第92話 誕生日と謎の青年
学園祭の翌日、樹は退院した。
魔導治療を受けた患者は大抵二、三日で退院しているらしいが、それにしては早すぎる。
この早すぎる退院の理由は、二つだ。
一つは、樹が搬送された病院が聖天学園内であること。
学園には世界中のどの設備よりも最新鋭を使っており、特に病院にはまだ世間では発表されていない、もしくは発表する予定の魔導医療器具の試作品が設置されている。
すでに世間に出ている魔導医療器具より高性能なため、樹の怪我が早急に治ったのだ。
もう一つが、樹を担当医者がリア・ナイティゲールであること。
人身体の部位欠損すらも治してしまうほどの高度な生魔法を使う彼女は、【
担当した患者はほぼ一〇〇パーセントの確率で死の淵から生還しているという逸話を持つ彼女の治療によって、担当された樹がたった一日で退院できた理由はそこにある。
無事樹が退院した学園祭が終わった翌日の日付は一一月四日、つまり今日は日向の誕生日だ。
パーティー会場である豊崎家のリビングは、陽が持ち運んだ飾りで色鮮やかかつ華やかになっている。
輪っかの髪飾り、星やハートのバルーン、『HAPPY BIRTHDAY』と書かれたガーランドフラッグ。そして人数分のクラッカー。
主役である日向を『さがみ』に置いてきた悠護達は、急いで部屋の中を飾りつけし、食卓テーブルとソファーの前のローテブルを使うほどの大量のご馳走を作る。
骨付きチキン、ローストビーフ、温玉乗せシーザーサラダ、マルゲリータ、トマトソースとクリームソースのパスタ、ほうれん草とじゃがいものキッシュ、サーモンのカルパッチョ、魚介たっぷりのパエリア。そして、心菜お手製のイチゴたっぷりのバースデーケーキ。
どれも食べ盛り育ち盛りの男子が五人いるし、特に魔導士陣は魔力を作るのに膨大なエネルギーを必要とするためかなりの量が必要となる。それを補うのが食事なのだ。
そんな理由で世間では『魔導士は大食い』というイメージがあり、悠護達から真実を知った相模姉弟は納得の表情を浮かべた。
エスコート役を買った怜哉は《白鷹》が入った竹刀袋を持って外に出ており、あと数分もしない内に日向がこの家に帰ってくる。
自分の家とは違い、なんの変哲もないが温かみを感じるリビングでクラッカー片手に待つ。
しばらく待っているとガチャッ、と玄関からドアが開く音が聞こえてきた。
ゆっくりとした足取りで廊下を歩く二人分の足音。リビングの前のドアの前に来ると、怜哉が開く。
そのままひょこっと身を乗り出した日向を見て、一斉にクラッカーの紐を引っ張る。
『日向、誕生日おめでとー!!』
パンッパンッ! と軽快な破裂音が響く。逆三角形のパーティーグッズから出てくる色鮮やかな紙テープと紙吹雪。
ひらひらと舞うそれを見て、日向は輝かしい笑顔を見せた。
『――乾杯っ!!』
外はすっかり暗くなり、枯れ葉が小さな風で舞う午後五時。豊崎家のリビングではカシャンッ!! とグラス同士がぶつかり合う。
グラスには各々が選んだジュースが入っており、テーブルの上に並べられた料理をビュッフェ形式で食べていく。
オレンジジュースで喉を潤した日向は、手始めにシーザーサラダを食べる。
シャキシャキのレタス、カリカリのベーコンとクルトン、酸味のあるドレッシングと温玉が舌に優しい味になって調和していた。
自分のお皿に盛ったサラダを平らげると、京子が笑顔でプレゼントを持ってくる。
「日向、誕生日おめでとう! はいプレゼント」
「ありがとう。開けていい?」
「いいわよ」
京子から許可を貰ってプレゼントを開けると、中に入っていたのはマフラーだ。
長めの水色のマフラーの右端には白い鳥が刺繍されているだけだが、シンプルなものを好む日向に合わせているのだろう。
「わあ、すっごくいい」
「でしょー? この鳥の刺繍とか絶対日向好みだって思ったんだー」
きゃっきゃっとはしゃいでいると、横からいそいそと心菜が近寄ってくる。
彼女からのプレゼントを受け取り、開ける。入っていたのは、黒猫の絵が描かれた薄緑色のマグカップだ。
「前にマグカップ割っちゃったって言ってたでしょ? ちょうどいいのがあったから」
「ありがとー、これ猫の絵が可愛いねー♪」
心菜が加わってさらに華やかさが増し、心なしか花まで飛ばしていた。
ぽわぽわとした雰囲気の中、日向の後頭部にこつんと何かがあたる。後ろを振り返ると、そこには右腕をギプスと三角巾で固定された樹が立っていた。
「ほらほら、お前に渡すプレゼントはまだあるんだぜ?」
左手で縁側に繋がるドアの前で準備万端な男性陣を見て、日向は「ごめん」とジェスチャーで伝えると樹からもらったプレゼントを開ける。
中に入っていたのは手の平に収まるほどの大きさをしたブローチだ。光の反射で七色に輝く水晶を中心に、真鍮製のフレームの周りに蔦や花が織り交ぜた精緻な彫刻が施されている。
「悪意とか敵意とか負の感情を向ける相手が接近すると、真ん中の水晶が黒くなって知らせる魔導具だ。それがあれば敵が近づいてきた時、すぐに対処できるだろ?」
「うん、ありがとう。でもこれ、魔導具とは思えないほど綺麗だね……」
魔導具の中には普通のアクセサリーと見間違うものもあるが、樹がプレゼントしてくれたそれは宝飾品として申し分ないほどの美しさがある。
目を輝かせて褒めてくれた日向に、樹は「ははっ、あんがとよ」と言いながら感謝の意味を込めて頭をわしゃわしゃと撫でると、料理がある方へ行ってしまう。
左手で器用に料理を皿に盛りつけて食べる樹を横目に、今度は苦笑を浮かべる陽が近づいてきた。
「怪我人やのに元気ええなー」
「陽兄」
「日向、誕生日おめっとさん。これ、プレゼントや」
そう言って陽から渡されたショッパーの中に入っていたのは、白いコートだ。
「そろそろ新しいの必要やったろ? ええのあったから選んどいたで」
「ありがと陽兄。おー、サイズもちょういいしあったかーい」
さっそくショッパーから取り出したコートを羽織ると、サイズもぴったりで今の季節だとちょうどいいくらい温かくなる。
明日から着ようと思いながらコートをショッパーに戻すと、輝かしい笑顔を浮かべるギルベルトが近づいてきた。
「日向、これならば貴様も受け取るだろう!」
自信満々にショッパーを渡され、勢いに押されながらも受け取ると中身を取り出す。
ギルベルトが選んだプレゼントは、茶葉が入った缶の詰め合わせだ。
「これは八十八夜に摘んだ上等のやつなんだぞ」
「八十八夜?」
「雑節だよ」
日向の疑問に答えたのは、クリームソースパスタを食べていた怜哉だ。
「立春から数えた八十八日目に摘んだお茶を飲むと、一年間無病息災で過ごせるんだよ」
「へえ、縁起物なんですね。じゃあこれ、食後のお茶として出しちゃうね」
「ああ、構わんぞ」
ひとまず缶を箱から出して台所に置くと、今度は怜哉がぽいっとゴミみたいに箱を投げてきた。
それを落とさないように慌ててキャッチする。
「怜哉先輩、これって……」
「何? 僕がプレゼント用意したのがそんなにおかしい?」
「ち、違います! ただくれるとは思ってなかったんで」
「……一応、僕だってプレゼント用意するよ」
拗ねたように顔を背ける怜哉。無意識とはいて申しわけないことをした日向は、困った表情で箱を開ける。
中に入っていたのは白い糸で編まれ、クモの巣状の網目には緑や青の色ガラスが縫いつけられているドリームキャッチャー。円の下には白い羽が三枚ずつ三連で垂れている。
「普通の人間にとってはただのお守りでも、魔導士にとっては魔導具と同じくらい影響力があるんだ。夢を使った精神攻撃もあるから、これがあれば多少は防げるよ」
「……………………」
お守りや魔除けと呼ばれるもの達は、古来より人々の祈りや願いによって生み出された。そういった経緯があるせいか、魔法と言った神秘の技を使う魔導士には影響力がある。
夢による精神攻撃が魔導犯罪で使われているため、一般人の中でもドリームキャッチャーの形をした魔導具を購入する人は少なくない。
怜哉がプレゼントを用意したことは驚いたが、それ以上に攻撃を未然に防ぐために選んでくれたことが純粋に嬉しかった。
ぎゅっと箱ごと抱きしめながら、拗ねたようにパエリアに粉チーズをかける怜哉に笑みを向ける。
「怜哉先輩、ありがとうございます。大事に使いますね」
感謝の言葉を伝えると、怜哉はピタッと石みたいに止まったかと思うと、そのままそっぽを向く。
「……あっそ。大事に使いなよね」
そう言ってソファーに座って、フードを目深く被るともぐもぐと無言でパエリアを頬張る怜哉。
いつもとは違う様子に首を傾げると、今度は亮がオレンジ色の包みをずいっと日向に突きつける。
「日向先輩、これ俺からです。安物ですけど……」
語尾を縮ませて二歩後ろに下がった亮を見ながら、日向は包みを広げる。
中身は日向と心菜を含む一〇代女子に大人気の『ネコ吉くん』シリーズのシロ吉くんのぬいぐるみだ。サイズはちょうど日向の胸に収まる程度だ。
「これ、どうしたの?」
「買った場所でちょうどそのシリーズのぬいぐるみが売ってました。俺の小遣いだとそのサイズが限界ですか……」
「そんなことないよ! ありがとう、亮くん」
他の人より少し地味なプレゼントであることを気にしていたのか、落ち込む亮の頭を優しく撫でる。
すると日焼けが少し残った彼の顔が一気に真っ赤になり、わたわたしたかと思うと「俺、ちょっと飲み物行ってきますッ!」と言って台所に行ってしまった。
「もしかして亮くん、頭撫でられるの嫌だった……?」
「あれはそういう意味じゃねぇから安心しろ」
思わずぽろりと零れた言葉を拾ったのは、苦笑している悠護だ。
彼の手には赤の包装紙と黒のリボンで飾られたプレゼントを持っており、苦笑から笑顔を浮かべるとそれを日向に渡す。
「日向、誕生日おめでとう」
「ありがとう、悠護」
パートナー特有の絆の強さを見せながら、日向は丁寧に包装紙とリボンを取り、箱を開ける。
中に入っていたのは、左上端と右下端に白い花がついた茶色い写真立て。中身を見て首を傾げる日向に、悠護は笑ながら言った。
「その白い花はユーカリ、一一月七日の誕生花で『思い出』って花言葉がある花なんだ。後で写真撮ったらさ、これに入れて飾ってくれよ」
「……思い出……」
ぽつりと呟いた直後、スッ……と日向の琥珀色の瞳から涙が一筋流れる。
それを見てぎょっとした悠護は、慌てた様子で日向の背中を摩る。
「だ、大丈夫か!? なんだ、プレゼント気に入らなかったか? それとも写真嫌いとか?」
「ち、違う、そうじゃない……そうじゃないのっ……」
溢れ出る涙を拭いながら、日向は首を横に振る。
プレゼントが気に入らなかったわけじゃない。ただただ嬉しかった。
こうしてお祝いしてくれることも、自分のために選んでくれたプレゼントを贈って貰えたことも。そして何より、この家でパーティーを開けた。
もう二度と開かれなかったと思っていた。心の底では諦めきれなかった。
でもそれが現実となった。こうして無意識に涙を流してしまうほど、嬉しくてたまらなかった。
「――みんな、ありがとう!」
涙を零しながら笑顔で笑いかけると、みんな笑顔で頷いてくれた。
それがまた嬉しくて、日向は新しい涙を零した。
☆★☆★☆
「ふぅ……風が冷たい。でも、ちょうどいいかも」
足りなくなった飲み物を買いに外に出た日向は、暖かい室内で火照った顔を冷ましながらコンビニに向かう。
首には京子から貰ったマフラーを巻き、陽から貰った白いコートは角のトグルと革紐のループをきちんと留めている。コートの左胸には樹の貰ったブローチをつけている。
気分転換に外に散歩しに行った際に買い出しを頼まれ、こうして一人外に出ている。
コートで隠れているが腰のベルトには《アウローラ》が入ったホルダーが装着しており、いつ不審者が現れても撃退できる。
(あ、もしその不審者が普通の人だったらどうしよう……この時は蹴り飛ばせばいいのかな?)
普通の警察官と同じ格闘術を習っているため、魔導士崩れではない普通の強盗ならば魔法なしで撃退できるくらいの腕を聖天学園の生徒は全員身につけている。
そのせいかいささかバイオレンスな思考回路になっているが、本人はそれに気づいていない。
目的のコンビニでお茶とジュースを数本買い、ビニール袋の持ち手を両手で持って外に出る。
一一月になって一気に寒くなり、息を吐くと空中に白い息が生まれた。
空には薄らと銀色に輝くが昇っており、あまりの美しさに目を細めて前を向くと、自販機があるところに黒いオーバーコートを着た一人の青年が立っていた。
年は陽と同じくらいで、背中まで伸びた緩やかなウェーブのかかった髪の色は雪のような純白。前髪が長いせいで目元はまったく見えないが、すらりとした身体躯や目元が隠れても分かるほどの整っている顔をしているのが分かる。
その青年はふとこちらを見ると、こつこつと黒い革靴を鳴らしながら近づいて来た。
距離が縮まっていく中、ちらりとブローチを見るが、ブローチの水晶は透明なまま。
相手が負の感情を持っていないことを察すると、特に警戒しないまま一気に距離を詰めてきた青年に声をかける。
「どうしましたか?」
「すみません、駅を探しているのですか迷ってしまって」
「駅でしたら、その道を真っ直ぐに出ると商店街に着くんですけど、そこをまた真っ直ぐ通って大通りを出て左に曲がった方にありますよ」
「そうでしたか、ありがとうございます。ここに来たのは初めてでして……あ、お礼によければ、どうぞ」
そういって青年がコートのポケットから出したのは、手の平に収まるサイズの白い巾着。首にかけるように紐を通しており、デコボコなつなぎ目を見ると手作りなのだろう。
「いえ、結構です。大したことはしていないので貰えませんよ」
「いいえ、どうか受け取ってください。これはあなたの助けになるかもしれないものです」
「助け……?」
その言葉に首を傾げていると、青年はそのまま巾着を日向の手に握らせた。
まるで氷みたいに冷たい手に、ぞっと背筋が震える。
「世界というのは一見綺麗に見えるが、見えないところは目が腐るほど汚い。もしお前がその汚い世界の一部に穢されそうになった時、真っ先にこれを使え。――いいか、肌身離さず持っていろ。絶対だぞ?」
「あ、あの……!」
突然口調が変わった青年のことを気になりだし、日向が声をかけようとした直後、枯れ葉が混じった突風が襲う。
思わず目を閉じて風が収まるのを待つ。風が弱くなるのを感じながらゆっくりと瞼を開けると、目の前にいた青年は霧のように消えていた。
「あの人……一体どこに……?」
一瞬夢かと思ったが、手の中にある巾着が夢でないことを知らせる。
本当ならこんな気味の悪いものは捨てなくちゃいけないと思うのに、あの言葉が呪いのように染み込んで捨てることを拒んでしまう。
ひとまずコートのポケットに入れると、日向の目の前で足音が聞こえてきた。
その音につられて顔を上げると、黒いコートを着た悠護が「おーい、日向ー」と声をかけながら走っている姿が見えた。
パートナーのその姿にひどく安堵し、ほっと息を吐く。
「悠護、どうしたの?」
「やっぱ心配になって来たんだよ。あ、これ持つぞ」
「あ、持たなくて大丈夫だよ。一人で持てる」
「大丈夫っていうけどよ……お前ちょっと顔色悪いぞ?」
「え……?」
鏡がないせいで自分の顔を見ることはできないが、嘘はつかない悠護がそう言ったのだからきっと自分の顔色は彼の言う通りひどいのだろう。
その原因があの青年にあると一人納得すると、悠護はビニール袋を奪うと日向の右手を握る。
「悠護……?」
「手、冷たそうだったから。握っといてやる」
自身の手に触れる手のぬくもりとかけられた言葉に、パートナーの優しさを感じた日向は小さく微笑みながらぎゅっと強く握る。
「ありがとう」
それだけ言ったと、悠護は『気にするな』と言わんばかりに握る手の力を少しだけ強くした。
優しいぬくもりを感じながら、二人は寒空の下、賑わいと笑顔溢れる場所へと戻って行った。
そんな二人を、主はさほど距離が離れていない電柱の上でその様子を見ていた。
花も恥じらうほどの初々しさ。それは主が長年見続け、憎み続けながらも目を逸らすことは出来なかった光景。
コートのポケットから真っ赤なリンゴを取り出すと、右手でポーン、ポーンと上下に投げる。
「この世界は美しい。だがその美しさが多くあればあるほど、汚いものが増えていく」
もし、あの少女がその汚いもので穢されると考えると憎悪が増していく。
あの髪を、あの瞳を、あの肌を、あの唇を、彼女の心全てを穢していいのは――
「私だけなんだ」
そう呟いた直後、右手に収まったリンゴを思いっきり齧る。
淡黄色の果肉から溢れ出る甘い果汁の匂いに酔いしれながら、主は空に浮かぶ満月を見上げた。
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