第229話 ネオキメラ

 森を駆ける。

 春を迎えて若葉を生やした木々の青臭い匂いがするが、すでに日が沈んでいるせいでどこもかしこも真っ暗だ。ぼんやりとLEDの光が見えるが、それでもかなり遠い。

 唯一の光源は夜空に浮かぶ三日月だけだ。


「あのっ……はぁっ、どこまで行くんですか……!?」

「できれば校舎の方がいいけど、この近くだと訓練場が近い! あそこまで行けば、守衛さんが勘付いてくれるはず!」


 息切れしながら走る自分と違い、日向は楓華を抱えているのにあまり息を切らしていない。

 単純に上級生との実力の差なのか、それとも別の理由があるのか。今は気にしている場合ではないと思うも、それでも彼女の身体能力の高さは純粋に羨ましかった。


 その時、自分達の右側から何かが疾走する音が聞こえてきた。

 すぐさま日向が右手をかざし、防御魔法を発動させるとガンッ! と重たい物がぶつかってきた音が響く。

 重たい物の正体は狼男が振り下ろした爪撃そうげき。防御魔法によって弾かれ、狼男の体は宙に浮く。その隙を逃さず、今度は火傷を負った狼女が襲いかかる。


 どちらも鋭い爪を持ち、普通に喰らったら一溜りもない爪撃を繰り出す。しかも狼特有の俊敏さも厄介だ。

 すると狼女地面を蹴りながら疾走すると、その爪を楓華の方へ振り落とそうとする。直前に日向が右腕を前に出す。爪は日向の制服を切り裂き、白い腕に薄っすらと赤い線を三本作る。


(防御魔法が間に合わなかった……!)


 すぐさま右腕に防御魔法をかけるも、コンマの差で狼女の攻撃が速かった。

 血を流す日向を見て楓華が再び息を呑む。


「お前達を殺す。そしたら迎えに行ける」

「迎え……?」


 意味深な言葉を発する狼女に、日向が眉をひそめた直後だ。

 日向達の背後の茂みがガサガサと激しく揺れ、何かの気配を感じた。全員がそちらに集中した瞬間、現れたソレに言葉を失った。

 日向も、楓華も、凛音も、人狼の二人さえも。


 夜の帳に紛れて茂みから現れたのは、尾が長い四足歩行の生き物。

 ぶよぶよした白い皮膚で覆われ、毛が一本も映えていない。頭部の中央にはぎょろりとした真っ赤な目玉が一つだけあり、代わりに両側に触覚のように生えた赤い石が数本生えている。

 口元は耳の部分まで裂けている上に牙は鋭く、下は蛇のように長い完全に獲物を捕食するためだけに作られたような生物。それが、一〇体以上もいた。


「な、なんだよこれ……!?」

「まさか……キメラ? 二〇三フタマルサン条約で製造も禁止されたはずじゃ……」


 キメラ。生きた動物同士を掛け合わせ、魔法で繋げることで生み出せる人工魔的生物。

 動物愛護法により製造禁止寸前まで話は出ていたが、二年前の七色家襲撃事件で魔導士を素体に使うキメラ製造計画が露見し、結果二〇三条約によって製造禁止も決定した。

 それが何故、この学園にいるのかと疑問を抱いた日向達に答えを与えたのは――


『あー、それ? いいでしょ。その子達、一から作ったから今までのキメラより性能はずっといいよ』


 ちょうど日向達の頭上に現れたドローン。

 そこに設置されている小型スピーカーの声は、その相手が一度だけ会ったことのある日向だけは分かった。


「あなたは管理者ですか?」

『そうだよー。みんな大好きこの学園の守護者・管理者、ただいま参上☆』


 陽の知り合いである管理者は、スピーカー越しでも分かるくらいきゃぴきゃぴした声で自己紹介する。

 しかしその声すら、今は日向の気分を悪くさせた。


「どういうことですか? 学園関係者であるあなたが二〇三条約違反を犯すなんて……」

『誤解しないで欲しいな。その子達は二〇三条約が違反した製造方法で作ったモノじゃない。何万種類もいる動物の遺伝子データを組み合わせ、さらに魔石ラピスを混ぜ込んで作り上げた全く新しいキメラ――安直だけど『ネオキメラ』と名付けようかな』


 ネオキメラ。

 管理者が二〇三条約の穴を狙って生み出した、新世代のキメラ。

 こんな異形の存在が、人の手で作り出されたなど到底信じられない。


『まだ試作品段階でね、今回は性能チェックの名目で導入してみたんだ。ああ、安心して。従来のキメラと違って、この子達は製造者の命令をきちんと聞くいい子達だから。間違って君ら生徒を襲ったりしないよ』

「性能チェックって……まさか……」


 管理者の言葉に嫌な予感がした直後、背後でネオキメラ達が次々と言葉を発する。


「知らない」「知らないにおい」「敵だ」「侵入者だ」「知らない魔力」「登録されてない魔力」「生徒じゃない」「庇護対象ではない」「あれはいい」「これはいい」「肉を食べてもいい」「血を飲んでいい」「骨を噛み砕いていい」

「「「「「「「「「「「「「獲物だ」」」」」」」」」」」」」


 一斉に同じ言葉を発した瞬間、ネオキメラは狼女に襲いかかる。

 四方を隙なく攻め、牙を狼女の四肢に食いこませる。態勢を崩し、地面に跪きながら甲高い悲鳴を上げる狼女に、狼男はネオキメラに爪撃を繰り出す。


「俺の妻から離れろ!!」

「つ、ま……?」


 狼男の言葉に、日向は震えた声で反芻する。

 この二人はどちらも似ていた容姿をしていたから兄妹かと思っていたが、まさかの夫婦だったという真実は楓華や凛音にも衝撃を与えた。

 しかし、ネオキメラの目が狼男に向けられた瞬間、全身が嫌な予感で支配される。


「攻撃した」「もう一人いた」「こいつも食っていい」「食べよう」

「待っ……!」


 ネオキメラの言葉に日向が制止をかけようとした直後、狼男の背後から現れたネオキメラが長い尾を使って腹部を貫いた。

 赤黒い血が狼男の周りに飛び散り、楓華だけでなく凛音すら顔を真っ青にした。


「あ……がぁ……」

「あなたぁ!!」


 口から滝のように血を流す狼男に、狼女は泣き叫ぶ。

 尾が貫いたまま地面に倒れる狼男にネオキメラが群がり始め、狼女は目の前にいる日向に縋るように這いずりながら近づいて来た。


「お願い……助けて……」

「え……」

「私の夫を……私の半身の命を、どうか、どうか……」

「なっ、何言ってんだよ!? こんなの、自業自得だろうがッ!」


 凛音には狼女の頼みが自己中心的なものだと思いながら叫ぶ横で、日向は狼男の方を見る。

 びくびくと痙攣する彼の命は風前の灯火。ネオキメラに喰われて死ぬのが先か、出血多量で死ぬかの違いしかない。

 だけど……。


「私達は生きないといけないの。子供達を迎えに行かないといけないの」


 その一言で、日向は楓華を抱きしめる。

 抱きしめられた少女は、その腕が微かに震えていたことに気づき、顔を少しだけ上に向ける。


 その時、楓華は見た。

 強い輝きと微かな怯えを帯びた、琥珀色の瞳を。



「――待って!」


 日向の制止にネオキメラの動きが止まる。

 彼らは生徒の言葉に反応するよう設定プログラムされており、今まさに狼男を食べようとした個体すらも動きを止める。

 真っ赤な目玉を向けられながら、日向は口を開き言った。


「お願い。……その人を、殺さないで」

「なっ!?」


 日向の言葉に凛音は目を見開いた。

 この二人は自分を殺しに来た相手だというのに、情けをかける日向のことが彼には理解できなかった。

 魔導士の行動は自己責任が当然。たとえ自業自得だろうと、己が犯した罪を償うためならば自害すら厭わない。それが魔導士の常識。


(それなのに……この人は、こんな悪人のために体張るのかよ……!?)


 今まで見てきた魔導士の中で一番の異質さだ。

 しかし――その異質さこそが、日向の持つ長所であり短所であることを、凛音は知らない。


「何故?」「これは食べていいモノ」「襲ったモノ」「情けは不要」

「そうかもしれないけど……でも、ここで殺したら、今回の襲撃を企てた犯人の手がかりがなくなってしまう。それだけは絶対に避けたい」


 日向がこの人狼夫婦を救う理由は二つある。

 一つは狼女からの懇願。これは純粋に目の前で大切な夫が死ぬ場面を彼女も自分も見たくないという気持ちがあったからだ。

 そしてもう一つが襲撃者を差し向けた首謀者。学園敷地内に侵入できたということは、少なくとも相手は聖天学園の土地勘を持っている。ならば、その手かがりになるであろう二人を殺すにはあまりに得策ではない。


 ネオキメラは従来のキメラと違い知能が高いのか、日向の言葉の意図を察しているようだ。

 そのまま沈黙を貫いているドローンに目を向けると、小型スピーカーにマイクが入る音が聞こえてきた。


『…………ま、ここで殺したら陽がうるさいから別にいいよ。君達、彼を食べるのはなしだ。後で肉を用意してあげる。何がいい?』

「羊か牛」「豚と鶏は食いごたえがない」「あれは脆弱」「馬と鹿は微妙」「猪は臭い」

『分かった分かった。君らの好みやよーく分かったから、さっさと戻っておいで』


 ネオキメラが肉の好みについて話し始めると、管理者は苦笑いしながら指示を出す。

 すると狼男の腹部を貫いていたネオキメラが尾を引き抜く。血を流しながらか細い呼吸を繰り返す片割れを見て、狼女はすぐさま駆け寄ると治癒魔法をかけるが芳しくない。

 それを見て日向は心菜がくれた魔石ラピスを投げ渡すと、片手でキャッチした狼女は察したのかすぐにそれを使い始める。


 上級生魔法が込められた魔石ラピスは、狼女が使った治癒魔法より倍のある効果を発揮し、狼男の傷が徐々に塞がっていく。

 大量に血を流して青白い顔をしているが、呼吸が安定しているためひとまず危機は脱した。

 ネオキメラがぞろぞろと歩きながら去っていくのを見ていると、頭上のドローン越しから管理者は言った。


『今回は君の提案に乗ったから手を引くけど……次はないよ』

「……分かってます」


 今回は彼らが何かの手がかりになると思ったからこそ止めたが、もし同じことが起きた場合、日向は同じ手を使えない。

 管理者の言葉は、偽善的思考を持つ自分への戒めとしての意味があるくらい理解している。


『ならいいけど。そいつらは自分達でどうにかしてね。それじゃ』


 管理者はそれだけ言うと、ドローンのスピーカーを切るとそのままどこかへ飛んでしまう。

 取り残された日向は楓華を凛音に預けると、寄り添い合う人狼夫婦の近寄りそっと手を差し伸べる。


「あなた達が協力すれば、子供達を救う手伝いもする。……少なくとも、悪いようにはしないよ」


 日向の一言で人狼夫婦は静かに頷き、その手を取る。

 敵であるはずの相手との和解とは無縁な日々を送ってきた楓華と凛音は、その光景をまるで映画のシーンを見ているような気持ちになっていた。



☆★☆★☆



「――それで? ワイらになんか言うことあるやろ?」

「こ…………この度は多大なご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした…………!!」


 現三年生学生寮の談話室。

 陽が教師特権で貸し切り状態にしたその部屋で、日向は絨毯が敷かれた床の上で土下座していた。

 談話室には悠護達もおり、関係者である楓華と凛音は心菜から渡されたセパレートティーを飲んでいたが、目の前の光景を見て唖然としてしまう。


 さっきまで襲撃者から逃げ延び、異形と対峙した少女とは同一人物とは思えないほどの変化。

 純粋に驚きと戸惑いを半々抱いていると、土下座をする妹を見て陽は深いため息を吐いた。


「はぁ……まぁ、アンタの迷惑なんて今に始まったことやない。そこを何時間もガミガミ言うても時間の無駄や」

「そうだな。それよりも話すことがあるはずだ」

「あの……あたし、いつまで正座してればいいの?」

「しばらくそのままだ。大人しくしていろ」

「はい……」


 容赦なく言い切ったジークに、日向はしょぼんと落ち込みながら正座を続けることにした。

 心菜が作ってくれたセパレートティーをちびちび飲んでいると、陽はスマホを操作しながら言った。


「とりあえず、日向達を襲った襲撃者達はひとまず警備員に捕縛された後、研究施設にある収容室に入れたって報告があったで。さすがに襲撃者専用の牢屋なんかないからなぁ」

「え、俺てっきりあると思ってた」

「ないからな? そもそも学内で襲撃自体ありえへん事態やからな!?」


 世界中から集まった魔導士候補生を預かる以上、セキュリティーは完璧でならなくてはならない。

 今回のような襲撃は学園の安全性を問われ、最悪学園存続すら危うくなってしまう。未だ他の国で魔導士育成学校の設立が決まってない以上、今回の件は秘密裏に処理されるだろう。


「襲撃者の証言によると、自身の子供を人質にされて今回の襲撃を決行したそうだ」

「襲撃を企てた主犯については?」

「そこはまだ話していない。……というより、あれは話せないな」

「? どういうことだ?」


 ジークの意味深な言葉に反応し首を傾げる悠護。

 同じ反応をする生徒を見て、ジークはスマホを操作し画面を全員に見えるように動かす。

 画面には髪の毛の埋もれるように埋め込まれたネジのようなものがあり、それが例の人狼夫婦から発見したという写真がいくつもあった。


「このネジは魔導具の一種だ。樹、お前なら分かるだろ?」

「ああ……これは、『口封じのネジシレティウム・ストプラ』だ」

「『口封じのネジシレティウム・ストプラ』って……『仕置きの人形ポエナ・プパ』と同じで製造禁止された魔導具じゃねぇか!」


口封じのネジシレティウム・ストプラ』は相手にとって不都合な内容を強制的に封じさせるネジ型の魔導具だ。

 効果が強い変わりに使う相手のこめかみに魔導具を埋め込む上に一歩間違えれば脳に障害を与える危険性があるため、『仕置きの人形ポエナ・プパ』と同じで製造が禁止されている。


「そう。幸い、『口封じのネジシレティウム・ストプラ』の摘出はそう難しくない。まずはそっちを優先させとる。でも……さすがに事態が事態や。精神干渉魔法で記憶を読ませてもろたわ」

「でも、『口封じのネジシレティウム・ストプラ』があったんじゃ……?」

「あれは文字通り口封じに特化した魔導具だ。さすがに記憶を読まれたら効果がない」

「そうだ。そして、記憶を読ませてあいつらの雇い主である人物を念写することに成功した」


 ジークは上着の内ポケットから一枚の写真を取り出した。

 そこに映っていたのは、明らかに人ではないを連れ添った一人の老婆。

 タートルネックのある黒いロングワンピース姿で、赤いチェック柄のストールをかけている。真鍮製の取っ手がついた杖を持ち、サングラスをかけているその人物は、日向は見覚えがあった。


(この人は確か……)


 思い出そうとした瞬間、楓華が手に持っていたセパレートティーのグラスを床に落とした。

 絨毯が敷かれていたおかげでグラスは割れなかったが、その代わり中身が絨毯に染み渡っていく。


 隣にいた凛音も言葉を失いながら憎悪に満ちた目で写真を睨みつける中、楓華はその人物を呼んだ。

 あの人狼夫婦をけしかけ、日向と自分を殺すよう命令を下した冷血な魔女を。


「お……お祖母ばあ、様…………」

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