第1章 ようこそ、魔法の世界へ
Prologue さようなら、平穏の世界
――夢なら覚めて欲しい。
そう強く思ったのは、きっと生まれて初めてだろう。
その日は、いつも通りの日常になるはずだった。
新しい年が明け、多くの人が寒さで身を震わせながら外出していた。
少女も受験志望の高校に受かるために必要な参考書を買うために、地元のショッピングモールに来ていた。
年明けというのもあって買い物客は多く、セールを行う店舗の前には人ごみで溢れ返っている。もっとも、少女は洋服や化粧品よりも勉強が最優先事項なのでそっちには見向きもしなかったが。
人ごみに揉まれながらもお目当ての参考書を買って、今日は寒いから温かいものでも作ろうと思っていた矢先、
パァン!
何かが破裂する音。運動会で聴いたことのある合図と似ているが、カランと金属が落ちる音も聴こえてきた。
吹き抜けになっているエリアでは黒ずくめの男が右手に黒光りするモノを天井に向けており、それを目視した直後、少女の思考は数秒停止した。
(あれ、もしかして銃……? じゃあ、さっきの音ってまさか――銃声?)
日常ではまず聴かない銃声が全体に響き渡り、シン……と静まり返ったと思ったがすぐさま阿鼻叫喚へと変わる。
逃げ惑う人、悲鳴をあげる人、状況が追い付かず呆然とする人――そんな中、銃を鳴らした強盗達は、捕獲できた人達だけを人質にした。
その人質の中に、運悪く少女も入ってしまった。
通報を受けてショッピングモール全体を取り囲んだ警察からの呼びかけを強盗達が一蹴すると、仲間の一人が突然何もない場所から炎を生み出し、そのまま警察の方へ放り投げた。
炎は派手な爆発音と共にパトカーや護送車を破壊していき、中には巻き込まれて負傷した警官もいた。
一見するとありえない光景だが、この国……いや、この世界ではよく見る光景で驚きはしなかったが、逆にもし逆らったら自分達もああなるのでは? という恐怖が襲った。
何も出来ず戸惑う警察を見て高笑いする強盗達。目の前の光景を見て怯え泣く人質達。
強盗達はGPSを仕込んでいない逃走用の車を要求し、少しでもおかしな真似をしたら人質の誰かを殺すと脅し始めた。
これには警察も下手な真似はできず、両者の間に牽制の火花を散らした重苦しい沈黙が下りた。
……どれほど時間が経ったのだろうか。
一向に要求した車が来ないことにイライラし始めた仲間の一人が、まだ若い女性の腕を取ってそのまま出入り口の方へ連れて行こうとする。
その女性が、見せしめに選ばれたことくらい誰もが察するも、助けに行く無謀者はいなかったと思った時だ。
「――お母さんから手を離せぇ!!」
人質の中から、一〇歳にも満たない少年が飛び出して強盗の一人にタックルを決めた。
無防備状態だった強盗は女性の腕を放して前のめりで倒れ、解放された女性は己の子供を守るように抱きしめた。
だが別の仲間が怒りに任せて引き金を引いたのを見た瞬間、少女は無我夢中で親子の前に出た。
パァン!
二度目の銃声が鳴ると、少女の脇腹が熱を持つと同時に鋭い痛みが走る。思わず意識が飛びかけるも、膝をついて蹲る自分を見て、人質の誰かが悲痛な叫びを上げる。
倒れた少女はごほっと咳き込みながら、口を押えた手の平を染める赤い液体が床に落ちるのを見て、撃たれたのだと他人事のように思ってしまった。
再び阿鼻叫喚となった周囲の声が聞こえず朦朧とする中、自分を撃った男がもう一度銃口をこちらに向ける。それが見せしめのターゲットを、背後にいる母親から少女に変えた瞬間だ。
黒光りする銃口を呆然と見つめながら、少女は願った。
――嫌だ。死にたくない。まだできることを見つけていない。もっと生きたい。
――神様でもなんでもいい。誰か――あたしを――。
「――たすけて」
小さく漏らした言葉と共にその指が引き金を引きそうになった時。
バキンッ! と少女の中で何かが壊れ砕かれた音を聴いた。
目の前が真っ白に染まり、一切の音も、匂いも、気配も消え去った――。
時間としてみればほんの一瞬だったが、少女にはやたら長く感じられた。
いつの間にか瞑っていた瞼を上げ、撃たれた場所を押さえたまま何度も瞬きをする。徐々にクリアになる光景を見て、目を見開きながら絶句した。
人質を含むこの場にいる全ての人々が倒れていた。
何人かは胸元を抱えて呻いており、それ以外はぐったりとして意識を失っている。
どこか現実離れした光景なのに、ずきずきと痛む脇腹と流れる血がこれは現実なのだと伝えてくる。
(これは……何? どうしてこうなっているの……?)
目を見開いたまま固まっていたが、ふと自分の両腕を見て息を呑む。
自分の両腕に纏う琥珀色の光。それが自分の体から出ていることにようやく気づいた。
呆然として動かない少女の耳に複数の足音が聞こえてくる。
防弾チョッキやヘルメットを身に着けた警官は目の前の光景に息を呑むと、その内の一人が撃たれた場所を押さえていない左の手首に幅の広い腕輪を着ける。
それを着けられた瞬間、さっきまで見えていた光が消えた。
事情を聞こうとする警官の声をぼんやりと聞きながら、少女はそのまま意識を失ってしまった。
――これが、『普通の人間』として一五年間暮らしてきた平穏の世界への、永遠の別れの瞬間だと知らぬまま。
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