第64話 夏祭りと最悪の再会

「――はい、これでよし。終わったわよ」

「ありがとうございます、幸さん」


 ぽんっと帯を軽く叩かれ、それを合図に帯を結んでくれた幸に感謝の言葉を言った。

 姿見の前には金魚柄の薄水色の浴衣を身に纏う自分。黄色い花柄の帯はオーソドックスな蝶結びになっており、髪は後ろの髪を複雑に編み込んだもので、普段は髪で隠れているうなじがよく見える。

 だが髪飾りがないせいでどことなく寂しい印象を与える髪型を見て、幸は困った顔をする。


「うーん、やっぱり頭が寂しいわね……髪飾りした方がいいんじゃないかしら?」

「い、いいえお気になさらず! これだけでも充分ですから!」


 母も髪は短くはなかったが長くもないミディアムヘアで、古い記憶の中では母は髪留めを一つもしていなかった。

 今の日向と同じヘアゴムで簡単にまとめていたような気がする。


「じゃあ行きますね。着付け、ありがとうございます」

「ええ、くれぐれも気を付けてね」


 笑顔で送り出す幸に巾着袋を持つ別の手で降ると、相模家の裏口を出て店の引き戸の前で待つ悠護達の元へ行く。

『さがみ』の暖簾が仕舞われた引き戸の前には、洋服姿の悠護と亮、それから日向と同じ浴衣姿の京子が世間話をしていた。


 京子の浴衣は赤地に白の牡丹柄が美しい華やかなものだ。無地の黒い帯には赤い飾り紐が結ばれていて、髪には黒の牡丹の髪飾りをしてある。

 他の比べて少し背は高いが、そのおかげもあって派手な柄物を着こなしている。


「ごめん、待った?」

「ぜーんぜん。それより日向、それ似合ってるねー。お母さんのお古?」

「うん、そうだよ。サイズがピッタリでよかったよ」


 今日向が着ている浴衣は、母が持っていた二着の浴衣のうちの一つだ。

 この金魚柄の他に鞠柄の桜色の浴衣があったが、そっちもサイズはピッタリだがなんとなく似合わないと思って、今着ている方を選んだのだ。

 亮が頬を赤く染めている横で、悠護は顎に手を当てながら眉を顰める。


「んー、でもちょっと頭の方が寂しいよな。髪飾りなかったのか?」

「うん。家の中くまなく探したけどなくてね」

「そっか……ちょっと待ってろ」


 そう言って悠護はズボンのポケットから一本のネジを取り出す。

 ネジが赤い魔力を纏ったと思ったら、ビキビキと音を立てて姿を変えていく。

 お得意の金属干渉魔法で一本のネジは本来の姿を変え、夕日を浴びで銀色に輝く簪に変わる。


 簪の頭部分は大輪の蓮の形をしており、その下には一〇本の鎖がちゃりちゃりと音を立てている。鎖の先には蓮の葉を模した飾りがついていて、精緻な造りをしているのが遠目からでも分かる。

 京子と亮は初めて間近で見た魔法に見惚れている横で、悠護は手にしたびらびら簪をそのまま日向の左側のこめかみ辺りに挿す。


「よし、これでいいな」

「悠護、この簪って……」

「ああ、たまに練習でそういうの作ってんだよ。まさかこんな風に役立つとは思ってなかったけどな」


 照れ臭そうに言った悠護の横で、日向は引き戸のガラスに映し出された姿を見る。

 大輪の蓮が美しい簪は、下についている鎖が動くたびにちゃりっと音を鳴らす。風鈴のように澄んだ音ではいないが、小気味い音にうっとりしてしまう。

 悠護にこんなに綺麗なものを作れる才能があることに驚きながらも、日向は笑顔で礼を言った。


「ありがとう、悠護。これ貰ってもいい?」

「……ああ、好きにしろよ」


 自分の言葉に嬉しそうに頷く悠護を見て、日向はまた嬉しくなって笑みを深く浮かべる。

 本当に恋人同士ではないかと疑ってしまう雰囲気に、亮は眉間を寄せながら目を逸らす。

 それを見た京子は、ギスギスとフワフワが入り混じった空気を消し飛ばすためにわざと大声を上げる。


「日向ー! そろそろ行かないと花火遅れるよーっ!」

「えっ、あ、そうだった! 今行くー! 悠護も早く早く!」

「あ、ああ!」


 親友の声と神社に向かって歩く人ごみを見て我に返ったのか、日向は慌てた様子で京子のそばに駆け寄る。

 悠護も下駄で走っている日向を後ろから心配そうにして駆け寄ってくる。

 それを見て、亮は自身の胸の中に翳った靄を消すようにシャツ越しから胸元を握りしめた。



 高島たかしま神社。

 日向の地元にあるこの神社は、他の神社と比べて境内が広く、神楽舞を披露する舞台もある。

 ここでの祭りは境内にある屋台を楽しんだ後、神楽舞を行いその次に花火が打ち上げられる予定だ。


 毎年この神社の神主の娘が披露する神楽舞はまさに天女と謳われるほど美しく、一部の地元の人は花火の次に楽しみにしているのだ。

 屋台には焼きそば、たこ焼き、お好み焼き、かき氷、リンゴ飴、綿あめなどの食べ物をはじめ、金魚すくい、ヨーヨー釣り、射的と遊び場も存在する。


「すげぇ賑わいだな」


 提灯の灯りが照らし、夜だというのに繁華街より負けていない活気に悠護は目を輝かせる。

 どこからか流れてくる笛と太鼓の音、提灯の灯りは幻想的に周囲を映し、屋台からは香ばしい匂いが漂う。

 いつもとは違う非日常の光景に、悠護は興奮を隠せない。


「ふふっ、悠護楽しそうだね」

「……仕方ねぇだろ、初めての祭りなんだからよ」


 自分のはしゃぎっぶりが子供のソレと変わらないと気づいたのか、悠護はそっぽを向く。

 だが日向はその反応もツボなのか、くすくすと笑うばかり。とうとう我慢出来ず彼女の頬を軽く引っ張ると、「いひゃいひゃい」と痛くないのに声を上げる。


 どうみても恋人同士の戯れにしか見えず、見せつけられている亮の顔は段々と険しくなっていく。

 分かりやすいほど顔に出る弟に、京子は彼の腕を肘でド突く。


「痛っ! 何すんだよ姉貴!」

「顔に出し過ぎよ。ちょっとは隠しなさい」


 突然ド突いてきたことに文句を言おうとしたが、姉からの指摘に思わず右手で口元を隠す。

 反応も分かりやすい亮に、京子はため息をつきながら諭す。


「せっかくの時間を邪魔された気持ちも分かるけど、あんまり顔に出すと日向だって困るでしょ? それに黒宮くん、お祭りには一度も来てないって言ったじゃない。少しでも楽しんでもらおうとしてるんだから少しは融通利かせなさいよ」

「そんなの、分かってる……」

「いーや分かってない、分かってたらそんな顔するわけないでしょーが!」


 そっぽを向く亮の額にデコピンを喰らわせると、デコピンをした右手を彼の肩の上に置く。


「……あんたが日向のことがどれだけ好きなのかは知ってる。私もできることならあんたの応援もしたいけど、大事な親友の応援もしたいのよ。……それに、日向があそこまで男子と仲良しなのは初めてだから正直どうすりゃいいのか分かんないのよ」


 確かに、日向の周りには老若男女問わず色んな人がいたが、それでも祭りまで一緒に行く友達は自分達以外いなかった。

 周りはたくさんの人がいたが、その誰もが『他人以上友達未満』という薄っぺらい関係。だからこそ、日向が中学を卒業するまで独占とは言い難いが、長時間そばにいることができた。


 高校に進学してもいつでも会えると思ったら、日向は魔導士になって聖天学園に入学してしまい、しかもパートナー制度というわけの分からないシステムのせいであんな男が彼女のそばにいる。


 悔しい、ずるい、羨ましい――嫉妬と羨望が入り混じった感情が亮の胸の中を支配する。


「………………………………」

「ま、とにかく今は祭りを楽しみなさい。せっかくの夏休みなんだから、楽しまないと損するわよ」

「…………分かった」


 小さく頷いて人ごみの中に消えて行く亮。

 頭では理解しているが感情がまだ納得していないと伝えてくるその表情に、京子はもう一度深いため息を吐いた。



☆★☆★☆



 ポンッと気の抜ける音と共に、銃口からコルクの弾が飛び出る。

 弾は五段階の棚の真ん中にある一頭身ペンギンのぬいぐるみの額に当たると、ぬいぐるみは上下に揺れるとそのまま地面に落ちる。


「おっ、見事だな嬢ちゃん!」


 射的屋の店主の激励に、周りにいた客もぱちぱちと拍手を送る。

 日向は照れた様子で玩具のハンドガンを台の上に置くと、店主からぬいぐるみを受け取る。

 その様子を後ろで見ていた悠護は、パックに詰めたたこ焼きが入った袋を手首に提げながら拍手を送っていた。


「一発とかすげぇな」

「普段から銃使ってるからね」


 日向の専用魔導具である《アウローラ》は、見た目は自動拳銃とそっくりだ。

 常日頃から《アウローラ》を扱っていて且つ射撃の腕を上げている日向にとって、たとえ玩具の銃でもその腕は衰えることはない。


「弾はまだ四発残ってるけど、悠護は何か欲しいものない?」

「え? あー……そうだな、あそこのペンダントか?」

「もしかして、あれ?」


 悠護が指を指したのは、五段目の棚の左端にある赤いハートのトップが目立つペンダント。

 パッケージは家にあったものを使ったのかネクタイ用の箱に詰められているが、高校生である悠護が欲しがるにはあまりにも不釣り合いだ。


「あれ、鈴花の土産にいいなって思ってよ。昨日まで風邪引いててさ、今朝熱引いたんだけど安静のためにまだベッドで寝てるんだよ」

「なるほどね。分かった、任せといて」


 そう言って日向は銃口に弾を押し込めると、それをペンダントに向ける。

 静かに狙う場所を定める、引き金を引く。発射された弾は箱の角に当たるが、一瞬ぐらついただけで元の位置に戻る。


 周りが「惜しい」と呟く中、日向は一切口を開かずもう一度弾を押し込める。

 再び銃口を向け、今度は箱の中心に銃口を向けた。

 引き金を引くと、銃口から弾が発射される。さっきより強めに押し込んだおかげか、弾は勢いよく箱に当たると、箱はさっきよりも激しく上下に揺れる。


 店主を含める射的屋の周囲にいる客は箱の揺れ具合を見て固唾を呑むと、箱はそのまま地面に落ちる。

 さっきよりも大きな拍手が再び送られると、日向は店主から箱を受け取るとそれを悠護に手渡す。


「はいこれ、鈴花ちゃんに」

「ああ、サンキュ」


 礼を言って受け取ると、ビニール部分から見えるペンダントを見る。

 プラスチックでできた赤いハートは提灯の光を浴びているおかげで赤味が強く感じられており、真鍮のチェーンも金色に輝いている。

 明らかに安物だが、自分と同じで高価なものにはあまり興味ない義妹はきっと喜ぶだろう。


 そう思っていると三回目の拍手が起きて、なんだ? と思っていると日向は店主から何かを受け取っていた。

 台の上に置いてあるコルクの弾を入れていた皿には弾が一つもなく、いつの間にかもう一回景品をゲットしていた。


「いやぁ嬢ちゃん上手すぎるだろ~。おかげで商売上がったりだ」

「あはは、褒め言葉として受け取っておきますね」


 店主の軽口を笑顔で返すと、日向は射的屋から離れる。

 手には色んなキャラクターの顔や文字や数字などをあしらった金太郎飴が入った巾着タイプのプラスチック製の袋を持っており、見た目も華やかだ。


「これあたしから鈴花ちゃんへのお土産。渡しといて」

「いいけどよ、こんなんあったか?」

「これは棚の上にあった板を倒せば貰えたんだ」


 よく見ると別の客が板を倒すと、店主が棚の下に隠していた段ボールから日向が持っているのと同じ袋を手渡していた。

 どうやら板を倒せば金太郎飴が貰えるシステムらしい。


「んじゃこれも渡しとくわ。夏休みは色々あって無理だったけど、今度の連休には家に来てくれねぇか? 義母かあさんも鈴花も会いたがっていたしよ」

「分かった。その時はお邪魔するね」


 黒宮家には何度もお邪魔しようと思っていたが、色々と都合が合わず結局八月は地元で過ごす羽目になった。

 たまに鈴花が電話をかけてくる時があっても、長電話し過ぎると朱美に注意されて拗ねたりして、隣で悠護が宥めるという流れになっていた。


 次会う時はお菓子を手土産に行こうと考えていると、「おい!」と京子の声がどこから聞こえてきた気がした。

 反応して辺りを見渡すと、ちょうど道の外れにある雑木林前の竹のベンチに京子と亮が並んで座っているのを見つける。


「京子、亮くん。勝手にいなくなってごめん」

「いいっていいって、せっかくのお祭りだもん。楽しまないと損だもの」


 二人に勝手に離れたことを謝ると、京子はへらへらと笑い返す。

 だが亮はむっすりとした顔で黙っており、いつもとは違うように困惑してしまう。

 なんと声をかけようと迷っていると、目の前が真っ白になる。


 思わず仰け反って注意深く白い物体を確認すると、それがビニール袋でそこからかソースの香ばしい匂いがしていることに気づく。

 その袋を目の前に突き出した悠護は、まだ温かいそれを日向の両手の平の上に乗せる。


「お前は一緒に休んどけ。メシは俺が買ってくるからよ」

「え、いいの? じゃあお願いしようかな」

「分かった。何がいい? リンゴ飴か?」

「うん、あとは適当でいいよ」

「おう。そっちは?」


 言葉数が足りないのに完璧な意思疎通に舌を巻いていると、悠護はベンチに座る京子に声をかける。


「あ、私もなんでもいいです。ついでのウチの弟も連れて行ってください」

「はぁ? なんで俺が――」

「男でしょ。いいから行ってきなさいっ!」


 バンッ! と明らかに強い力で背中を叩かれ、その反動で亮はベンチから立つ。

 軽く咳き込む弟を「しっかりやりなさいよね~」と反省の色ゼロで見送る姉。その横暴な態度にさすがにイラッとしたが、


「じゃあ……行くか」

「……はい」


 気まずい顔で屋台の方へ向かう悠護を見て、亮は素っ気ない態度でその後を追った。



 神楽舞が披露される時間が迫ったことで、屋台周辺には人は来た時より少なくなっていた。

 品切れで店仕舞いする屋台がぽつぽつと増える中、悠護はまだ営業している屋台を遠目から見る。


「たこ焼きはさっき買ったからいいとして、焼きそばとリンゴ飴……だけじゃ足りねぇよな。あと焼き鳥とフランクフルト、それと……」

「あの……」

「ん?」


 指を折りながら買うものを選んでると、後ろから声をかけられて振り返る。

 亮と呼ばれた少年は真剣な面立ちで悠護を見ており、自分の姿が映る鳶色の瞳には『目を逸らすな』という感情が伝わってくる。


「……なんだ?」

「あの、ほぼ初対面だし不躾だと思いますけど……日向先輩のこと、好きなんですか?」


 あまりにも直球な質問に、さすがの悠護も面を喰らう。

 だが自分と同じく彼女に対して好意を抱いているだろう少年の質問にはちゃんと答えるべきだ。

 そう思い、悠護は静かに告げる。


「――ああ、好きだ。幸せになって欲しい、幸せにしたい……初めてそう思えるほど、俺は日向のことが好きだ」


 はっきりと強く答えられ、亮は思わず口を噤む。

 彼の真紅の瞳には嘘偽りはなく、自分と同じくらい本気で彼女を愛しているのだと思い知らされる。


(でも、それがどうした)


 日向とは自分の方が付き合いが長いし、出会ってまで四ヶ月も経っていない相手に負けるほどの恋情を抱いているつもりはない。

 たとえ相手が魔導士の中で有名な家の人間だからって、それだけで引き下がるほど弱虫でもない。


 ぎゅっと拳を握り、今度は自分の気持ちを目の前の男に伝えようとした。

 その時、


「あっれ~? 相模じゃねぇか、久しぶりだな~?」


 人を小バカにした口調と聞き覚えのある声に振り返ると、そこにはワックスをベタベタに塗ってキザったい髪型をした青年が数人の男女を連れていた。

 ニヤついた顔で自分を見るその青年に、亮は険しい顔で睨みつける。


「古澤先輩……」


 できることなら一生会いたくない人物の最悪な再開に、亮は一層険しい顔つきになる。

 そんな亮を見て、古澤は悪意を含んだ笑みを浮かべた。

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