第236話 戦う時と探し人

 目の前にいる楓華は、まるで幽霊のようだった。

 肌は青白くなり、目は虚ろ。しかし、その状態が一体なんなのか凛音は瞬時に理解した。


「あれは……トランスモード……!?」


 魔導士は同胞や庇護対象に情が厚い。

 それ故に仲間からの手酷い仕打ちへの耐性は著しく低いため、心許ない言葉を投げられただけでひどく傷つくことがある。

 大事な家族や仲間からの過度な暴力と罵詈雑言に耐え切れなくなった魔導士は、限界値を超えると意識が肉体から離れてしまうケースがある。


 それがトランスモード。

 心も体も傷つき疲弊した魔導士が、己の意識を守るために生み出す最終防衛機能。

 意識が守られる代わりに、肉体はひどく無防備で催眠魔法をかけやすくなってしまうほどの無防備状態となる。


(あのクソ婆……こいつのトランスモードを利用して催眠魔法をかけやがった!)


 しかもトランスモードは一度起動してしまうと、元に戻るまで時間を有する。

 それが三〇分後なのか一時間後、果てには丸一日と個人によって違う。

 楓華のトランスモードがどれほどかかるのか、凛音は知らない。


「っ!!」


 凛音が動揺しているのを見て、楓華が動いた。

 手に持っているのは、小鳥遊家が贔屓にしている魔導具メーカーのサバイバルナイフ型魔導具《黒牙こくが》。

 グリップだけでなく刃も黒く、魔力を入れるだけで切れ味は日本刀と変わらない。日本の魔導士部隊が採用されている製品だけあって、その威力は折り紙付きだ。


 刃が振るわれるとシュッ!! と風切り音が聞こえ、それが鼻先スレスレを通った。

 しかも目で追うのが精一杯なスピードで何度も刃を振り下ろされ、詠唱する暇もなく回避しかできない。

 明らかに殺人の特化した戦い方。それを見て、凛音は強く歯を食いしばる。


(こいつ、こんな戦い方覚えるまで、ひどい目に遭わされたのか……!!)


 魔導士の生態について研究していた学者の論文では、トランスモードに至った魔導士は過去に家族や仲間による暴力が多大な影響を及ぼし、その加減の度合いによってはトランスモードになりやすいと発表した。

 実際、ドイツの魔導士部隊でもトランスモードに入る魔導士の七〇パーセントは家庭内暴力を経験した者だった。


 トランスモードは精神魔法への耐性が著しく低下し、精神魔法に耐性がある魔導士でも一度入ってしまえば否応なくかかってしまう。

 楓華は一体、何度こんな目に遭ったのだろうか。ここまで追い詰められ、何度したくもない仕事をさせられたのだろうか。


 小夜子が楓華のことを疎ましく思っていたのは知っていたのに、自分は見てみぬフリをした。

 彼女があそこまで卑屈になった理由も察していたのに、手を抜いて無様を見せているとバカにした。

 笑顔を見せなくなってしまったことも、たどたどしい喋り方になってしまったことも、全てを諦めた目をしたのも、全部全部理解していたはずなのに!!


(ああ、俺はなんてバカで最低な野郎なんだ。惚れた女をここまで傷つけるなんて)


 己がどれほど愚かなことばかりしたのか思い知らされる。

 彼女が自分の敵として宛がわれたのは、きっと小夜子の思惑通りなのだろう。

 自分の野望のためにここまでのことを起こした魔女だ。凛音の心の傷を抉り、楓華の傷をさらに増やすことすら厭わないどころか嬉々としてやる。


 どんなに戦いたくないと思っても、トランスモードに入っている楓華は凛音を殺すまで攻撃はやめない。

 それすらも計算されていると思うと、腸が煮えくり返るどころかむしろふつふつと沸騰している。

 だが、ここで彼女を救わなければ永遠に後悔する。


 ――今は、戦うに専念しろ。


 凛音が懐から取り出したのは、手の平サイズの筒。

 それに魔力を注ぐと、筒は長く伸び、鈍色に輝くフルートに変わった。

 桜小路家は元々赤城家の分家、本家が得意としている音干渉魔法を使える。


 個人によって扱う楽器型魔導具は違うが、凛音が得意としているのはフルートだ。

 楽器型魔導具は音色を奏でるだけ魔法を発動できるが、傷をつけられたり破壊されてしまったら二度と使えなくなる。

 しかもメンテナンスを怠ると魔法の発動が鈍くなるなど面倒なことはあるが、このフルートを選んだのは楓華が似合っていると言ってくれたからだ。


「楓華、絶対にお前を救ってみせる」


 無言なまま虚ろな目を向ける楓華が《黒牙》を構え、床を蹴って距離を詰める。

 迫りくる脅威に逃げることも目を逸らすこともせず、凛音はフルートに息を吹きかける同時に魔力を注ぐ。

 直後、透明感のある音色と金属音がぶつかりあった。



「うおっとぉ!?」


 目の前に飛んでいたナイフを避ける。前髪が数ミリ切れてしまったが、そろそろ切ろうと思っていたから嬉しいハプニングだ。

 そのまま迫って来る敵に、樹は焦らずナイフを持つ手首を掴み、そのまま背負い投げを決める。


 目を回す敵を見て、樹は呆気ないと思った。

 運よく心菜と一緒に飛ばされた先にいたのは、二人の男女。

 男の方は樹と同じ強化魔法が得意とし、女の方は心菜と同じ召喚魔法が得意としていた。


 互いに得意な魔法で戦うことになったが、男の方の戦い方は樹の目から見ればとても稚拙なものだった。

 脇はガラガラ、隙も多く、魔法の発動が遅い。それはかつての自分と同じ本気の戦いというものを知らない動きそのもの。


 聖天学園の入学前ならばまだマシな動きかもしれないが、三年の間で激動を過ごしてきた樹にとってはあまりにも遅すぎる攻撃だった。

 ほぼ魔法を使わず倒せてしまったあたり、あのチート達より劣るが他より強くなっているのだろう。


 心菜もリリウムを上手く動かしており、女が召喚した魔物を倒していた。

 敵の女が契約した魔物は、よく見る動物タイプの魔物だった。しなやかな体躯をした雌豹めすひょうだったが、動きが本物より遅い。

 リリウムが容赦なく斬り伏せると、雌豹は霞となって消える。


 女の方は真っ青な顔をしており、自棄になって攻撃魔法を放とうとするも、背後に回ったリリウムによって気絶させられる。

 無事に戦い終えてほっとする間もなく、別の方向から廊下が現れる。そのまま道のりに進み、先にあったドアを開く。


「ああ、おかえり」

「遅かったな」

「やっほー」


 ドアの先に広がっていたのは、さっきまでいた小鳥遊家の庭。

 そして、そこにいたのはジークとギルベルトと怜哉。

 そこまではいい。問題なのは……。


「お前ら……何呑気のお茶してんの??」


 目の前にいる三人はレジャーシートの上に座っており、サンドイッチや数種類のおかずが入ったバスケットや小花が描かれたティーポットやカップが揃っている。

 緊張感のない風景に目を丸くしていると、ジークは執事のようにカップに紅茶を注ぎ、それを樹と心菜に渡す。


「どうやら現実の方では警備が異界と比べて緩いみたいだからな。他の者が戻って来るまで夜食にしようと提案した」

「いやいやいやまだ日向と悠護と先生が戻ってねぇじゃん!」

「陽ならすでに戻っている。今は救出班の手伝いに行っているから安心しろ」

「救出班……ですか?」


 救出班がいたこと自体初耳で、心菜が首を傾げる。

 それに答えたのは怜哉だ。


「あの人狼夫婦だよ。故郷で安全に暮らせることを条件に今回の救出作戦に参加するって決めたんだ。本人達にとっても悪い話じゃなかったから、了承してくれたよ」

「で、陽先生はその手伝いってわけか」

「正確には人質の探知と敵の排除だがな。しばらくかかるだろうが、ここで大人しく待っていろ」


 人狼夫婦のことは気にかかるが、陽がいるならばひとまず安心だろうと思い、樹が照り焼きチキンサンドにかぶりつきながら、屋敷の方を見る。

 未だ出てこない日向と悠護、凛音のことは心配しているが、あの三人なら一緒に出てくるだろう。

 特に凛音には楓華を連れ戻すという役目がある。惚れた女を連れ戻さず出て来たら、その尻を蹴っ飛ばしてもう一度異界に放り込むだけだ。


(ちゃんと小鳥遊を連れて来いよ、凛音)



☆★☆★☆



(こりゃワイの出る幕ないな……)


 救出班と合流した陽は、目の前の惨状を見てため息を吐いた。

 目の前には血を流し絶命しているネオキメラが床に埋もれるように倒れており、首を刎ねられている。

 生き物の急所を見事に仕留めている人狼夫婦の実力に内心舌を巻く。


 実際戦った日向は彼らの反応速度は早く、防御魔法を展開するわずかコンマ1秒で傷をつけられるほどだと言っていた。

 それなりに訓練をすれば、魔導犯罪課などの現場仕事で優秀な成績を残せるくらいの実力があった。

 血生臭い廊下を歩いていると、血塗れになっている人狼夫婦があるドアの前で立ち尽くしていた。


「どないしたん?」

「ここから、我が子の匂いがする。それと……あの銀の娘と似た匂いも」

「でも、どんなことしても開かない」

「ふむ……」


 試しにドアノブを回すも一向に開く気配はない。

 試しに魔力を流してみると、バチンッ! と音と共に火花が散った。


「なるほどな。これ、異界の『扉』か」


 異界には二つの侵入方法がある。

 一つ目は即席鍵インスタントキーを使った侵入。

 即席鍵インスタントキーは一回使えば消滅する片道切符なため、現実世界に帰るためにはもう一本の即席鍵インスタントキーが必要となる。


 二つ目は『扉』生成時にできた『鍵』を使った侵入。

 異界を作り、『扉』を完成させた際に『鍵』が現れる。これは行き来ができるが複製はできないため、基本は異界を作った魔導士しか所持できない。


 しかし、目の前にある『扉』は裏小鳥遊家のものと違い小規模な異界だ。これくらいならば、即席鍵インスタントキーも『鍵』必要ない。

 陽の指先がそっと『扉』に触れる。赤紫色の魔力が『扉』に流れ、ビシビシと音を立てる。

 次の瞬間、『扉』は粉砕されて薄暗い螺旋階段が現れた。


「ど……どうやったんだ?」

「これくらいちっちゃい異界なら、許容量越えの魔力を流せば簡単に破壊できるやで」


 狼男の質問にケロッと答える陽。

 彼の言う通り、目の前のように小さな異界ならば許容量を超える魔力を注げば破壊できる。しかし、その許容量は作った魔導士の魔力によって違う。

 それをこうも容易く破壊するなど、離れ業にもほどがある。


「なにぼーっとしとるん? はよ行くで」

「あ、ああ……」


 あっけらかんと螺旋階段を降りる陽を追う人狼夫婦。

 絶対に敵にしないことを内心で深く誓ったことは、陽は知らない。



 悠護は廊下を歩いていた。

 自分と同じ金属干渉魔法を得意とする魔導士を相手にしたが、歯ごたえがなかった。

 その後に現れた廊下はそのまま現実世界に出るものだと知り、悠護は日向の場所について敵を問い詰めた。


 日向がいる場所は小鳥遊小夜子がいるが、行き方は彼も知らないらしい。

 仕方なく裏小鳥遊家に戻り、日向のところに行けるように考える。


「うーん、空間干渉魔法はあんま得意じゃないからなー。陽先生がいたらすぐなのによぉ……」


 しかし運が悪いことに、肝心の陽も現実世界に帰っている。

 地道に探すしかないと思い、悠護は裏小鳥遊家を歩く。

 裏小鳥遊家に設置されていた罠やネオキメラはほとんど出し尽くしたのか、どれだけ歩いても出てこない。


 そのまま歩いていると、一階にあるドアの前で立ち止まる。

 本当に薄く感じるが、このドアの先から日向の魔力が感じた。躊躇なく《ノクティス》で斬ると、その先にあったのは暗闇と長い螺旋階段だ。


「この先にいるのか?」


 日向の魔力は本当に薄く、正直確証はない。

 それでも感じたからには先に進まないわけには行かず、警戒しながら階段を降りる。

 階段を降りるにつれて魔力が徐々に濃くなり始めたのを感じ、さっきまでの薄さの謎が分かった。


(あのドア、元はどこかの異界の『扉』だったかもな)


 異界となった場所の中に別の異界を作ると、現実世界と異界の境が曖昧になってしまい、異界尾のある場所に魔導士が入ると魔力察知能力がひどく鈍ってしまう。

 日向の魔力を薄く感じたのも、その特性によるものだ。

 何故現実世界の屋敷の中で異界を作ったのか分からないままだが、悠護は気にせず階段を下りて行った。

 

 長い螺旋階段を降りて、道なりに長い廊下を歩き続けると、その先に光があった。

 靴音を鳴らさず静かに歩き、《ノクティス》を長剣モードに変えて、いつでも戦えるように姿勢を正す。


 長い螺旋階段と廊下の先にあった光の向こうで、日向と小夜子が睨み合いながら対峙していた。

 互いに視線を逸らさず、ピリピリした空気の中、小夜子は黒いサングラス越しの双眸で日向を見つめながら、口を開いた。

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