第91話 芽生える想いと入り混じった記憶

 どこからか小さな笑い声が聞こえた。

 ゆっくりと瞼を開けて樹が最初に視界が入ったのは、意識を失う前に見た灰色の空ではなく、薄暗いが白だと分かる天井が目に入る。

 鼻をツンと刺激する消毒液の匂い。白いカーテンが冷房の風で小さく揺れ、外は暗黒色に染まっていた。


 センサーが搭載されているのか、目をぱちぱちと瞬かせただけで部屋の電気が自動でつく。

 ベッドで眠っていた体を上半身だけ起こし、辺りを見渡す。右手には小さな備え付けキッチン、左手には小型液晶テレビが置かれたベッドサイドテーブル。今、樹が寝ている電動リクライニングベッドの前には茶革のソファーが鎮座している。


 辺りを見渡して、ここは以前悠護がお世話になった学園内病院の個室病棟だと気づく。

 学園内病院には六人まとめていれる病室がある一般病棟もあるが、個室病棟は緊急治療が必要な患者もしくは悠護やギルベルトみたいに上流魔導士家系出身の患者にしか宛がわれない。


 ふと右腕がある方を見ると、なくなっていたはずの右腕はギプスで固定された状態で白い三角巾でつられていた。最後に見た時は肩まで消失していたはずなのに、今ではすっかり元に戻っている。

 試しにギプスからはみ出ている指先を動かしてみたが、ギチギチと音が鳴るのではないかと思うほど動きが鈍い。


 部位欠損した腕や足は、二四時間以内に生魔法をかけると元に戻るが、その代わりしばらくの間指一本動かすのが難しくなる。

 その間はなるべく部位欠損した場所はギプスで固定し、医師が決めたリハビリ以外では絶対安静を強いられる。

 これに関しては完全に樹の自業自得なため、文句は言えない。


(あれからまだ数時間しか経ってないのか……)


 樹はベッドサイドテーブルに取りつけられている電子時計を見ると、今日の日付と『21:32』と時間が表示されている。

 外から微かに聞こえる笑い声は、恐らく学園祭が無事終了し、打ち上げをし始めた学生達がはしゃいでいるのだろう。


 樹のクラスでも学園祭が終わったら、教室で慰労会をしろうと言っていた。

 だがこの状況では参加は無理だろうと早々に諦め、樹は再びベッドに体を沈める。

 さすがにこの時間に面会者なんてこないと思い、眠くなるまでテレビをつけて時間を潰そうと思った時だった。


 ガラリ、とドアがスライドした音が聞こえた。

 その音に反応して慌てて起き上がると、前髪に隠れて表情が見えない心菜が立っていた。

 彼女は制服では私服姿で、シアン色のワンピースの上に薄手の白いカーディガンを羽織っている。髪も一つにして右肩に垂らすようにしており、それを青系色のチェック柄シュシュで留めている。


 いつもなら泣き出しそうな顔して駆け寄るはずなのだが、今の心菜は無言でドアを閉じて、つかつかと樹の前に立つ。行動はそれだけで、そこからなんの反応はない。

 普段とは違う反応に、樹は居心地悪そうな顔で出方を待つ。

 だが、何秒、何分経っても動かない心菜に、とうとう樹が根を上げる。


「…………あ、あのぉ~、心菜さん……?」

「………………………………カ………………………………」

「えっ?」

「樹くんのバカぁああああッ!!」

「えっ!? あのちょ、心菜さんっ!?」


 突然大粒の涙をボロボロ流しながら、大声で罵声を浴びさせられた。

 普段のお淑やかなパートナーの姿は微塵もなく、ただただ大声で泣き叫ぶ。


「バカバカバカバカ樹くんのバカッ!! なんでっ、なんであんなことしたの!? 私じゃ治せない傷負ってまで彼女に勝ちたかったの!? 私がどれだけ心配したと思ってるの!? あんなひどい怪我で……もしかしたら、死んでたかもしれないんだよ!? 命を大切にしないとダメって学校で教わらなかったの!?」

「いや、それは……その……」


 心菜の言うことは正しい。

 自己犠牲を利用したあの『隠し芸』は、今考えるとさすがにやり過ぎたと思える。あの時は最善だと思っていたが、親しい人間にとっては心臓が凍ってしまいそうなほどの恐怖に襲われる。

 部位欠損した場所の治癒も、本来なら三年から学ぶ上級魔法だ。いくら心菜が生魔法に明るくても、一年生の身では習得は難しい。


 詰まる所、樹は間違えたのだ。『隠し芸』に敵を巻き込んだ自爆攻撃を選択した時点で。

 結果、目の前の少女は幼い子供のように涙をこぼしながら泣きじゃくり、自分を救えなかったことを後悔している。

 泣かせたくない、ずっと笑顔でいて欲しい少女を。今、自分が泣かしてしまった。


「……っ」


 そう自覚すると一気に激しい罪悪感と後悔が樹に襲い掛から、無事な左腕だけで心菜を自分の腕の中へ抱き寄せる。

 洗剤の匂いがする患者服に顔を埋めた心菜は、一瞬だけ驚いたがすぐにくぐもった嗚咽を漏らす。


「ふっ……ふうっ……ひっく……」

「……ごめん、俺最低なことしちまった。お前のこと、ちゃんと考えていなかった」


 優しく亜麻色の髪を撫でながら、ゆっくりと言い聞かせるような口調で樹は言葉を紡ぐ。

 ぽんぽんとあやすように撫でられる手はいつも通り優しくて、心菜はしゃっくりを繰り返しながらも涙を止めようと必死になる。


「……なあ、聞いてくれないか? 今まで話さなかった俺が思ってたこと、全部。情けなさ過ぎて軽蔑するかもしれないけど……それでも聞いてくれるか?」


 恐怖を滲ませた声音に、心菜はゆっくりと樹の胸の中で頷いた。



 話を聞いてくれると言葉ではなく頷くという行動で伝わり、内心ほっと胸を撫で下ろしながら、樹はゆっくりと語る。


 自分の弱さを魔導具技師希望であることを理由していたこと。

 陽に頼んで精霊眼を使った戦い方を教わっていたこと。

 特訓している間に『隠し芸』を教えてもらったこと。

 その『隠し芸』を自爆攻撃に選んでしまったこと。


 一つ一つ、ぽつりぽつりと語られる。自分勝手で、情けなくて、独りよがりな想い。

 飽きられるかもしれない。軽蔑するかもしれない。

 でも、目を腫らしてまで自分のために泣いてくれた彼女に、これ以上隠し事はしたくなかった。


 話の途中で声を荒げて、文章にすらなっていないところもあった。感情だけ高ぶって、言葉がそれを追いつけない箇所もあった。

 それでも心菜は自分の腕の中で何も言わず、ただただ静かに聞いてくれていたのが救いだ。


「…………これが、俺の気持ちだ。軽蔑しただろ?」


 全てを聴き終えた心菜は、ゆっくりと樹の胸から離れる。

 目元は真っ赤に腫れて、頬には涙の跡を残しながらも、優しく花開いた微笑みを浮かべる。

 その笑みに、ドキンと胸が高鳴ったような気がした。

 

「――私は、そんな樹くんが好きよ」

「――――――」


 何を言われたのか、一瞬分からなかった。

 今、彼女は自分のことを好きと言ったのか? あれだけみっともない言葉を綴ったはずなのに。

 混乱する樹を余所に、心菜は微笑みを浮かべたままそっと頬に触れた。


「私の知る樹くんは、面倒見が良くて、友達思いで、魔導具になると子供みたいに目をキラキラ輝かせる人……でもそれは、ほんの一部だった。こんなに長い時間一緒にいたのに、私が知らなかったあなたの一面を知れて嬉しかった」


 すっ、と心菜の親指が樹の目元を優しく擦る。

 思わず左手を顔に当てると、液体が手についた。その液体の正体が涙だと気づき、自分が泣いていることに内心驚愕する。

 だけど、この涙が悲しみからくるものではなく、受けれいてくれた事実が嬉しさとして流れたものだと理解できた。


「軽蔑したとかそんな悲しいことを訊かないで。むしろ……ずっとそんなに悩んでいたのに、気づいてあげられなくてごめんなさい。あなたこそ、私のこと軽蔑したでしょ? 悩んでいるのに気づいていながら、何も言わなかった私に……」

「それはっ、心菜のせいじゃねぇ! お前は知らねぇかもしれねぇけど、俺はお前のそういうところに何度も救われた気持ちになった! 俺もお前のそういうところが好きだ、軽蔑なんかするわけねぇだろ!!」


 悲しげに微笑んだパートナーに、樹は彼女の右肩を左手で掴みながら想いを言葉としてぶつける。

 だがその嘘偽りない想いを言葉にした直後、樹はようやく自覚する。

 夏休みの時の彼女に抱いていた、あの感情を。


(……そっか、そうなのか……。俺は……心菜が好きなんだ。一人の女として心菜のことが)


 今まで女子に告白されたことはあった。何度も「好きです」と「一目惚れしました」と言われても、ちっとも心に響かなかった。

 でもそれが、彼女の口から言われると初めて心に強く響いた。


 やっと気づいた自分の気持ちを確認していると、目の前で心菜が小さく笑う。


「ふふっ……お互い様ね、私達」

「……そうだな」


 くすくすと笑い合う樹と心菜。小さく笑い続ける心菜は、恐らく樹の『好き』の意味をパートナーとして捉えている。心菜も自分の言った『好き』も、樹というパートナーに向けた言葉のつもりなのだろう。

 だが、今はそれでいい。ちゃんとした告白は、自分から改めて言おう。


(だから、それまで覚悟しておけよ? 心菜)


 人生で初めて惚れた女が笑い続ける中、樹は心の中で悪戯っ子の笑みを浮かべた。


 その後、怒りのオーラが見えそうなほど怒髪冠を衝いているギルベルトが、苦笑いを浮かべる日向と悠護を連れてきて、怒涛の説教タイムに入ったのは言ったまでもない。



☆★☆★☆



「で? 真村くんのこと話したらあの王子様にぶん殴られたって? それは自業自得でしょー」

「うっさい、せやからええの一発貰ったんやろ」


 聖天学園本校舎セキュリティルーム。リクライニングチェアで座る管理者は、キーボードを打つ手を止めないまま背後にいる陽に話しかける。

 陽の端正な顔――特に左頬は、教え子に強烈な打撃を貰ったことで赤いどころか鬱血で青紫色に変色してしまっている。


 今は大きめの湿布を貼っているが、ぶっちゃけそれくらいの怪我なら陽の魔法でも治せる。

 だがそうしないのは、彼自身も樹の件に責任を感じているからだ。


「ま、僕は君の後悔とかどうでもいいけど、教え子の仲はちゃんと修復しときなよ。今後やりづらくなるだろうし」

「わーっとるって」


 学園中の監視カメラの映像も管理している管理者は、長い時間の中で教師と生徒の気まずい関係を液晶越しで見続けていたのだろう。

 傍から聞けば悪質な覗き見かつプライバシーの侵害なのだが、どんなものだろうと監視カメラの映像全てを管理することも仕事。そう割り切らなければこの仕事はやっていけない。


「とりあえず僕の魔法のおかげで君達と分家くん達以外、『レベリス』のことは誰も覚えてないよ。でも向こうは目的を果たしちゃったみたいだね」

「せやろな」


 恐らく大半がルキアの襲撃の目的を知らないだろうが、ここいる自分達だけは分かっていた。

 学園を襲撃した理由、それはずっと隠れていた『レベリス』が本格的に動き出すことを世界に知らしめるため。

 紺野と橙田がその事実を徹一に伝えたと考えると、彼らの目的は果たしているのも同然だ。


「IMFの方も今日の件を聞いて、本部と全支部を交えた緊急会議を開いてるみたいだよ。ま、あの『レベリス』が活動し始めるって聞いたらそりゃ警戒するか」

「当然や、そんだけ連中は狡猾で危険なんやから」


 これまでにも『レベリス』が関与している犯行は、ここ一年で急激に増加している。

 一般の魔導士よりも強大な力を持つ彼らに対抗するには、国の面子云々を気にする暇などない。


「そうそう。君が作った裏聖天学園、あれ避難所として有効活用するよう学園側に申請したんだっけ?」

「ああ、あそこはシェルターよりずっと警備の厳しい場所や。自然災害の時でも学園とその周辺地域の住民入れても余裕な広さもあるから、これを活用しないわけにはないやろ。あ、ちなみにあそこの所有者あんたに設定しといたからな」

「何勝手にそんなことしてるわけ?」

「しゃーないやろ、ワイはあんたみたいに不老長寿やない。それにここにいる以上、ワイの作った異空間を管理すんのも仕事や」

「だからって仕事増やさないでよー、こっち実質無休で働きづめなんだからー」

「嘘つけ。警備システムを全部機械に任せてサボってんのワイ知っとるで」


 陽の指摘に管理者はチッと舌打ちした。

 サボりを素直に認めやがった若作り野郎の態度に肩を竦めながら、陽はセキュリティルームを出る。

 薄暗い廊下を歩き、校舎の中に戻り、外に出て夜遊びをする生徒達を注意しながら職員寮にある部屋に入った。


 学生寮と違い一人部屋構造になっている職員寮は、内装を自分好みにできるメリットがある。

 陽の部屋は落ち着いた色合いをした家具が置かれており、整理整頓と掃除を心がけているおかげ塵一つない。


「ふぅー……」


 リビングにあるソファーに座り、目の前に置かれたローテーブルを視線にやる。

 テーブルの上には折り紙で作った輪っかの飾りが置かれており、テーブル近くの大きな紙袋が置かれている。

 中身はバルーンやガーランドフラッグ、それにクラッカー。自分でも笑ってしまうほどのパーティーグッズの数々を見て顔を緩める。


「もうええ年なのに何はしゃいんでるんやろうな……」


 自分らしくない行動に苦笑してしまう。でもそうなるまで自分が妹の誕生日を楽しみにしているのだと認めざるを得なくなる。

 両親を亡くして以来、豊崎家はあの日のような誕生日パーティーを開かなくなった。

 相模姉弟が家の定食屋に呼んで開いてくれたが、陽もそれに日向自身はやはり家でやりたいという気持ちがあった。


 あの日の誕生日パーティーは、今でも忘れない。

 色鮮やかな飾り、豪華なご馳走、大きなバースデーケーキ、そして家族全員の笑顔。

 あれほど幸せだと感じた時間はなかった。それほどまでに鮮明に記憶に刻まれている。


 そして明日、豊崎家で誕生日パーティーを開く。

 明日は早朝から掃除をして、会場の準備をするつもりだ。


「ま、こんくらいええか」


 誰かを家に招くのは本当に久しぶりで、まだ先なのに緊張してきた。

 内心苦笑しながら、ソファーから立ち上がった陽はキッチンの冷蔵庫から缶ビールを手に取る。

 プルタブを捻り、プシュッと音をしながら開いたそれに、ゆっくりと口づける。


 ビール特有の苦みと炭酸が喉を潤し、胃の中へ入っていく。

 口元についた泡を舌で艶めかしく舐め取り、ベランダに出る。

 職員寮から見える景色は遠くにある街灯りが星空みたいに煌めき、少しだけ寒い風が頬を擽る。数時間前までの騒動があったとは思えないほどの静かさだ。


『レベリス』のことが脳裏に浮かぶと、陽は顔をしかめ、目つきを鋭くさせる。

 半分以上も残っていたビールを一気に飲み干すと、今度は服の裾で乱暴に口元を拭う。

 嫌な相手を考えると動作が乱暴になるところは自分の悪い癖だと思うが、どうしてもこれだけは抑えが効かなかった。


「絶対に、あんたらの思い通りにはさせん。もう二度と、遅れてたまるものか」


 脳裏に血で塗り潰された憤怒と憎悪、そして後悔が入り混じった記憶を抱えながら陽は部屋に戻る。

 陽がもたれかかっていた手すりの一部が綺麗な半円形で抉られていたことに気づいたのは、洗濯物を干しにベランダに出た翌朝のことだった。

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