第71話 命令と尾行

 あの模擬戦から三日、日向は入院中の悠護とは一度も会っていない。

 クラスメイトや他の同級生達は「ついに仲違いか?」と興味津々に言っていたが、たった三日でもちゃんと病室を訪ねに行く樹に近況を聞いている辺りで違うと分かったらしい。


 日向と悠護の関係はまるで付き合いたての恋人のように甘く、けれどその線を越えず友人のままでいる。

 いつくっつくのか気にしている周りが口に出したいけど出すまいと必死に我慢し、二人の関係を近くで見ていたクラスメイト達はそのもどかしさに悶絶していた。

 今の状況も何か考えがあると思っているため言わないでいるが、それでも気になってしまうのが人の性だ。


「ふーん、なるほど。それで周りが騒がしかったんだ」


 お昼休み。冷房が効いた食堂の片隅で、重箱を広げている日向達は途中で見つけた怜哉と一緒に食事をしていた。

 合宿の後、悠護の料理の腕を鍛えるという名目で週に四回お弁当にすると突然言い出して以来、毎週食堂の限定メニューが出る月曜日と金曜日以外は交代でお弁当を作るようになった。


 今日は土曜日、日向と心菜が作ったのは夏バテ解消お弁当だ。

 夏バテになってしまうとタミン欠乏症になる危険性があると料理番組で聞いているため、ビタミンを多く含んだ食材をふんだんに使っている。

 メインのおかずは豚の生姜焼き。副菜はニンジンとごぼうのきんぴら、ほうれん草のおひたし、数種類の豆サラダ、玉子焼き。ご飯は梅紫蘇おにぎりと白胡麻を入れた鮭フレーク入りおにぎり。


 持参した紙皿と割り箸で取り分けていると、生姜が効いた豚肉を頬張りながらしっかり咀嚼し嚥下した怜哉が梅紫蘇おにぎりを取る。


「でもそっか、じゃあ『豊崎さんと黒宮くんがついにパートナー解消した』って書いてあった校内新聞の内容もウソなんだね」

「え、なんですかそれ?」


 初めて耳にした話に思わず割り箸で掴んでいた玉子焼きを紙皿の上に落としてしまった日向の横で、口の中で噛み潰したきんぴらを飲み込んだ樹が眉間を寄せる。


「それって、もしかして桃瀬の奴の仕業か?」

「いや、珍しいことに彼女はこの噂には関係ないよ。大方別のクラスが勝手に言ったことがそのまま噂になって、それを新聞部が勝手に書いたんだろうね」


 聖天学園には部活はあるが、魔導士は通常の競技に出場できない。

 今ある部活はストレス発散や趣味などで活動しているのがほとんどで、そのせいで部活も運動系も文系も基本お遊び程度のものだ。

 だが文系の部活――特に新聞部は違う。


 普段の日常から刺激を求める生徒達のために、小さいものから大きいものまで種類問わず色んな話題を記事にしている。

 中には真実かどうか分からない不明瞭な記事も入っており、記事された生徒が激怒して魔法で新聞部を襲った事件は過去数年の間に何度も起きた。


 そのせいで新聞部は真実に沿った記事を書くよう、学園側から厳重注意を受けている。

 しっかり釘を刺されたにも関わらず、悠護とパートナー解消したという根も葉もない噂を記事にした話はさすがの日向も聞き捨てならない。

 自販機で買った烏龍茶を飲んでいた心菜は、割り箸の持つ手を震わせる日向を見てもしゃもしゃとおにぎりを食べる怜哉に訊く。


「でも怜哉先輩、新聞部はそういった記事は書かないって聞きましたけど……」

「そうだね。多分だけど目玉記事を狙ったどこかのバカが勝手に書いたんだろうね。二年と三年は注意のこと知ってるから、書いたのは一年だろうね」

「あー確かに一年なら最初の頃はあんま仕事ねーもんな。で、ちょうどいい話題が出て来たから一山当てようって考えた算段か」


 ハイエナみたいじゃねぇか、とイライラ気味に玉子焼きを口の中に放り込む樹。

 日向も烏龍茶を飲みながら、思わずはぁっと重いため息を吐く。陽の選手引退の時、家や通学路で多くのマスコミが待ち構えられて無理矢理取材された経験から、そういった類はすっかり苦手になっていた。


 もちろん学校の新聞部と本職では天と地の差があるだろうが、それでも自身の真実味のない記事を書かれたことは無視できない。

 さっさとご飯を食べて新聞部に抗議しよう、と思っていた直後だ。


「きゃああああっ!?」


 食堂で絹を裂く悲鳴が上がる。

 悲鳴がした方を見ると、そこには一人の女子生徒の胸倉を掴むギルベルトがいた。

 彼の顔は怒りで歪み、ガーネット色の瞳は目の前で涙目になっている女子生徒に向けられている。

 ただならぬ気配に日向は思わず立ち上がり、彼の元へ駆け寄ろうとしたが、


「貴様か? こんなふざけた記事を書いたのは?」


 彼の左手に持つ校内新聞――太文字で『豊崎日向&黒宮悠護、ついにパートナー解消か!?』と書かれた見出しを見て、駆け寄る足を止めてしまう。

 当人よりも怒りを見せるギルベルトに、日向もどうしたらいいのか分からず彼らの会話を聞くことしか出来なくなった。


「た、確かにその記事書いたのは私ですけど……でも、ふざけて書いたわけじゃ……!」

「だが真実ではない。そもそもこの記事はちゃんと本人に聞いて書いたものか? オレが読む限りでは学内で何度も耳にした噂を元にしただけのものだろう。違うか?」


 的確かつ有無を言わせない口調に、女子生徒はぐっと言葉を詰まらせる。

 うなじまで長さのない髪を二つ結びにしているその子は、E組でたまに見かける子だ。

 何度か新聞部に所属している二年生と共に行動している姿を見たことがある。


「そもそもあの二人のことはオレに一因がある。なのに貴様はデタラメな噂を信じ、本人の話を聞かずにこの記事を書いた。これはれっきとした名誉棄損だ」

「……っ……」


 ぐうの音が出ない正論に女子生徒はポロポロと涙を零しながら黙り込む。

 それを見てギルベルトがため息を吐くと、「今日中に訂正記事を書け、拒否権はない」と言って胸倉を離した。

 件の女子生徒はそのまま椅子に座り込んで、嗚咽を漏らしていた。周りの友人達が慰めているが、これは完全に彼女の自業自得なのでかける言葉はなかった。


 ギルベルトは野次馬達が譲った道を歩いていると、目の前にいる日向を見て目を見開かせる。

 日向も彼になんて声をかければ分からず口をパクパクと動かすことしかできない。

 だがまた周囲がざわめきだしたのに反応して、すぐに日向の手首を掴んだ。


「ちょっとこっちに来い」

「えっ、まっ」


 日向が何か言った前にギルベルトが急ぎ足で食堂へ出て行こうとする。

 手首を掴まれている日向も彼の力強い手を振り解けることが出来ず、そのまま食堂を後にした。



 午前授業の土曜日の校舎は、平日より人が少ない。

 さっきの日向と同じで食堂にいる生徒もいれば、訓練場に行って自主練している生徒もいる。

 そんな中、日向はギルベルトに手首を掴まれたまま屋上に来ていた。


 競歩に近い走りで互いに息を切らしながら呼吸を整える。

 無意識なのか微かに力を込めて手を握りしめてきて、その痛みに思わず「いたっ」と声を出す。

 その声に我に返ったのか、ギルベルトは慌てて手首を離した。


「わ、悪かった。すまない、痛いかったか?」

「だ、大丈夫。一瞬だったし」

「そうか」


 ほっと安堵の息を吐くギルベルト。だが彼はそれ以上言葉を紡がない。

 静かで気まずい沈黙が続く。セミの鳴き声や外にいる生徒の声がうるさく耳に入ってくる。

 だがこれ以上ずっと黙ったままではいられない。そう思い、日向は意を決して口を開く。


「……ギル、さっきはありがとう。言いたいこと言ってくれて」


 自身の愛称を呼ばれてギルベルトは驚きで目を見開くが、すぐに視線を逸らす。


「……いや、さっきも言ったがあれはオレにも原因がある。気にすることでもない」

「それでもいいよ。ありがとう」

「……ああ」


 再び沈黙が下りる。照りつける太陽が問答無用に日向達から容赦なく水分を奪っていく。

 身体から出てくる汗が頬を伝っている中、ふとギルベルトは転落防止柵に近づくとそれに触れる。


「桃瀬希美を知っているか?」

「桃瀬さん? 知ってるけど……」

「この間の模擬戦の後、桃瀬希美がオレにある提案をしてきた。オレとあいつで、日向と黒宮を手に入れる、という提案をな」


 ギルベルトから聞かされる話に、日向は驚きながらも「そっか……」と言った。

 希美が自分を嫌っているのは最初から知っているし、彼女がどんな手を使ってでも悠護を手に入れようとしているのはなんとなくだが分かっていた。

 だが彼女のその執念深さは日向の想像を超えていた。


「もちろんオレは断った。前も言ったが、オレは卑怯な手を使わず貴様を振り向かせるつもりだ。……だが、オレの不手際で貴様には多大な迷惑をかけたな」

「そんなことないよ! ギルがいてもいなくても、多分こうなっていただろうし。それに今あたし達が会ってないのは、ちゃんと話したいことを整理してるだけなの。だからギルが気にすることはないよ」


 本心から思った言葉をそのまま語る日向を見て、ギルベルトはその眩しさに目を細める。

 本来なら、彼女はあんな記事を書いた女子生徒とこんな提案を持ちかけた希美に対して文句一つ言ってもいい。


 だがそれも彼女は気にすることなく、こうして原因である自分にお礼を言った。

 なんて気高いだろう。宝石よりも眩しく、高潔な精神を持った者は尊敬する両親やクリスティーナしかいなかった。

 だが、たとえ彼女が許してもギルベルト自身は許せなかった。己の未熟さと詰めの甘さに。


「……そうか。だが、それでもやはりオレはオレ自身が許せない」

「っ、だから気にしなくてもいいって――」

「いいや、これはオレ自身の誇りの問題だ。たとえ貴様に許されても、オレが許すことができない。詫びとして、何か一つ命令してくれ。どんな屈辱なものでも受け入れよう」

「そ、そんなこと言ったって……」


 まさかの提案に日向も戸惑う。

 一王子にどんな命令をすればいいのか以前に、そんな真似をすることすら慮れる。

 だが日向がどれだけ言っても引かないことは、彼の目を見て気づいている。


 悩んで、悩んで、悩んで。うーんうーんと唸り、腕を組み、必死に頭を捻らせる。

 どれだけ時間が経ったのか分からないが、ようやく日向が出した命令はこれだった。


「………………じゃあさ、明日あたしと一緒にお出かけしない?」

「はっ?」


 きょとんとした、高貴な人間ならば絶対に見せない間抜けな顔。

 その顔を見て、あれ? なんか変なこと言った? と思ったが、自分の言った台詞をリピートしたがやはりおかしなところはない。

 だがギルベルトは右手の指先をこめかみに当ててながら、頭痛を抑え込んだ顔で言った。


「…………それは、どういう意味だ?」

「え、えっとね。実はさ、ちょうど始業式の日に近くで新しい百貨店できたんだ。あそこにあるの見える?」

「ん? ああ、言われてみれば見えるな」


 日向が指差した方向には、ほのかにピンクがかかった白い大きな建物が見えた。

 それが学園に来る前にモノレールの窓越しから見えた新しくできた百貨店であることを思い出す。


「でね、前から気になってたんだけどさすがにみんなを付き合わせるのは悪いかなって思って。明日一人で行こうとしたんだ」

「貴様の誘いならあいつらは快く受けると思うが?」

「かもね。でもみんなにはみんなの時間があるから、それを邪魔しちゃダメだと思って」

「なるほどな」


 日向の話を聞いてようやく理解する。

 たとえ心菜達が日向の誘いを嫌な顔せず応じるだろうが、日向は自分のために自分の時間を潰すような真似はしたくないのだろう。

 それがたまたまギルベルトの言葉で、彼を誘うことを決めたのだろう。


 一瞬だけ驚いたが、それでも学内ではなく外で彼女とデートできるのはギルベルトにとっては嬉しい誤算だ。

 ならば、この誘いを引き受けない道理はない。


「――分かった。その命令、受けよう」

「うん、ありがとうギル」


 ギルベルトの言葉に、日向は花が咲いた笑顔を浮かべた。

 屋上に出る校舎側のドアの前で、心菜と樹に言われて様子を見に来た怜哉が聞き耳を立ていることを知らないまま。



☆★☆★☆



『――というわけで、あの二人明日デートするよ』

「何がどういうわけだよオイ」


 聖天学園内病院にある病室。俺は樹が持ってきてくれたボストンバッグに着替えを詰め込みながら、スマホの通話をスピーカーにしながら怜哉から伝えられる報告に向かってツッコんだ。

 何故そうなったのか経緯で話の流れ的に把握できたが、やっぱり納得できない。


(つか、嫉妬ってこんな面倒くさいモンなんだな……。今なら希美の気持ちがちょっと分かる気がする)


 以前なら誰かれ構わず異常なほど周囲の人間に憎悪に近い嫉妬を向けている幼馴染みのことが理解出来ずにいたが、今ならば分かる。

 好きな相手だからこそ、たった数秒でもそばにいたい。他の人が向けてくる視線が気になってしまう。親しい様子を見ると胸がズキズキと痛んでしまう。


 希美の嫉妬はそれが過剰なまでに肥大したものだとようやく理解した。

 着替え用のシャツをバッグに詰め込んだ後、チャックを引っ張って閉じた。


「で、それ樹達にも言ったのか?」

『うん。そしたら真村くんが『なんか心配だから明日尾行しよう』って言ってさ、神藤さんもそれに同意して明日その百貨店に行くみたい。黒宮くんはどうするの?』

「俺は……」


 怜哉に問われ、俺は答えを詰まらせてしまう。

 正直に言えば気になる。だが、もし自分の中に巣食う嫉妬が暴れ出し、また八つ当たりしてしまわないか不安で仕方がない。

 入院の間とはいえ、一度も日向に会わず頭を冷やした意味がない。

 黙り込む俺に何か察したのか、通話口越しから怜哉がため息をついた。


『……別に君がここで何時間もウジウジしてもいいけどさ、七色家的にこの状況はちょっとマズいと思うんだけど』

「は? マズい?」

『そうだよ。イギリスの王子のギルベルトと世界唯一の無魔法使いの豊崎さん……仮にあの二人が恋仲になったら、イギリスと日本の間に国境を越えた関係が結ばれる。……でも、それは他国にとっては面白くない』

「つまり……どっかのバカがあいつらに手を出す可能性があるってことか?」

『僕の予想だけどね。イギリスは無魔法が使える豊崎さんを手に入れて、その子供も無魔法が使えたら国の護りが今より強固なものになる。そして日本も魔導大国に恩が売れて、今日本が輸入してるイギリス製の魔導具がもっと容易く手に入れやすくなる。そう考えると手を出す国がいてもおかしくないと思うけど』


 イギリス製魔導具は、魔導大国の名に恥じないほど高性能だ。日本も近年魔導具開発には余念がないが、それでも他国より性能が劣る。

 日本もイギリス製魔導具を輸入しているが、高値であるため中々手に入れない。

 もし怜哉の予想が現実のものになったら、日本は日向とギルベルトの婚姻を許可するだろう。


 七色家は日本という〝王〟に仕える〝臣下〟のようなもの。

 たとえ徹一の言葉があっても、国の判断一つで己の息子のパートナーを奪うことができる。

 そこまで考え、俺はぎゅっとバッグを握りしめる。


 恐らく七色家の人間としれならば、国からの命令に従うのが正しいのだろう。

 でも、それでも。黒宮悠護という一人の魔導士は、彼女を誰にも奪われたくない。

 たとえ日向自身がギルベルトを選んでも、自分の想いを告げるまで手離す気はない。


「怜哉」

『何?』

「俺も行くぞ」


 数分の間に豹変したように力強い返事をした俺に、怜哉はしばし無言になるも素っ気なく言った。


『……あっそ。言っとくけど僕はこれ以上関わらないからね。あとは自分の好きなようにしなよ』

「ああ、分かってる」

『ならいいけど。じゃあね』


 プツッと電話が切れると、すぐさまスマホの電源を落とす。

 スマホを後ろポケットに入れ、ボストンバッグを手にしそのまま病室をあとにする。

 途中でもう一度スマホを取り出し、SNSアプリを起動する。


『怜哉から事情聞いた。明日、俺も行く』


 樹宛に短いメッセージを打つと、数秒で新しいメッセージが入る。


『おっ、やっと動いたかヘタレ』

『誰がヘタレだよ』

『お前以外いんのか~?』


 樹のメッセージの後に『プークスクスww』と書かれた吹き出しを出したロボのスタンプが出てきてイラッとした。

 クソ、こいつ面白がりやがって。後でシメてやるやら覚えてやがれ。


『ま、そういうことなら一緒に行くか! 当日はどんなことがあっても暴れんなよ~』

「俺はガキか」


 思わず声でツッコむが、これまでの態度を見ればそう思っても仕方ないが、認めるのは癪なので『分かってる』と素っ気なく返事を返す。

 SNSアプリを閉じると、再びスマホをポケットにしまいながらぽつりと呟く。


「……念のため、変装した方がいいかもな」


 部屋のクローゼットに変装の役に立ちそうなものがあったか思い出しながら、俺は学生寮への道を迷いなく歩いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る