第90話 戦いは終着する
「樹くん!! 樹くん、しっかりしてっ!!」
屋上に辿り着くと、リリウムの腕から降りた心菜は地面に倒れる樹に駆け寄る。
魔法を使った影響で樹がいる周辺は黒焦げになっており、彼の右腕は肩まで消失している。爆発の炎のおかげで止血されているが、それでもパートナーの腕がなくなった事実だけが襲う。
右半身もひどい火傷を負っており、心菜の生魔法の腕を以てしても全快まではいかないだろう。
少なくとも、部位欠損してしまった右腕を完全に戻すことは不可能だ。
(どうしよう? 先に怪我を治して、それからここを出る? いや、それよりも早く逃げた方が――!?)
ぐちゃぐちゃの頭まま樹を救助する方法を探していたが、背後から感じる魔力に振り返る。
魔力に反応してリリウムが襲いかかる炎を仕込み杖で両断。火の粉となって散っていく炎の向こう側で、ルキアが幽鬼のようにフラフラとした足取りで立ち上がる。
彼女の左腕は樹と同じように肩まで消失し、ひどい火傷を負っている。キャラメル色の髪は左側だけ燃えて、右側の髪と比べて長さの違いが分かるほど短くなっていた。
顔にも火傷を負ったせいで赤く爛れた左目は閉じているが、傷のない〝楔〟になっている右目の――虹彩の中心の赤い六芒星が爛々とした光を宿す。
「よくも……よくもやったわね!? この傷の代償、その命で償ってもらうわよ!! インフェルノッ!!」
「っ! リリウムッ!!」
ルキアの怒りに応えるように赤い鎧が色濃く染まったインフェルノが剣を振るう。その剣をリリウムが受け止め、剣戟を繰り出す。
すかさずインフェルノが剣を弓に変えて数本の炎の矢を放つ。リリウムは矢を的確かつ俊敏に斬り落とすと、ルキアが《シリウス》を樹に向けて連射。
炎、水、雷と様々な属性を纏った弾丸が発射されるが、心菜は防御魔法で攻撃を防ぐ。
すぐに弾切れになってカチカチと鳴らす引き金に舌打ちすると、素早い手つきで新しい弾を装填する。
シリンダーから薬莢を取り出し装填するまでたったの一分。それだけの時間でも心菜には十分な隙だ。
「『
心菜の詠唱を唱え終えると、ルキアの頭上から黄金の雷が降り注ぐ。
相手の犯した罪の重さによって、雷の量・威力が変動するこの魔法は、今のルキアにとっては致命傷となりうる攻撃が連続で襲い掛かるようなもの。
避けるのは可能だが、一回でも当たらない限りこの魔法は術者の魔力が切れるまで猛威を振り続ける。
バチィ!!
凄まじい音を立てて雷がルキアの右腕を掠ると、瞬時に痺れが体全体に広がる。
《シリウス》が手から滑り落ち、カシャンッと音を立てる。ルキアに当たったことで雷の攻撃が止むが、未だ警戒心を解いていない心菜は彼女の挙動に注意しながら固唾を呑む。
「ふっ……ふふっ、ふふふふっ……」
突如、ルキアの薄くも厚くもない唇から笑いが零れる。
それが普通の笑いではなく、どこか自棄を含んだ笑いに心菜の背筋がぞわぞわとした悪寒が走る。
まだ麻痺の残る体で再び立ち上がると、全身から赤が混じったコバルトブルー色の魔力を放出させる。
魔物の召喚具として使われた右目は、白と六芒星の赤が混じって禍々しく発光し、魔力が暴走の予兆を知らせてくる。
通常、魔力が暴走すると術者の理性が失い獣同然に成り下がる。七月の悠護みたに片言でも話せる者もいるが、それでも大抵が言葉を発しない。
「まさか……私がここまで追い詰められるとはね……、正直あなた達を甘くみていたわ……」
そのはずなのに、自我もあり言葉も発するルキア。
魔力を暴走させた魔導士をあまり見たことない心菜でも、彼女がどれだけ異常なのかはそれだけは理解できた。
いつの間にか主である彼女の背後にいるインフェルノの鎧が目の覚めるような赤からドス黒い色が混じり始めていることに気づく。
魔物は主である術者から魔力を提供してもらっている。そのため術者の魔力の暴走さえも魔物に影響を与えるのだ。
「でも、もう容赦はしない……。任務? そんなの知ったことではないわ! 私はここで、お前達二人殺す!! お前達だけは、この手で殺さなければ私の気がすまないっ!!」
その怒りの叫びは、周りが聞けばまさしく傲慢で自分勝手なのだろう。
けれど、己の体を傷つけ、自尊心すらボロボロに砕かせた敵を前にして何もしないだろうか?
――答えは、否だ。
「インフェルノ!! こいつらを殺しなさい! 肉も、骨も、血も、灰も残さず焼き殺せ――――ッ!!」
叫びと共に魔力が強まると同時にルキアの右目の発光が強くなる。インフェルノの鎧から漏れていた火の粉は、赤黒い炎として溢れ出す。
憎悪と憤怒で彩られた炎は、屋上だけでなく校舎全体に広がっていく。全身の水分が蒸発してしまうのではないかとの熱に包まれる。
インフェルノが持っていた剣を頭上に掲げる。剣は炎を一気に収束させていき、徐々にその刃を巨大化させていく。
リリウムが仕込み杖を構えるが、彼女の体の輪郭が薄くなっていた。心菜の魔力切れの合図だ。
リリウムを召喚させたのもそうだが、『
インフェルノの剣が心菜より何倍もある大きさまで膨れ上がる。マグマのような色と高熱を持つその剣が、今目の前で振り下ろされようとしている。
本当ならここでみっともなく逃げるのが正しい反応なのだろう。
だが、心菜は樹を抱きしめながらその場から一歩も動かない。こういった反応を取るのは、逃げるのは不可能だと理解し生を諦めた者か力の差を認めずバカみたいに足掻く者かの二択を取る。
いつも相手にしていた敵はそのどちらかだったのに、熱いという言葉さえ陳腐に思える熱の中で平然としている心菜が、なけなしの理性しか残っていないルキアの怒りを増長させるものだ。
彼女の気持ちに反応して熱を上げる中、心菜は樹を抱きしめる腕を強くする。
熱に当てられ過ぎて、喉が痛いほど乾いていく。汗も水滴ではなく塩の結晶になっている。本当ならこのまま倒れるほど体が限界を迎えているのに、心菜の口元は笑みを浮かべていた。
気が触れて笑顔を浮かべる現象は多々あるが、心菜のそれは違うものだ。
彼女は確信していた。自分達が死なないことを。
(だって――私達には、頼れる人達がいる)
たとえ自分から頼まなくても、彼女達が自分からやってくれる。
ほら、こんな炎の中からでも聞こえてくる。
「――『
琥珀色の輝きが校舎全体を包み込む。炎は幻のように消えていく。
灰色の空を見上げると、そこには翼を生やしたギルベルトに片腕で抱えられた日向が《アウローラ》をこちらに向けていた。
ふと、二人の視線が合う。
それと同時に日向はほっと安堵の息を漏らし、心菜は苦笑いを浮かべる。
『無事でよかった』
『心配かけてごめんね』
たった一度視線が合っただけなのに互いに言いたいことが分かってしまい、心菜はもう一度苦笑した。
「クソッ!! 無魔法か……!」
校舎全体に広がっていた憎悪と憤怒の炎が消えていく。降り注ぐ琥珀色の光の雨を浴びながら、ルキアは狙いを心菜達から日向へと移る。
彼女への殺傷は主の命令で禁じられているが、逆に言えば死なない程度の傷ならば負わせていいということだ。
ギルベルトの腕に抱えられた日向に向けて攻撃命令おいンフェルノに告げようとした瞬間、目にもとまらぬ速さでインフェルノの体が一瞬で細切れになる。
炎として散り散りに消えていく魔物の向こうで、怜哉がチンッと音を立てて《白鷹》の刃を鞘に納めていた。
一度魔物がダメージを受けると再び現界するまでタイムラグが生じる。
舌を打ちながら魔法を撃とうとした直後、首筋に冷たい金属が肌すれすれに当てられる。
目だけ背後に向けると、《ノクティス》の片割れを向けた悠護が立っていた。
「形勢逆転だ、『レベリス』」
一歩でも動いたらこの首を斬り落とす、と口ではなく気配だけで伝える悠護。
刃を突きつけられ、逃げ場のないルキアは何故か「ふふっ」と小さく笑う。
「……まさか任務失敗するなんて……。こんなこと、あの日以来よ。あの日もこうして、首に刃を突きつけられて……私は抗いもせずそのまま待ち受ける未来を受け入れてしまった……」
「お前、一体何を言って――」
「――だからこそ、同じ真似はもうしない」
瞬間、ルキアの周りが白い光で包まれる。
あまりの眩しさに全員が目を瞑り、光が収まるのを待つ。やがて光の勢いが弱まり、瞼を持ち上げる。
そこには日向達しかおらず、ルキアとインフェルノの姿はなかった。
「クソッ、また逃げられたっ!」
《ノクティス》を真紅の粒子にさせた悠護が、ギリッと歯軋りする。
ギルベルトはゆっくり屋上へ降下させると、腕に抱えていた日向を地面に降ろした。
「あいつらの逃げ足は一級品だ。だからこそ、これまでずっと存在を隠し続けられたんだ。そう気に病むな。それよりも……」
そう言ってギルベルトは、心菜に抱えられたままの樹を見る。
右腕を消失し、右半身は痛々しい火傷で覆われている樹を見て、ギルベルトは怒りを抑えた顔で睨む。
「その愚か者に説教するために、まずはここから出るぞ」
☆★☆★☆
いつ見ても神々しい居城の前で、ルキアは息を切らしながらゆっくりと歩く。
今の彼女の姿は、怖いほど綺麗で美しいこの場ではあまりにも不釣り合いだろう。ボロボロの体を引きずりながら扉を開けると、ちょうどエントランスの前の階段から赤い髪をした青年が降りてくる。
鮮やかな赤い髪、真紅の瞳、そして左頬の悪魔の翼を模した刺青――ルキアが愛してやまない恋人、ラルムは彼女の姿を見て目玉が飛び出そうなほど見開いていた。
数えるほどしか見たことのないその顔を見て、ルキアの意識はそこで途絶える。
「ルキアッ!!」
バタリと倒れた恋人の少女の元に駆け寄るラルム。急いで彼女を抱き抱えると、その姿に絶句する。
左腕が消失し、左半身は火傷。左側のキャラメル色の髪は毛先が焼き焦げ、見ているこちらの胸が痛むほど痛々しい。
「……っ、アングイス! アングイスはいるかっ!?」
ルキアを横抱きし、廊下を走るラルムは目的の相手がいる部屋へと急ぐ。
ラルムが目指すのは、城の地下にある部屋だ。長い階段を何度も下り、途中で給仕役の魔導人形にぶつかりながらも、目的の部屋へとたどり着く。
塞がっている両手の代わりに足で扉を開けると、室内から鼻がもげそうなほど充満する薬の匂いに顔を顰めた。
試験管、フラスコ、ビーカー、試験管立て……学校でも知られている実験器具が木の机の上に置かれ、鮮やかなマゼンダ色の液体が入った巨大なフラスコはアルコールランプの火で熱せられポコポコと音を立てる。
千を超える薬草とハーブが仕舞われた棚、一束にまとめて乾燥させている花々と分厚い書物で覆われた本棚で部屋が埋め尽くされている。
ラルムが蹴り飛ばして開けた扉の前にある机の前では一人の青年が立っていた。
「扉を開ける時は静かに開けろ。もしこれが劇薬の実験中なら、貴様は今頃俺と一緒にあの世に行っているぞ」
目の前にいる青年――アングイスはそう言いながら手に持っている試験管を軽く振り、緑色の液体が青紫色に変わるのを見てそれを試験管立てに置き、くるりと振り返る。
横髪が腰まで届くくらいの長さがあるムーングレイの髪、スプリンググリーンの瞳は知性の光を宿している。白いレースがあしらわれた紅いローブの下にはフート付きの黒い長衣を着ている。
アングイスはラルムに抱えられているルキアを見ると、目を細めながら彼女に近寄る。
日に当たらない時間が多いせいで雪みたいに真っ白な指が彼女の頬に触れた。
「ふむ……魔法による火傷か。左腕がないのを見る限り、『
「そんなことより早くルキアを治せ。部位欠損を治すには二四時間以内に魔法をかけなきゃ意味がないんだろ?」
「そう焦るな。この俺の腕を知っているだろ? 心配しなくてもこれくらいの外傷、半日で治せる」
そう言ったとアングイスはラルムの腕からルキアを奪うと、そのまま本棚と本棚の間にある扉に向かう。
扉はアングイスの接近に反応し自動で開かれた。
「こいつの治療は任せろ。お前は主に今回のことを代わりに報告しておけ」
「……言われなくてもそのつもりだ」
戦闘ではからっきしだが、医療面では右に出る者はいないこの男に今は任せるしかない。
扉の奥に消えて行った偏屈医者と恋人を見送り、ラルムは薬草の匂いが充満する部屋を出て行った。
「――つまり、ルキアは任務の四分の一を果たしていないということか?」
「恐らくは……」
カウチにもたれかかれながら本を読む主を前に、ラルムは跪いたまま顔を垂れている。
ラルムは実際ルキアが一体どんなことをしたのか、その全容は知らない。だが彼女の傷の具合から見て、日向達のせいで任務の遂行を阻まれたと考えた。
学園も水晶玉を介して遠距離で様子を見る魔法をかけて見たが、誰もが笑顔で学園祭を楽しんでいる様子しか映っていなかった。
この場所は世界とは切り離されているせいで、世界の時間とは完全に遮断しているの。
その影響によって、一時間だけここにいただけで、出た時に外の世界の時間が月単位で進んでいることがある。
「それに……あの学園には【
ラルムの言う通り、ルキアは魔導人形を使って学園に被害を与えていた。だが管理者の力によってゼロにされた。
実際目にしていないせいで説得力がないのは理解している。いくらルキアが腕の立つ魔物使いだからといって、任務をほとんど果たしていない彼女が捨てられる可能性がある。
それだけはなんとしても阻止しなければ、と心の中で決意しているとパタンと本を閉じる音が部屋中に響く。
「…………ラルム」
「はい」
「しばらくルキアは療養させておけ。完治するまでは一歩も部屋の外に出すな。それと、しばらくは魔導士崩れの魂と魔力回収に集中しろ。以上だ」
「はい……?」
てっきりルキアの処分を言い渡されるかと身構えていたが、あっさりと次の命令を出した主に思わず間抜けな声を出す。
主は珍しい顔を見せる部下を見て、首を傾げる。
「なんだ? まさか私がルキアの処分を言い渡さないのがそんなに不思議か?」
「い、いえ、その……処分を出してくれなくてありがたいと思っていますが……」
「私もたかが任務の一つやふたつの失敗くらいで部下を捨てるような真似はしない。単純にする意味がないというだけだ。……まあ、私でも見過ごせないものなら処罰を下すがな」
くすりと薄い唇で妖艶に微笑む主に、ラルムの背筋が一瞬で凍る。
この男はすると決めたことは必ずする有言実行タイプだ。その事実を嫌というほど知っているラルムは、さっきの発言のせいで冷や汗が止まらない。
「……さて、アングイスの治療が終わってる頃だろ。見舞いに行ったらどうだ?」
「……そうですね、行ってきます」
主から直々に許可を貰い、ラルムは立ち上がるとそのまま扉の方へ行こうとする。
だがカウチの前にあるローテーブルの上に置かれた灰色のかかった白い布と裁縫道具を見て、思わず目を瞬かせる。
「主、これは……」
「ん? ああ、これか」
ラルムの疑問に答える前に、主はすっと切れ端の中に紛れていた小さいお守り袋を手に取る。
縫い目はデコボコしているが、一生懸命作った気持ちが伝わってくるものだ。
「あいつの誕生日プレゼントを作っていたんだ」
「あいつって……まさか彼女に? どうやって渡すつもりですか? あなたが外に出ればIMFの連中がこぞって息の根を止めにきますよ」
「その辺は安心しろ。隙を見て渡すさ」
クスクスと楽しげに笑う主。
完全に外に出る気満々の彼を見て、ラルムは自身の頭と胃が痛くなるのを感じ、見舞いついでに頭痛薬と胃薬を貰いに行こうと決めた。
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