事実だが、『蒼球記憶装置アカシックレコード』自体謎に包まれている。

 日向の話では、『蒼球記憶装置アカシックレコード』は〝神〟がどこかへ去った時に秘密として教えてもらったと言っていた。


 もちろん日向の話には嘘なんてないし、真実だと分かっている。

 しかし、それでもやはり懸念点がある。


「……それ以前に、あいつは『蒼球記憶装置アカシックレコード』をどうする気だ?」


 もしこの情報が世界中に広まってしまったら、IMFや各国政府は日向を危険視し、カルケレムの地下で一生コールドスリープされてしまう。

 日向だってそんなことは最初から分かっているはずだし、死んだ後も放置というわけにはいかない。

 考えても解決にもならず、これが終わったらちゃんと話さないとと思いながら、ジークは他のみんなが来るのを待った。



 日向は白い長廊下を歩いていた。

 悠護と一緒に行動していたが、階段に昇った瞬間にこの廊下に飛ばされてしまった。空間転移魔法による罠だと理解したが、この廊下の先に何が待っているのか見当もつかない。

 ひとまず廊下を歩き続けることしか、日向にはできなかった。


(あの家、まるで標本みたいだったな……)


 警戒しながら廊下を歩き続けていると、ふとこの家の内装を見てそう思った。

 廊下の壁に飾られた標本。しかもどの階の廊下にも飾られており、小鳥遊家の誰かの趣味だったとしてもやりすぎだし悪趣味だ。

 あの標本は、まるであの場所しか生きられないと小鳥遊家の人間に伝えているようなものだ。


(でもそれは、他の魔導士も同じだよね)


 魔導士という生き物は、周りが思っているより生き辛い生活を送っている。

 魔導士家系に生まれれば決められたレールを歩くことが決定され、一般家庭から生まれても両親やその親戚一同が魔導士差別主義者ならば問答無用で魔導士遺児養護施設に送られる。

 聖天学園に受からなければ魔導士崩れになるか準魔導士として一生日の当たらない場所での生活を強いられ、受かっても魔導士が社会で生きていくには一般社会と魔導士界の間に溝ができないように注意しなければならない。


 万が一、その溝ができてしまったら、魔導士はかつてのように迫害対象として扱われてしまう。

 日向を含め、魔導士というのはいつ割れてもおかしくない薄氷の上を歩いている状態なのだ。


(だからこそ……あたしは、魔導士も準魔導士も一般人も暮らせる社会を作りたい)


 理想論を上回るほどの壮大すぎる夢。

 自分だって無謀であることも、実現までどれほどの年月を費やすかも理解している。

 それでも、日向はこの夢を諦めるつもりはない。たとえ自分が死んでも、未来に生まれるだろう子供達が繋げていくと信じているからこそ、歩みを止めるつもりはない。


 一体どれほど歩いたのか、日向の前にようやく一つのドアが現れる。

 静かに、ゆっくりとドアノブに手をかけ、ドアを開ける。

 ドアの先に待っていたのは、廊下と同じで白で支配された空間。


「――ようやく来ましたか。待ちくたびれましたよ、豊崎日向」


 そして、一人の老女。

 今回の事件の首謀者――小鳥遊小夜子は、日向を見て魔女に相応しい不気味な笑みを浮べた。

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