第72話 楽しいひと時

 九月六日。新学期始まっての休日は、清々しい快晴で始まった。

 部屋の洗面所にはすでにお出かけ用の服を着た日向が、白椿のヘアゴムをハーフアップにした髪に括りつける。

 手鏡と洗面所の鏡を使って白椿の位置を確認し、満足気に頷く。


 今日の日向の恰好は、夏休みの時に一目惚れして買った襟がついた青い長袖のワンピース。スカートの下には黒のレギンスを穿き、足には白の靴下を履いてある。

 ボランティアであちこち歩く日向は、動きやすさ重視でショートパンツやジーンズをよく好んで着ている。

 だが決してスカートやワンピースを着ないと言ったわけではなく、こういった普通のお出かけの時はスカートやワンピースが着るのが多い。


 玄関前に置いていた肩紐が黒になっている白いバッグを肩にかけ、茶色いブーツを履きながらリビングで読書している心菜に声をかける。


「じゃあいってくるねー」

「うん、いってらっしゃい」


 わざわざ本から顔を上げて手を振る心菜に手を振り返しながら、玄関を出る。

 外に出ると自分と同じく部屋から出てきた同級生達の姿が見えて、みんな待ちに待った休日を楽しみにしていたのが表情だけで分かる。

 他の同級生に紛れてエレベーターに乗り込み、一階で降りる。


 エレベーターから降りると、エントランスの左脇にある黒革のベンチソファーに座るギルベルトを見つける。

 オレンジの半袖のシャツの上に黒いベストを羽織り、下は黒のジーンズを穿いている。ピカピカに磨かれた黒革のブーツを履き、首には十字架のシルバーネックレスを提げている。

 スマホを片手で操作している姿さえも絵になる様子に、通りすがりの同級生達は必ず一回は見惚れている。


 日向は太陽の光で輝く彼の金髪の眩しさに目を細めながらも、カツカツと靴音を鳴らしながらギルベルトに近づき、声をかける。


「おはよう、ギル。待った?」

「いや、それほど待っていない」


 日向の声にギルベルトはスマホをジーンズのポケットにしまいながら、笑みを浮かべたままベンチソファーから立ち上がる。

 するとギルベルトは日向の恰好を頭のてっぺんから爪先まで視線を動かす。


「……えっと、あたしの恰好、変かな?」

「ああ、すまない。大して変ではないぞ。似合っている」

「そっか。ありがとう」


 純粋に服装を褒められて笑顔で受け答えすると、ギルベルトは「うむ」と言いながら頷く。


「では、例の百貨店に行くとするか」

「うん。今日はよろしくね」


 他愛の無い会話をしながら、二人は学生寮の玄関である自動ドアを通って行く。

 他の同級生達も外で出て行く中、エレベーター付近で固まる三人がいた。


「……よし、あいつら行ったぞ。俺達も行こう」

「なあ……なんで当人の俺よりこいつが一番楽しそうにしてるんだよ」

「さ、さあ……?」


 黒いサングラスをかけて黒と白の帽子を被った樹はワクワクしながら先に外に出た二人を目で追い、赤い縁取りをした伊達眼鏡をかけた悠護は何故か興奮している親友を白い目で見ている。

 その二人の後ろにいる心菜はつばの広い白い麦わら帽子を目深く被りながら、悠護の疑問に上手く答えられず苦笑を浮かべる。


 普段着のオプションとして各々が持っていた小物を身につけただけのおざなりな変装だが、それでも雰囲気が探偵のそれと酷似している。

 そのせいか少年漫画雑誌を愛読する樹にとって、たとえ一〇代半ばの少年だろうと男心くすぐる展開に胸を躍らせていた。


「なんだよ二人とも、テンション低いなー。ほら早く行こうぜ。見失っちまう」

「行く場所分かってんだから見失うもクソもねえだろ」

「マジレスすんな。こういうのは雰囲気が大事なんだよ!」

「それ絶対関係ないと思うよ樹くん」


 今の樹は普段あまりツッコみ役に回らない心菜さえもツッコむほどらしく、彼女の言葉にさすがの樹もグサッと胸に突き刺さった。

 精神的ダメージを喰らった樹はなんとか立て直すと、ずれたサングラスをかけ直す。


「ゴホン……いいか、俺達の目的はあくまで見守ることだ。もちろん向こうが変な真似をしたら全力で止めに入るぞ」


 その〝変な真似〟が互いの同意の上ならば口出しできないが、行為を無理強いさせるクソ野郎は看破できないのは二人も同じだった。


「もちろん分かってるよ。そのためにちゃんとリリウムも召喚してるから、何が起こる前に止められるよ」

「場合によっては血を見る羽目になるかもしれねぇけどいいか?」

「それはダメだ。穏便に頼む。騒ぎ起こしたら尾行の意味ねぇからな。イエス平和的解決ノー流血沙汰ッ!!」


 いつの間にか出てきた心菜が契約している魔物・リリウムと、右手に持っているクリップで刃渡り二〇センチのナイフを作っている悠護を見て、樹は悲鳴交じりの声で叫んだ。



 日向とギルベルトがやってきた百貨店は、新装開店したばかりなのかそれなりに賑わっている。

 一階はブティックを中心にした店舗が立ち並び、色んな香水や化粧の匂いがして、嗅ぐだけで鼻がおかしくなりそうになった。

 匂いから逃れるためにエスカレーターに乗り込み、二階へ避難する。


「やっぱり新しくできただけあって人がいっぱいいるね」

「我がイギリスでも市場での盛況ぶり見たが、ここも負けず劣らず賑わっている」


 お忍びで訪れた市場と同じくらいの賑わいぶりに、ギルベルトは興味深く周囲を観察する。

 日向は店先に出ている秋物の服を遠目から眺めながら再びエスカレーターに乗り込む。


 三階は二階と同じファッションエリアだが、四階は台所用品や雑貨品を取り扱うエリアだった。

 種類豊富な調理器具を見て、興味が湧いた二人の足が自然とそっちに向く。


「ほう、ここまで調理器具があると壮観だな」

「そういえばギルってご飯とかどうしてるの?」

「簡単なものしか作れないがちゃんと自分で作っている。家事の基本はクリスに教わったからな」

「クリス?」

「オレのお世話役だ」


 話を聞くと、寮生活のための家事スキルをクリスティーナから一通り教わったらしい。

 だが調理器具は必要最低限のものしかないため、料理の幅を増やすために色々と買い揃えたいと言った。


「じゃあ一緒に探そっか。何が必要なの?」

「そうだな……塩とコショウを挽くミルだな。一緒に混じってあるタイプなのは好かんからな」

「あー、あれね。あれだと中々自分好みの味つけにできないもんね。これとかどう? 右に回すと塩、左に回すとコショウが出るタイプ。一台ですむから場所取らないよ」

「なるほどな。ではこれにしよう」


 日向が選んだ雪だるまの見た目をしたミルを手に取り、そのままカゴに入れるギル。

 一瞬自分が勧めたから入れたと思っていたが、ミニフライパンを見て「ふむ、コレは焦げつきしにくいのか……」と真剣に説明書きを見てカゴに入れているのを見て、性能面を重視して選んだのと気づいた。


 可愛らしいクッキー型を見つけ、寮にクッキー型がないのを思い出す。

 ちょうど一〇個買うと一〇〇〇円になるキャンペーンをやっていたため、クッキー型を一〇個選ぶことにした。

 オーソドックスな花と星の他にハート、ネコ、イヌ、クマ、ツリーなど様々な型を見て、どれを選ぼうか悩んでしまう。


「なんだ、クッキーでも作るのか?」

「うわっ」


 夢中になっていると、色んな調理器具を入れたカゴを持ったギルベルトがにゅっと横から出てきて、思わず声を上げる。


「びっくりしたー……」

「ああ、すまない。ところでクッキーでも作る予定でもあるのか?」

「それはまだ分からいけど、寮にある型が丸いのしかないんだ。いい機会だから別の型も買おうかなって」


 ギルベルトが日向の手元にある星型のクッキー型を見つめていると、おもむろに彼自身が選んだ調理器具が入ったカゴの中に手元に持っていたのを含めていくつかのクッキー型をポイポイと入れる。


「ちょっと、ギル? それくらい自分で買うよ」

「構わん。詫びというに安すぎるが、これくらいは買わせろ。お礼としてこれでクッキーを焼け、それで優雅なティータイムをしようではないか」


 そう言ってレジに向かうギルに慌てて追いかける日向の様子を、尾行中の三人が陰から覗いていた。


「おー、さりげなく買ってやるとか太っ腹だなー」

「とりあえず今は大丈夫みたいだね」

「そうだな。問題は……」


 気まずい顔をしながら樹はチラッと目を後ろに向ける。

 視線の先には精神を落ち着かせようと、壁に向かって「魔訶般若波羅蜜多芯経観自在菩薩――」とお経を唱えている悠護。

「ママー、変なお兄ちゃんがいるー」「しっ、見てはいけません」という親子の会話が聞こえ、通行人から奇異の目を向けてくるが、悠護はそんなこと気にせずお経を唱え続ける。


「おい悠護ー、あいつら上のフードコーナーに行くみたいだから来いよー」

「…………分かった」


 一瞬だけ無言になると、帽子を被り直し壁から離れる。

 一見落ち着いているように見えるが、内心では今すぐ日向の元に駆け寄りたいのだろう。

 まあ樹も逆の立場ならば、悠護の気持ちも分からないわけではないが……。


(精神統一のために壁に向かってお経を読みたくはねぁな)


 人目を気にせずお経を唱えるのだけは、さすがの樹でも無理だ。



☆★☆★☆



「ん! このオムライス美味しい!」

「こっちのビーフシチューも中々いけるな。ソースからもはや別物だ」


 七階のフードコーナーにある洋食屋でランチすることになった日向は、自身が頼んだオムライスの味に驚きながらも幸せそうに顔を緩ませる。

 チキンライスを包んだ薄焼き卵はバターの味がしっかりついていて、酸味を飛ばしたトマトソースとマッチしている。


 ギルベルトのビーフシチューはデミグラスソースの芳醇の香りが漂い、サイコロに切っている分厚い牛肉はスプーンを入れただけでホロホロと崩れるほど柔らかに煮込まれている。

 この味がランチだとスープ・サラダ付きで一二〇〇円前後で食べられると考えると、少し安いと思えるほどの味だ。


「あのお店、宅配サービスがあってよかったね」

「そうだな。あの荷物を持って帰るのは少しばかり面倒だからな」


 本来なら調理器具の類は学園側が支給しているのだが、使い続けるとダメになっていくものもある。

 そうした場合は自腹で買い、領収書を学園側に支給すると後日指定した口座にお金が振り込まれる仕組みになっている。


 ギルベルトの場合、学園側は一九階にある一人部屋の家具を揃えるのに必死になっていたらしく、調理器具の類は必要最低限のものしかなかった。

 そのため、今日の買い物で自分が求めていたものが買えて大層ご満悦のようだ。


「そういえばイギリスって二一世紀初頭くらいまで『世界一マズい料理』って呼ばれてたんだよね?」

「ああ、大変不名誉だが事実だ。当時のイギリスは食を軽視していたが、近年では食に対する関心が徐々に高まっているおかげで国民だけでなく観光客の舌も満足する味になっているぞ」

「そっかぁ。やっぱり食事は美味しいのがいいよね」


 日向の母・晴は料理上手な人だった。手の込んだ料理から時短料理まで幅広い料理の数々は幼い日向を魅了し、幼稚園に持っていったお弁当は毎日残さず完食した。

 母の残したレシピの数々は実家の方に大切に保管してあり、家の様子を見る時には必ず自分が作りたいかつ食べたい料理のレシピをメモで書き記している。


 レシピの前の注意事項に『子供達には塩分少なめ、甘めな味付けに!』や、ページの端に家族全員の好みの注意が書いてあったのをみた時は、思わず泣いてしまって陽を心配させたことは今もいい思い出だ。


「あたしのお母さんも料理上手で、いつもあたし達のために味付けとか好みをレシピに細かく書いてくれてたんだ」

「ほう、それは素晴らしい母君だな。なら貴様もそのような女性になるのだろうな」

「そうかな? でもそうなれたらいいなぁ」


 母は日向にとって『憧れる女性像』のような女性ひとだった。

 今は足元に及ばなくても、将来そうなれたらいいと思っているのは事実だ。

 それからギルベルトと料理の話で盛り上がっている中、日向達の後ろから一メートルほど離れている席で悠護達は二人を見ながらもお店の料理に舌鼓を打っていた。


「すげー話盛り上がってるな。この調子なら何事もなく終わるんじゃねえの?」

「…………そうだな」


 カツレツを無言で食べていた悠護は、頼んだポークステーキをとっくに完食した樹の言葉に頷く。

 食事をとって憂鬱な気分が発散されたのか、さっきよりも落ち着いている。

 樹の隣でクリームシチューを食べていた心菜は、お水を飲みながら日向の後ろ姿を見ながら優しく微笑む。


「日向、すごく楽しそう。もしかしたらこれがきっかえで私達と一緒に行動するかもね」

「あー……やべぇ、その可能性スゲーあるわ……」

「あっはっは、そうなったら俺が一番大変だろうな」


 主に二人の仲裁として、と口には出さず内心で呟く樹。

 悠護とギルベルトは、立場は似ているが性格と思考は正反対だ。この二人が些細なことで衝突するのは前日の模擬戦で経験済みだ。

 そうなったら、日向と樹が仲裁に入るのは至極当然の考えだ。


「ま、なんだ。色々と思うところがあると思うけどよ、これからクラスメイトとしてやっていくんだ。ずっとギスギスしたままじゃやりづらいぜ?」

「っ、分かってるっ」

「いーや、分かってねぇ!」

「ふぐっ」


 そっぽを向きながら答える悠護の鼻を摘まんだ樹は、不細工顔になっている親友の目をしっかり見つめながら言った。


「いいか? お前はこれから色んな人間と接する、その中には気に入らない奴なんか山ほど出るだろ。でもよ、そいつがもし偉い奴だったり味方になってくれる奴だったら? 会うたびにずっと嫌な顔したせいで、そいつが腹いせに日向や俺達に危害を加えてきたらどうすんだ?」

「それはっ……」

「世の中理不尽なことだらけだ。たとえどんなに嫌な奴でも頭を下げて、言ったことを聞かなくちゃいけねえ日がくる。もちろん自分の意見を言ったのは正しい、けどその正しさが間違った選択になることもある」


 樹は鼻を摘まんでいた手を離すと、その手で悠護の頭を撫でる。


「だからよ、別に今すぐそうしろって言わねえ。少なくとも日向を悲しませるようなことはすんな。いいな?」

「……ああ、そうだな」


 樹の言い分はもっともだ。

 父に付き合わされた参加したパーティーでは、誰もが笑顔の裏に陰謀を隠していた。近寄ってくる者全てが怪物に見える中、父はにこやかに話していた。

 今思えば、ポーカーフェイスと同じ己の心の内を悟らせないための処世術だったのだろう。


 家族を、家を、日本の魔導士界を守るために、相手を不快にさせないように親しみを感じる笑みを作り続けた。

 昔の自分ならば媚びへつらう連中に笑みを見せる父を軽蔑したが、和解した今ならば父のことが理解できる。


(ほんと、俺ってガキだよな……。あの日から全然成長してねぇ)


 実の母を亡くし、自分が信じたいと思っていた者に裏切り続けられて、本心から誰かを信じることが出来なくなった。

 日向と樹と心菜に出会って、信頼も信用もできる友人ができたが結局はそれだけだ。悠護は彼女達以外の誰かを信用することができない。

 大切に想っているからこそ、日向達に近づいて来る人間全てが敵に見えてしまう。


 だが、中には打算的な考えを持っていても場合によっては利用価値があり、味方になってくれる人間がいる。

 その可能性がある相手が、たとえ自分の片想い相手にプロポーズしたイケすかない王子だろうと。


(……俺もそろそろ大人になった方がいいかもな)


 いつまでも子供ではいられない。その事実が今まで心が子供のままでいた悠護に重くのしかかり、もやもやした気分を晴らすように残ったカツレツを口の中に放り込んで噛み潰した。



「ふんふん、ふふ~ん♪」


 七階のフードコーナーある喫茶店。純喫茶を再現したその店は、レトロで落ち着いた雰囲気が特徴的だ。

 店内には三〇代から五〇代の大人が多い中、レトゥスは窓際の席で足をぶらぶらと揺らしながらチョコレートパフェを食べていた。


 コーンフレークや生クリーム、バニラアイスにチョコレートソース、バナ何ウエハースと現代ではそれほど高くない食材を使ったパフェは、甘党のレトゥスにとっては至高の一品だ。

 細く小さいスプーンを使って芸術品のような仕上がりのそれをぺろりと平らげながら窓の外に目を向けると、隣の洋食屋から二人の少年少女が出てくる。


 その二人は、日向とギルベルト。レトゥスにとって

 そのすぐ後ろで変装している三人の姿を見て、レトゥスはパフェグラスの底にあるクリームを頬張ると、席を立つ。


 すぐに会計を済ませて店を出ると、楽しそうに談笑する二人を見て小さく笑う。

 クスクスと声を出して笑いながら、レトゥスは愉しそうに目を細めながら言った。


「――さあ、時間だよ。このぼくを楽しませてよね?」

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