第252話 嫌いだ

 鈍く輝く刀。刃毀れが一つもないその輝きは、しばらく見ていない内に強くなっている。

 切り揃えられた銀髪を見て、樹は呆然と口を開く。


「……怜哉……先輩?」

「そうだよ。ほら、しっかりしな」

「はぶっ!?」


 怜哉がこちらを向いた直後、容赦ない平手打ちを喰らう。

 魔導士の本気のビンタなど、常人が一発受けただけで頬が真っ赤に腫れる威力なのだが、魔法の負荷に耐えられるように頑丈にできている魔導士にとっては普通のビンタに変わりない。

 が、やはり痛いものは痛かった。というか、初めて生えてきた親知らずがグラついたような気がした。


「ねぇ、意識はっきりしてる? してるなら返事して」

「は、はふぃ……しへまふ……」

「うん、変な口調だけど意識あるならいいや」


 いや、こんな口調になったのアンタのせいだから! と、ツッコみたい気持ちをぐっと抑える樹。

 その間にも、怜哉はフィリエを睨みつけながら言った。


「さっきの精神魔法……香炉を使ったヤツだね?」

「お見事。正解よ」


 フィリエがドレスの裾から取り出したのか、真鍮の鎖で繋がれた香炉。

 あの時嗅いだ鼻にねっとりと纏わりつく甘い匂いの正体がそれだと気付く。


「『催眠の香ヒプノシス・オドレム』。魔導士本人が作った香を使って、相手を操る魔法……とても便利でよく重宝してもらっているわ。さすが、アリナ様ですわよね」


 まるでこの魔法を見つけたアリナを嘲笑うように言うフィリエに、怜哉は無表情を貫く。

 怜哉にとっては【起源の魔導士】アリナ・エレクトゥルムは教科書で習った偉人で、日向の前世だからといって特別な感情を抱かない。

 ただ単純に、それなりに可愛がっている後輩を惑わせた女に対する怒りが強かった。


「アリナなんて僕にはどうでもいい。……それより、さっきの話は本気なの?」

「さっきの……ああ、聞いていらっしゃったのですか」


 さっきまで樹達と話した内容を思い出し、フィリエは微笑する。


「もちろんです。この世界をカロン様が作り変えたら、きっと私達が望む素晴らしいモノになる。きっと彼らも共感してくれると思い、勧誘したまでです」

「勧誘じゃなくて強要でしょ? 大体、この二人が君のような性悪と手を組むなんてありえないよ」


 ごもっともな意見を述べられ、フィリエの顔が微かに歪んだ。


「どうせ君が望む『理想の世界』なんてロクなものじゃないし、彼らに世界を守る価値を説いても意味はない」


《白鷹》を突きつけながら、怜哉は語る。


「そもそも、世界を守るなんて大層な役目は、どんな人間だろうと背負えるわけがない。彼らが守るべきものは……何の変哲もない平凡で平穏な、幸せな日常。それだけで、いいんだよ」

「――――――――――あ」


 それは、苦悩と葛藤で板挟みなっていた樹を救い出す、魔法の言葉だった。

 世界を守るとか、価値とか、そんなもの一般人の樹にとっては知ったことではない。

 いや、大前提としてそんなことを求めていること自体間違っている。


 彼が守りたいのは、ただ一つ。

 友達と真面目に勉強して、たまに馬鹿なことをして先生に叱られて、一緒のテーブルでご飯を食べて、そして最愛の少女と結婚して幸せを噛みしめる、そんなちっぽけな日常なのだ。

 こんな大切なことを忘れていたことに、樹は思わず自嘲の笑みを浮かべた。


「は、はは……そうだよな。俺が守るものは、それだけでいいんだよな……」

「樹くん……」


 同じように救われた心菜が、ぎゅっと優しくも力強い力で手を握った。

 細くも柔らかい感触に、樹は決して離さないように握りしめる。

 その光景を見ていたフィリエの目は、まるで汚らわしいものを見るようなものだった。


「……ああ、本当にこういう茶番は大嫌いよ。お涙頂戴なんて古臭くて、知り合いの言葉だけで立ち上がる役者は大根以下。全くもって、吐き気がするわ」

「なら見なければいい。そのお綺麗なだけの目を潰せば問題解決だから」


 ばっさりとナイフよりも鋭い口調で切り捨てた怜哉は、《白鷹》の刀身に魔力を纏わせる。

 アイスブルー色の魔力が雪の結晶のような輝きを放ちながら、背後にいる二人に声をかけた。


「真村くん、神藤さん。行けるね?」

「「……はい!」」


 さっきと打って変わって元気よく返事をした後輩に、怜哉は小さく笑みを浮かべた。


「じゃあ、一緒にこの魔女を殺そうか」



 白石怜哉。

 七色家が一つ『白石家』の次期当主であり、卒業後はIMF日本支部魔導犯罪課第一課に配属。

 彼の戦闘スキルの高さが評価され、外交官などのIMFの重鎮達の警護に就くことが多い。

 それが、フィリエの持つ怜哉の情報だ。


 正直、自分の邪魔をする敵の情報など必要最低限あればいいし、魔法ですぐ殺せばいい。

 怜哉の情報も日向と関りがある人間の一人として集めただけだし、それ以上のことには興味がなかった。

 しかし、今はその時の自分を殺したいと思った。


(なんですか……なんなんです!? この戦闘スタイルは!)


 迫りくる白銀の猛威。幻覚魔法を使って分身を作ろうにも、秒で見破られてしまい、本体に向かって刃が飛んでくる。

 幻覚魔法を見破る方法は難しく、本当なら本体を見破るだけでも時間がかかる。

 なのに、あの白の剣士は見破る。その理由はある。


「怜哉先輩、ポイントGが本物だ!」

「了解」


 樹の持つ精霊眼。

 あの眼の力は、幻覚魔法など簡単に見破れる。しかもフィリエに悟られないように独自の座標を言ってきて、怜哉はそれを理解しているせいで確実に自分を殺しに来ている。


(それだけじゃない。あの魔導具、強化魔法だけじゃなくて呪魔法も付与している……しかも戦闘時に無詠唱で多重付与なんて私ですらできないのに!)


 魔導具への魔法付与は、本来事前に仕込んでおくモノだ。

 IMFの規定によって魔導具・魔装への魔法付与数は決まっており、有事の際には即興で魔法付与を加えることはある。

 しかし、戦闘真っ最中に魔法付与をするなど自殺行為。それをやり遂げ怜哉の手腕はフィリエすら舌を巻いてしまう。


(この男、現代の魔導士のくせにひどく戦い慣れている……尋常じゃない血臭と死臭がするわ)


 現代の魔導士ならばありえないほど染み込んでいる血と死の臭い。

 白石家は対暗部用暗部――魔導士界の秩序を乱す悪を裁く処刑人の名を背負った一族。

 ならば、この臭いの強さと魔法の腕は納得がいく。


 再び怜哉が動く。

《白鷹》をレイピアのように何度も刺突を繰り返す。スピードも常軌を逸脱しているのではないかと思うほどで、躱しきれなかった攻撃によって肌やドレスが赤く染まる。

 最後にご丁寧にもさっき悠護が貫いた箇所に刀身を突き刺し、治癒魔法で塞がりかけていた傷が開き血を流す。


 ゴホッ、と血が混じった咳を吐く。

 怜哉が刀身を抜くと同時に後退し、すぐさま治癒魔法をかけ直す。

 同じ箇所への攻撃は、さすがのフィリエでも堪えた。


「あなたといい……悠護様といい……レディへの扱いがなっていませんね?」

「世間一般だと、君みたいなのは『淑女レディ』じゃなくて『行き遅れ女オールドメイド』って呼ぶと思うけど?」


 さらりとディスった怜哉に、さすがのフィリエの作り笑いにヒビが入った。

 今までたくさんの男と褥を共にし、手駒として散々利用してきたフィリエだが、これまでの人生で結婚をしたことはない。

 そういう意味では的確な言葉だが、些か直球過ぎた。


「ふふ……ふふふふ……ふふふふふふふふふふふふ」


 壊れた人形のように笑い出したが、すぐに般若のような顔で怜哉を睥睨した。


「――――絶っ対殺します」

「いいね、やっと僕が望む殺し合いになってきた」



☆★☆★☆



「日向を、『蒼球記憶装置アカシックレコード』と一体化だと……?」


 サンデスから告げられた衝撃的な内容に、ギルベルトは困惑する。

 その顔を見て、サンデスは苦笑しながら言った。


「信じられない? でも事実だよ。あの人はもう、豊崎日向から愛を貰うことを諦めてるんだ」


 黒煙が立ち上る本物に近い作り物の空を見上げながら、サンデスは語る。


「そもそも『蒼球記憶装置アカシックレコード』は、元々〝神〟が世界の秩序を正しいものへ導くために、悪しきモノを排除するために作られた神造兵器。本当なら表舞台に出してはいけない神秘そのもの。それを……アリナは、一時の復讐のために利用してしまった」


「ま、多分俺も同じことしてたと思うけど」と付け加えるサンデスの話を、ギルベルトは静かに聞く。


「結果、『蒼球記憶装置アカシックレコード』はアリナの魂とリンクしてしまい、〝神〟にすら引き剥がせないほど強固な繋がりを得てしまった。そのせいで、接続権限はそのまま豊崎日向へと譲渡されてしまった」

「つまり、兄上はどうあがいても接続権限を手に入れることができないということか……?」

「そうだよ。兄上の計画に必要なのは『蒼球記憶装置アカシックレコード』と豊崎日向の接続権限。片方を失えば、その時点で失敗となる」


 さっきより痺れが取れて動けるようになったサンデスは、「よっこらせ」と言いながら立ち上がる。

 そのまま柔軟体操をしながら話を続ける。


「だけど、兄上はもう豊崎日向から愛を貰うことは諦めている。当然だよ、クロウを殺す元凶をあいつがそう簡単に好きになるわけがない。そのことは兄上自身も知っていた」

「……だから、接続権限を持つ日向を『蒼球記憶装置アカシックレコード』と一体化させ、自分が〝神〟となり世界の支配者になる、ということか……」


 改めて聞くと頭が痛くなる話だ。

 それと同時に、あの兄ならばやりそうなことだと思い知らされる。


(あの人は、人間という種族そのものを嫌っていたからな)


 一体何時カロンが人を嫌いになったかは知らない。

 少なくとも、前世ではその片鱗を何度も見たことがある。


 たとえば、国王主催の舞踏会。次期国王の王妃の座を狙った令嬢達と数えきれないほど付き合った後、部屋のバスタブに張った湯の中で皮膚が剥がれるほど必死に擦っていた。

 たとえば、ある日の深夜。奉公のためやってきた令嬢が無断で寝室に入り夜這いしてきた時、カロンは廊下から聞こえるほどの怒声を相手に浴びせていた。

 たとえば、秋の狩猟。お近づきのためわざと落馬してカロンに助けてもらおうとしたが、彼は侮蔑の眼差しを向けただけで何も言わず去って行った。


 思い出せば出すほど出てくるカロンの人間嫌い。

 自分達よりも『人間』に対する醜悪さや嫌悪感を植え付けられた彼が、当時王妃を娶ろうと一切考えなかったのは自然のことだった。


(……だが、アリナだけは違った)


 これまでの人間の中で、あそこまで権力や地位に興味のない令嬢はアリナ以外見たことがない。

 他の令嬢達がこぞって狙うものより、彼女は『魔法』という神秘に取り憑かれ、佳きものへと導こうと必死になっていた。

 だからこそ、カロンはアリナに惹かれたのだろう。


 誰よりも我欲からかけ離れた彼女を。

 まるで善意そのもので作られた少女を手に入れたいと思った。

 それが、全ての悲劇の始まりだと知らずに。


 その結果がこれだ。

 数百年の時を超えてまで続く因縁は、まるで丁寧に編み上げられた糸のように絡み合い。

 永遠に和解することはできず、もう二度とあの関係は修復されることはない。


 そして、その先に待つのが、どちらが犠牲にならなければならない結末。

 なんて残酷なことなのだろうか。

 自分は、ギルベルトは、ローゼンは―――。


「………………本当に、後から知ってばかりだな。は」


 思わずローゼンの時の口調で言うと、サンデスは一瞬息を呑んだ。

 しかしすぐに複雑そうに顔を歪ませ、そのまま踵を返す。


「そうだよ。お前はいつも向こう見ずで、他の人間の思ってることはガン無視して、そんで大切なことは後から知ってショックばかり受けている。バカ真面目で、間抜けなアホで……そして、無駄に才能に溢れている……いけ好かない弟だ」

の死を、毎日望むほどに?」

「なっ!? なんで、それ……っ!」

「あいにく地獄耳でな。サンデスが小声で言っていた暴言は全部聞いていた」


 さらりと驚きの真実を話すギルベルトに、サンデスは水を求める魚のように口をぱくぱくと動かす。

 そして、前世の母である王妃譲りの髪をぐしゃぐしゃと大きく乱し、キッと睨みつけながら叫ぶ。


「―――やっぱり、俺はお前のことが死ぬほど嫌いだっ!!」


 かつてのあの王宮で、毎日噛みついてきたサンデスの子供っぽい反応を見て懐かしむギルベルトは、もう二度と戻れない過去に惜しみながら小さく笑みを浮かべた。


「……そうか。オレも、お前のことが今も昔も嫌いだ」

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