第1話 聖天学園

 瞼の裏からでも刺激する春の日差し。夏より優しく、それでいて眩しい光を浴びて、いつの間にか瞑っていた瞼を上げる。

 振動が少ない跨座式モノレールでは、自分と同じ格好をした少年少女達がこれから始まる新生活に期待と希望を宿しながら目的地に着くのを待っていた。


 黒を基調としたシックなデザインのブレザー制服。襟とあわせは白で、ブレザーの左胸に六芒星とそれを囲む月桂樹の冠のエンブレムが縫いつけられ、他ではあまり見ないベルトがついているのが特徴的なそれは、自分もこれから通うことになる学園指定の制服。

 もう一つの特徴としてネクタイとリボンの色は赤、青、黄色、緑、紫、ピンク、水色の七色から選べて、自分が選んだのは一番人気のある赤だ。ゴムで調整するものではない、ネクタイと同じで一から結ぶタイプのそれが、身動ぎによって微かに揺れる。


 学園側が配送してくれたショルダーバッグタイプの黒い通学鞄の中はほとんど空に近い。

 中身は筆記用具や日常使いにしているミニタオルとポケットティッシュ、それと直し用の化粧品、生理用品、絆創膏や消毒液のボトルなどの医薬品、スマホの携帯バッテリーを個別に入れたポーチ四つだけ。

 花の女子高生にしてはあまりにも女子らしくないラインナップだが、そこは性格上仕方ないと納得してほしい。


 モノレールに揺られながら、満開の桜の花が生み出す薄ピンク色の風景を眺めていると、遠目からでも分かる白い建築物が多く立ち並ぶ一画が目に入った。

 この関東地方においてどこよりも広大な敷地を有し、誰もが羨む最新鋭の設備が整い、世界各国の政府によって庇護されながら三年間の学園生活を送る場所。


「あれが聖天せいてん学園……世界唯一の魔導士育成校、か」


 モノレールの窓越しから学園を見つめる少女――豊崎日向とよさきひなたは、服越しから左脇腹をそっと撫でる。

 近くで窓越しから見える学園に目を輝かせる新入生達を横目に、ひっそりと鬱屈なため息を零した。



『魔導士』

 己の生命エネルギーを『魔力』に変換し、神秘の業『魔法』を扱う特異な存在。

 彼らの力は自然を操り、不治の病を治し、時間の流れさえも干渉し、さらには非魔導士でも使える魔法の道具『魔導具』を開発したことによって、世界に多大なる影響を与えた。

 魔導士達の存在は世界にとっても必要不可欠なものとなり、今では軍や警察、さらには諸外国問題すらも彼らがいなくては成り立たなくなってしまっていた。


 だが、魔導士は魔法を使えない一般人にとっては脅威なものでしかない。

 過去に人間からの差別や迫害が何度かあり、時には小規模なデモにも発展したことから、魔導士の身の安全のために政府は『魔導士制度』を作った。


 魔導士制度とは、魔導士の戸籍管理や保護などを行う国際機関・International魔導士Magician連盟Federation――通称『IMF』の認可を受けた専門学校を卒業した者のみに『魔導士』の社会的立場と免許証を与えられ、魔法の使用を容認するという制度である。

 この制度によって魔導士は一般人からの迫害や差別が減り、今では日々の暮らしを守っているヒーローとして見る者もいれば、依然と異端者として見る者もいる。


 そして、その魔導士の育成を目的とした教育機関こそが、日本の関東地方にある国立高等学校『聖天学園』。

 東京都と神奈川県の間に位置し、世界各国から難関な試験を突破した魔導士を目指す学生を集めているため、生徒数は一万弱というマンモス校。

 教師も世界各国から集めた優秀な人材ばかり揃え、施設内には学園側が運営する病院と研究施設もあり、配属された研究者や医療従事者を含めれば約二万人の魔導士及びその卵達が暮らしている。


 治安や土地などの問題で中々折り合いがつかない現在、聖天学園は世界唯一の魔導士育成学校としてその名を世界中に馳せている――――。



☆★☆★☆



 地元の最寄り駅から二回乗り換え、跨座式モノレールに揺れ、一時間弱で辿り着いた近未来的な外観をした駅のホームを出ると、ちょうど暖かな春風が吹き、琥珀色の髪がふわりと靡く。

 太陽の光で金色にもオレンジにも輝く髪を通行人が思わず吐息を漏らすほど見惚れているのに気づかないまま、日向は遠くからほのかに漂う桜の香りを肺いっぱいに吸い、星空みたいに桜の花びらが落ちているアスファルトを茶色い革靴を履いた足で進む。


 可愛らしい白猫のマスコットがついたスマホを右手に持ち、インストールしている地図アプリを使って道を確認しながら歩みを進めると、桜の香りが一層強くなるのを感じながらスマホから顔を上げる。

 右柱にピンクと白の紙花がついた『入学式』と書かれた看板が立てられて荘厳な洋風の校門を通り、校舎まで続く桜並木を歩く。


 校舎前では受付をしているらしく、昇降口の両隣に数台の折り畳みテーブルがある場所では、教師陣だけでなく手伝いで駆り出された在校生達が慌ただしく新入生達を案内している。

 入学式までもう少し時間があるため、少し待っていようと思っていた時、一際強い春風が吹くと同時に日向のリボンがしゅるっと解け、そのまま風と共に攫われる。


「あっ」


 慌てて追いかけるも、リボンは風の軌道に乗って飛んでいき、桜の木の枝に引っ掛かった。

 不運にもリボンが引っ掛かった場所は一番高い枝のところで、木登りをしても身長差であまり届かない位置だ。


(どうしよう……先生に頼んだ方がいいかな?)


 受付の方を見ても、相変わらず忙しい様子で動き回る教師に声をかけられる自信はなく、落下覚悟で木に登ろうとした時だ。


「――そこで何してんだ?」


 背後から声をかけられ振り返ると、そこにはまだ生地の固い制服を着た黒髪の少年が訝しんだ表情を浮かべていた。

 癖のある黒髪はきちんと手入れをしているおかげで艶やかで、ジト目の真紅色の瞳は最高級のルビーとして有名なピジョンブラッドを彷彿とさせる。その瞳が何も結ばれていない日向の首元と、枝に引っ掛かっているリボンを見て納得の表情を浮かべる。


「リボン、飛んだのか」

「うん。あなたが声をかけるまで落下覚悟の木登りを試みようと考えてたところだよ」

「やめろやめろ。女の子がスカート姿のまま木登りすんな」


 襞の揃った白いプリーツスカートの下の黒いニーソックスに覆われた自分の足を見て、少年が苦言を呈する。

 そのまま右手首につけている細工が細かい幅広の金の腕輪を一瞥し、おもむろに右手をリボンに向かって伸ばした。


「――『浮遊ナタレ』」


 指先から真紅色の粒子が集まると、その光の粒はそのままリボンの周りをくるくると回る。今は風も吹いていないのにリボンはふわっと浮き上がり、意思があるように降下していきそのまま彼の右手に収まる。

 真紅色の粒子――普段目視できない可視化された魔力の輝きと、あまりにも無駄がないかつスムーズな手際に日向は思わず見惚れてしまう。


(すごい……やっぱり魔法ってすごいな)


 魔導士が魔法を使うのを見るのは、世界中継されている国際大会のみで、普段の生活で魔導士が魔法を使う光景はあまり見ない。

 少年はリボンを手に微動だにしない日向の前まで来ると、そのまま彼女の右手にリボンを握らせる。


「ほら、もう飛ばされるなよ」

「あ、うん……ありがとう」


 我に返って慌ててリボンを結び直すと、ふと周囲の視線がいくつも向けられていることに気づく。

 その視線のほとんどがひそひそと聞こえよがしな話し声をしている女子達で、理由が分からず首を傾げるも隣にいる少年の表情が陰った。

 少年の暗い表情と突き刺さる視線の原因が彼にあると理解するも、日向は無遠慮に向けられる視線を完全無視する。


「ねえ、君の名前は?」

「え……?」

「お礼、ちゃんとしたいから。クラス違っても名前が分かれば大丈夫だと思うから教えて欲しいな」

「別に……いいけど……、えっと……」


 少年の口が言い淀むのを見て、自分がまだ名乗っていなかったことに気づく。


「ああ、こっちの自己紹介が先だね。あたしは豊崎日向。君は?」

「……悠護ゆうご黒宮くろみや悠護」

「黒宮くんだね。とりあえず三年間よろしく」


 屈託なく笑いかけながら握手のために手を伸ばすと、少年――悠護は戸惑いながらも「こちらこそ……」と言いながら握手を交わす。

 握手の時点で女子の視線が強くなり、騒がれる前にすぐ手を離した。


「そろそろ人波が落ち着いたと思うし、受付まで一緒に行かない? 新入生同士仲良くしようよ」

「それは別にいいけど……お前、俺の名前聞いても驚かないのか?」

「名前? ……名前がどうかしたの?」


 変な質問をしてくる悠護にきょとんとしながら首を傾げると、彼は何度か口をぱくぱくと開閉するも日向の表情を見て何かに気づいたのか、「いや……なんでもない」とどこか嬉しそうな声色で言った。

 彼の態度に疑問を抱きながらも、日向は悠護の隣に並びながら受付に向かって歩き出す。

 道中、女子達の突き刺さる視線は当然ながら無視した。



 再びやってきた受付はやっと落ち着いて来たのか、手続きがスムーズに行われている。

 昇降口の左隣に建てられた電子掲示板にはクラス表が表示されており、受付ではスーツ姿の教師陣が案内をしてくれている。ふと近くの受付で見覚えのある青年の姿を見つけ、ピシリと固まる。


 焦げ茶色の長い髪をポニーテールにしており、赤紫色の瞳は知的な印象を与える。ワイシャツに黒のズボン、首には黒のネクタイを着けただけのシンプルな装いだが、不思議と目を引いた。

 今日と言った日のためだけに用意したそれを着ているその人は、こっちに気づいたのか口元に小さい笑みを浮かべた。その瞬間、日向はさっと顔を逸らした。


「おい、どうした」

「黒宮くん、向こう行こう。あっちの方が少ないよ、そうしよううん」

「いやいや待てって、どうしたんだよ急に――」


 突然態度を変えた日向に悠護が声をかけようとした瞬間、


「――人の顔見て逃げるとか冷たないかぁ、日向?」

「ぎゃあああああああああああああっ!!?」

「!?」


 彼女の背後に現れた人物の声が耳元で囁かれ、条件反射で色気のない悲鳴を上げた。

 その悲鳴に驚いた悠護がびくりと肩を震わせる横で、日向は振り返り背後にいた人物を睨みつける。


「随分と派手な悲鳴やな。大声選手権があれば優勝間違いなしやで」

「うるさい! 突然現れるとか卑怯でしょ!」

「誰かさんが逃げるからやろ? せっかくお兄ちゃんが直々に来てあげたんやからお礼くらい言いや」

「頼んでないから言わない! 陽兄ようにいのバカ!」

「冷たいなぁ~」


 周りの注目を引く悲鳴を上げさせた元凶はニヤニヤと笑っており、それが余計に腹立たしい気持ちにさせる。

 物心ついた時から変わらない関西弁で話す青年……いや、日向の実兄である豊崎陽はわしゃわしゃと妹の頭を撫でた。


「スマンスマン、ついからかってもうたわ。それと、学校じゃワイのことは『豊崎先生』と言い。公私混同はしたくないからな」

「……そういうのは事前に言ってください、豊崎先生」

「よろしい」


 乱れた髪を手櫛で直す日向を見下ろしながら、陽は満足げな表情で頷く。

 ふと彼女の隣にいる悠護が戸惑った様子で固まるのを見て、にこっと人の好い笑みを浮かべた。


「スマンかったなぁ、兄妹トークに入ってもうて」

「ああ……いえ、大丈夫です」

「そか。ほんならお二人さん、あっちで受付しよか。ついてきぃ~」


 陽に案内され受付まで来た二人は、そこで『入学おめでとう』の文字が入ったタレ付きの赤薔薇のコサージュを渡される。

 小学校や中学でも見たそれが、この学園でも渡されると知り内心驚いた。


「ほんじゃ、次はテーブルに貼ってある紙にQRコードあるやろ? これは学生証とか学内地図や校則が入っとるアプリで、学生全員はこれをダウンロードするんや」

「個人情報を全部アプリでまとめるなんて……情報漏洩とか大丈夫なんですか?」

「安心しぃ。学園ウチには情報管理のプロがおるさかい、ハッキングなんて真似させへんで」


 カラカラと笑う兄の言葉を信用し、日向はQRコードから読み込んだアプリをダウンロードする。

 薄水色の背景に学園の校章が表示されたアプリは『セイテン☆』という名でインストールされ、起動すると個人のスマホに登録情報を元に自動更新されて学生証が作成された。

 さらにアプリを確認すると校則や学内の地図、さらには行事や施設の利用時間の情報すらも揃っていた。


「よし、ちゃんと入ったな。これさえあれば休日は学園の出入りができるから無くさないようにしぃ。もちろん機種変したい時はちゃんと担任に報告すること。ええか?」

「分かりました」

「俺も大丈夫です」

「よし、じゃあ次はクラスを確認して一回教室に鞄置いてきぃ。後は教師の案内で体育館に行くからちゃんと聞くんやで~」


 何とか受付が終了し、互いに軽く手を振りながら電子掲示板へと向かう。

 一喜一憂しながら電子掲示板に集まる新入生達が減っていく中、悠護はちらちらと周囲から視線を向けられている日向に話しかけた。


「なあ、お前って【五星ごせい】の妹だったのか?」

「ん? そうだよ、引退した今も人気あるなんてちょっと驚いたなぁ」


【五星】――それは兄に与えられた二つ名。

 魔導士の中で功績を残した者にしか与えられない上、陽の二つ名を知らぬ者はモグリと称されるほど有名だ。


 陽は二年前まで世界魔導士武闘大会『王星祭レクス』で五年連続優勝を果たした有名な魔導士で、その実力は世界ランキング上位に入っているほどだ。

 日本どころか世界中の魔導士の憧れの存在であった兄は、二年前の王星祭の授賞式に突如現役引退を発表し、その後聖天学園の教師に転職した。


 当時は世界中が大騒ぎしたほどのビッグニュースだったらしく、誰もが「引退は惜しすぎる」「考え直せ」と言っても、陽は反対を押し切った。

 そのせいで一時期マスコミがハイエナのように家の周りに群がり、待ち伏せやストーカー紛いなこともされて何度も警察沙汰になったせいで、日向はすっかりマスコミが嫌いになった。


「ま、過ぎたことはどうでもいいよ。……あ、名前あった。A組だ」

「俺は……あった。俺もA組だ」


 一〇を超えるクラスの中から最初の『1年A組』の下に連なる人名の中から自分の名を見つけると、二人は同じクラスであることに驚いて顔を見合わせ、もう一度表に目を向ける。

 この学校ではクラス替えというのはなく、最初に決まったクラスは三年間同じだ。

 数多くのクラス、それも三〇〇〇人以上いる新入生の中からピンポイントで互いの名前を見つけ、思わずぷっと軽く噴き出して笑い合う。


「あははっ、すっごい偶然だね。こんなことってある?」

「俺もちょっと驚いた。すげー確率だな」

「ねー。ま、とりあえず三年間よろしくね」


 目の端に生理的に出た涙を拭いながら笑う日向を見て、悠護も幾分か柔らかい笑みを浮かべる。


「ああ……こちらこそ、よろしくな」

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