第255話 残された爪痕

 聖天学園を襲ったテロは、終息に向かいつつある。

 IMFと『クストス』の増援によってテロリストに劣勢に追い込まれ、次々と捕縛されていく。中には抵抗する者もいたが、容赦ない魔法攻撃によって意識を根こそぎ奪われる。

 魔導士専用の手錠をつけられ、次々と護送車へと運ばれていくテロリスト達をデリックとメリアは遠目から見ていた。


「……これでテロは終息したのでしょうか?」

「テロは、ね。問題は後始末とかだよ。最新鋭のセキュリティーと魔法技術で強固に守られていた学園がここまでボロボロにされたんだ。各国のお偉いさん方は黙っていないだろうね」


 今回のテロによって、聖天学園の安全性を疑問視する者は現れる。

 もしかしたら、聖天学園をどこかの国に移転させるという可能性があるが、半世紀経った今でもここ以上に治安のいい国はない。

 メリアもIMF職員として働いた経験上、日本のほうがまだマシだ。


「そういえば、裏聖天学園の方にもテロリストが侵入したのですよね? 大丈夫かしら……」

「向こうは『クストス』が制圧したって話が出てるけど……ああほら、ちょうど出てきた」


 デリックが指を指した方向には、淡い光を放つ半透明な扉から出てくる生徒達。それと同時に黒い寝袋を抱えた『クストス』職員も出てきており、どちらも疲労と恐怖でひどい顔になっている。

 あの黒い寝袋は、恐らく死体を運ぶためのもの。実際、現世にも死者は数名だが出ており、彼らも寝袋に入れられて別の護送車に運ばれている。


 治療院からは魔導医療関係者が総出で処置にあたっており、痛みを訴える生徒に傷薬を塗ったり包帯を巻いていく。

 中には母国語でスラングを吐いたり、錯乱状態でブツブツと不明瞭な言葉を言っている生徒も多く、これは二学期を無事迎えられるか分からない。


「なんで僕達がこんな目に遭うんだよ!?」


 その時、周囲が口に出せなかった不満や怒りを爆発させた声が響いた。


「お、落ち着きなさい」

「落ち着け? これでどう落ち着けって言うんだよ! 死ぬような目に遭わされてんだぞ!? 僕達は魔法を学びにこの学園に来たんだ。こんな……こんなテロに巻き込まれるようなことはしていない! 完全なとばっちりだ!」


 とばっちり。あの少年からすれば、確かにその通りなのだろう。

 しかしテロで被害に遭う者は、大体がとばっちりだ。単純にターゲットとなった場所に居合わせただけで、死ぬはずのない人間が死ぬ。テロというのはそういうものなのだ。

 それを未だ理解していない少年が唾を撒き散らしながら罵詈雑言を吐き続けていた時、


「うるさいぞ。患者は寝ていろ」


 背後から現れた青年が持っていた医療道具が入った箱を、あろうことか少年の頭上に落した。

 ガンッ! と、鈍い音が響き、ある種の凶器を落とされた少年は頭を抱えながら悶絶する。

 肝心の犯人は無表情で魔法で箱を手元に戻しており、呆れたように少年を見下ろしていた。


「お前はまだ若いから知らないだろうが……テロというのはこういうものだ。ある目的のためならば死人が出ることすら厭わず、武力を以て強者を捻じ伏せて倒す。お前達が巻き込まれたのは、単純に運が悪かっただけだ」

「運が……悪かっただけ……? そんな理由で納得しろって言うのかよ!?」

「しろ。というか、することしかお前にはできない」


 はっきりと断言され、少年はぐっと言葉を飲む。

 彼らの話を聞いていた周りも、少年と同じように納得できない顔をしていた。その顔を見て青年が言った。


「そもそも、お前達はなんのために魔法を学びに来た? 出世のためか? 他者を蹴落とすためか? 違うだろう、お前達が守るべきものを守るためだ。本来なら、魔法は自分だけでなく大事な家族や友人、恋人を守るために使うものだ。

 時代の流れによって、魔法の用途は人それぞれ違うようになってきたが……もしそれが我欲のために使うというのなら、お前達に魔法を学ぶ資格も使う資格もない。なんのために魔法を学び、使うのか……それを見直してから文句を言え。分かったな? クソガキが」


 九割九分の毒を吐いた青年の言葉は、まるでこれまで我欲のために魔法を使ってきた魔導士を見てきたような口ぶりだった。

 それに気付かず心当たりがある生徒が口をつぐんでおり、八つ当たりのように青年を睥睨する。その視線すら青年は平然と無視し、箱を抱えたまま歩き出す。

 その光景を見ていたデリックは、ひゅーっと口笛を吹いた。


「すごいね、彼。僕らが思っていたことを全部言っちゃった」

「あれでは周囲の反感を買うのでは……?」

「いいんじゃない? そもそも、僕だって自己中な理由で魔法を学ぶ連中は嫌いだし」


 現代の魔導士は国の宝として扱われ、そのことで血統や実力を重んじる魔導士の自尊心を増長してしまった。

 中でも本来なら庇護されるべき非魔導士や準魔導士を蔑み、家の存続や鬱憤を晴らす道具として扱っている。

 人間としての尊厳すら忘れた行為をする魔導士など、同胞であるデリックやメリアすら忌避する家畜にも劣る外道だ。


 それを、あの青年ははっきりと言ったのだ。

 世の理不尽も不条理も知らない、間違った『正しさ』を植え付けられた魔導士の卵達に。

 デリックにもメリアにもできなかった、小さくも大きな偉業を。


「なんだか彼に興味が出てきたな……名前は?」

「えっと、確か……ありました。聖天学園専属魔法医師、ノエル・クレンピウス」

「ノエル・クレンピウス、か……」


 メリアがタブレットで青年――ノエルの名前を見つけ出すと、デリックが興味深そうに目を細める。

 その視線がまるで獲物を見つけた動物のようで、受けられたノエルは背筋に悪寒が走って軽く震えるのだった。



☆★☆★☆



 現世にとって思い出深い湖の前で、カロンは静かに佇んでいた。

 前世ではビロードや毛皮、宝石が縫われた豪奢な服を全て取り払い、現代らしい服装をしていた。

 黒いロングコートにワインレッド色のワイシャツ、黒いパンツに黒革の編み上げブーツと、少なくとも烏羽志紀として着たスーツよりは似合っている。


 ――国中の令嬢が恋に落ちた美貌の男。

 ――誰にも心を許さず、高いカリスマ性で国を率いた聡明な王。

 ――天にまします〝神〟のように気高き人。


 かつて、周囲はカロンをそのように賞賛したことを思い出す。

 まるで持ち上げるように、奉るように、誰もが口々にそう言った。

 当時のアリナはその賞賛は些か誇張し過ぎだと口に出さずに思っていたが、今考えると自分を含めてカロンの本性を誰も見破れなかった。


 この男の本性は、目的のためならば他人の死すら踏み台にする、世界で一番恐ろしく最低な悪魔だと。

 何も知らなかったアリナ自分に言ってやりたかった。


「……こうしてお前と対峙するのは、あの日以来か」

「そうだね。……場所は違うけどね」


 カロンと二人きりになるのは、アリナが復讐として呪いをかけた日。

 あれからもう何百年と経っているというのに、今でも鮮明に思い出す。


蒼球記憶装置アカシックレコード』に初めて触れた感覚も。

 カロンの中にある情報を書き換える感触も。

 初めで喉から絞り出すように出た怨嗟の声も。


 全部、全部覚えている。

 永遠に忘れてはいけない、一度きりの復讐を。


「思えば私は、お前と出会ってから全てが狂ってしまった。『大の人嫌いのカロン王。永遠の寵愛を受けれるのは、人をやめた者のみ』と陰で言われていた私が、だ」


 自嘲しながら、カロンは語る。


「魔法に目を付けたのは単純にお前と顔を合わす口実として利用しただけ。魔法の研究など微塵も興味がなかった。……研究に目を輝かせて、友と笑い合うお前を見ていたい。それだけで、私は今まで感じることのなかった幸福を得ていた」


 告白するように。秘密を明かすように。


「――――だが、お前は私以外の男のモノになってしまった」

「…………っ!」


 瞬間、カロンから殺気が混じった魔力を放出した。

 空気すら重くのしかかり、内臓が押し潰されそうな気分になる。


「お前を手に入れたクロウが羨ましくて、妬ましくて、憎らしかった。近くにあったはずの存在が、二度と手に入らないと思い知った絶望は二度と味わいたくないと思うほどの感情だった。……だからこそ、全部奪おうと思ったんだ」


 ぎょろり、とガーネット色の双眸が日向に向けられる。

 真っ黒なガラス玉のような目が、恐怖と不気味が襲い掛かる。


「あの人体実験も、ジークの逮捕も、全部私が仕組んだ。肉体的にも精神的にも追い詰め、クロウをこの手で消したら後は手に入れるだけだった……それも結局、『レベリス』とかいうふざけた組織のせいで水の泡になった。そして…………この呪いを、受けた」


 ボタンを外し、ワイシャツが開かれる。

 細身なのに彫刻のように筋肉が深く刻まれており、そのきめ細かい白い肌には似つかない模様が浮かんでいた。

 木の根のように蔓延っている黒紫色の痣。血管のように浮き出ているものがあれば、肌を抉ったような醜い爪痕もある。


 あまりにもおぞましく、不吉な痣。

 普通の人ならば直視することすら憚れるそれの正体を、日向は知っていた。


「………………まさか、それは…………」

「そうだ。お前が『蒼球記憶装置アカシックレコード』を使い、この魂に刻んだ呪いの証。二七歳の誕生日を迎えた時、この痣は全身に渡り、筆舌に尽くし難い苦痛を受けながら悶え苦しみ、そのまま死に至る。……お前が望んだ通りの死を迎えるんだ」

「あ……」


 あの痣が、数百年も続く復讐の証。

 最初の『カロン』がどうやって死んだのか知らない。呪いをかけてすぐ抗争を終わらせるため振り返らずに、あの慟哭を聞きながら死地へと向かった。

 だから、あの呪いが一体どのように作用したのか今まで知らなかった。この目で、確かめるまで。


「どうだ。恐ろしいか? おぞましいか? 気持ち悪いか? 私の魂の髄まで刻んだこの呪いが!」

「……………」

「だんまりか。まぁ、それは分かっていた。想定内だ」


 一瞬で興奮を冷ましたカロンは、魔法で衣服の乱れを直す。

 魔法には興味なく、ただ国の発展に必要な研究材料としか見ていなかった国王が、率先して魔法を使う光景はひどく違和感があった。


「……さて、思い出話に花を咲かせてしまったが、本題に入ろう」


 そこで、ようやくカロンが話を切り出す。

 コートのポケットから金の腕輪を取り出し、そのまま日向に投げつける。色のないダイヤモンドがぎっしりついたそれを見て、カロンを睥睨した。


「『神話創造装置ミュトロギア』と接続した魔導具……よくもこんな悪趣味なものを作ったわね」

「今回はそれの動作確認の意味もあったが、この学園が邪魔になったからな」

「邪魔……?」

「ああ。使えない魔導士など、私の理想の世界には必要ないからな」


 理想の世界。

 それはきっと、人嫌いなカロンにとって都合のいいモノ。

 彼が『邪魔』と言ったものは全て正しく処分される国。


 カロンにとって、聖天学園は邪魔だった。

 だから、壊し傷つけた。

 ただ、それだけ。


「私の理想の世界には、日向。お前だけいればいい。私と共に、理想の世界を作り直そうじゃないか」


 近づいてくる。

 カロンが、悪魔が、〝神〟になろうとする男が。

 前世と変わらず恐ろしくてたまらない存在の接近に、日向は後ずさる。


 あの手に掴まれたら、日向は一生彼の道具に成り下がる。

 意思も抵抗も自由も主張も人格も感情も取り上げられて、何も感じず思わないガラスケースに入れられた人形のようになってしまう。


「いや……こないで……」


 彼と戦うための力はあるのに、本能が恐怖する。

 逃げたくないのに、殺したいのに、遠ざけようと必死になってしまう。


 綺麗と整えられた爪先が、日向の頬に触れようとした直後。

 轟音と共に、カロンの背後で何かが転がってきた。



「「!?」」


 突然の轟音に、思わず二人の動きが止まる。

 土煙を上げながら草の上を転がり、湖に落ちた何か。それがバシャバシャと音を立てて起き上がる。

 起き上がった何かの正体に気付き、日向はひゅっと息を呑んだ。


「リンジー……!?」


 彼をリンジーと認識するのに時間がかかったのは、本人の変化によるものだ。

 艶やかな黒髪が色素を無くしたかのように真っ白になっており、腕や足が老人のように細く衰えている。目もひどく濁っている上に焦点すら合ってなく、唯一無事なのは顔だけだ。


「あはっひゃはははははうふふあはは」


 壊れた機械のようにケタケタ笑うリンジー。その様子をカロンが冷えた目で見下ろしていると、彼の首筋に黒い刃が添えられた。


「――――よお、クソ国王様。お前の可愛い部下のスクラップぶりを見てどう思う?」

「何も。単純に哀れだと思っただけだ」


 カロンの背後に立つ悠護。彼は日向の肩を抱いて引き寄せており、その姿はまるで姫を守る騎士のよう。

 恋人が現れたことで、日向の顔から恐怖が消えて徐々に安堵が広がっていく。自分に向けるのとは違うその顔に、カロンの心がささくれ立つ。


「……まあいい。これでこの学園はしばらくロクに機能せず、お前達を守る安全地帯が消えた。それだけでも収穫だ」


 瞬間、カロンが指を鳴らすと未だ笑い続けるリンジーのそばに転移する。

 枯れ木のようにやせ細った彼の手首を掴むと、悪魔は妖艶な笑みを日向に向けて浮かべた。


「また会おう、日向。私は必ず、理想の世界を手に入れてみせる」


 再び指を鳴らすと、カロンは目の前から消える。

 いや、カロンだけでなくギルベルトといたサンデスも、怜哉にボロボロにされたフィリエも。カロンの手によって、強制的に転移させられた。


 破壊と蹂躙を尽くされた裏聖天学園とこれから待ち受ける波乱。

 この二つを残して。

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