第297話 因縁の終焉<下>

「ぐああああ……っ!?」


 ジークが死んだ。

 己の命を懸けて、『神話創造装置ミュトロギア』を破壊させてくれた。

 あの装置から膨大な魔力供給と呪いの効果緩和していたカロンは、熱がぶり返すように蝕む呪いによって苦痛の叫びを上げている。


 冷たくなった大切な従者の亡骸を、そっとそばにいた陽に預ける。

 まるで眠っているような顔だ。あの時の自分アリナも、きっとこんな顔をしていたのだろうか?


(それでも……ここでジークを繋げてくれた機会を、無駄にしてはいけない)


《スペラレ》を握る手を強くしながら、日向はカロンに向き合う。

 今まで『神話創造装置ミュトロギア』によって緩和されていた呪いは、カロンの全身を覆うほど浸食している。

 頬の半分も覆う黒紫色の痣。きっと、あの服の下は全て痣で肌色なんてないのだろう。


「…………何故なんだ?」


 筆舌に尽くし難い苦痛に耐えながら、カロンは問いかける。

 脂汗を滲ませ、額飾りサークレットを床に落としながら項垂れる自分を余所に、目の前では日向が《スペラレ》を構えて自分に近寄っていた。

 琥珀色の瞳は凪のように静かで、ただただ自分を見つめるだけ。


 その態度が、耐え難い屈辱に感じ取れた。

 憐れむでも、憎しみを向けるでもない、無感情で見つめるだけ。

 それはすなわち、カロンに対する情は何も持っていないと同義だ。


「何故、そこまで拒む? お前だって望んだはずだ。私の考えた新世界を! あの世界こそが、この腐った世界が迎えるはずだった未来なんだ!」

「たとえあなたの推測が正しくても、今を生きる者の命を無慈悲に奪うのは見過ごせない。あたしは、もう二度と未来を諦めたくない。今世で今度こそ幸せになる」

「そんな未来は訪れない。私が迎えさせない。お前はここで、私の道具となり果てるんだ!」


 カロンの言葉と共に、二人の剣が交差する。

 哀しくも澄んだその音は、まるでお互いの心を代弁するかのようにぶつかり合っていた。

 魔法を一切使わない、ただの剣戟。それを悠護達はジークの亡骸を囲みながら黙って見つめる。


 白銀と黄金の応酬は、動きを変えるたびに筋となって軌道を描く。

 弾いて、流して、受け止める。

 ゲームで言うところのパンチとキックを繰り出しているだけに過ぎない。


 それでも、二人から伝わるのは勝利への揺るぎない執着。

 たとえどちらかが命を奪ったとしても、この戦いは元より己の命を削るものだ。

 その中で死んだとしても、全ては自己責任。


 薄情かと思うかもしれないけれど、それがこの戦いにおいて絶対の掟。

 それが分かっているからこそ、日向もカロンも手加減はしない。

 互いの剣先が、相手の皮膚を掠り、血を流しても、顔色一つ変えないまま剣を振り続ける。


(――思えば、どうして私はアリナに惹かれた?)


 最初は、ただの貴族の娘だった。

 カロンにとって家族は利用価値の高い駒だったけれど、アリナは地方貴族の娘で自分が目にかけるほどの利用価値はなかった。

 それも魔法を見つけたことで、一気にその価値が上がった。


 そこからは、いつも通り利用した。

 彼女の持つ魔法の知識と技術を、国の発展という名目で広めさせ、四大魔導士という大それた名を与え、そして王国の礎として死ぬためにあらゆる助力をした。

 他国に身柄を狙われようとも、生きてさえいればどうとでもなると思いながら、エレクトゥルム男爵家の警備強化の嘆願書は全部破り捨てた。


 もっとも、カロンがわざわざ嘆願書を破り捨てなくても、魔法がある以上彼女に手を出す輩は悉く返り討ちに遭っているため、これもある意味無意味な行為だった。

 それでも、彼女達はカロンが望む成果を上げて、国のために色々と手を尽くしてくれた。

 その姿がまるで神のように神々しく、国王である自分はまるで神に縋る信者のように思えてきた。


(私は〝神〟など信じない。だからこそ、生きている彼女を〝神〟として見ていた)


 ああ、死ぬほど嫌だか認めよう。

 自分がアリナに抱いていたのは、愛の皮を被った崇拝だ。

 彼女ならば誰にも穢されず、純粋無垢のままでいてくれると思い込んでいた。


 だけど、アリナはクロウの物になった。

 それを知らされ、謁見の間で幸せそうな顔で報告する二人を見て、カロンの中に渦巻いたのは激しい怒りと憎悪、そして狂うほどの執着だった。


(あの女を手に入れるために、私はなんでもした)


 フィリアに頼んで魔法の研究成果を盗ませ、郊外で非道な実験を行わせ。

 その罪を全てジークに押し付け、そのまま国の反乱を見て見ぬふりをした。

『落日の血戦』でクロウが死んだのは幸運だった。深く傷つき弱っているアリナを手に入るチャンスが来たのだと、顔には出さず内心では歓喜で震えていた。


 結局、その企みも全てお見通しで、自分は永遠に解けない呪いをかけられた。

 その後は数えきれないほどの転生を繰り返し、今日という日を迎えた。

 あのまま自分が望む新世界が手に入ったのに、誰もが否定する。


(分からない。どうして否定する? 何故、そこまで――)


 ――お前は、私の思い通りになってくれない?


 そう思った直後、カロンの手に衝撃が走る。

 我に返ると、日向の腕が上に向かっていた。それは《スペラレ》が、カロンの剣を弾き飛ばした態勢だと、ようやく気付いた。

 態勢を戻そうとするも、日向は詠唱を唱える。


「――『000フィナリタス』」


 それは、初めて聞く無魔法の詠唱。

 直後にカロンの胸元に、白銀の刃が突き貫かれた。



《スペラレ》の刃が、カロンの胸元に突き刺さる。

 すでに呪いで黒くなった体は、《スペラレ》の刃を中心に円形の空洞が生まれる。

 空洞の中は全て黒く塗りつぶされていて、この空洞の中にあった肉も血管も骨も跡形がない。

 そっと刃を抜き、後ろ歩きしながら距離を取る。


「その…………魔法は、なんだ……? 初めて聞いたな……」


 ひび割れた声を出しながら問いかけるカロンに、日向は《スペラレ》を腕輪に戻しながら答える。


「この魔法は、無魔法の上級魔法…………全てを無にする魔法」

「……無だと…………? 何を、無にするんだ……?」

「全てだよ。あなたの体も、意識も、魂に刻まれた情報も、全部」


 全てを無にする。

 それは、ただカロンを消すというものとは違う。


 本当に、全てを無にするのだ。

 カロン・アルマンディンという男がいた情報、全てを。


「この魔法によって、あなたの魂は漂白される。これまでその魂が生きて、世界に記録した情報は消される。……つまり、はもう、二度とこの世界で生まれない。漂白された魂は、姿は似ただけの全くの別人として生まれ変わる」

「………………そうか。は、ようやく解放されるのだな」


 呪われ、定められた寿命で死を迎える魂が。

 ようやく解き放たれて、自由になる。

 その事実は、カロンの口元に笑みを浮かべさせる。


 とても弱々しくも穏やかな、優しい笑み。

 初めて見るその顔に、誰もが目を見開く中、カロンの足元の床がひび割れながら崩れる。

 重力に従い、落ちていくその姿を、日向はただただ寂寥を宿した目で見つめる。


「………………日向」

「……分かってる。まだ、やるべきことがあるよね」


 悠護が声をかけると、日向は笑顔を向ける。

 その目の縁に薄っすらと涙が浮かんでいたのを見て見ぬフリをしながら、悠護は上着を脱ぐとそのままジークに巻き付ける。


「……ったく、勝手なことしやがって。次生まれ変わったら、どんな立場になってようとコキ使ってやるからな。覚悟しとけ」

「そうだな……安心しろ、悠護。もしイギリスでジークを見付けたら、その時はオレの従者としてそばに仕えさせよう。勝手に死なないよう、みっちり躾けてやる」

「うわぁ、ジーク可哀想……」

「というか、どっちもコキ使う気かよ」

「う、うーん……これはアリなのかな……?」

「アリやろ。ワイだって同じこと考えとったし」


 誰もがジークの亡骸を囲みながら、みんながわいわいと勝手なことを言う。

 それは後に悲しみを共有させるための下準備。それを知っている日向は、指先に魔力を灯す。

 ぽうっと蛍の光のように灯った魔力は、床に向けさせると意志を持ったように日向を中心に円を描いていく。


 円を最初に、内側にもう一つの円。円と円の間に神聖文字ヒエログリフを刻み、内側の円の中には六芒星。そこに複雑な幾何学模様を描く。

 これは、〝神〟と会うための魔法陣。

 この時まで、日向がずっと考え、何百枚と描いてきた魔法陣。


「……じゃあ、ちょっと行ってくるね」

「ああ。さっさと終わらせて、帰ってこいよ」

「うん」


 悠護の言葉に、日向は笑顔で返しながら、魔法陣に魔力を注ぐ。

 琥珀色の魔力が辺りを満たす中、日向は詠唱を紡いだ。


「天地を創造せし、原初の〝神〟よ。今一度、あなたとの謁見を望む。我が名は日向、【起源の魔導士】アリナ・エレクトゥルムの魂を受け継ぎし者。今日この時を以て、我は汝の秘宝を返却す」


 琥珀色の魔力の輝きが強さを増す。

 魔法陣がくるくると動き出し、光の奔流に飲まれながら、最後の詠唱を告げた。


「―――『邂逅オクルスム』」

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