第253話 命

 リンジーが最初に殺人を犯したのは、クソな父を殺した時だ。

 貴族としての矜持と上流階級としての傲慢さを併せ持った父から逃げた後、生まれた娼館で母はすでに死んでいると告げられ、父を恐れた娼館連中から追い出された。

 行き場を失ったリンジーはしばらく路地裏で隠れるように生活をしていたが、ゴミを漁り肉屋の店主に蹴り飛ばされた日、ついに父への憎悪が溢れた。


 ――ぼくがこんな目に遭っているのは、全部あの男のせいだ。

 ――あの男がぼくを母さんから引き離さなかったら、こんなことにはならなかった。

 ――こんな惨めな思いをしているのは、全部全部あいつのせいだ!!


 恐怖が怒りへ、怒りが憎しみへと変わる。

 まるで自分の中で起こる激情に背中を押されるように、リンジーは父の屋敷へと走った。

 数ヶ月もあの屋敷で暮らしていたこともあり、父がどの時間にどの部屋にいるのか把握している。厨房で包丁を拝借し、足音を立てないように廊下を歩きある部屋の前で止まる。


 静かに扉を開けた先は、父の寝室。

 これから殺されることを知らない父は静かな寝息を立てていて、こんな男のせいで自分の人生が台無しにされたのだと思うとさらに腹が立ってくる。

 包丁を片手に、リンジーは父へと近づく。


 そして、勢いを殺さないまま父の心臓目掛けて包丁を振り落とした。

 柔らかい布団の上越しからでも伝わる肉の感触。突然の痛みに呻きながら目を見開いた父は、リンジーを見て何か言おうとするがその前に何度も包丁を振り落とす。

 命乞いする隙を与えず、ただ執拗に目の前の男を殺す。


 高級な寝台が真っ赤な血で染まり、魚みたいに痙攣しながら父だったモノは息絶える。

 白目を剥き、だらしなく血が混じった唾液を口から流しながら死んだ男を見て、リンジーは嗤った。


「アハハ……アッハハハハハハハハ!」


 ってやった。殺ってやった。殺ってやった!

 あれほど恐れた男が、こんな風にあっさり死んで清々した。

 リンジーの嗤いを聞きつけた執事が悲鳴を上げる前に首を掻き切り、持っていた燭台が床に落ちる。


 燭台には火が灯った三本の蝋燭が刺さっていて、執事を殺した際に手から滑り落ちて廊下に敷かれた毛足の長い絨毯に引火。やがてその火は蛇のように屋敷中を駆け巡った。

 火が屋敷を包み込むように燃え広がり、使用人達が悲鳴を上げながら逃げるのを一足先に遠くから見下ろす。


 全てが燃える。リンジーを束縛し、人生を破壊した悪魔の屋敷が。

 高価な調度品も、豪奢な衣服も、秘蔵の酒も、そして男の死体すら。

 全てが燃えて、消えていく。


「アハハハハハハハハハハ! アハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!」


 高らかに上げた哄笑は『殺人の申し子』の産声と変わり。

 リンジーは新たな人間へと生まれ変わった。


 殺人は、リンジーが心の内に秘めていた鬱憤を晴らすには絶好の行為だった。

 どれほど体躯が良く、悪知恵が働く相手だろうと、リンジーの殺人能力より上回らない。誰もがみっともなく命乞いするのを見ながらナイフを振り下ろし、肉を刺し貫く感触はたまらなく快感だった。


 やがてリンジーは魔法と出会い、ナイフ一本ではできなかった殺人方法を生み出した。

 後世で殺傷ランクが高く、中には習得すら特別な許可がいる危険な魔法の数々は、リンジーの発想によって生み出されたものがきっかけだが、その事実は本人すら知らない。

 そうして驚異的な殺人センスに目覚めたリンジーは、『落陽の血戦』でも大量の死体の山を作り上げた。


 誰よりも殺人に秀でて、どんな相手を殺せたことが自慢だった。

 だけど、あの男だけは殺せなかった。


【創作の魔導士】クロウ・カランブルク。

 四大魔導士の中では『最弱』と言われながらも、『魔導具の父』として名を遺した魔導士。

 周囲から貼られた『最弱』のレッテルは、彼の本当の実力を隠す隠れ蓑だと、あの日思い知らされた。


 何もできないまま地面に伏せられた。

 骨が折れ、筋肉の繊維が悲鳴を上げ、血が逆流したように口から吐き出される。


 あの時の痛みと衝撃は今も忘れられない。

 そして、その後の屈辱も。


 リンジーは『殺人の申し子』。

 殺し損ねた相手は、必ずこの手で殺さなければ気が済まない。

 たとえその相手が、あの男の生まれ変わりだったとしても。


 絶対に、この手で殺して……………殺して……………殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺―――――…………………


(……………………………………………あ、れ? ぼくは…………………)


 ――――――――誰を殺したいんだっけ?



「アハハハハハハハハハハハハハハハハ!」


 リンジーの狂笑が反響する。『神話創造装置ミュトロギア』の力によって寿命での魔力精製を果たしたリンジーの魔法は、通常の魔力よりも倍の効力を持つ。

 初球の攻撃魔法すら中級と上級の間にまで威力を底上げしてしまう。その代わり、今も精製されている寿命は魔力として消費され、リンジーの命を奪っていく。


 危険な行為だと知りながらも、悠護を殺そうとする執念。

 いいや。もはやあれは執念を超えた純粋な殺人衝動。

 一言では言い表せないそれが、今のリンジーを駆り立てる動力源となっている。


 身体強化魔法によって敏捷性が高まり、リンジーは目にも止まらぬ速さで追い詰めてくる。

《インフェリス》の穂先が魔装を破り、肌を傷付けていく。しかも攻撃の軌道が読めなくなっており、今の悠護には回避だけが精一杯だ。


(クソ、リンジーの動き、さっきより速くなってる。このままじゃジリ貧だ……!)


 上着のポケットからネジを出して、金属干渉魔法でナイフへと変える。

 風魔法の合わせ技で追尾できるよう仕込むも、リンジーは《インフェリス》を回転させながら弾く。

 しかもナイフの一部が跳ね返り、危うく自分の武器で怪我をしかける。


《ノクティス》を自由に扱えてから、前まで大量に持っていたネジの数を日に日に減らしていた。

 ネジよりもコストも手間もかからないため、自然とネジを使う回数もなくなってきたこともあり、補充すら何日か忘れることもあった。

 最初は特に何も考えていなかったが、今ではその行為が完全に裏目に出てしまった。


(ああクソ、やっぱ人間って便利なものを手に入れると色々とダメになるなぁ!)


 心の中で自分自身を叱りながら、悠護は《ノクティス》を交差して《インフェリス》を受け止める。

 さっきよりも重くなる攻撃を、必死に足を踏ん張らせながら弾こうとする。だが、悠護の願いとは反対に体が後ろへと下がっていく。


「……………ねぇ、何それ。まさか本気でこれなの?」


 汗を流しながら攻撃をせず、ただ防御と回避に徹する自分を見てリンジーが冷えた声で言った。


「本気でぼくを殺す気があるの? まさかぼくに同情して殺さないって思ってるの?」

「んな、わけ……ねぇだろ……!」

「じゃあ早く殺してみてよ。ぼくをさ。さあ、さあ、さあ!!」

「……?」


 殺し合いのはずのに、何故かリンジーが悠護に殺されることを望んでいる。

 というより、さっきからリンジーの言動がおかしくなり始めている。


「…………まさか……」


 あの腕輪は『神話創造装置ミュトロギア』と接続するために必要な鍵。

 だが、『蒼球記憶装置アカシックレコード』の劣化版である強力な魔導具と接続して、使用している人間に何かしらの影響を与えないのだろうか?


 ――答えは、否だ。


(リンジーの知性を代償に、『神話創造装置ミュトロギア』と接続してんのか……!?)


 もしかしたら、カロンは使用者の代償のことを話していないだろう。

 あの男が、そんな親切をするわけがない。

 そして――たとえ知ってたとしても、リンジーは迷わず接続していた。


「どいつもこいつも……っ、命を軽く見てんじゃねえよッ!!!」


 他人どころか己の命すら軽く扱う彼らに憤怒が沸き上がり、激情に駆られるように悠護は反撃を開始した。



☆★☆★☆



『………ねぇ、アリナ。君は、命をどう思ってるのかな?』

『え……?』


 まだ魔法が『奇跡』と呼ばれていて、あの小屋で秘密の授業をしていた頃。

 休憩として干し葡萄や木の実をつまんでいた時、ヤハウェがそう問いかけてきた。


 ヤハウェは時折、突拍子もない質問をしてくる。自分の答えを聞いて、彼は満足するか複雑そうな顔をして『それが君の答えなんだね。ありがとう、参考になったよ』と言う。

 今回もそうなのだと思い、アリナはこの前教会で聞いた神父の話を思い出しながら答える。


『命は、私達を生かす小さな灯。故に、天寿を全うするまで消してはならない尊きモノ……って、神父様から教わったわ』

『へぇ、とてもいい言葉だ。その神父は随分と含蓄深いお方みたいだね』


 アリナの答えを聞いて、ヤハウェは小さく笑う。

 そして、テーブルの上に置かれた燭台に刺さっている蝋燭の火を見つめる。様子すら儚く、神々しく見えてしまい、彼が〝神〟であることを思い出させた。

 思わず息を呑んでいると、ヤハウェはいつもと違う態度で言った。


『命はこの蝋燭の火のように、儚く小さく、そして一吹きで消えてしまうモノ……だからこそ、人間はこの命を守り、救うための技術を生み出した。けれど同時に、人間は命を奪い、消す技術も生み出した。どうしてだと思う?』

『それは…………えっと、人間に欲ができた、から……?』

『そう。人間は欲望を叶えるためならば簡単に命を賭けることがある。……だけど、それは僕にとっては不快なことだ』


 ピリッとした空気が肌を刺激する。

 心なしかヤハウェの全身が銀色の光で包んでおり、部屋に飾られている飾りや食器がガタガタと揺れる。

 その音に気付いたのか、ヤハウェの体から光が消えた。


『ごめんね、ちょっと八つ当たりしてた』

『ううん、大丈夫』


 本当はちょっと怖かったけど、怒られた犬のように落ち込む彼にこれ以上何も言えず、アリナは差し当たりのない言葉で場を収める。

 自分よりかなり……というか何世紀も違う年下の少女に気を遣われて軽くショックを受けながらも、苦笑しながら言った。


『えっと……つまり、僕が言いたいことはね。己の命を対価にするような真似はしないで欲しい。僕は、君達人間が騎士の誇りとか復讐のためだけに命を粗末にして、死んでしまうのが見たくないんだ』


 そう言った彼の顔はとても悲しそうに見えて、あの時の自分は約束した。

 だけど……結局、その約束を自分から反故にし、自ら命を絶った。復讐のために『蒼球記憶装置アカシックレコード』を勝手に利用して。


 だからこそ、今世ではあの約束を守ろうと決めたのだ。

 愛する人と今度こそ幸せになるために。



「…………ん……」


 ズキリとした痛みが全身に走り、閉じていた瞼を持ち上げる。

 どうやら気を失っていたようだ。口に土が入って、思わず顔をしかめて唾と一緒に吐き捨てた。


(あたし……なんで、気絶してたんだっけ? ……ああ、そうだ。あの時、鈴木さんの攻撃を受けて……)


 徐々に気絶する前の出来事が思い出してくる。

 鈴木が金属干渉魔法を使ったことに動揺し、彼女が猛スピードで懐に潜り込まれたことに気付かず、そのまま腹部に一撃を貰った。

 魔法によって強化された腕力の一撃はひどく重く、数メートル先まで吹っ飛ばされた後、そのまま木にぶつかって気を失った。


 ようやく気絶の理由を思い出した直後、前方でドドドドドドドッ!! と連射の音が聞こえてきた。

 その音に反応し、全身に走る痛みを無視して鈴木がいた場所へ向かう。

 途中で何度も転びそうになりながらも目的地に着いた直後、日向は言葉を失う。


 目の前に広がっていたのは、鈴木による一方的な虐殺。

『クストス』職員が撃つ銃弾すら己の武器に変え、的確に相手の命を奪っていく。


 ある者は撃った銃弾が弾かれ、そのまま撃ち殺された。

 ある者は銃弾が槍に変化し、その槍によって貫かれた。

 ある者は機関銃内部ある金属を操られ、そのまま串刺しにされた。


 地面が血で真っ赤に染まり、返り血が鈴木の服を汚していく。

 それでもなお、鈴木は恍惚とした笑みを浮かべ、高すぎるヒールを物ともせず回る。

 まるで、バレリーナのように。くるくる、くるくると。


「あはは……あははは……綺麗、ね……。ねぇ、もっともっと、私を、楽しませて……?」


 虐殺を楽しみ、血を浴びて笑む魔女。

 彼女が手を動かすたびに、周囲の者の命を無差別に奪われていく。


 その行為は、騎士の誇りのためでも復讐のためでもない。

 流れる血が綺麗だから。死んでいく者の様が楽しいから。

 人を、命を、ただの遊び道具と思っている。ただ、それだけの理由。


 直後、ブチッと日向の頭の中で何かが切れる音がした。

 目の前が真っ赤になる錯覚を味わいながら、日向は魔法で脚力を強化させて鈴木の目の前まで接近し、


「―――人の命を、軽々しく奪うなぁッ!!」


 そのまま、顔面に右ストレートを打ち込んだ。

 死体を作るのに夢中だった鈴木は、容赦のない一撃を受けてボールのようにバウンドしながら転がっていく。

 相手に一発殴れたのと、こめかみが切れてそこから流れる血によって、日向の心と頭に冷静さを戻ってくる。


 転がって近くの瓦礫にぶつかった鈴木が、声を上げぬままふらふらした足取りで立ち上がる。

 明確な殺意と敵意を向けてきた彼女を見て、日向は《スペラレ》を構え直しながら言った。


「――ありがとう、鈴木さん。おかげで、あなたを救う方法を思いついたよ」

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