第89話 卑怯者

 リリウムに抱えられたまま、裏聖天学園を飛ぶ。

 灰色の空と建物しかないこの場所では、リリウムの修道服は目視だけではっきりしている。

 心菜の顔はいつもの優しく穏やかなものは焦燥感で埋め尽くされており、一刻も早く樹の元へ駆け寄りたいという気持ち混じっていた。


(私、知らなかった……樹くんがあんな風に考えていたなんて……っ)


 パートナーの変化は、ここ一ヶ月で嫌というほど感じ取っていた。

 それも、秘密の特訓をしていない時でだ。


 授業中、自分が好きな魔導具の内容と実技以外ではほぼ寝ていたのに、どの内容でも真剣に耳を傾けていた。


 実技では、先生から出されたメニューを真っ先にこなし、空き時間では独自で覚えた魔法の特訓をしていた。


 たまに深夜に起きてしまった時、ベランダから彼と友人の部屋から光が漏れていて、少しだけ開いたカーテンの隙間から普段とは思えないほどの真剣な顔で机に向かっていた。


 思い出せば出すほど思い当たる変化の数々。

 全てを話してくれるまで見守り待つと決めてから、たとえ気づいていても黙るフリも見て見ぬフリもしていた。

 だがその裏で、樹がパートナーである自分すら知らなかった決意があることを知ってしまった。


(恥ずかしい)


 今まで知らないフリをしていた自分が、わざと知らないままでパートナーのためになると思っていた自分が、顔から火が出そうなほど恥ずかしい。


 こんな思い上がり、生まれて一度もしたことがなかったはずなのに。

 こんなひどい姿、自分らしくないのに――と思った直後、気づいた。


(違う。これが、私なんだ)


 今まで周りが見ていた『神藤心菜』は、周りの望みのために心菜自身が作り出した偽物の自分。

 お淑やかで、誰にでも優しくて、どんな相手にでも嫌な顔をせず平等に接する。相手にとって理想とする女性を、心菜は物心ついた頃から演じてきた。


 そう演じ続けていく内に心菜は〝本来の自分〟を見失い、理想という名の『仮面』をずっとつけていった。

 でもこの学園に来てから、その『仮面』が徐々にヒビ割れていった。


 最初は『仮面』にヒビが入った時、とてつもない不安に襲われた。

 今まで自分を守る盾としての役割を持っていた『仮面』が、なんの拍子もなくヒビ割れる音が効いた時は内心ひどく動揺したものだ。

 心の中で『仮面』が壊れて行くのをビクビクと怯えていたが、今まで体験したことのない日々を送りにつれて、その不安も恐怖も消えていた。


 男友達ができた。ファーストフードを食べた。レンタルショップでDVDを借りた。

 普通の女の子なら体験しただろうことを、心菜はこの年になってからやっと初めてした。

 そうしていく内に『仮面』に入ったヒビは日に日に大きくなっていったけど、いつしか心菜はその『仮面』が壊れる瞬間を望んだ。


『仮面』は周りが望む『偽物の神藤心菜』を演じるためのもの。『本物の神藤心菜』の姿に戻ることを望む彼女にとって、『仮面』の存在は彼女自身の変化を阻むものとなったが、樹の変化によって『仮面』のヒビは少しずつ戻ってしまった。

 再び偽物の自分を被ることになったが、『仮面』を被ることで彼にいらない心配をかけることはないと思い込んでいた。


 でも、それは違った。

 真に樹のことを想うのならば、たとえ拒絶されても彼に寄り添って、一度通ったら戻れない道に進む前に全身の力を使ってでも止めなければならない。

 七月の時、暴走した悠護を助けにいった日向のように。


 今まで感じたことのない感情。灼熱と言っても過言ではない熱さを持ち、いつ暴れ狂うか分からないそれを必死で制御する。

 抑えなければ感情のまま何をしでかすのか分からなかったからだ。


 灰色の建物と空を飛び、校舎が見え始める。建物の屋上で一瞬青い光が見えたかと思うと、すぐさま大爆発が起きる。

 黒煙と炎が灰色の世界で一番目立つ中、爆風と一緒に感じる魔力の気配に全身が凍えた。

 間違えるはずがない。この魔力と同じ気配を持つ人なんて――一人しかいない。


「樹くん――ッ!!」 



☆★☆★☆



 時間は少し遡る。

 屋上に辿り着いた樹は、インフェルノに抱えられて屋上の上で宙を浮くルキアと対峙していた。

 彼女はインフェルノが地面につくギリギリまで降下すると、そのままトンッと軽い足取りで降りる。


「随分と逃げ回ったみたいだけど……そろそろ目が限界らしいわね?」

「ハッ。そんなの言われなくてもな、自分の体のことは自分が一番分かってるつーの」


 ルキアに指摘されて余裕の表情で笑い飛ばすも、眼球全体に伝えてくる痛みに耐えているのは火を見るよりも明らかだ。

 普段は無意識に使っていたため、意識して使うとその行使具合の差がひどく開いていた。目を酷使し過ぎて痛むことなんて、前に何度かやった徹夜作業くらいだ。


(うおおおお目がクソ痛ぇ……! つか、精霊眼使うとここまで痛くなるなんて知らなかったつーの! ちゃんと教えてくださいよセンセ!!)


 内心陽の怒鳴りながら、顔はなるべく余裕の表情を保させる樹。

 ルキアは持っているリボルバー式拳銃型魔導具を構えると、インフェルノは炎色の剣を構えた。

 臨戦態勢ばっちりの一人と一体を見ながら、樹も手袋型魔導具をした手を構える。


 互いを目で睨み合いながら牽制する。両者、共に一歩も動かない。

 インフェルノも主の指示がないため、静かに宙に留まったままだ。


 灰色一色の世界では、現実では常に微弱ながら感じる風が吹いていない。

 遠くでインフェルノ・ダミーと戦う友達との攻撃音しか聞こえない。

 同じ学園なのに、ここが学園と同じ姿をした別の場所なのだと嫌でも痛感する。


 深い洞窟の中にできた湖のような静けさ。

 その静けさも、インフェルノの鎧の隙間から漏れる火の粉の音で途切れる。

 パチッ、と炎が小さく爆ぜる。音が全体に響き渡ると同時に動き出した。


 樹は地面を蹴って直進すると、インフェルノが前に出て剣を振り下ろす。

 熱気を感じるその剣を体ごと逸らして躱すと後ろに下がる。インフェルノが振り下ろした剣は地面にめり込んでいた。

 剣がめり込んだ地面は高熱によって溶かされ、目視できるほどの白煙を出している。


 あの剣に触れるだけで、血も肉も骨も残さず燃えることが嫌というほど理解出できてしまう。

 脂汗に続いて冷や汗まで流しながら、連続して振るわれる剣を紙一重で避ける。

 屋上の柵やドア、給水タンクすら切り裂いて中に入っている水を蒸発させた熱の威力を目の当たりにして、肝が冷えていく。


 その後ろでガチャッと小さな音を耳が捕らえ、すぐさま給水タンクから離れる。

 いつの間にか目の前にいたルキアがリボルバー式拳銃魔導具の引き金を引いていて、銃口から発射された氷弾ひょうだんはインフェルノが切った給水タンクに当たり、蒸発されず残っていた水ごと凍らせる。


(二対一……ちょっと厳しいが、なんとか戦えてる。特訓で心菜とリリウムと一緒に戦ったのがここで活きるとはな……)


 週に三回行っている特訓では、心菜とリリウムの連携攻撃を向上させるために空いて役としてパートナーである自分が自ら志願した。

 やはり長い間連れ添っていたおかげなのか、彼女達の連携攻撃は鳥のように速く、蜂のように鋭い。


 相手役をしていた樹も反撃も回避もできたが、何度か命を脅かすほどのヤバい攻撃もあった。

 実際、回避をミスし、リリウムの仕込み杖の刃が頬を掠った時は、心菜が青い顔をして戦いを中断して泣き謝りながら治療してもらったこともある。

 それほどまでに、パートナーと白百合の修道女の連携は恐ろしいものだったのだ。


 心菜が攻撃魔法を覚え初めてからの連携は、やはり今までリリウムに戦闘を任せていたせいで攻撃のタイミングが分からず、当初は以前のような華麗な連携は出来なかった。

 それも日々の特訓の成果と監視役の陽の指導もあって、心菜の後衛支援攻撃を含めた連携は上達していった。


 その連携習得のためにも樹自らが相手役を買い、結果彼も魔物使いとの戦闘のコツを掴んだ。

 だが、ルキアの戦い方は心菜の戦い方とは違った。


 心菜の戦い方はリリウムが前に出て攻撃を繰り出し、アイコンタクトで合図を出した後リリウムが非物質化してから心菜が攻撃魔法を放つという、一部の魔物使いがする戦い方をする。

 だがルキアの戦い方はインフェルノが前に出て攻撃するという部分は同じだが、非物質化していないのにそのまま攻撃をするということだ。


 一見見るとそう思えるが、実はインフェルノは合図がなくても主が攻撃するタイミングを計って攻撃の余波が当たりそうな一部だけ非物質化しているのだ。

 魔物の非物質化は全体を使うのだが、体の一部分を非物質化するのは高度な技術が必要だ。


 熟練の魔導士でも魔物の片腕を非物質化には五分しか持たないが、ルキアは攻撃を挟むことによって連続的に一部分の非物質化をさせている。

 なんとも効率のいい戦い方だ。


(だが、どんなに効率的でも穴があるはずだ)


 どれだけ計画的かつ正確に作り上げても、どこかで不備がある。

 それは魔導具作りでも戦闘でも同じこと。

 ふと、秘密の特訓をし始めてしばらく経った頃、汗だくで地面に仰向けになっていた自分に陽が笑いながら言っていたことを思い出す。


『どんな戦いにおいて、一番効果があるのは奇襲や。でもな、それと同じくらい効果がある攻撃があるんや。それは――必殺技や』


 必殺技。思春期男子の心をくすぐる単語が出てきた時の樹の反応は、二〇代半ばにいったはずの担任がそんなことを言ったことに対する驚きの方が大きかった。

 呆然とする自分に陽が『なんや、ワイがこんなこと言って悪いんか?』とジト目で睨んできたが、気を取り直して続けた。


『まあ必殺技ってのは大袈裟やったな。正確に言ったんなら、『隠し技』や』

『『隠し技』?』

『せや。対人戦しかり暗殺しかり、相手の持っている武器と技術は誰も把握しておらん。それは素人も玄人も出来ひんことや。相手にとって完璧と思える布陣の中にある隙を突くタイミングを見極め、自分だけの『隠し技』を当てる。それが、逆転に繋がる道となるんや』


 そして、その『隠し技』を樹は持っている。

 この『隠し技』を相手に喰らわせるためには、至近距離が一番好ましい。

 狭くも広くもない屋上という名のフィールドを使った場合、樹が『隠し技』を当てるために最適な戦闘方法。


 頭の中でパズルのピースのように、カチリと音を立てながら組み立っていく。

 今までは流されるように戦っていたが、今回からはそういうわけにはいかない。

 これまでの戦いのように、真正面から仕掛ける敵が今後とも現れるとは限らない。


 樹にとって自慢な友人達は、悪辣な罠や作戦を持つ相手でも正々堂々と真正面から立ち向かうだろう。

 なら、自分は彼らには持つことのできない『隠し技』を持とう。

 たとえ卑怯と罵られても、これで仲間を守れるなら――。


 自分は、喜んで卑怯者になろう。



 ――様子がおかしい。


 自身の専用魔導具でありリボルバー式拳銃魔導具《シリウス》に弾を装填しながら、ルキアは目の前の敵を見据える。

 手袋を嵌め直す樹の目は、真っ直ぐとルキアの姿を捉えていた。


 自分のコバルトブルー色の瞳とは違うサファイアブルー色の瞳を見て、ルキアの心が苛立ちでささくれたつ。

 あそこまで真っ直ぐした目をした人間は、右目が〝楔〟になってから一番嫌いになった。


 理不尽も知らず、どんなに力があろうともそれよりも強大な力の前では役に立たず、不条理な運命をバカみたいに抗おうとする。

 世界に潜む悪意の前では誰もが無力なるのに、それに立ち向かおうとする。

 そんな向こう見ずで、現実を知らない人間が一番嫌いだ。


「……インフェルノ。あいつを、私の前から消して」


 それはもう樹を殺せと言っているものだ。

 でも、この炎の女鬼騎士は契約を交わした主の命令に従う忠義者。早く行動に出るのは当然だろう。


 インフェルノが剣を弓に変え、鎧から漏れる火の粉を矢に変える。

 弓を持ち、弦ごと持って炎の矢を引く。弦を離すと、炎の矢が高速で放たれる。

 炎の矢を樹は回避すると、地面を蹴って前進する。インフェルノが炎の矢の本数を増やし放つも、樹は手袋型魔導具を嵌めた手で叩き落としていく。


 距離が近くなって弓を剣に戻すと、インフェルノは目にもとまらぬ速さで振るう。

 樹は万物を融解させてしまう高熱を放つ剣を交わし、インフェルノの腹部に拳を叩きこむ。

 いつもなら部分非物質化できるのだが、樹の拳は完全にルキアの死角で喰らわされたもの。視界に映らない場所での非物質化は、さすがのルキアでもできなかった。


 インフェルノの体が屋上の落下防止柵まで吹っ飛ばされる。ガシャンッ!! と柵と鎧が激しくぶつかり合う音が響く。

 ルキアの気がインフェルノに向いた隙を突いて、樹は脚力を魔法で強化し大砲のように前に進む。

 一気に距離を詰めてきた樹に気づくも、ルキアの左腕は樹の手によって捕らえられた。


「捕まえた!」


 ニッと不敵な笑みを浮かべる樹だが、ルキアは眼前で恋人とは違う少し濃い赤が小さく舞う様子を呆然と見つめる。

 だがあのサファイアブルー色の瞳を視界に入れると、すぐさま我に返り睨みつける。


「っ、離しなさい!」

「そういって離すバカはいねぇよ」


 力強く振りほどこうとするも、目の前の少年はそれよりも強い力で腕を掴む。

 そうやって腕を振り回していると、ふと服越しから違和感を感じる。

 固い感触に気を取られていると、樹の口が開く。


「俺、今まで何かを守りたいって思ったこと一度もなかった」


 突然の告白。少なくともこの場において相応しくない言葉が耳に入る。

 自虐するように、決意の表れのようにに言葉を続ける。


「今まで親の恩返しのこと考えればそれでいいって思ってた。でも、お前らがいる限りそれじゃダメだって身に染みた」


 右手の手袋から魔力が集まってくのを感じ、すぐさま右手の方を見る。

 インフェルノの炎の矢を何度も受け止めたそれは、ところどころ焼けてボロボロになっている。その手袋から右中指にしているシルバーリングを見つける。


 何も彫られていない指輪の中心には、サファイアブルー色の魔石ラピスがチカチカと煌めく。

 その輝きが、魔法が発動される前兆であることは、ルキアは知っている。


「だから俺は、俺にしかできないやり方であいつらを守る。!!」

「ま――ッ!?」


 ルキアが何か叫ぶ前に、指輪の魔石ラピスが強く光を放つ。

 青い光が放たれた直後、鼓膜が破れるではないかと思うほどの爆発音と熱、そして風圧が襲いかかる。


 樹が魔石ラピスに封じていた魔法は、『爆破ディルプティオ』。術者が設定した範囲を爆破させる魔法。

 彼はこの魔法の範囲を約一〇センチにしているが、威力はダイナマイト一個分相当。

 つまり、樹とその範囲にいるルキアの腕がどうなるかなんて想像に難くない。


 自身の腕を焦がす腕と爆風、それと痛みに意識がどこかへ飛んでいきかけていく。

 視界が白く霞んでいく中、ふと耳が声を捕らえた。


「樹くん――ッ!!」


 ここにいるはずのないパートナーの泣きそうな声。

 霞む視界では、白百合の修道女に抱えられた心菜がボロボロと涙を零しながら真っ青な顔で自分の名前を呼んでいた。

 目の前の彼女ははたして夢なのか現実なのか、今の樹には分からなかい。

 ああ、でも。もしこれが現実なら、言わなくては。


(ああ……泣くんじゃねぇ、よ……ここ……な……)


 ――俺は、お前の笑顔が好きなんだから。


 そう伝えたくても口が開かなくて。

 どうすれば泣き止めばいいのか考えられなくて。

 涙一つも拭えない今の自分がもどかしい。


 そうしてパートナーの泣き顔を目に焼きつけながら、樹の意識は深い闇に呑まれていった。

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