第39話 あの日の言葉
目の前で、大切なパートナーが傷つけられた。
その事実は理性を保つための糸をギリギリ保っていた悠護にとって、その糸が切れるのには十分な引き金だった。
カラスを使った爆破攻撃によって灰色と黒が目立つ地面に倒れ、血と言った赤い絨毯が広がり始めるのを見て、急いで日向の元へ駆け寄る。
細い体を抱きかかえると、思わず見惚れてしまうほど似合っていたドレスが赤く染まり、自身のシャツにも手にも血がつく。
気を失い、瞼を固く閉じた顔は苦痛に堪えるように歪んでいて、思わず母を重ねてしまう。
母は冬になるとほぼ確実にインフルエンザに罹り、いつもベッドで苦しそうに息を吐いていた。どれだけ氷枕や氷嚢を用意し、部屋を暖かくし、栄養のあるものを食べさせても、普通の病人より倍治りが遅かった。
その時の母は今の日向のような顔をしていて、毎日学校に行く前や家に帰ってきた時はこっそりとドアの隙間から覗いていた。治っていますように、と何度もお願いしながら。
(……なんで……なんでだよ……。……なんでいつも、俺が大切にしいたい奴が苦しむんだよ……)
大切だから、苦しませたくない。
大切だから、守ってやりたい。
大切だから、傷つけられたくない。
誰かを想い、慈しむ気持ちを向けるのは間違いではない。だが、その気持ちが必ずしも良い結果を招くとは限らない。
大切にし過ぎてしまうと悪意がやってきて、逆に大切にし過ぎないと遠慮のない害意がやってくる。
矛盾だらけだと思う。だが悠護にとって、それはいつもそうだった。
仲良くなりたいと思った子はいた。でもそのほとんどが、自分を大切にし過ぎる幼馴染みの少女によって傷つけられる。
ちゃんと謝ろうとしても、「ごめんね」と言おうと思っても、みんなこれ以上痛い目に遭いたくないから自分から遠ざかっていく。
何度も試した。
何度も心掛けた。
けどダメだった。
無駄だった。
誰もが自分から離れていく。誰も自分の話を聞いてくれない。数えきれないほど失敗し、失望した悠護はこれまで傷つけられた子達に謝ることも関わることをやめた。
けど一人になった途端、今度は家に取り入ろうとする子が増えていった。
楽しくもない遊びを「楽しいよ」と言い、笑顔なんて向けたくもないのに笑い、自分の機嫌を損ねないように顔色を伺うばかりの子達に、徐々に嫌気が差していった。
その嫌気を発散させるように、悠護は家にあるものをわざと落としたり、子供のおもちゃを取り上げては壊した。
そうすれば誰かが叱ってくれて、この悪感情を消し去ってくれると信じてた。だが現実はまったくの正反対で、片づけをするメイドは一部始終見ていた「お怪我はありませんでしたか?」とわざとらしく心配し、おもちゃを壊され泣く子供は親に頬を叩かれ悔し泣きしながら謝った。
(――違う。違う。違う。俺が望んだのはこんなのじゃない)
どんなに頑張っても思い通りになれない結果に苛立つも悲しくて、部屋に閉じこもる自分に幼馴染みの少女は呪いのように「ゆうちゃんは悪くないよ」と同じ言葉を繰り返す。
そうしていく内に、いつしか悠護は『魔導士』という存在に嫌悪を抱くようになった。
我欲に塗れ、魔法を使えない者を見下し、己より位の高い人間に取り入って更なる贅沢を求める彼らを、悠護の目にはまるで化け物のように映っていた。
そんな化け物からどんなにお世辞を言われても心に響かず、作り物の笑顔を向けてもなんにも感じず、できる限り化け物と関わらないように心掛けた。
自分から孤独に突っ込むような真似だが、そうすることで悠護は自分自身を守っていた。
己と関わらなければ誰も傷つかない。泣かない。痛い目に遭わないと分かってしまったから。
(――ああ、魔導士というのはなんて醜い生き物なんだろう。あんなモノと同類にはなりたくない。俺は――魔導士が嫌いだ)
こうして黒宮悠護という少年は、魔導士の身でありながら魔導士嫌いになった。
たとえ自分が魔導士である事実が消えなくても、醜い生き物になるまで成り下がりたくない。ずっと一人でいい。そう思っていた。
だが、悠護は出会ってしまった。自分を変えてくれる少女に。
突然魔導士になり、陰謀蔓延る世界に来てしまった彼女を、悠護はただ『哀れな存在』だと思った。
だが彼女は妙に鋭く、これまで悠護が隠していた秘密を暴いてしまった。暴かれ、ほんの少し過去を話したら、少女は優しく自分を抱きしめてくれた。
「頑張ったね」と「泣いていいんだよ」と言われた時、思わず息を止めてしまうほどの衝撃を受けながらも、まるでこれまで故意に孤独で居続けた自分を褒めてくれたようで嬉しくて思わず涙が溢れた。
久しぶりに心開いた少女と過ごしていく内に、悠護は少女の心の強さの輝きが増すのを感じた。
家のせいで女子から敵愾心を抱かれても、類稀な力を狙われても、彼女はへこたれなかった。たとえ落ち込んでもすぐに気を取り直し、自分が行きたい道を進むその姿は悠護には眩しかった。
けどその姿をずっと見続けたいと思った。その心の強さを自分も持ちたいと思った。
そのために、少女は自分が守ろうと決めた。どんな害意にも悪意にも脅威にも立ち向かい、少女と共に歩みたいと思った。
――なのに、今その少女は、豊崎日向は傷つき、悠護の腕の中で苦しんでいる。
(どうすればいい? どうすれば俺は、こいつを守れるんだ……!?)
苦しげに息を吐きながら上下に胸を動かす日向を見下ろしながら、悠護は目の前に現れた敵を見る。
父の右腕と信じていた男と、その隣にいる緑色の羽毛が特徴的な異形。この一人と一体が、日向を傷つけた元凶。
なら、こいつらをどうすればいい? 答えは簡単だ。
(
――彼女を傷つけた奴らを。
(
――たとえこの身が傷ついても。
(
――一人も残さずに。
視界が真っ赤に染まる。耳には金属が重なり合う音しか聞こえない。喉から獣のように雄叫びを上げる。
そうして『黒宮悠護』という人格の扉は、『怒り』という名の頑丈の鎖と錠によって封じ込められた。
☆★☆★☆
「――ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!」
突如として現れたそれに周囲が驚愕と恐怖で息を呑む中、狼のような兜から黒鉄獣――悠護の真紅の瞳が獰猛に光っており、その目は目の前の右藤にしか向けられていない。
悠護はそっと日向を仰向けの状態で地面に降ろすと、足に力を入れて強く蹴る。一瞬出来メラの元へ間合いを詰めると、刃のついた手を振り下ろす。
『キュエエエエエエエエッ!?』
爪は見事にキメラの胴体に深い三本の傷を作り、キメラと悲鳴をあげると、自身の命を奪う者から離れるために両腕の翼をはためかせて上昇した。
「なっ……!?」
右藤が一瞬の瞬きの間にキメラに深手を負わせた事実に驚愕するが、ギラギラと光る真紅の瞳がこっちに向けてきた瞬間、舌を打つとそのまま茂みの中へと走っていく。
時々足に枝が引っかかり、根っこに足を捕らわれそうになりながらも走り続ける。
(クソッ、完全に暴走している。魔導士が暴走したらしばらくは誰にも手をつけられない
魔導士の暴走は、天災と同義だと言われている。
理由としては自我のないまま行使した魔法の威力が桁違いで周囲へ甚大な被害を被ったり、時には敵味方区別なく殺傷を行うからだ。それだけ聞くと手がつけられないと思われがちだが、その魔導士自身が暴走した魔力に体が耐え切れず死に絶える。
貴重な魔導士を失わないようにIMFはなるべく殺さないよう捕獲することを方針にしているが、今のところそれが成功した話はあまり聞いていない。
(だが、これは都合がいい。このまま暴れて悠護様が死んでしまえば、黒宮家の血が絶えるのはほぼ確定。一番黒宮家の血が近い桃瀬家は後々排除すれば問題ない)
そう考えると、悠護の暴走は右藤にとってはまさに渡りに船だ。
思わずにやけてしまう口元を手で隠しながらホテル近くの道路に停めていた車に乗り込む。二〇二〇年代から道路交通法が改正し、満一六歳から運免許取得可能年齢になり、全ての自動車には制御AIが搭載するよう義務つけられた。制御AIのおかげで事故発生率は下がったが、こういった逃走などには邪魔でしかない。
右藤はスーツのポケットからバタフライナイフを取り出すと、オートマに設置されているAIに突き刺す。ナイフを刺されたAIからバチバチと火花があがり、細い黒煙を生み出す。
焦げた匂いが鼻腔を刺激するが、これでAIが使えなくなったと思えば大したことではない。モニターからは『制御AIが損傷しています。お近くのショップで修理をお申込みください』と警告しているが、騒音でしかないそれを『OK』のボタンを押して止める。
キーを回してエンジンをかけ、サイドブレーキを下すと、後ろから重量のある何かが落ちてくるのが聞こえてくる。
ルームミラー越しには悠護の姿があり、右藤はアクセルを何度が踏んでエンジンをふかす。
「そうです、私の方へ来なさい。あなたが私を追いつめた場所で、あなたの命をもらいますから」
思いっきりアクセルを踏むと、車はタイヤと地面が擦れ合う耳障りな音を出しながら発進する。
そのタイミングに合わせて悠護は四つん這いのまま走りだす。手足の爪でコンクリートが抉れるのを構わないまま疾走するのを見ながら、右藤は胸ポケットに入っている
「『ハーピー』、あなたはそのまま私と共に来なさい。次の命令がくるまで悠護様を攻撃してはいけません」
一方的にそう言ったと、右藤は運転に意識を集中させた。
今右藤の胸ポケットにある
『
この
だが右藤の心では、
(米蔵様が大変信頼を寄せているあの紅いローブの青年……彼があの『レベリス』であるのはほぼ間違いない。しかも裾に白レースがあしらわれているのをみるに、幹部クラスの人間なのは間違いない)
世界中の国際魔導士連盟が所有している魔導犯罪組織関連資料には、『レベリス』についてはその全容は詳しく書かれていないが、彼らの着ている紅いローブには特徴があると記されている。
『レベリス』の構成員の証である紅いローブには、裾に白レースがあしらわれているのとないものがある。
白レースがないものは一般構成員、白レースがあるのは幹部クラスであることを示す。主人の協力者として現れたあの男のローブには、その白レースがあしらわれていた。
(悠護様とは年が近いのに幹部クラスとは……一体どれほどの所業をしてきたんだ?)
魔導士差別主義者達が魔導士になった子供をどこかに置き去りにしたり、高い金を払って施設に放り出すことがある。
そうなった子供は非合法組織によって奴隷として売られるか、構成員として育成させる。たとえ施設に送られたとしても、その施設で普通の生活が送れるかは分からない。
そういう理由から、あの青年もそういった類の人間だと思うと考えるのが自然だ。
(信用できるかできないかは些細な問題だ。今は命令を遂行しなくては)
ルームミラーでは先のカラス爆弾を仕込んだ仲間の魔導士が、今度は悠護の目の前に薄汚れた野良犬数匹を登場させる。
右藤と協力関係にある魔導士は、動物を操って自爆攻撃をさせるという行為が問題視され、数年前にIMFから除名された経歴がある。
彼もまた墨守家が七色家入りを果たせば、IMFに再加盟する上にそれなりに高い地位の席を用意するという条件でこの作戦に参加している。
操られている犬は叫びながら悠護に向かって突進すると、首についてある
今犬の首輪についている
『起爆点』となる座標を設定し、対象が接近すると同時に爆発と発火が起こる仕組みだ。威力はC4――プラスチップ爆弾三〇個分相当で、直撃でもしたら一般人は即死、魔導士でも瀕死確実だ。
だが色濃い黒煙が徐々に晴れ、犬だった肉片や内臓が飛び散っているその場に、悠護は四つん這いのまま生きていた。自身を纏っていた鎧が剥がれ落ち、そのまま真紅色の粒子となる。
すると爆発の影響で折れ曲がった標識がギギギと音を鳴らしながら震えると、根本から引きちぎられ黒の金属片へと形を変える。同じくガードレールやコンクリート下の水道管も金属片に変化すると、そのまま悠護の鎧へと同化していく。
ビキビキと音を立てて元の鎧へと姿を戻していくのを聞きながら、悠護はもう一度吼える。
「グァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
お腹の底まで震える咆哮は、まるで犬の失った命を嘆き悲しむかのようなものだった。
恐らく今の悠護の目には、道具として利用され殺された犬も彼の怒りの元となったものと結びついているのだろう。
アクセルが壊れんばかりに踏み込み、普段あまり出さない速度にとてつもないGを感じながらも車は彼の死地となるだろう場所へ進む。
「悠護様。我が主人の悲願のため、あなたの命を米蔵様の踏み台になってもらいましょう」
「――た、――なた、――日向ッ!」
「っ……!?」
体を揺さぶられ、泣きそうな親友な声に日向は目を開く。
目の前には青空をバッグに泣きそうな顔でこちらを見る心菜の顔があり、反対側には樹がほっと安堵の息を吐いていた。
「心菜……樹……」
「よ、よかったぁ……! 日向が無事で……!」
目の縁にできた涙を拭う心菜を見ながら、日向は鉛のように重い体を起こす。
途中で樹が支えてくれたおかげで、なんとか上半身を起こすことに成功する。だが庭園の荒れた惨状よりも、意識を失う前にいたはずの右藤とキメラ、そして悠護の姿がないことに気づいた。
「……樹、悠護は?」
日向の質問に樹が眉をひそめるが、彼はやがて決心したように顔つきを変えると口を開いた。
「いいか日向、よく聞け。悠護はお前が傷つけられたせいで暴走した」
「暴走って……、それマズいんじゃないの!?」
「ああ、マズい。あのままじゃ多分あいつが死ぬのも時間の問題だ。俺と心菜は悠護を助けにいくつもりだが……正直に言えばお前はここに残った方がいいと思ってる。何しろ重傷を負ったあとだからな、できるなら安静にして欲しい」
魔導士の暴走がどれだけ危険なのか授業で思い知っているため顔を真っ青にするが、樹の言葉に動きを止める。
「……だが、お前のことだから多分納得しても無理でもついて行くだろうとは思う。で、日向。お前はどうしたい? 俺はお前の意思を尊重するぜ」
樹だって頭では理解している。さっきまで日向は重傷を負っていた。いくら心菜の生魔法のおかげで完治したといって、ダメージが残っている。
もしかしたら日向を人質にする可能性だってある。そう考えると日向はここに残った方がいいと思うが、彼女自身はたとえ納得しても自分が決めた道を進むことを知っている。
しばらく顔を俯かせて黙り込んでいたが、すぐに顔を上げる。その顔には固い決意が宿っていた。
「――行くよ。悠護はあたしが、正気に取り戻してみせる」
予想していた答えなだけに樹は思わず顔を緩め、パシンッと拳を手の平に当てる。
「よっし! じゃあ早速行こうぜ。行き方は強化魔法で脚力上げて走っていくか?」
「それより車の方がいいと思う。誰かに頼めば大丈夫かな?」
「でもさすがに一緒に行ってくれる人はいないと思う。樹の方法でいこう」
テキパキと移動手段を考える三人に朱美を含む招待客が呆然としていると、それまで無言を貫いていた徹一が動いた。
「待ちなさい。君達、本当に三人だけで行くのか?」
「そうですけど……何か問題あります?」
「それに関しては問題がないとは言い難いが、気にするところではない。問題は君だ、豊崎日向」
思わず足を止めて訊いてみると、徹一の言葉に首を傾げる。
「君は、何故悠護を助けようとする」
「何故って……そんなの、あたしが彼のパートナーだからです。それ以上も以下もありません」
「……本当にそうか?」
日向の答えにさらに険しくする徹一の様子を見て、苛立った樹が反論しようとするが日向が手をかざして止める。
「徹一さん、何が言いたいのですか? この際正直に言ってください」
「そうか、なら言おう。――豊崎日向、君が悠護を助けるのは本当にパートナーだからという理由か? これを機に私達七色家に取り入ろうとしているのではないのか?」
確かに正直に言えと言ったが、ここまで無遠慮に言われることは日向も予想していなかった。
樹と心菜が目を見開いて固まり、朱美や鈴花、それに希美が他の招待客と共に静まり返る中、日向は「はぁあ~~……」と大きなため息を吐く。
そのまま動いたせいで髪がぼさぼさになって、辛うじてついているパールのバレッタを手に取る。バレッタが外したことで微かにカールのかかった髪が腰まで流れ落ちる。
手に持ったそれを振り上げると、そのまま徹一に向けて投げつけた。
バレッタは徹一が防御としてあげた腕に当たりそのまま地面に落ちると、周囲の人間は全員息を呑む。
仮にも七色家の当主でありIMFの日本支部長である徹一に物を投げつけること自体無礼どころか不敬罪だ。そんなことを顧みずにしでかした日向は、睨みつけるように琥珀色の瞳を徹一に向けた。
「……徹一さん、あたし最初に言いましたよね? そんなものに一ミクロンにも興味ないって、それはあたし自身の本心です」
静かに、だか怒りを孕んだ声で日向は言った。
「悠護を助けるのはなにも彼が七色家の人間だからじゃありません。たとえ彼がどんな家の人間でも、あたしは悠護を助けに行きます。彼のためじゃない、あたし自身のためにです」
口から出てくる言葉はあまりにも真っ直ぐで、徹一だけでなく周りも聞き入っていた。
「たとえ偽善と言われても、あたしは彼を助けたい。いえ……それ以上に、あたしは悠護には幸せになって欲しいし、幸せにしたいと思っています。たとえ彼が望もうが望まないが構いません」
その真っ直ぐさはあまりにも眩しくて、目の前に少女が直視できない。
「それに……あたしは、悠護を一人の人間として見ない『黒宮家』の名に、なんの価値はないと思っています」
その言葉に、徹一は初めて日向の目の前で目を見開いた。
「周りは名に価値があると思っているけど、あたしはそんなわけないと思います。そもそもそれのせいでこんな騒ぎが起きてるんだから、むしろマイナスしかないですよ。それなのに誰もが名に固執してるなんて……くだらなすぎですよ、ほんとに」
ハッと鼻で笑い飛ばす日向のあまりにの清々しい態度に、樹は思わず口元に笑みを浮かた。
「……それが、君の答えか?」
「はい。これがあたし、豊崎日向の偽りざる答えです」
はっきりと、堂々と、黒宮家どころか七色家にケンカを売った物言いを告げる日向。
その姿が徹一も彼女も知っている人物の面影があり、口を開こうとした瞬間、豪快な笑いが庭園に響いた。
「あっはっはっはっはっ! やっぱり君スゴいよ! ボク、君のことがますます気に入ったよ!!」
笑いの主――アリスはお腹を抱えながら日向に歩み寄ると、そのまま彼女の肩に腕を回す。
「徹一さん、ボクも彼女達についていくよ!」
「本気か?」
「もっちろん! 戦力は多い方がいいでしょ? あ、怜哉くんはここで後処理よろしくね☆」
片手を上げて面倒事を押しつけるアリスに怜哉が微かに眉を寄せるが、しばらく考え込むとため息をつく。
「はぁ……まあ別にいいよ。その代わり、今度僕と戦ってよね」
「うん、いいよ。さっ、早く行こう!」
「えっ、あの、ちょっとっ」
「――待て」
怜哉の頼みをあっさりと了承したアリスは、そのまま日向の背中を押して駐車場に向かおうとする。
慌てて止めに入ろうとするが、日向の前に頑丈なケースを持った暮葉が現れた。
「アリス、俺も行くぞ」
「え? 暮葉くんも? 珍しいね、いつもなら面倒臭がりそうなのに」
「ああ、本当ならしたくねぇよクソったれ。……けど、俺がもっとちゃんとアドバイスしときゃこんなことにならなかった。ケジメくらいつけさせろ」
暮葉自身も何かしらの理由で今回のことについて負い目があるのか、エメラルドグリーンの瞳は真剣な光を宿している。
それを見てアリスはにぱっと明るく笑う。
「うん、いいよ! 暮葉くんの力ならかなりの戦力になるしね! 日向ちゃんもそれでいいかな?」
「いや、その……本当に手伝ってくれるんですか?」
日向の言葉に二人はきょとんとするが、すぐに笑みを浮かべた。
「そうだよ! ボクも悠護くんは気に入ってるしね♪ 助けたい気持ちは君達と一緒だよ!」
「俺はそんなんじゃねぇが……後輩が命張って知り合い救おうとしてんのに、先輩の俺が無視するわけにはいかねぇだろ」
そう言った二人の言葉に嘘はないと、日向は直感した。
根拠としては弱いかもしれない。だがこの二人の気持ちは本物だ。
「――分かりました。一緒に悠護を助けてください」
「うん!」
「当たり前だ」
日向の言葉に答えるように、二人はしっかりと答えた。
☆★☆★☆
息子を救うべく駐車場へと向かう少年少女達の背中を遠ざかる中、徹一は自分に啖呵を切った少女を見て懐かしそうに目を見つめる。
母親譲りの容姿をした彼女だが、あの物怖じしない性格は父親譲りだと、素直な感想が出た。
そう思いながら脳裏に浮かんだのは、豊崎日向の両親――豊崎暁人とその妻・晴の姿だ。
二人は魔導士の中では出世にも地位にも興味がなく、その気になれば高い地位につくこともできたのに、彼らはその話を何度も蹴った。
周りは二人を『変わり者』と呼んだ。裏では陰口を叩かれ、暁人に雑用を押しつける職員はいつも意地悪い顔で嗤っていた。だが暁人は気にすることなくその雑用をこなしていた。
支部のどこかで雑用をする彼を見かけるたび、徹一はその姿をじっと観察するように見ていた。
初めて暁人に国際魔導士連盟日本支部長としてはなく黒宮徹一個人として話しかけたのは、一二月に入った頃だ。
七月に生まれた悠護の首が据わってハイハイができるようになった頃、暁人は娘が生まれて一ヶ月経とうとした頃だった。高校卒業と同時に結婚し、一九歳の時に息子が生まれてから一〇年も経っていたが、暁人は生まれた娘を含めた家族写真を見ては幸せそうに微笑んでいるのを何度も見かけていた。
支部の裏庭で掃き掃除をしていた暁人が休憩なのかその写真を見ていた時に、徹一は彼に声をかけた。
それを聞いた暁人が戸惑わず写真を上着のポケットに入れ、両手を後ろに回した。
「黒宮支部長、こんな場所に何かご用でしょうか?」
「用はある。だがそれは支部長としてではない、私個人として用がある」
「個人として……ですか?」
首を傾げる暁人に、徹一は上着の内ポケットから煙草を一本取り出し、ライターで火をつける。
肺一杯に煙を吸い吐き出すと、徹一は口を開く。
「豊崎、お前は黒宮家をどう思っている?」
「どう、とは?」
「お前にとって黒宮家はどういうものなのか、ということだ。お前自身の感想が聞きたい。もちろんそれがどんな言葉でも処罰は下さないから安心しろ」
「……なるほど」
徹一の説明に納得したのか、暁人は無精髭が残る顔を少し俯かせる。
微かに眉を寄せながら考え込む彼の返答を待ちながら、徹一はゆっくりと煙草を嗜む。
暁人が答えを出したのは、ちょうど一本目の煙草を吸い終わった時だった。
「……私は、七色家の人間ではないので、責務については詳しくはないのでなんとも言えませんが……。ただ、黒宮家を限定させてもらいますと、私の答えはこうです」
真っ直ぐと、紺碧色の瞳が徹一を映す。
その瞳がまるで何かを見通しているようで思わずドキリとする。
「『黒宮家』の名に、なんの価値はないと思います」
暁人の口から零れた言葉に、徹一は持っていた煙草のフィルターを落とした。
「……理由を、聞いてもいいか……?」
思わず震えた声でそう問うと、暁人は顔色変えずに答えた。
「確かに他の魔導士にとって『黒宮家』は喉から手が出るほど欲しいブランドです。ですが、黒宮支部長を『黒宮徹一』という人間として見ない家の名には、価値なんてないのではないか……。そう思っています」
黒宮家の名に価値はない。あまりにも衝撃が強い言葉だが、同時に徹一は不思議と納得した。
今まで会って人間は、徹一を人間として見なかった。ただの権力のための道具として見ていた。
だからこそ、暁人のその答えは徹一の心の中にあった淀んだ感情を一瞬で吹き飛ばした。
「……なるほど、そうか」
どこか嬉しげに笑う徹一に暁人がさらに首を傾げると、徹一はすっと煙草が入った箱を差し出す。
「答えてくれた報酬として何か渡したいが、生憎今の私にはこれしかない。何本でも吸え」
「いえ、去年やっと禁煙できたので遠慮します」
「……お前、意外とはっきり言う男だな。いっそ清々しくて好感が持てる」
「そうですか?」
「ああ、そうだ」
クツクツと愉快そうに笑う徹一に、首を傾げていた暁人も自然と口元に笑みを浮かべた。
その日から、二人は時々会っては他愛のない話を交わし合う仲になった。時々暁人から娘の成長ぶりや息子のお転婆さについて愚痴を聞くこともあったが、それでもロクな家族団欒をしてこなった徹一にとっては面白い話であった。
時に晴も混じって話を交わすというそんな不思議な関係が続いたある日、暁人が晴と交通事故――正確に言ったと制御AIを破壊して逃走していた魔導犯罪者の運転の巻き添えを喰らって亡くなったと報告が来た。
最初は信じられなかったが、霊安室でボロボロな二人を見て現実だと思い知らされた。
葬式は別の予定と重なって参加出来なかったが、人伝から二人の子供は暁人の同僚が息子の方が成人するまで代理として保護者になったと聞いた。
それからは暁人の子供に関する話は聞かなくなったが、その一〇年後に彼の娘が無魔法を使える魔導士として覚醒し、悠護のパートナーになったと知った時はひどく驚いた。
だが心の中でどこか期待していた。あの暁人の娘なら、自分が望む言葉が訊けるのではないかと。
結果、それは叶った。日向は言った、『『黒宮家』の名に、なんの価値はない』と。
(……やはり、お前の娘の性格はお前譲りだな、暁人)
『そうなのか?』
脳裏で至極真面目な顔で暁人が訊いてくる。その答えを徹一は心の中で返した。
(ああ、そうだよ。真っ直ぐで、物怖じしなくて、遠慮がなくて――清々しいほど好感が持てるよ)
『――そうか』
心の中で徹一がそう答えと、脳裏でどこか嬉しそうに微笑みながら告げる暁人の姿が浮かんだ。
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