第73話 惨劇の合図
時計の針が午後四時を指し示そうとした頃、百貨店の入り口で日向は思いっきり背筋を伸ばしていた。
「んーっ! 結構回ったね」
「そうだな。充実した時間だったのは確かだ」
「それはよかったよ」
ギルベルトの満足そうな顔を見て、日向は嬉しそうに笑う。
夏は日が出ている時間が長いせいか、夕飯時の準備に遅れそうな主婦や家族連れが急ぎ足で駐車場へと向かって走っていく。
日向も今日の夕食当番は自分なので、冷蔵庫の中にある食材で何を作ろうか考えだす。
(昨日はカジキマグロがあったなぁ……ソテーにして、副菜は前に作ったピクルス、汁物はコンソメスープかな……)
出来ればあともう一品欲しいと思いながらうんうん悩んでいると、
「おいどこ歩いてやがるクソガキッ!!」
「!」
突然の怒声に我が返った日向は、目の前で三人の男に絡まれている少年を見つける。
サスペンダー付きの黒い半ズボンと白いシャツ姿の少年は、目つきが悪いかつ自分より倍の背丈があるはずの男達を前に怖がる素振りを見せず、にこにこと親しみやすい笑みを浮かべている。
「ごめんね、お兄ちゃん達。ケガはない?」
「ああ? あるに決まってんだろ。テメェのせいで足が折れちまった」
あー痛い痛い、と痛がっていない顔で戯言を言った男に、見ていたギルベルトの顔が軽蔑の色に染まる。
ああいつた当たり屋は未だ存在しており、昔陽と買い物して遭遇した時は兄の圧力がある笑顔で撃退したことがある。
だが見ていて気分がいいものではないらしく、通りすがりの人達はその光景を見て嫌そうに顔を顰めるが何も言わずそそくさと立ち去る。
その中心にいる少年は相変わらずにこにこと笑っていて、あまりにも顔色一つ変えないせいで気味悪く見えてくる。
すると少年はおもむろにズボンの後ろポケットから、二つに折り畳まれた革製の財布を取り出した。
遠目で普通の財布より厚みがあるのが分かる。近くで見ていた男達がニヤついた顔から喜色に染まった顔に変わった。
「はい。このお財布の中身、お兄ちゃん達にあげるね」
「へぇ……なんだよ、話が分かるガキじゃねぇか」
少年の手から財布をひったくった男は、ニヤニヤと笑いながら他の二人と一緒に財布の中身を見ようとする。
男が財布を開いた瞬間、嫌な感覚が日向とギルベルトの全身に走る。
「待って! それに触らな――」
制止の声は最後まで続かなかった。
男が財布から数枚の一万円札を取り出した瞬間、ボフッ!! と音と共に一瞬で火だるまになる。
「う、うわあああああああああああああ!?」
「きゃあああああああああああああああ!?」
さっきまでそこにいた友人の姿に他の男達が悲鳴を上げて尻餅をつきながら逃げ、その場に出くわした人達が甲高い声を上げる。
楽しかったひと時が惨劇に変わり、阿鼻叫喚が夕暮れの空に響き渡る。
「アハッ、アハハハハハ!! アハハハハハハハッ!!」
そんな中、惨劇の引き金を引いた少年は狂ったように笑う。
面白いものなんてないのに、ケラケラと笑う少年は誰の目から見ても異常だった。
少年はくるりと半回転すると、後ろにいた日向に笑いかける。
「人って本当に浅ましくてバカだよね……。ねえ、お前もそう思うだろ? 姫様!」
パチンッと少年が指を鳴らした直後、火だるまになった男がいた位置が爆発した。
百貨店から警報が鳴って出入り口が分厚いシャッターで封鎖される音を聴きながら、日向はバックから《アウローラ》を取り出し、目の前の少年に銃口を向けながら睨みつける。
「姫様って何? それより君は魔導犯罪者なの?」
「そうだよ。でも魔導犯罪者っていうのは半分当たりで半分ハズレかな? ぼくらはあんなゴミみたいな連中じゃない。もっと崇高で何よりも変え難い目的を持ってるんだ」
「だからって……そんな簡単に人を殺す理由でいいと思ってるの?」
日向の質問に少年がきょとんとすると、途端におかしそうに笑う。
「お前こそ何言ってるの? 普段食卓に出してある肉は家畜を殺しているから食べられてるんでしょ? お前はいちいちスーパーに出ている肉にごめんなさいって言って食べてるの?」
「っ……それとこれとは話が違うはずだよ!」
「同じだよ」
日向の言葉を一刀両断した少年は、さっきの爆発で足元に転がった男だった黒い肉片を踏みつぶす。
グチャリ、と嫌な音が響く。肉片から透明な汁が出てきて、鼻をひん曲がりそうな焦げた匂いに思わず顔を歪ませる。
「ぼくにとって、人を殺すのは家畜を殺すのと一緒。だから人を殺すことになんの感情も抱かない。むしろ楽しんだ。さっきまで生きていた人間があっという間に何も言わなくなって、動けなくなって、そのまま無様に死ぬのが! こんなに楽しいこと、どこを探しても見つからないよ!!」
ぞくぞくと全身を震わせ、両手で自分自身の体を抱きしめる少年。
頬を紅潮させ、うっとりと目を蕩けさせるその姿に、日向は形容しがたい悪寒に襲われた。
――狂ってる。
そんな言葉すらも陳腐だと思ってしまうほど、この少年は人間としての倫理観が壊れてしまっている。
まるで精巧な造りをした置き時計を、小さな部品が砂になるほど粉々に砕かれ、大きな部品が割れたクッキーみたいな欠片になるまでハンマーで何度も何度も殴り続けたかのように。少年の人間性は、もはやどれだけ手を尽くしても無駄に終わる段階までなくなってしまった。
ぎゅっと《アウローラ》のグリップを強く握りしめ、日向は鋭い目つきで少年を睨み続ける。
「……それでも、あなたがしていることは間違ってる! 人を殺しておいて、その崇高な目的とやらも叶うはずもない! そんなのは、あなたの驕りだッ!」
日向の言葉に、少年はにこにこ笑っていた顔が一変する。
銀色の瞳は冷たく細められ、瞳の奥に宿る感情は軽蔑だけだった。
「……あーあ、やっぱりそう言ったと思った。ほんと、お前は
手で目元を覆い俯いた少年は、ぶつぶつと何か言ったと手を目元から離して顔を上げる。
「――殺したいよ、ぼくの手で」
「『
地の底から這い出た低い声を聞いた直後、警戒心を最高潮までにあげた日向が《アウローラ》の引き金を引く。
『
「『
少年が中級干渉魔法を魔法名のみでの詠唱で発動させると、琥珀色の光弾が少年の元に辿り着く前に霧散する。
すかさずギルベルトが腕に雷電を纏わせると、それを少年に向けて振るう。
雷電は一直線で少年の元へ飛ぶが、少年はステップを踏むように軽く避ける。
雷電は近くの自動車に当たり、一瞬で爆発を起こす。
遠くから耳に痛いサイレン音が聴こえてくるが、少年は最初に見たあの親しみのある笑顔を浮かべる。
「アハハッ、やっぱりすごいなあ! 【定命の魔導士】ローゼン・アルマンディンと同じ魔法を
「また、だと?」
少年の発言にギルベルトが訝しげに眉を顰めたが、少年は気にせずスキップしながら元いた場所に戻る。
「ほんとなら殺したいんだけど、主からは姫様と同じで『殺すな』って言われてるしな……。あ、でももう一個あったんだ!」
そう言うや否や、少年は右手の人差し指と親指を上げる。
銃を模したその手をギルベルト――正確には彼の首にしてあるチョーカーに向ける。
「バーン☆」
銃声の効果音を口で言った瞬間、少年の指先から銀色の弾丸が発射した。
(『
咄嗟のことで判断が遅れた日向が行動を起こす前に、銀弾はギルベルトのチョーカーの石に当たる。
パリィン、と澄んだ音と共に石は破壊される。欠片になって地面に落ちたそれを、ギルベルトは呆然と見つめたまま固まる。
何故ギルベルトがそんな顔を見せるのか分からず様子を見ていると、少年はくすくすと笑う。
「その
状況が追いつかない日向に、愉しそうに言葉をかける少年。
それに反して、突然ギルベルトの顔から脂汗が滲み出て、胸元を抑えながらその場に蹲った。
「っ、ぐぅう……っ!?」
「ギル!?」
「来るなぁ!!」
慌てて彼の元へ駆け寄ろうとするが、瞳孔を開いたギルベルトが乱暴に日向の体を突き飛ばす。
突き飛ばされた拍子で尻餅をつく日向を見ながら、ギルベルトは荒い息を繰り返す。
「オレのことは……いいっ……! それよりも、早く逃げろぉぉぉ……ッ!!」
息が荒くになるにつれて、尋常じゃない汗がアスファルトの上にボタボタ落ちる。アスファルトについていた手の指が回ると、それに合わせて抉れていく。
体から雷電が迸り、黄金の輝きが強くなる。
「―――――――――――――――――ッッッ!!」
人間の喉からでは到底出せない絶叫と共に、黄金の輝きが一層増す。
あまりの眩しさに目を瞑り両腕で顔を隠す。瞼越しでも輝きが徐々に弱まり、恐る恐る瞼を持ち上げる。
「―――――」
目の前の光景に、言葉を失う。
たった一週間だけど見慣れた姿はどこにもなく、代わりにいるのは黄金の鱗を覆う強靭な四肢を持つ生物。
地面につく足の爪は濡れ羽色、頸部から尻尾にかけて下半分が真っ白な肢体。翼の骨格部分も鱗に覆われ、白い皮膜は夕日を浴びて白く輝く。
縦長の虹彩を持つガーネット色の目を見て、震える声で名前を呼ぶ。
「……ギル、ベルト……?」
黄金のドラゴン――ギルベルトは、日向の声に合わせるように低い雄叫びを上げた。
☆★☆★☆
「うわあああああああああああああっ!?」
「ドラゴンだぁああああああああああ!?」
突如として現れたドラゴンに、周囲はパニックに陥る。
車に乗って一目散に逃げる人、建物の中に入ろうとシャッターが降ろされた出入り口を乱暴に叩く人、非日常的な光景を目にして怖がるどころか興奮気味にスマホで写真を撮る人。
様々な反応を示す中、少年は右足をタンタンッと二回地面を叩く。
叩いた場所から魔法陣が浮かびあがり、そこから身の丈より少し長い大鎌が出現する。
ハルバードのように槍がついているそれをくるくると回し、その場で一回転すると少年の姿が変わる。
白いレースが施された紅いローブを纏い、頭にはシルクハット。そのローブを見た直後、日向の頭がズキリと痛み始めた。
「つぅう……!?」
突然の痛みに頭を抱えると、脳内で砂嵐が起こる。
黒と白のコントラストをした砂嵐の中、目の前の紅いローブがちらついている。
――そのローブのフードを深く被り、顔が見えない白髪の男の姿も。
(何これ……あたしは、あのローブを知ってるの……?)
自分の記憶なのに、まったく覚えのない。思い出そうとすると頭がガンガンと痛み出す。
頭を抱える日向の横で、少年が槍の穂先をギルベルトに向けながらそのまま突進する。
ギルベルトは右前肢を持ち上げて横に振るうが、少年は軽い身のこなしで回避。すかさず地面について態勢を持ち直すと、再びギルベルトが右前肢を上に持ち上げるとそのまま地面に叩き下ろす。
激しい振動にバランスをなんとか保っているが、少年は笑顔のままだ。
少年の周りに銀色の光弾が生み出し、それがギルベルトの体に直撃する。
ギルベルトの体は鱗の表面に薄らと焦げ目を作っただけで怪我はない。だが、それが彼の怒りを買った。
鋭い牙が生え揃った口が開き、そこから黄金の光が漏れ出す。
「――――――――――ッッ!!」
咆哮と共に発射される雷のブレス。
少年は大鎌の杖の先で地面と叩くと半円形のドームを形成し、大鎌にしがみつくように跪く。
ブレスは少年の周りだけ避けられ、それ以外の場所はブレスの余波で爆発を起こす。
爆発によって霧散する金属やガソリンの匂いと黒煙が、視覚に嗅覚、それから聴覚にダメージを与える。
激しい耳鳴りをしながら立ち上がると、目の前に広がる惨状に絶句する。
火の粉を撒き散らす炎、無残な姿になった車、アスファルトは抉れ、地面はマグマのように熱を持ちながら融解している。
これが、概念干渉魔法の力。そして、『伝説級』が如何に恐ろしい力なのか身を以て思い知らされる。
現場に急行した警察や魔導犯罪課の面々もこの惨状に同じく言葉を失う中、突如ギルベルトは翼を広げると上下運動を始めた。
その動きに彼の行動を察した日向は、すぐさま立ち上がるとバッグを地面に放り、ギルベルトに向かって走る。
「『
強化魔法で脚力を強化させると、一度足を深く踏み込み、そのまま跳躍する。
着ていたスカートの裾がひらりと舞う中、日向の体はギルベルトの両翼の間に着地する。
そのまま彼の首あたりにしがみつくと、ギルベルトの体が一気に上昇する。
「~~~~~~~~~~~~~っ!!?」
強い風が吹き荒れ、冷たい空気が肌に突き刺す。
下では「あのドラゴンを止めろ!」と指示を飛ばす魔導士の声が聞こえる。
「ギル……!!」
完全に姿を変えてしまった彼に、日向の小さな声など届かない。
今こうして空を飛んでいる行動さえ、今の日向には分からない。
それでも、やることは一つだ。
(ギルを無魔法で元に戻す)
全ての魔法を無にしてしまう魔法。かつて、キメラになってしまったメリア・バードを救ったことがある。
もし彼の力も日向の無魔法に効果があるならば、一刻も早く人間の姿を取り戻したい。
地上でドラゴンになったギルベルトを鎮圧しようと、魔導犯罪課が攻撃を仕掛けるのを横目に、必死に彼の首にしがみつきながら心の中で伝える。
(絶対にあたしがなんとかしてみせる。だから待ってて、ギル)
「ん~、これはこれで予想内かな?」
少年――レトゥスは上空にいるギルベルトと日向の姿を見て、やりきったような顔を見せる。
途中でこっちに攻撃を仕掛けてくる魔導士がいるが、そんなのは返り討ちにしている。現に彼の足元には、体に大きな傷を作って血だらけに倒れている魔導士が転がっている。
レトゥスの羽織る紅いローブで『レベリス』の一員と気づいている魔導士達は、間合いを保ちつつも汗を流しながら自分の動向を注意深く見ている。
(これ以上面倒だし、そろそろ引き上げよっかなあ)
レトゥスが主に命じられたのは、ギルベルトを使って日向の無魔法の腕を向上させることだ。
自分達の目的には彼女の魔法の力が必要なのは、レトゥスは嫌というほど知っている。
レトゥスがどれだけ嫌っていても、主はいつだって彼女を求めている。たとえ向こうが、何一つ覚えていなくても。
嫌いな女の顔が脳裏に浮かび、それを払うように首を横に振る。
(……さて、そろそろ帰るか)
ズボンの後ろポケットからいつも使っている魔導具を取り出そうとした瞬間、黒い輝きが視界に入る。
咄嗟に反応し防御を取ると、ガキンッ!! と金属同士がぶつかる音が響く。
黒い双剣を持つ襲撃者を腕の力で振り払うと、襲撃者の体は反動で後ろに跳ぶ。
襲撃者は空中で態勢を整えると、レトゥスより離れた場所に着地するとその場で立ち上がる。
襲撃者はかけていた赤い縁取りの伊達眼鏡を放り投げると、真紅の瞳を鋭くさせながらレトゥスを睨む。
「――お前、何者だ? あの王子と日向に一体何をした?」
襲撃者――悠護は左手に持つ剣の先をレトゥスに向ける。
だがレトゥスは、自分を睨みつける悠護の姿を見て、目を大きく見開きながら固まっていた。
信じられないといわんばかりに固まるレトゥスに、悠護は訝しい視線を送る。
その時、彼の脳裏にあの日の光景が浮かぶ。
破壊され、黒煙が舞う街並み。所々に炎が生まれている中、レトゥスは血だらけでその場に倒れていた。
右腕が変な方向に曲がれ、全身をレイピアで貫かれていた。そして、か細い息を繰り返すレトゥスを見下ろすのは、レトゥスが主とする男が最も憎み嫌う、あの男。
その男の姿が目の前の悠護と重なった瞬間、レトゥスの口から「アハッ」と声が漏れる。
「アハハハハハハハハハッ!! アッハハハハハハハハハ!!」
突如響く、レトゥスの笑い声。
狂ったように笑う少年を見て、悠護は警戒心を強くする。
目の縁に浮かんできた涙を拭いながら、レトゥスは大鎌の槍の穂先を悠護に向ける。
「まさかここで会えるなんて……ぼくってなんて運がいいんだろうね!」
嬉しそうに、愉しそうに笑うレトゥスを見て、悠護は彼を鋭く睨み続けた。
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