第88話 裏聖天学園
「いたっ!?」
突然体が引っ張られたかと思うと、派手に尻を打った痛みで声を上げる。
打った尻をさすりながら立ち上がると、そこは灰色一色で覆われた聖天学園。たださっきまであった屋台もステージも自分達以外の人の姿もなく、いつも見る景色しかない。
悠護達も普段とは違う学園の様子に少なからず戸惑っていた。
「ここは……」
「『
日向の疑問に答えたのは、兄の陽だ。
彼は六芒星の魔法陣の中心に《銀翼》を突き刺したまま立っており、魔法陣の周囲はうっすらと赤紫色の光の壁が出現している。
「陽兄、これって……」
「魔力供給用の魔方陣や。この魔法、初期構築が終わった後に安定するまで魔力供給せなアカンのや。つまり、ワイはそれが終わるまでここから一歩も動けへんのや」
「――なら、こちらの不安要素が消えたと見ていいのね」
事実上戦闘不能になった陽の言葉を聞いてトンッと軽い着地音と共に地面に足をつけたルキアはインフェルノを付き従えたまま日向達と向き合う。
「【五星】の空間干渉魔法は厄介だけど……学園に被害を出さないために、わざわざ学園丸ごと使った別世界を作る方に力を入れるとはね。平和ボケで頭がおかしくなったの?」
「なんとでも言え。ワイにとって学園は、今のワイを作った大切な母校や。大切な場所が火の海になる姿なんか見とうない」
「……そうね、大切な場所を守るという気持ちは私も理解できるわ。でも、その選択はあなたの大切な教え子を死なせる羽目になるわよ?」
ルキアがそう冷たく言い放った直後、インフェルノの鎧から出る火の粉が炎と変わる。
炎は人一人分の大きさに膨れ上がり、一つふたつと増えていく。五つの炎が出来上がると、炎はインフェルノの同じ姿に変わる。
「分身……!?」
「炎は燃えるモノがある限り、その存在を消すことはできない。力は幾分かダウンしているけど、それでも『インフェルノ・ダミー』はあなた達にはちょうどいい相手よ」
「――へぇ、そうかよ!」
「!」
直後、ルキアの背後で黒い影が現れる。
すぐさまインフェルノが防御し、影を吹き飛ばす。影は靴底を地面で擦り減らしながら後退し、数メートル離れた場所で停止する。
「――樹……」
ルキアを襲った影――樹の手には手製の黒い手袋を嵌めており、パキパキと指の骨を鳴らしていた。その様子に彼が完全に戦闘態勢に入っていることを察する。
奇襲してきた樹をルキアは眉を顰めながら見ながら、体ごと彼の方へ向ける。
「あなた……今、自分が誰を相手にしているか分かっているの?」
「ああ、分かってるぜ。『レベリス』っつーヤバい組織と相手だって」
敵からの質問にすんなりと答えた樹は、指の骨の次は首の骨を鳴らす。全身を解し始めた樹の姿に、日向達は普段とは違う彼の様子に戸惑いを見せる。
いつもの樹ならば、こんな風に挑発じみた発言も余裕そうな態度で柔軟体操するなんてことはしなかった。
――そして、あそこまで敵意を露わにした目を向けることも。
ただならぬ気配を察したルキアは、鋭くした目で樹を睨みながら彼の行動を見逃さないように見る。
「あんたらがなんの目的でこんなことしてるのか、どうして俺達の周りで事を起こすのか、そういうのはどうでもいいんだよ」
ただ、と言葉を続ける。
「あんたらが俺達の日常を壊すっつーんなら、俺はもう容赦しねぇし情けもかけねぇ。――全力で『
樹の体から魔力が溢れ出る。彼の怒りと決意の強さの表れだと言わんばかりに、サファイアブルー色の魔力は嵐の如く樹の周囲に渦巻く。
ビリビリと肌が刺激されるほどの威力に、日向だけでなく悠護達は樹が隠し続けた本心を本能的に感じ取った。
樹はずっと、己にもこの状況にもマグマのような憤りを感じていた。
魔導具技師志望であるがために戦闘面では周囲より劣り、肝心な時では役に立たない自分。『レベリス』という犯罪組織の目的によって、自分が過ごすべき日常が壊されている現実。
そんな誰かにぶつけることもできない怒りを、樹はずっと太陽のような明るい笑顔の裏で隠し続けていた。
弱いままではいけないと、己の体に鞭打つような特訓をし始めたのもそれが要因だ。
真面目に学校に通って授業を受け、試験に合格すればIMFの職員になれてしまうこのご時世では、魔導犯罪課のような現場出動の多い職場につかない限り高度な戦闘技術は必要とされない。
畑違いの魔導具技師ならば尚更だ。
それが分かっているにも関わらず、樹は強くなることを決めた。
弱い自分を捨て、この騒がしくも楽しい日常を守るために。
彼の覚悟がルキアにも伝わったのか、彼女は色の違う両目を静かに伏せる。
「……そう。その大切なものを守る意志、素直に称賛するわ」
樹の気持ちは、ルキアにも理解できた。
愛する人を喪いたくない。あの愛しい日々を守りたい。その気持ちがあるからこそ、どんな犯罪を犯し、手を汚す覚悟もある。
そのためならば、命を懸けることもできる。
「なら、その覚悟がどんなものか見定めてあげる。――行きなさい!」
ルキアの掛け声と共に、インフェルノとインフェルノ・ダミー達が日向達に襲い掛かった。
☆★☆★☆
姿は似ていても炎の色合いが薄いインフェルノ・ダミーは、樹以外の全員に襲い掛かる。
本物より力がダウンしているとはいえ、授業と独学で学んだ戦闘技術しか持ち合わせていない日向達の体は簡単に吹き飛ぶ。
唯一吹き飛ばされていない怜哉は、《白鷹》と炎色の剣による刃のせめぎ合いをしていた。
「……なんで、俺だけダミーを寄越さなかった」
「あそこまで豪語したあなたを私が直々に見定めようと思ってね。光栄でしょう?」
「はっ、そいつはありがたいことだな!」
地面を蹴り距離を詰めると同時に右拳を突き出すも、インフェルノの右腕に覆われた籠手によって防がれる。
拳も強化魔法で強化しているにも関わらず、腕が骨にも伝わるほどジンジンと痛む。
まるで鉄の塊を殴ったような感覚に襲われ、右手をぷらぷらと振りながら後退する。
「休ませると思ってるの?」
そう言いながら、ルキアはダブルコートの内側から銀色に輝くリボルバー式拳銃を取り出す。
あれが魔導具であることなんて、精霊眼を使わなくても一目で分かった。
魔導具の中にある拳銃シリーズは元となる拳銃をベースに使われており、構造もそれと合わせている。
中でもリボルバー式拳銃は魔法陣を刻んだ弾丸を装填しなければいけないデメリットがあるも、威力は他のシリーズよりも上回るメリットを持つ。
拳銃の引き金が引かれ、銃口から炎を纏った弾が発射される。
目隠しをした魔力弾回避訓練の成果だ。炎弾が視界に入る前に纏っている魔力を察知し、精霊眼でその軌道・着地点を予測。これによって通常より早い回避行動が行える。
(つっても、制限があるんだよな……)
目というのは、長時間酷使すると眼球全体がズキズキと小さく痛み始める。
それは精霊眼も例外ではなく、目を開けても閉じても魔力を察知するだけで眼球が痛みを訴えてくるのだ。
単調なリズムで発砲音が響く。銃口から放たれる弾は水や氷、風や雷と種類を変える。
威力が通常の拳銃タイプの魔導具より強いため、ちょっとでも掠ったら一発で麻痺確だ。
六発撃ちきったルキアは、拳銃のシリンダーを左に振り出す。シリンダーから真鍮色の薬莢がカランッと澄んだ音を立てて地面に落ちる。
新しい弾を一個一個丁寧にシリンダーに詰めている間に、インフェルノが弓を構えて炎の矢を放つ。
炎の矢が樹に向かって発射されるも、彼はそれを難なく回避していく。
途中で校舎の中に入るが、窓や壁を使って見事な逃走を披露する。
再びインフェルノが炎の矢を放つ。今度はスピードを速くしたものだ。その矢が樹に向かうと、今度は回避できないと読んだのか手袋を嵌めた手で掴み取るとそのままへし折った。
高速で放たれた矢を受け止めてなおかつへし折るという常識外れな行動は、普通の人なら思わず二度見してしまうほど信じがたい光景だろう。
だが魔導士にとってそれくらいは誰にでもできるし、なんなら空手割りで地面に半径一〇キロほどのクレーターを作れる。
ふと遠目で樹のサファイアブルーの瞳が、チカチカと明るい水色に鈍く光っていることに気づく。
その現象が精霊眼を持つ魔導士に見られる現象であることは、ルキアの知識として知っていた。
「まさか精霊眼を持っている魔導士に会えるとはね」
精霊眼を持つ魔導士はほんの一握り、それこそ広大な砂漠で米粒ほどの砂金を見つけるほどの確率しかいない。
お目にかかったことは覚えている記憶の中にはなく、ルキア自身も精霊眼持ちを見たのは樹が初めてだ。
精霊眼は魔法に関する力を察知し、その特性を読み取ることができる。あの驚異的な回避がその目を使ったものならば納得できる。
そして、精霊眼の行使に時間制限があることも。
(恐らく相手はギリギリまで時間を稼ぐ可能性がある。精霊眼がまともに使えない状態で叩けばそれで終わりね)
脳内でシミュレーションを行い、ルキアはブーツの踵を鳴らしながら校舎の方へ歩く。
樹がパルクールのように壁をよじ登り、屋上へ行く姿は確認済み。
「行くわよ、インフェルノ」
毅然と己の魔物の声をかけると、炎の女鬼騎士は白い顔がこくりと上下に揺れる。
初めて出会った時から主である自分に付き従う忠実な魔物の姿を、ルキアは親愛を宿した目で見つめた。
「『
日向の持つ《アウローラ》の銃口から、琥珀色の魔力弾が発射される。魔力弾はインフェルノ・ダミーの肩部の鎧に直撃し、亀裂の入った穴が生まれるがピキピキと音を立てて修復されていく。
近くでは悠護が《ノクティス》で剣を受け飛ばし右腕を斬り落とすも、逆再生したDVDのようにインフェルノ・ダミーの腕が元の位置に戻る。
「クソッ、キリがねぇぞ!」
「どうやら本体を叩かなければダミーは活動を続ける仕組みになっているようだな」
ギルベルトが竜化した腕に纏う雷を放つと、怜哉の方にいるダミー以外に黄金の光が落ちる。全身に黒い焦げと白煙を出させるも、すぐに真紅の輝きが美しい鎧に戻っていく。
リリウムも見事な剣さばきで応戦するも、やはりすぐに再生する魔物相手には苦戦しているようだ。
「やっぱりあたし、本体の方に行った方がいいよね!?」
「ああ、そうしたいのは山々だが……ダミー共が俺達の進行を邪魔しやがる。きっと日向の無魔法が危険だって分かってんだろ」
あらゆる魔法を無効にさせる無魔法は、どんなに強大な力を持つ魔導士に対抗できる魔法。
その魔法を使える日向の存在を『レベリス』が知らない道理はなく、彼女の危険性を考えて本体であるインフェルノの方に向かわせないよう設定されていてもおかしくない。
(それに……)
ちら、と悠護の目が心菜の方へ行く。
リリウムをサポートするように強化魔法をかけたり、自分自身で攻撃魔法をしかけているが、心菜の顔には普段あまり見ない焦燥感が浮かんでいる。
十中八九樹のことが心配しているが、インフェルノ・ダミーが彼女にも行く手を阻んでいるのを見る限り、恐らくここにいる全員を本体に近づけさせない魂胆だろう。
頼りになる陽は魔力供給で動けず、何度も再生する偽物のせいで魔力が消耗していく。
まさにジリ貧。この状況を脱することを考えていたその時、日向達が相手にしていたダミー達が、一瞬にして細切れになった。
「「「「!!?」」」」
目の前で敵が小さいサイコロみたいに斬り刻まれた光景に息を呑んでいると、抑揚のない声が耳に入る。
「……まったく、こんな偽物相手になに手間取ってるのさ」
相変わらず飄々とした顔で立つ怜哉は、カタカタと震え始めるダミーを横目に心菜の方へ近づく。
おもむろに彼女の手首を掴むと、そのままリリウムの方へ投げ飛ばした。
突然投げ飛ばされてきた主の姿を見てリリウムが慌てるも、危なげなくキャッチする。
「れ、怜哉先輩!? 何して――!」
怜哉の行動に日向が悲鳴をあげるが、投げ飛ばされた張本人は状況を理解していないのか、普段あまり見ない顔で呆然としていた。
「早く行きなよ。こいつらが完全に再生する前に遠くに逃げることくらいはできるからさ」
素っ気ない怜哉の言葉に心菜は首を傾げたが、その意味が分かるとすぐさまリリウムに抱えられたままその場を去る。
その行動を見て、ようやく怜哉がしたことに気づく。
怜哉は本体とルキア、そして樹のいる場所へ心菜を行かせたのだ。
魔物使いとしても生魔法の使い手としてではなく、純粋に真村樹のパートナーとして。
あの戦闘狂の鑑と言える怜哉のファインプレーに、彼の性格をよく知る面々は驚きの余り自分で自分の頬を引っ張っていた。
「…………怜哉、お前頭でも打ったか?」
「いきなり何失礼なこと言ってんの?」
「いやだって、あの怜哉先輩が人に気を遣うなんてらしくないことするから!」
中々ひどい言い方だが、あながち間違いではない。
後輩達の言いたいことが伝わったのか、怜哉は一番早く再生したインフェルノ・ダミーを一刀両断させながらため息を吐く。
「別に僕は気遣いでそんなことしたわけじゃないよ。単純に一体じゃ物足りなかっただけだよ」
それに、と幾分か声を低くしながら続ける。
「彼、勝つためならなんでもしそうな感じがしたしね。手遅れになる前に彼女がストッパーにならないといけない」
「それって、どういう……」
「ほら、あいつら再生し終わったよ。口じゃなくて手を動かしなよ」
怜哉の言葉に引っかかりを覚えた日向が質問しようとする前に、インフェルノ・ダミーの再生が終わる。
再び傷一つない姿を見て、内心辟易しながらも《アウローラ》を構える。
頭の片隅で、怜哉の言葉に拭いきれない不安を抱えながら。
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