第254話 新たな魔法

 無魔法には三つの呪文がある。


 一つ目は『0ゼルム』、これは決められた範囲の魔法を無効化する魔法。

 二つ目は『00エラド』、魔導士の命である魔核マギアを破壊する魔法。

 三つ目は『000カムビアティオ』、『蒼球記憶装置アカシックレコード』と接続し、相手の『魂の情報』を書き換える魔法。


 これまで無魔法は『魔法を無効化する魔法』という意味で伝わってきたが、三つ目の呪文によって『魔法だけでなく人間の魂を無に帰す魔法』という意味合いが強くなっている。

 もちろんこんな内容が世間に公表でもされたら、各国の政府機関は無魔法を特一級危険魔法として認定するし、それを使える日向も無期限の幽閉生活を強いられる。


 閑話休題。

 さて、この無魔法には他の魔法と違い、初級などのランク付けはない。

 もちろん魔力の消費量は『000カムビアティオ』が多いし、日向でなければ魔力切れになる可能性は高い。だけど、他の魔法にはない特徴がある。


 それは、

 これまでの魔法は一つの魔法から効果・属性が分類化され、長い年月を経て数多くの魔法を作っていった。

 しかし、現代において新魔法の開発は停滞化し複合魔法の開発に着目している。


 だが、無魔法はそうではない。

 使い手が限定されている上に全容が明らかになっていないブラックボックス。

 この魔法だけは、他人の手垢をつけることはできない。ただ一人を除いて。


(もし……もし、あたしの意思一つで新しい効果が生まれるとしたら?)


 今ある無魔法の呪文も効果も、アリナが『蒼球記憶装置アカシックレコード』に接続したと同時に作り出したもの。

 それが、生まれ変わりである自分にできないはずがない。


(なら、作り出せ。鈴木さんを魔導士として殺すことなく、堕天から救い出せる魔法を)


 アリナかつての自分でも作れなかった、ハッピーエンドに導ける魔法を。

 もう二度と間違いを犯さないように。

 そして、ヤハウェとの約束を守るために。


 体内で魔力を精製する。

 ふわふわとした魔力が一点に集中するように編まれていき、琥珀色の魔力が日向の全身を包む。

 オレンジとも茶色とも見えた魔力は徐々に変化し、金色の光へと変わる。


 金色の魔力は片手より少し大きい巻物のように変わり始め、そこから不思議な文字が浮かび上がる。

 巻物に変化した日向の周囲をぐるぐると囲み、剣から腕輪に戻した《スペラレ》の琥珀が強く輝きだす。

 目の前の光景に、『クストス』職員だけでなく鈴木すら息を呑んだ。


 金色の鱗粉に包まれながら、凪のように静かな表情で魔法を作り出す日向を見て、誰もが同じ感想を抱いた。

 なんて――――幻想的で、神々しく、美しい光景なのだろうと。


「あ、ああ……やめて……その光は、嫌い……っ!!」


 だが、徐々に強まる金色の光に鈴木の顔に嫌悪感が宿り始める。

 両手と一体化している剣に風魔法を付与し、鎌鼬かまいたちのような風刃ふうじんを生み出す。

 豪速で放たれた風刃は『クストス』職員を吹き飛ばしながら迫るも、直前で金色の光によって消される。


 ひゅっと息を呑み、それでも風刃を振るうことをやめない。

 だが、何度放たれても金色の光によって風刃は消される。同じように金色に輝く巻物にすら傷一つつかないまま。

 そうしている間にも、日向の右手に不思議な文字が集まり始める。パズルのピースのようにバラバラになっているそれを、文章になるようひとつひとつ直していく。


 丁寧に。慎重に。完璧に。

 誰にも読めない文字は、日向の手によって一つの文章となっていく。

 その文字は、ヤハウェと日向にしか読めない神聖文字ヒエログリフ。これから生み出す魔法に必要な大事な術式となるモノ。


「――――できた」


 日向の右手がぴたりと止まる。

 神聖文字ヒエログリフはただの文字の羅列ではなく、術式として相応しい文章へと変化し。

 直後、シュル……シュルルッと薄いものが這う音が聞こえてきた。


「……え……っ!?」


 音をした方を見ると、巻物が鈴木の体に巻き付いてくる。

 振りほどこうとするも巻物は手足だけでなく、ドレスを着た体ごと巻き付いてきて、両手の剣もいつの間にか元の手に戻っていた。


「や、やめ…………助け、てぇぇぇぇ………っ!?」


 反射的に悲鳴が出た口も、巻物によって覆われ。

 辛うじて残った右目で、鈴木は自分をこんな目に遭わせた魔導士の姿を焼き付ける。


 見慣れた琥珀色の髪も瞳も金色の輝かせた、憎き少女。

 すっと右手を前に突き出し、細い手首で白銀の腕輪が軽く揺らしながら、桜色の唇は詠唱を紡いだ。


「――――『00モディフィカディオ』」



 鈴木は、真っ暗な闇の中で眠っていた。

 耳障りな音も聴こえず、醜い光景が見えなくて、現実を鈴木にとっては天国のような世界。

 苦しみからも悲しみからも解放され、安息すら感じる。


(もう、このまま一生ここにいたい……)


 そう願うたびに、闇がずぶずぶと鈴木を飲み込んでくる。

 飲み込む感覚すら気にならなくなるほど、闇に身を委ねた時だ。


『――――呆れた。あなたってそんなにつまらない人間だったのね』

「っ!?」


 もう二度と聞くことのないと思っていた声が耳朶を打ち、閉じていた目を開く。

 鈴木の頭上から見下ろしているのは、聖天学園の制服を着た少女。

 青みのある黒髪をこめかみあたりの髪を三つ編みにして後ろに流し、後頭部には赤いリボンを結ぶというありふれた髪型。だけど、呆れと失望を滲ませた桃色の瞳はひどく覚えがあった。


「…………希、美……?」

『ええ。もう死んでるけど、あなたの知ってる桃瀬希美で間違いないわよ』


 少女――希美の言葉に、鈴木は思わず魚のように口を動かす。

 だけど、それも一瞬で。何かを思い出したように、顔から感情が抜け落ちた。


「…………なら、これはいわゆる死に際に見る幻覚なのかしら?」

『…………』

「随分と呆気ない終わりね。……でも、今の私には相応しいのかもね」


 親の圧力に逆らうことができず、婚約者には体のいい奴隷に成り下がり、自分の不遇を他者のせいにした。

 こんな人間として最低な自分には、今のこの状況こそふさわしい死に方だ。

 もはや生きる気すら手放そうとする鈴木に、希美は呆れた表情で言った。


『……はぁ、あなたって本当にバカね』

「え……?」

『これがあなたに相応しい死に方ですって? 現実のあなたは堕天して多くに人間を殺しているのよ。むしろこの場にいることすら分不相応よ』

「な、にを言って……」


 呆然とする鈴木を希美は一瞥し、そのまま彼女の頭の先の方へ視線をやった。


『少なくとも、あなたを助けようとするお人好しが、少なくとも一人いるわよ』


 希美が見ている方向が徐々に明るくなるのを感じ、半分飲み込んでいた闇から起き上がる。

 この暗闇の中では眩しすぎるほど強く発する金色の光。

 まるで冬の太陽のように温かいその光を呆然としながら浴びていると、希美は鈴木の腕を取って起き上がらせる。


『ほら、早く向こうに帰りなさい。ああして迎えが来ているのだから』

「い、いや! あそこには戻りたくない! 私はここでずっと眠っていたい!」


 ずるずると光の方へ引きずられかけるも、鈴木は必死に力を出して抵抗する。

 そうだ。自分はこの闇の中でずっと眠っていたい。そうすれば、あの地獄を味わう必要などない。


 駄々っ子のように首を横に振る彼女に、希美はため息を吐いた。

 直後、鈴木の額からビシッと鋭い痛みと衝撃が走った。


「あいたっ」

『まるで子供みたいに駄々をこねるなんて……本当にバカね、あなたは』


 鈴木にデコピンした希美は、見たことのない表情をしながら肩を竦める。


『人生なんて、理不尽と理解できないことばかり。そんなの小さい子供でも分かることだわ。……私も、それを理由に自分の想いが成就しないことを恨んで、矛先をそのまま豊崎さんに向けた。その結果、これよ。やり直すことも、新しい道を選ぶことすら、私にはできなくなった』


 死というのは、辛い現実からの解放と同時に更生の機会を奪う行為。

 希美の場合、その行為をあの狐の魔女によって強制させられた。一切の慈悲もなく、あの偽物の太陽によってミクロ単位になるまで消滅した。

 しかし、鈴木はそうではない。希美のように、ではない。


『でも、あなたはまだ間に合うわ。自分が犯した罪を償って、やり直しなさい。……ま、拒否権なんてないのだけど』

「えっ? ちょ、きゃあああああっ!?」


 問答無用で鈴木の首根っこを掴むと、そのまま光の方へ投げ入れる。

 情けない悲鳴を上げて光の中へ消えていく元友人を見送った希美は、足元からずぶずぶと這い寄る闇を一瞥する。


『……分かってるわよ。今から〝そっち〟に戻るから、急かさないで』


 先ほどまで鈴木を、今は希美を呑み込もうとする闇。

 この闇は、生前の罪を犯した者を地獄へと導く泥。数多くの人々の心身共に傷付けた希美も、この泥にとっては連行対象だ。もちろん、現実で人を殺した鈴木も。

 だが運よく、お人好し日向のおかげで鈴木はこの泥に呑み込まれることはない。


 体が徐々に泥に呑み込まれていく。

 爪先から体温が奪われ、全員が氷のように冷たくなる。

 そして肩まで泥に漬かり始めた時、希美は光が発していた場所を振り返った。


『――――元気にやりなさいよ』


 その一言だけ残して、狂恋きょうれんの戦乙女は泥に引きずり込まれて消える。

 残ったのは、地獄へ行く者を待つ闇だけ。



☆★☆★☆



 巻物に包まれた鈴木の体から、ドス黒い魔力が放出していく。

 まるで蒸気機関から噴き出した煙のように堕天の効果が失われていき、巻物もその魔力に反応して徐々に鱗粉となって消える。

 天へと上っていく鱗粉の中から出てきたのは、聖天学園の制服姿の鈴木。気を失うそのまま地面に倒れる彼女を、日向はスライディングしながらキャッチする。


「………っと、成功……したの?」


 初めて作った魔法の成功率は低い。

 完全に眠っている鈴木にそっと魔力を当ててみる。通常、魔導士は相手の魔力を当てられてもなんともないのだが、魔力がない人間には魔力を異物として感知してしまうため、拒絶反応を見せる。

 日向も魔導士として覚醒した時、周囲の人間を苦しめてしまったことがあるため、確認作業だけなのに思わず慎重になる。


 琥珀色の魔力が鈴木の頬近くまで迫る。

 ここまで至近距離に魔力が接したら、何かしらの反応がある。

 だけど、鈴木の反応はない。これはつまり……彼女が魔導士であることを示している。


「よ、よかった……成功してた……!」


 安堵で一気に疲労がやってくる。今すぐこのまま仰向けになって寝転びたい気持ちを抑えながら、落ち着いた寝息を立てる鈴木の背中を撫でる。

 周辺に控えていた『クストス』職員が警戒しながら近づき、信じられないものを見たような顔を日向に向けた。


「これは……一体……」

「見ていた通りです。彼女は堕天から解放されました。……身柄はあなたたちに渡しますが、どうかひどいことはしないでください」


 堕天していたとはいえ、鈴木は人を殺した。それはこの場に転がっている死体が物語っている。

 だけど、これまでの魔導犯罪者のように乱暴に扱われていいわけではない。

 そんな日向の意図を察したのか、リーダーらしき男性は構えていたマシンガン型魔導具の銃口を下に向けた。


「……分かった。命の恩人である君の要望は必ず叶えよう」


 リーダーの言葉に日向は小さく頷くと、控えていた職員達が亜空間収納から担架を取り出して鈴木を横わたらせる。

 そのまま運ばれていく彼女を見送り、日向は彼らに軽く会釈するとそのまま離れた。

 舗装された道を歩きながら、日向は静かに周囲を見渡す。


 さっきまで聞こえていた爆発音はしなくなり、大半が『クストス』と魔導犯罪課によって捕縛されただろう。

 今頃、裏聖天学園にいた生徒達は教師の手によって現世に戻っているはずだ。


(だけど、その前にやることがある)


 いつでも魔法が使えるように《スペラレ》に魔力を集中させながら森を歩く。

 学園の敷地内には四隅に森があり、聖天学園創立以前から住んでいる小動物がいる。さすがにこの異界には動物は一匹もいないが、腐った葉と糞尿が混じった土の臭いはそのままだ。


 現実とリンクする臭いを嗅ぎながら、日向が向かったのは湖。

 人気があまりなく、よく学園内でデートする時や互いにしか打ち明けられない話をする時に使うことが多い場所。

 その場所に、悪魔が静かに佇んでいた。


「新魔法の成功おめでとう。前世でも今世でもお前は『神に愛された者』なんだな、日向」

「どうしてこんな真似をしたのか、説明してもらうよ。カロン」


 一年ぶりに再会した『ノヴァエ・テッラエ』のリーダー、カロン・アルマンディン。

 日向この手が殺すべき悪魔は、自分の睨みを受けても笑みを浮かべるだけだった。

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