第228話 人狼の襲撃
聖天学園の授業には魔導士の歴史や九系統魔法などの魔導士関連の勉学を統合した魔法学と、実際に魔法を使い格闘技も使って戦闘訓練をする実践授業がある。
もちろん普通の高校と同じ授業もあるが、農業や工業などの専門高校のように一般知識範囲しか教わらない。
その中でも家庭科はこれから自立し、一人暮らしを始める人のための料理講座のような授業をしており、料理だけでなく裁縫や掃除の仕方など普段の家事についての知識を教わる。
日向みたいに昔からしている人には復習のような授業だが、悠護のような上流階級の魔導士家系出身者には新鮮かつ初体験が多い。
この授業は家を離れ、家事を自分の手で初めて経験する生徒にとっては重要なものになっている。
「……狼?」
「そう、狼!」
家庭科の授業でいつものメンバーで料理をしていた日向は、レタスを千切っている樹の噂話に首を傾げた。
「なんか今日の明け方、ランニングしていた二年生が目の前で黒い大きな影が横切ったらしいんだ。しかも耳と尻尾もあって、大きさ的に狼じゃないかって」
「樹くん。日本の狼は一〇〇年も前に絶滅してるから、それはないと思うよ?」
「え~、でも最近じゃ絶滅した動物が魔導具で完全復活したって話聞くじゃん? その狼もそうかもしれねーって」
「そもそも、そんな図体のデカい動物、どうやったら警備員にも気づかれないで入ってこれるんだよ。猫とかならまだしも」
悠護の言う通り、この学園のセキュリティーは世界でもトップクラスだ。
監視カメラは二四時間動いており、警備員も入れ替わりで巡回している。自分の背丈より倍のある塀には電流結界が張られており、無害な生き物である鳥類や猫が入ってこられる。
しかし、不審者や害意のある動物が無理に通ろうとすると高電流が流れるため、今のところ結界に引っ掛かったという話は聞かない。
「狼かの真偽はともかく、もしかしたら搬入口の方から入って来たかもしれんな。あそこは常に人の出入りが多いせいで結界は張っていないからな」
「そっか。じゃあ、その狼の正体は迷い込んだ大型犬かもね」
「ちぇー、ただの犬かよ。つまんねー」
樹が拗ねたようにぼやきながらも、手は動かしており着々とサラダが完成していく。
ちなみに、日向達のチームが作っているのはハヤシライスとサラダだ。
フランベで牛肉の臭みを消して香りづけしており、追加で半熟オムレツを焼いてオムハヤシライスにしてある。ナイフを入れると割れて広げるタイプのオムレツを作るのはかなり難しいが、そこは長年の経験で満足できるオムレツを作れた。
料理している間に使った調理器具を洗い、全てのチームが作り終えたら実食だ。
この家庭科の授業は必ず四時限目に入っており、これが今日の昼食になる。……つまり、もし料理が失敗してしまったら、たとえマズくても食べなければならない。
もちろん食べないまま捨てることは禁止で、絶対に完食しなければならないという暗黙の了解があるため、どのチームもなるべく美味しく作ることを心がけることすらこの授業の目的なっているだ。
「そういや日向、例の小鳥遊って子からの監視はまだあるのか?」
「うん。登下校とか廊下とか食堂とか……授業以外の時は全部視線を感じるよ」
「向こうの目的がわからない以上、無闇に接触はしない方がいいが……」
「さすがに接触してもいいと思うぜ? もう半月も経ってるんだからさ」
凛音が接触してきてから半月が経つが、楓華は日向に接触せず監視ばかりしていた。
下手に接触して余計なトラブルを起こさないようしていたが、さすがにこのままというわけにはいかない。
「……そうだね。今日の放課後、ちょっと話してみるよ」
「うん、それがいいと思うよ」
心菜が賛成してくれたため、他のメンバーも同じ反応を見せる。
ひとまず今日の授業を終わらすことを考え、日向は残りのオムハヤシライスを食べることに集中した。
放課後。ほとんどの学生が寮に帰るか、趣味の延長線である部活動に参加する中、楓華は図書館に来ていた。
数冊の本が積まれており、ノートには授業で使ったノートに書かれた内容を細かく解明したものがびっしりと書いている。ひたすらシャーペンを動かす楓華の前の席に誰かが座った。ちらっと目だけ動かすと、そこにいたのは凛音だ。
「……まだやっていたのか、それ」
「日課、だから」
凛音が苦々しく言うも、楓華は目を逸らしながら答えた。
祖母から自分の要領の悪さを指摘され、習った内容は自分でも分かるように書き直すことを心がけるようになった。最初はこの作業も苦痛だと感じたが、日が経つにつれて慣れてしまった。
「……………………」
自分の方を見ないままノートに細かく文字を書いていく少女に、凛音は微かに眉根を寄せる。
昔は必ず目を合わせて話してくれていたのに、今では故意に目を合わせようとしない。本当なら今習っている授業も理解できているはずなのに、一般家庭組でも分かりやすいようにわざわざ書き直している。
何故、こんな無様を晒すのか理解できない。
『あの子はきっと、そういう風にしないと生きていけないんだと思う。本人の意思だろうが、そうじゃなかろうが……少なくとも、あたしの目にはあなたの言う『無様』という言葉は間違ってる』
そう思った直後、食堂での日向の言葉を思い出して頭を掻く。
凛音は周りが思っている以上に不器用だと思っている。人並みにそつなくこなせるが、それ以外は全然ダメだ。オッドアイ持ちとして生まれたため、両親の得意魔法しか上手く使えこなせない。だからこそ、楓華のようになんでもできる人間が羨ましかった。
凛音が覚えている記憶の中の楓華は、今より少しマシな性格をしていた。
控えめだけど素直に褒めると嬉しそうに顔を綻ばせ、美味しい物を食べる時はとても可愛い顔をする、両親が大好きなごく普通の少女だった。
それが突然――少なくとも小鳥遊家本家で預けられた時には今のような性格になり、今までできていたことをできないフリをする彼女に苛立ちを感じた。
……だけど、もし日向の言葉が本当ならば。
彼女の今の状況は、やはりあの祖母が関係しているのかもしれない。
少なくとも、後継であった子供を奪った女の娘である楓華を蛇蝎の如く嫌っているはずだ。
「…………なあ、少し話さないか?」
「え……?」
「ここじゃ人が多いし、カフェでゆっくり話したい。……ダメか?」
凛音の言葉に楓華がシャーペンを動かす手を止める。
突然の誘いに驚いているのか、コスモス色の目をきょときょとと忙しなく動かしていた。
「それは……命令、でしょうか……?」
「……いや。お願いだ」
「分かり、ました……」
この時の彼女には命令よりもお願いと言った方が効果があることくらい、凛音はすでに知っている。
だからこそ意図して言うと、楓華は静かに頷く。
楓華はすぐさま机の上に広げていた勉強道具を片付け、鞄に全てしまいこむと先に席を立っていた凛音の後を追いかける。
外はすっかり陽が沈んでおり、山の向こうへ隠れていく太陽を中心に赤、オレンジ、淡いピンク、紫、群青とコントラストを描く空はとても美しい。
春でも夕方から夜の間はまだ肌寒く、ブレザーの上から腕を擦って体を温めながら凛音は口を開いた。
「そういえば、こうして歩くのも久しぶりだな」
「うん……」
「あの時はまだお前が小鳥遊家に来る前で……よく近くの山で遊んだよな。で、暗くなってきた時には一緒に手を繋いで家に帰った」
「途中、あなたがリスを見つけて興奮して……そのまま足を滑らせたことも覚えてるよ……」
「そ、それはなるべく忘れてくれ!」
過去でトップスリーに入る恥ずかしい話を出され、真っ赤な顔をして叫ぶ凛音。
楓華は凛音の反応が面白く映ったのか、くすりと小さく笑う。その顔は昔よく見た顔のままだ。
噴水の近くまで歩くと、縁でぶらぶらと足を振っている日向が座っており、自分達を見つけると立ち上がった。
「よかった。寮に行ったらいなかったから、ここで待ってたの」
「え…………あの、なにかご用ですか…………?」
まさか監視対象が直接接触するというのは、いつも細心の注意を払っていた楓華にとっては不測の事態だ。
困惑する彼女に、日向は軽く頬を掻きながら言った。
「えーっと、その、ここ半月見られ続けられるとちょっと落ち着かなくて……よかったら、少しお話しない?」
「…………それは、命令ですか……?」
楓華の質問に日向はきょとんとするも、すぐに首を横に振った。
「違うよ。これはただのお願い」
「………………!」
日向は楓華が『お願い』と言った方が効果があることは知らない。
本人は単純に命令したつもりはないし当然の返しだろうが、それでもずっと『命令』ばかり言い続けられた彼女にとっては過剰な緊張せず素直に応じれた。
「…………わかり、ました」
「よかった。じゃあ一緒にカフェに――」
日向がそう誘った瞬間だった。
自分達より数十センチ丈のある噴水の上から、黒い影が飛び出す。革製の手袋から突き出た爪が獰猛に煌めき、日向の顔めがけて振り落とされる。
直後、ガキィッ! と音が噴水広場に響き渡る。
日向の手にはいつの間にか白銀に輝く剣を持っており、せめぎ合いながらも拮抗し合い、日向が横一閃に振るうと影は弾き飛ばされる。
影は頭から落ちる前に地面に手を付き、そのまま半回転。回転の拍子にフードが取れ、顔が露わになった瞬間、凛音と楓華はひゅっと息を呑んだ。
夕日に照らされながら現れたのは、男の顔。
しかし顔のほとんどが硬い毛で覆われ、口の中は鋭い牙が並んでいる。頭部に生える尖った耳とズボンから飛び出た尻尾を見て、目の前の男は人間であって人間ではないと教えてくる。
するとまた噴水を跳び越えて同じ格好をしたモノが現れる。こちらはすでにフードは取っていて見た目は一人目とそっくりだが、顔の輪郭や上着の上からでも体のラインが柔らかめだったから、女性だと分かった。
「あなた達、『人狼』の『概念』を使う干渉魔法使いね。随分と物騒な歓迎をされたよ」
突然襲撃してきた者達に対して冷静に対応する日向に後輩二人が息を呑んでいると、狼男は唸り声を上げながら威嚇する。
それさえも意に介さず、日向は言った。
「……単刀直入に言うよ。あなた達の目的は?」
「琥珀のお前と、銀の娘。その二人を殺すためだ」
狼男の答えに、凛音はひゅっと息を呑んだ。
琥珀は日向のことだということは分かる。だけど、銀の娘……つまり楓華まで殺害対象に入っているのは分からない。
現に楓華は顔を真っ青にしており、本人すら狙われる理由に心当たりはない。
「嫌、だって言ったら?」
「――実力行使をするまでだ」
直後、襲撃者――狼男は日向に襲いかかる。
日向が剣で防いでる間に、もう一人の襲撃者――狼女が楓華に向かって爪を振り下ろそうとする。
鋭く光る爪を見て正気に戻った楓華は、条件反射で右手を前に出す。中指には幅の広いシルバーリングが嵌めており、中央にはコスモス色の
「『
火の魔法が発動する。初級自然魔法だが術者の魔力によっては中級魔法くらいの威力は出るため、火球とは思えないほどの炎が狼女に襲う。
空中にいたせいで回避できなかった狼女は一瞬で火だるまになり、悲鳴を上げながら地面に転がる。狼男も狼女のことを見て、急いで駆け寄り火を消す。
「う…………うぐぅ…………!」
「楓華ッ!」
必死に火を消し、顔に火傷痕を残す狼女を見て、楓華がさらに顔を青くして口を手で覆う。
脂汗を流して荒い呼吸を繰り返す楓華を見て異変を察した日向が、突然彼女の腕を引っ張ってそのままお姫様抱っこした。
「あ、あの…………!?」
「今は逃げるよ!」
「は、はい!」
楓華が戸惑う横で日向の指示を出すと、凛音は反射で返事した。
消火に夢中な人狼達からなるべく意識を離し、強化魔法をかけながら走り出す。
「どこに行く気なんですか!?」
「森! あそこなら土地勘があるし、場合によっては逃げ延びられる!」
日向の言葉に凛音は頭に叩き込んだ学園敷地内の地図を思い出す。
この敷地内の四隅は小さな森になっており、そこでは毎年三年生が一学期の期末試験の実技場として使われている。一都市と思うほど広さを有しているため、確かに逃走経路としては最適だ。
「わかりました!」
「私も、異論ないです……!」
「よし! 行くよ!」
凛音と未だ顔が青い楓華の答えに、日向は頷きながら森に向かって走り出した。
☆★☆★☆
「大丈夫か?」
「ええ……」
狼男の問いに、ようやく鎮火して起き上がった狼女は頷きながら答えた。
衣服や毛が少しだけ燃えてしまい、顔にも赤い火傷痕ができている狼女の姿に、狼男は忌々しそうに顔を歪めた。
(魔導士共め……どれだけ俺達から大切な者を傷つけ、奪えば気が済む!!)
元々、狼男と狼女は同じ境遇を共にし、数年前に結婚した正真正銘の夫婦だ。
俗世から離れるために人が立ち寄らない雪山に隠れ住み、そこで二人の子供を儲けた。
二人で作ったログハウスで住み、無邪気で元気に育つ子供達の面倒を見ながら、自給自足の生活を送る。都会で住んでいた時とは違う穏やかなに日々に、二人は満足していた。
……しかし、そのささやかな幸せは突如壊された。
いきなり見知らぬ男達が完全装備で自分達に襲いかかり、魔導士封じの手錠をつけられた状態で猛獣用の檻に入れられ、目の前で泣き叫ぶ子供達をどこかに連れて行かれてしまった。
麻酔を打たれて意識を取り戻すと、いつの間にか海を越え、この日本に辿り着いていた。
目を覚ますと、二人は四方を鉄で囲まれた部屋にいて、その鉄の扉から
無機質な目で見られながら、老婆は投げるように二枚の写真を二人の前に落とし、そのまま高圧的な口調で言った。
『その写真に写っている二人を殺しなさい。二人の首を持って帰るまで、あなた達の子供の身柄は預かります。もし失敗したら……その不始末を子供に支払ってもらうと思いなさい』
それは、任務が失敗すれば子供の命はないと同義だった。
まだ幼く愛しい我が子は、生きることに絶望していた彼らにとっては命よりも大事な宝物。
決して、あの女の都合で殺されるわけにはいかない。
「……行くぞ」
「ええ」
口数少ないまま言葉を交わした二人は、立ち上がり標的達を追いかける。
大切な者を取り戻すためにならば、この手を地に染めることすら厭わない。
「あっちゃー……まさか搬入口の非常階段から侵入とか、随分と大胆な手口だなー」
セキュリティールームで管理者は、現在進行形で襲撃者に追われている日向達の映像と一緒に敷地内上空にドローンや外灯に設置されている監視カメラから写し出された過去の映像を見て、ガシガシと乱暴に頭を掻く。
あそこの非常階段は常に開放状態にしているが、その情報は内部の人間しか知らない。数日前に職員会議で非常階段についての議題が上がっていたこともあり、この事態には頭を抱えてしまう。
(もちろん対策は考えてたけど、最近ではハッキングツールで電子錠を解除する手口が増えてるし……すぐにアナログタイプのドアロックをつけるよう伝えないと)
とはいえ、さすがに目の前の事態を見過ごすわけにはいかない。
キーボードを軽快に叩きながら、ほとんど黒で埋め尽くされている画面を拡大させる。そして近くにあったマイクを手にすると、そのまま告げる。
「さあ、仕事の時間だ。……君達がどれだけやれるか、僕に見せてよ」
巨大ディスプレイの向こうにいる暗闇は、管理者の声に反応して蠢く。
その時、一〇を優に超える真っ赤な目がこちらを見つめた。
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