第65話 花火と笑顔

「古澤先輩……」

「いやぁ久しぶりだなぁ。卒業式以来じゃねぇか、元気そうで何よりだな」


 険しい顔で睨みつける亮に下卑た笑みを浮かべる古澤は、チラリと悠護の方を一瞥するがすぐに意識を亮の方へ戻す。

 どうやら彼にとって自分は興味対象ではないみたいで、一瞬イラッとしたが亮の尋常じゃない反応の方が気になった。


「古澤先輩こそ、相変わらず金持ちなのを鼻にかけてるんスね。日向先輩に痛い目見せられたのにまだ懲りてないんですか?」


 人の神経を逆撫でするような言い方をする亮に、古澤は苛立ちを隠さない顔になると大きく舌を打つ。


「チッ、そんな昔話を出すとか相変わらずクソ生意気だな」

「古澤先輩ほどじゃないスよ。家が金持ちなのをいいことに、部内の連中や同級生達にカツアゲしたり、遊びでクラスのやついじめたりと随分好き勝手してたじゃないですか。……ま、それも日向先輩のおかげでなくなったんですけどね」

「ッ!」


 古澤がギリッと歯を食いしばらせると、そのまま亮の胸倉を掴み、互いの額がぶつかるほど顔を近づけさせる。

 亮を睨む古澤の顔は、怒りで顔が赤く見えた。


「……調子乗るんじゃねぇぞクソガキが。あの女がいなけりゃ俺の学校生活は順風満帆だったんだぞ」

「ハッ、順風満帆だぁ? 人を食い物にしてるゲス野郎のくせに偉そうに。大体あんたの悪事がバレたのだって単純に日向先輩の人徳に負けただけでしょ? 自業自得のくせに逆恨みしてんじゃねぇよ!」

「――テメェッ!!」


 亮の言葉に完全に頭に血が昇った古澤はゴツいシルバーリングをした右手を握りしめ、大きく振りかざす。

 殴られる、と亮もいつの間にか囲んでいた野次馬達がざわめいた瞬間、


「な、なんだぁ!?」

「……っ?」


 古澤の驚愕の声に、反射的に閉じていた瞼を恐る恐る開ける。

 拳をこちらに向けていた古澤の右腕には鎖が何重にも巻きついており、その鎖は地面に刺さっている三本の杭に繋がっている。

 こんな芸当をできる人間を、亮は一人しか心当たりない。すぐさま後ろを振り返ると、そこには赤い魔力を身体に纏わせた悠護がいた。


 彼の真紅の瞳は怒りの炎を宿し、彼を怒らしたわけではない亮や古澤の腰巾着達も思わず息を呑んでしまうほどだ。


「なっ、テメェ魔導士か!? というか誰だよ!?」

「お前の話に出てたあの女の同級生だ」


 あの女という単語だけで察したのか、古澤は「へぇ……」と意味深な顔を浮かべる。


「お前の豊崎に絆されたバカの一人か。あーあ可哀想に、あいつに関わった奴らはみんなバカみたいにお人好しになりやがる。そうだ、相模がいるってことはあいつもいるのか? ちょうどいい、ちょっと呼んで来てくれよ。大丈夫、なんもしねーって。……まあ、ちょっと痛い目に遭わせるかもしれねぇけどな?」

「なっ……!?」


 この期に及んでふざけたことをぬかす古澤に何かを言った前に、悠護が彼の胸倉を掴み上げる。

 その時の悠護の目が、怒りで魔力が反応し赤く発光している。その瞳と気迫に古澤の顔色が徐々に青ざめていく。


「別にテメェがあいつとどんなことがあったのか知らねぇけどな、惚れた女をノコノコと差し出すほど腐ってねぇんだよ」


 低い声が言葉を紡ぐたびに、屋台を支えている柱や提灯を電線に括りつけている針金がビキビキと音を立てて姿を変えていく。

 植物や動物などあらゆる姿に変えていく金属に周りがざわめく中、悠護は発光させた瞳を古澤に向けながらドスの利いた声で言った。


「もし、あいつになんかしてみろ。その時は――俺は自分の怒りを抑えきれない」

「ひぃ……ッ!?」


 あまりの怒気に当てられたのか、古澤は情けない声を出してその場に座り込む。

 その時、魔力を放出したせいで生まれた圧迫感が消え、姿を変えていた金属は元の姿に戻っていく。

 古澤の腕も巻きついていた鎖と杭が赤い粒子となって消えると、彼は這う這うの身体でその場を立ち去る。


 腰巾着達も逃げ出した古澤の後を追うようにその場を去って行く。

 それを見ていた野次馬達はわぁっ!! と歓声を上げると、筋肉質なおっちゃん達が悠護の背中をバシバシと叩く。


「いやぁでかしたぞ坊主! あのクソガキどもを追っ払ってくれてよ!」

「ほら礼だ、存分に受け取りやがれ!」

「かっこよかったぞ、あんちゃん!」

「いてててててっ!? ちょ、背中強く叩き過ぎぃ!!」


 屋台を営んでいた店主達にもみくちゃにされながらも、礼として渡される品の数々を受け取る悠護。

 さっきとは打って変わった様子の彼に、亮は未だ呆然とその光景を見ていた。



「クッソ、背中がまだ痛ぇ……」


 あの後、両手に料理が入った3Lサイズの袋二つ分を受け取った悠護は近くの竹のベンチに座り込んでいた。

 ズキズキと痛む背中は絶対に赤くなっているだろう、と思っているとストンと悠護の隣に亮が座る。


「あの……迷惑かけてすみませんでした。俺があんなことしたせいで……」

「別にいいって。お前がなんもしなくても俺も同じことしてた」


 そう言って悠護は袋の中から焼き鳥の入ったパックを取り出す。

 定番のねぎまやつくねの他に、レバカわ、ハツ、せせりなどが入っており、悠護はその中からタレがたっぷり絡んだねぎまを手に取る。


 そのまま無言で亮に焼き鳥のパックを突き出すと、無言でつくねを手に取る。

 甘辛いタレがたっぷりついた鶏肉と焼いたことで甘みが出たネギの味に舌鼓を打つ。

 焼き鳥を一本食べ切る頃になると、亮はゆっくりと口を開く。


「……古澤先輩の家が金持ちで、学校に多額の寄付金入れてたんです。でもそれをカサに色々と好き放題やってて……さっき会った腰巾着達以外のみんなは、あいつのことが大嫌いだったんです」


 学校もいつも寄付金を入れてくれる彼の家に対してあまり強く出れず、犯罪紛いのことをしても誰も注意しなかった。

 その対応が彼の傲慢な態度を増長させていったらしい。


「でもある日、古澤先輩は別クラスのやつに屋上から飛び降りろって命令したんです。もちろん相手も反抗したんですけど、しないと自分の妹にも同じことをさせるって言って……でも、その時助けたのが日向先輩だったんです」


 あの日のことは、初めて彼女に対する気持ちを自覚した時と同じくらい覚えている。

 いつも明るく優しい顔が、いつもより険しくなったことも。

 フェンスに登る男子生徒を無理矢理引きずり降ろして、そのまま古澤の顔に問答無用で一発拳を入れたことも。


「相手をフェンスから引きずり降ろして、古澤先輩の顔に一発入れた日向先輩は『人の命で遊ぶなこのクソ野郎が!!』って言って怒鳴ったんです。あの時、初めてあの人がおっかねぇって思いましたよ」

「ああ、分かる。あいつって怒ると結構怖いよな」


 心当たりがあるのか亮の言葉に同意する悠護に、亮は食べ残しがない串を指先でくるくる回しながら話を続ける。


「で、そのあと教師達も来て、なんとか事態が収まったんです。でも古澤先輩はそれが仇になって、学校側から転校するように言われたんです。あいつは色々と言ってましたが、結局親がそのまま転校させたんです。……まさか今も根に持ってるは思ってなかったですけど」

「人ってそう簡単に変わるワケじゃねぇからな。でもさすがに懲りただろからそう気にすんなよ」


 確かにあの時の悠護の気迫は日向と同じくらい恐ろしく、あの古澤も腰を抜かすほどだ。

 それに相手が魔導士ならば太刀打ちできないだろうし、向こうもしばらくは鳴りを潜めるだろう。

 再び降りた沈黙。祭囃子の音が流れる中、亮はぎゅっとズボンを握りしめると再び口を開く。


「……俺、日向先輩のこと好きです」


 突然告げられた告白。だが悠護は大して驚くことなく「そうか」と言った。

 初めて『さがみ』を訪れてから、彼のパートナーに対する感情が自分と同じ好意であることは薄々気づいていた。

 だからこそこうして告げられても、悠護は驚かなかった。


「初めて会ったのは小学四年生の時で、最初はしっかりした姉貴の友達しか思ってませんでした。でもある日、あの人が一人ゴミ拾いをして、クラスの女子に水かけられたところを見たんです。俺は急いであの人のところに行ったら、俺の顔を見て『どうしたの?』って聞いてきて……自分はびしょ濡れなのに、なんで平気そうな顔してんのかわけ分かんなくて……」


 思い出す。あの眩しいほど美しい夕日を。それを背景に微笑む彼女を。


「だから俺、つい言っちゃったんです。なんでそんなことできるんだよって。……そしたらあの人、笑いながら言ったんです」


 ――『意味がないのかあるのかは自分でも分からない。でも、それでもあたしは自分のできることを精一杯したいんだ』


 自分より年が一つしか違わないのに、毅然とした態度で告げられたあの時のことは今でも鮮明に覚えている。


「そっからです、俺が日向先輩のことが好きだって分かったのは」


 今にして思えば、あの日よりも前から亮は日向に恋をしていたのだと思う。恋していたからこそ、彼女がひどい目に遭ったのが許さなかった。


「だから……まだ出会ってそんなに経ってないあんたに、あの人を奪われたくないです」


 亮の正直な告白を聞いて、悠護は提灯の灯りで照らされる光景を見つめながら、静かに言った。


「……確かに、お前にとって俺は横取りしにきた邪魔者に見えるかもしれねぇ。けど、それでも俺はあいつのことを諦められない。ずっと孤独だった俺を救ってくれてくれたあいつを」


 悠護の過去に何があったのか亮は分からない。

 だが、彼の横顔は強い決意と覚悟が滲み出ていた。それこそ、亮でさえも思わず息を呑むほどの。


「ま、そういうことだ。俺はあいつを諦める気はない。悪ぃな」

「……いえ。俺は最初からその気なので大丈夫ッス」

「そっか」


 亮の言葉にきょとんと目を瞬かせていたが、悠護はふっと小さく笑う。

 最初は地味な男だと思っていたが、案外いい人だと見直していると、


「あ―――っ! こんなところにいた!」


 鼓膜が痛くなるほどの大声で叫ばれ、声をした方を見ると肩を震わせる京子とその後ろをついてくる日向の姿。

 そこでようやく自分達が買い出しに行っていたことを思い出して、二人は「「あ」」と同じタイミングで声を出す。


「まったく、いつまで経っても帰って来ないと思ったらこんなところで道草して! おかげでお腹空いたんだけど!」

「はぁ? 姉貴の空腹事情なんか知るかよ」

「なんだとー!? 元はと言えばあんたのせいでしょーがッ!」

「ぐえっ! やめろ、首締まる!」


 京子にチョークスリーパーを繰り出され、首の圧迫感から逃れるためにジタバタと動く亮。

 その横で日向は悠護の横に置いてある袋の中身を覗き込んでいた。


「わっ、食べ物一杯だね。どうしたのこれ?」

「あー、ちょっとな。ほらリンゴ飴」

「あ、ありがと」


 割り箸が刺さった小ぶりのリンゴに飴がコーディングされたそれを受け取ると、ふと空を見上げると何かを思い出したのか悠護の腕を掴んでベンチから立ち上がらせる。


「それよりもほら、そろそろ花火の時間だよ」

「え? もうそんな時間なのか? でももう場所なんてないだろ」

「それなら心配無用だよ。あそこに行けば大丈夫だから」

「あそこ?」


 花火が打ち上げられる会場より見晴らしがいい場所があったか? と首を傾げる悠護に、日向はふふっと笑うだけだった。



☆★☆★☆



 高島神社の隣は小さな雑木林があり、そこを通り抜けると天窓のように開けた場所がある。

 眼下には地元の町が見え、花火を打ち上げる会場からそれほど遠くない。四季折々の情緒溢れる風景を一人占めできるその場所は、地元の中では豊崎家と相模姉弟だけしか知らない。


「この神社にこんな場所があったなんてな……」

「いいでしょ? あたし達しか知らない穴場なんだ。あ、始まった!」


 毎年花火やお月見をする時は決まって訪れたその場所に連れてこられた悠護は、花火が打ち上がると同時に広がる目の前の光景に目を見開く。

 ネオンの光が照らす街並み、星々が輝く夜空、そして色とりどりの花火。いつも参加するパーティー会場とは違う光景に思わず釘付けになる。

 日向と悠護が花火に夢中になっている横で、京子は隣にいる亮に近づくと耳打ちする。


「ねぇ亮、あんた達なんかあった?」

「え、なんで?」

「いやなんか、あんた達の雰囲気が買い出し前よりよくなっててさ……なんかあった?」


 京子からの指摘に亮は思わず目を瞬かせる。

 確かに古澤に会って、少し話をしたがその時には悠護に対する敵愾心に近い感情が自然と消えていた。

 彼が自分と同じ相手を想っているという共感だけではない。


(多分俺、あの人のことかっこいいって思ったんだ)


 古澤から助けて貰った時、あの姿が亮には眩しく見えた。

 幼い頃にテレビに顔を近づけるほど夢中になったヒーローみたいで、自分には強さに憧れた。

 そう考えると自分でも驚くほどすんなりと納得して、思わず笑みを浮かべてしまう。


「ちょっと、何一人で笑ってんのよ」

「さあな」


 突然笑い出した弟に訝しげな視線を向けるが、どこかすっきりした様子の亮を見て京子は何も言わずそのまま視線を花火へ戻した。



 相模姉弟がそんな会話をしていた横で、日向は隣にいる悠護を見つめる。

 花火に夢中になっている彼の瞳は色とりどりの光によって虹色に見えて、いつも見る真紅と同じくらい綺麗だ。

 そんな日向の視線に気づいたのか、悠護がこっちに顔を向ける。


「なんだ?」

「あ……ううん、花火綺麗だなーって思って」

「そうだな。俺も何回か花火をホテルの最上階で見てたんだけどよ、ここまで綺麗って思えなかったな」


 聞くだけだと贅沢なものだと思うが、ふと自分がホテルの最上階で花火を見ているところを想像する。

 ほぼ花火と同じ目線で見てみると、確かにさっきみたいに綺麗だと思えない。むしろ味気なさがある。

 花火は低い場所で、首を痛めるほど斜めに見上げるからこそ綺麗に見えるのだ。


「……で、ここでの花火はどう?」

「綺麗だよ。すっごくな」

「そっか。ならよかった」


 すっと日向の指先が悠護の手に触れる。

 突然触れてきた感触に驚きながらも、静かにその手を握りしめる。

 心地よいぬくもりに頬を緩ませ、繋ぐ手の力を強めた。


「来年も来ようよ。今度は心菜と樹、それから陽兄と怜哉先輩連れてさ」

「その前に初詣だろ。二年参りでもいい」

「あ、それいいかもね。一緒にカウントダウンしようよ」


 今は八月、あと四ヶ月経ったら一二月が訪れる。

 一年というのはあっという間だ。意識しないと時間が水のように流れて過ぎていく。

 それでも、その時間の中にはたくさんの思い出がある。きっと今も。


「悠護」

「なんだ」

「これからもよろしくね」


 日向の言葉に悠護はきょとんと目を瞬かせるが、すぐに笑みを浮かべる。


「ああ、こっちこそよろしくな」


 花火が打ち上げられると同時に浮かべた悠護の笑顔は、花火よりも眩しかった。

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