Epilogue 夏が終わる

 魔導士誕生の地とされるイギリスにある、日本とイギリス間を繋ぐロンドン・ヒースロー空港。

 八月二九日午後八時二八分――日本時間では八月三〇日午前五時二八分。

 旅行で母国に帰って来たもしくは帰る旅行客が多くいる中、その空港に一人の少年がいた。


 ラウンジの片隅、高級感溢れる革張りの椅子に座る少年は海外出張の多いサラリーマンや一部の資産家がいる中ではあまりにも年が若い。それもそのはず、少年はまだ一五歳なのだ。

 オレンジ色のシャツの上に黒革のジャケットを羽織っており、ズボンも同じ黒。ピカピカに磨かれた黒の革靴が少年の育ちの良さを伝えてくる。黄金より負けない金髪をライオンのたてがみのようにしており、たとえ一五歳でも王者の風格が滲み出ている。


「坊ちゃま」


 青年は腕と足を組みながら静かに目を閉じていたが、隣にいた女性が声をかけると閉じていた瞼を上げる。

 長い金色の睫毛から覗く瞳は、ルビーよりも鮮明な赤をしたガーネット色。少年の視界に女性が映ると小さく苦笑する。


 年は三〇歳手前だが既に三年前に結婚した夫と去年出産した一人の子供がいるも、見た目が若々しいせいで一〇代後半か二〇代前半にしか見えない。濃い目の茶色い長髪は毎日の身だしなみを怠っていないおかげで艶がある。

 シワ一つない緑色のロングワンピース姿はたとえ年を老いても毅然と似合っており、首元の白い襟と袖口はきっちりと留めている。

 物心ついた頃から見慣れたその姿も、しばらくは見られないのだと哀愁が胸の中に生まれてくる。


「オレはもう坊ちゃまと呼ばれる年じゃないぞ、クリス」

「たとえおいくつになっても私にとって貴方様は私の坊ちゃまです。それと、私のことはクリスティーナとお呼びください」


 女性――クリスティーナの言葉に、少年は諦めを含んだため息をつく。

 母の腹から取り上げられて以来、ずっと自分を育ててくれた二人目の母。彼女の言葉はたとえどんなに偉い政治家や父の言葉よりも素直に受け入れてしまう。

 たとえ身分の差があろうとも、少年にとってクリスティーナは大事な家族なのだ。


「それにしても、私は坊ちゃまのことを初めて幻滅しました。まさか極東の島国の女の尻を追っかけるために留学をお決めになるとは……」

「おいおい、人聞きの悪いことを言うな。オレはただ未来の妃になるだろう娘に会いに行くだけだ。それにこんなに美しい娘を見てなんとも思わない男などいないだろう」


 そう言って少年はジャケットの内ポケットから一枚の写真を取り出す。

 黒を基調としたシックな制服を身に包む少女。琥珀色の髪と瞳が光の反射出来ラキラと輝き、シミ一つない真っ白な顔は太陽のように眩しい。

 目線が合ってないことから明らかに盗撮したものだと判断できるそれを見て、クリスティーナはもう一度ため息をつく。


 赤子の頃から手塩にかけて育てた少年は、一度気に入ったものはたとえどんなものでも手に入れなければ気がすまない性質タチだ。

 数年前に路上で拾った子犬を周りが捨てるよう言っても、頑として子犬を手放さなかった。

 その子犬もすっかり成犬になって、今も少年の家族と共に暮らしている。


「坊ちゃまのその強情さは素直に感服いたします」

「褒め言葉として受け取っておこう」


 二人の会話が切れ達ょうどいいタイミングで、ラウンジに搭乗を知られるアナウンスが鳴る。

 これから乗る飛行機に向かうために慌ただしく準備をする乗客達の横で、少年は女性の足元にあったトランクを受け取った。


「クリス、しばらく留守にする。オレがいない間、家を任せたぞ」

「はい。いってらっしゃいませ、坊ちゃま」


 美しいお辞儀を見せるクリスティーナの姿を最後まで見ないまま、少年はトランク片手にラウンジに出る。

 チケットを持つ乗客達の中に紛れながら、少年は手に持っていた写真を見る。


「――さて、果たして貴様はオレに幸福を与える天使か、それとも不幸を撒き散らす悪魔か。なんにせよ、オレは貴様を手に入れるぞ。待っていろ、世界唯一の無魔法使いの娘よ」


 少年は世界唯一の無魔法使い――日向の写真を見て、獰猛な笑みを浮かべた。



☆★☆★☆



 夏が過ぎていく。


 どんなものよりも熱い恋情の花を咲かせ、固い誓いを結ばせ、未来の約束を交わした夏が終わる。


 季節は夏から秋へ移り変わる。


 穀物と果実が実る豊穣の秋は、少年少女達に新たな波乱を呼び寄せる。


 その先のことは、まさに神のみぞ知る――――。

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