第47話 満月の下のワルツと誓い

 絢爛豪華なパーティー会場。

 誰もが煌びやかに着飾り、美しさを見せ合う中、二人の少女が口元だけ笑みを浮かべた顔を見合わせながら対峙する。

 これがただの令嬢同士の諍いならまだ見世物としてはよかったが、今回はその相手が悪かった。


 片や、黒宮家の分家の中では一番血が近い魔導士家系・桃瀬家のご令嬢である桃瀬希美。

 片や、【五星】豊崎陽を兄に持ち世界で唯一無魔法を使える魔導士・豊崎日向。

 両者とも黒宮家次期当主に正式に決まった黒宮悠護の婚約者候補だ。


 この組み合わせを見て招待客全員が想像するは、修羅場だ。

 希美は日向がパートナーに決まる前まで第一婚約者候補だった。彼女自身もその件を未だに引きずっている節があり、現に日向を見る彼女の桃色の瞳からは分かりやすいほどの憎悪に満ちている。


 本来ならその瞳で睨まれるだけで普通の娘は怯えて逃げ出すが、日向は物怖じせずむしろニコッと効果音がつきそうなほどの笑顔を向ける。

 これにはほとんどの招待客が息を呑み、二人の成り行きを見守ることに徹する。

 緊張感が漂う中、最初に口を開いたのは日向だった。


「桃瀬さんのドレス、素敵だね。それ『ティアラ』の新作でしょ? 前に街に出た時に見かけたことあるから」

「っ……そうよ。そもそも『ティアラ』はお母様が勤めている会社よ、ならそこの新作が私の手に渡るのは当然でしょ?」

「へえ、そうなんだ。桃瀬さんのお母さんってすごいんだね」


 一瞬だけ息を呑んだがツンとした澄まし顔で日向への質問に答える希美。対してニコニコ顔で純粋な感想言う日向からは他意が見えない。

 立場上恋敵であるはずの自分を前に平然としている日向に違和感を覚えながらも、希美はなるべく平静を装って口を開く。


「……ふん、それにしてもあなたってあまり変わらないのね。せっかくのドレスが台無しね」

「別にいいよ。過剰に着飾って『似合わない』って言われるよりは、あまり変わらない姿で『似合ってる』って言われたいからさ」

「……っ!」


 言葉の応酬を綺麗に返され、希美は悔しげに下唇を噛む。

 今まで相手を貶す言い方をすれば、向こうから尻尾を巻いて逃げていたが、この女はそういったことには慣れているか中々怯える様子さえ見せない。


 さっさとこの女を追っ払って悠護と二人きりになりたいと思っているせいで、気持ちに焦りが生まれてしまう。

 もっとキツい言葉をかけてやろうと口を開いた直後、目の前からやってくる人物を見て口を閉ざした。


「――諸君、楽しんでいるか?」

「徹一さん」


 徹一と朱美の登場に日向は振り返り、自然な流れでお辞儀をする。


「はい。あたし個人としては少し豪華過ぎて緊張してしまいます」

「そうか。だが今後はこういった場に出ることが多くなるだろう、今のうちに慣れておいたほうがいい」

「はい」

「それと悠護、そろそろスピーチの時間だ。遅れるなよ」

「えっ、あ、ああ。分かった」


 徹一の言葉に気づいて悠護は慌てて時間を確認するが、徹一は小さく苦笑すると舞台の方へ向かってしまう。


「悪ぃ、俺そろそろ行くわ」

「おう。しっかりやれよ」

「頑張ってね」

「舌、噛まないでね」

「あー……なるべく気をつけるわ」


 声援と注意を受けた悠護は、軽く苦笑いを浮かべながら希美の横を通り過ぎる。

 何もされたわけではない。ただ横を通っただけ、だがその事実が希美の胸に太い針が突き刺さった。故意でやったわけではないのは一目で分かる、長い間ずっとそばにいたから。

 だから悠護は自分には何も言わずそのまま通り過ぎるのは気にしなくていい。そのはず、なのに。


(あんなゆうちゃん、初めて見た)


 悠護が誰かと話す時はいつも鉄のように固い表情ばかりだった。でもさっきの悠護は違う。本当に楽しそうに、昔の彼の面影が重なっていた。

 それは、希美がずっと見たかった笑顔。その笑顔にさせたのは、他の誰でもない世界一大っ嫌いな女とその友人である事実に悔しさが募る。


(……悔しいッ! 私がゆうちゃんを笑顔にしたいのに、あの女達はそれを平然とやってのけた!)


 自分だってあの笑顔が見たかったのに、それさえも出来なかった。悠護との間には天に届きそうなほど高い壁があるのに、目の前の三人はその壁を軽々と超えた。

 特に日向なんか、壁を超えるどころか悠護の心にまで歩み寄っている。そして悠護も自身の心にまで足を踏み入れた日向を邪険にするどころか、嬉しそうに受け入れていた。


 心菜も樹も目障りなゴミなのは間違いない。

 だがそれ以上に、彼の名と同じ色をしたドレスを身に纏うこの女が一番邪魔だ。

 それは今朝、黒宮家から来たメールの内容を父の口から伝えられた時からずっと思っていた。


『本当に悠護のことが好きなら、これ以上彼が嫌がることをしない方がいいよ。ここで踏み止まらないと、いつか後悔するよ』


 脳裏に二五日の茶会での言葉が思い出す。それが正論なのはきっと間違いないだろう。

 だが希美にとって、その言葉さえもただ憎しみを増やす対象になるだけだ。


(――豊崎日向。私はあなたのことが世界で一番大っ嫌い。それは死んでも一生変わらないわ)


 ――これ以上、あんたなんかに私と彼の世界を壊させない。


 希美の桃色の瞳が日向の姿を映す。

 永遠に分かりあうことも仲良くなることもできない怨敵をその目に焼きつけるように。



☆★☆★☆



 パーティー会場の左隅にある大きな金屏風と一段分の高さしかない壇。それが悠護のスピーチのために舞台として用意された場所だ。

 台の中央にはマイクが設置されたスタンドがあり、今から大勢の人間の前でスピーチを行うとなると緊張で顔が強張っていく。


 この日のために用意したスピーチは、全部悠護が一から書き上げたものだ。

 何度も書いては徹一に見せてダメ出しを喰らうのを繰り返し、一昨日のスピーチの練習までになんとか間に合わせたせいでその日は部屋に戻った途端ものの三秒で爆睡したほどだ。


 悠護にとっては渾身の出来であるそれを紙がよれよれになるほど何度も読み直したが、時々この内容で本当に伝わるのかと不安になってしまう。

 だがこの紙一枚の上に書かれた文字は、全て悠護の嘘偽りのない気持ちだ。何度も書き直し、今の自分が伝えたいことを全て文字に乗せた。

 なら、ここでその気持ちを伝えることこそが悠護がするべきことなのだ。


『――それでは黒宮家次期当主・黒宮悠護様のスピーチに入ります。黒宮様、ご登壇お願い致します』

「はい」


 司会を務める男に呼ばれ、悠護はゆっくりかつしっかりした足取りで壇に登る。壇の前には黒宮家分家やIMF関係者、他の七色家の人間の視線が悠護に向けられる。

 多くの人間が集まっている場所から少し離れた先にはこっちに向けて手を振る樹、何故かはらはらした様子で見守る心菜、そして笑みを浮かべながら悠護を見つめる日向が立っていた。


 聖天学園に入学して早三ヶ月、彼らと共に行動しない日はほとんどなかった。

 授業の時も、食事の時も、訓練の時も、休日にどこか出かける時も、まるで昔からずっと一緒にいる友達のように滅多のことでは離れなかった。


 互いの性格を理解し合えている友――いや、もはや『仲間』と言っても過言ではない関係は、母を亡くしてからずっと悠護が求めいたもの。

 そして、その求めていたものを見つけてくれたのは他でもない、目の前にいる自身のパートナーだ。


(――そうだな、俺はもう一人じゃない)


 ここには大切な家族が、仲間がいる。今の自分ならこの紙の上の言葉に乗せた気持ちをこの場にいる全員に伝えられる。

 スタンドの高さを調整し、できるだけマイクを口元に寄せる。緊張で口の中で溜まった唾を呑み込み、口を開いた。


「本日はお忙しい中、この場にお越しくださいまして誠にありがとうございます。この度私、黒宮悠護は正式に黒宮家次期当主に昇格することが決まりました。……正直に言いますと、私は昔から自分の家が大嫌いでした。

 家の名と地位、権力の恩恵を少しでも多く得ようとする大人、その大人のいいなりになる子供……我欲や打算で自分に近づいてくるのを見るたびに、私は家も魔導士も嫌いになりました」


 静かに語れるは、これまでずっと心の奥に秘めていた言葉。何度吐き出したいと思っても吐き出せず、雪のように積もってしまった気持ち。

 最初は悠護の発言に周囲はざわついたが、身に覚えのある人間がいたのか気まずそうに顔を逸らしていた。


「でもそれは、私が身も心も未熟だったからです。後ろ向きなことばかり考えて前に進む勇気が持てず、他人の醜い部分ばかり目を向けていた。人として最低な自分を変えないまま、今を変える力を持とうともしなかった」


 無意識に右手を強く握る。こうして言葉を紡ぐ度に思い出す記憶は、今となっては情けないものばかり。

 その記憶もこれからの自分を強くする糧だと思えば、素直に受け入れられる。


「……だけど、聖天学園に入学して、私の世界は一変しました。今まで見たくなかったものがどれも色鮮やかになって、自分の気持ちにも素直に言えるようになった。自分が何をしたいのか、何ができるのかを考えるようになって……私は――俺は、ようやく未熟な自分を受け入れることができた」


 途中で素に戻ってスピーチを続ける悠護。

 だが誰もが彼の素に何もいわないまま静かに耳を傾けていた。


「この世界は理不尽なことばかりだ。たった一つの出来事をきっかけに人生が破滅したり、悪行に手を染めてまで生きようとする人間が今もどこかにいる。俺は、そんな奴らの手を差し伸べて、もっと別の……少なくともこれまでの辛い思い出を抱えても生きていける人生を送らせてやりたい。

 偽善だって、ただの自己満足だって思うかもしれない。……それでも俺は、自分だけが幸せな人生だけは歩みたくない! 汚い手で他人の幸せを食い潰そうとする奴を見過ごしたくない!

 その一歩として俺は黒宮家の次期当主になることを選んだ。今まで嫌ってきた家の力を存分に使って、世界の理不尽にも真正面から戦ってやる! 俺はまだまだ未熟で口ばっかりな奴だけどっ、それでもどうかっ! これからもよろしくお願いしますッ!!」


 強い感情を振り絞って声を出し、勢いよく頭を下げる。

 悠護の声は大きく会場を反響するも、すぐに静まり返る。痛いほどの沈黙の中、最初にそれを破ったのは一つの拍手だった。

 拍手をする方に顔を向けると、日向が手を叩いていた。手が痺れるほどの力で叩きながら、琥珀色の瞳は逸らさずずっと悠護の姿を映している。新たな一歩を踏み出した、勇気あるパートナーを。


 それに続いて樹も心菜も怜哉も暮葉も手を叩き始め、その音は次第につられるように大きくなっていく。

 それを皮切りにどっと会場は歓声に包まれ、惜しみない拍手が送られる。

 この場にいる全員が自身の気持ちが伝わったことと、黒宮家次期当主として認められたのだと理解すると悠護は再び頭を下げ、壇上を降りた。


「……ったく、いっちょ前に口だけは達者になりやがって」

「別にいいんじゃない? あれくらいしないと七色家なんてやっていけないんだからさ」


 拍手が鳴りやまない中、やれやれと肩を竦める暮葉の言葉にボーイからシャンメリーが入ったシャンパングラスを二つ受け取りながら答える。

 グラスを暮葉に渡しながら悠護の方を見ると、壇上を降りた途端に樹が彼の肩に腕を回し、髪をぐしゃぐしゃに撫でた。

 最初は抵抗した悠護だったが、労いの言葉を貰ったのか目元を赤くして嬉しそうに笑っていた。


「そういえばあのメール、読んだ?」

「当たり前だろ。まああいつの変化とかを考えると、この流れは当然と言えば当然だけどよ……」


 怜哉からグラスを受け取った暮葉は、ちらりと後方に視線を向ける。

 人だかりから離れた位置にいる希美は両親と数回ほど会話を交わしたと思ったら、そのまま早足で出入り口の方へ足を進める。


 それを見た両親が焦って止めようとするが、希美は聞く耳を持たないまま会場を出て行く。

 その時に見えた希美の瞳は過去にも見たことのない激しい憎悪で染まっており、遠目で見ていた暮葉でさえもその憎悪には思わず息を呑んでしまう。


「……桃瀬のヤツ、随分と殺気立ってるな。あいつ新学期に何か企んだりしないよな?」

「さあね。さすがに終業式前みたいなことはしないでしょ。それこそ黒宮くんの仕事なんだから僕達は何も言えないよ」


 確証もない無責任なことを言った怜哉に、暮葉は疲れたようにため息を吐く。

 だが怜哉の言う通り、自身の家の分家の不祥事は本家が片付けなければならない。

 今回の事件で墨守家が没滅したことをきっかけに、彼の家の管理を怠ったということで徹一はIMFの各部署や警察からの苦情を今も受けている。


 分家の中には墨守家断絶をきっかけに、地方にいる血が薄い遠縁が東京に移住し願わくは黒宮家の名を使って高い地位に就こうと画策しているという話も上がっている。

 その分家の中には、悠護が次期当主に選ばれたことに不満を抱く輩がいるはずだ。


 あのメールがもしその家にも届いているのなら、悠護の弱点であり逆鱗でもある日向を狙ってくるだろう。

 もしそうなった場合、あの二人はこれから先に未来でも一緒にいられるのか……。そう考えてしまうと一抹な不安を抱いてしまう。


 無意識に眉間にシワを寄せる暮葉を見て、怜哉は持っていたグラスを掲げる。それを見て暮葉は訝しげに眉を寄せると、怜哉は静かに言った。


「……そんなに心配しなくてもあの二人なら大丈夫だよ。もしもの時は僕らでなんとかすればいいだけだしさ、先のことをそんなに気にしたってしょうがないよ。それより今は乾杯しようよ、黒宮くんの新たな門出を祝ってさ」

「……そうだな」


 怜哉の言葉に冷静さを取り戻した暮葉は、自虐的な笑みをこぼしながらグラスを掲げる。

 彼の言う通り、あの二人ならどんな困難さえも乗り越えてしまいそうな力を感じる。ただの勘か、それとも暮葉自身の希望的観測かなのかは分からない。

 それでも、悠護と日向の未来は明るく祝福に満ちることを目の前の光景を見てそう思えてしまう。


 なら、可愛い後輩が描く未来を現実のものにさせるのが、自分達先輩の仕事だ。

 まさか怜哉からそんなことを言われるとは思わず己の早とちりに苦笑しながら、暮葉は言った。

 困難と挫折が待ち受ける、新入りの未来が幸多からんことを願いながら。


「――世話の焼ける後輩の新たな門出を祝して」

「乾杯」


 その言葉を合図に、グラス同士がぶつかる澄んだ音が小さく静かに会場に響いた。



「……ふぅ、やっと座れたぁ」


 最上階と同じ階にある庭園に夜風を当たりに来た日向は、東屋の椅子に腰かけるとやっと一息がつけた解放感からなのか一気に息を吐く。

 ただでさえ履き慣れないパンプスのままずっと立ちっぱなしだったのだ、少しだらしない格好になっていると思うがそこは目を瞑って欲しい。

 屋根の向こうの空に浮かぶ満月を見つめながら、日向はクラッチバッグから一通の手紙を取り出す。


『悠護へ』と自身の字が書かれた茶色のかかった白い封筒の右隅には黒猫の絵柄が入っており、シンプルだか可愛らしいデザインになっている。

 裏をひっくり返すと開け口には赤い封蝋がされており、スタンプはこの封蝋の香りの元である薔薇が捺されている。もちろんその隅には自身の名前を書いてある。

 そして封筒の中に入っている便箋には、昨夜日向が睡眠時間を削ってまで必死に想いを綴った文字が記されている。


「これ、渡さないといけないのになぁ……」


 渡すはずのものが未だ手元にあるのを見て、日向は深いため息を吐いた。

 悠護の誕生パーティーということもあって、招待客は各々が用意したプレゼントを悠護に渡していた。

 それは普通だ、だが問題はその中身だった。高級ブランドの靴やスーツ、フランスの一流ショコラティエに作らせた高級チョコレートなど明らかに金がかかっているものばかり。


 そんな中でこんなたった一通の手紙をプレゼントとして渡す勇気がなく、足の疲れを理由に情けなくも会場から逃げだしたのだ。


「大事なのは相手を想って選んだものっていうのは分かるけどさ……渡さないと意味ないじゃん……」

「何をだ?」

「うひゃあっ!?」


 突然声をかけられ、思わず奇声をあげながら体を震わせる日向。両手に持っていた手紙はさっきの拍子で離れてしまい、ヒラヒラと揺れながら声をかけた相手の足元へ落ちる。

 本来なら会場にいるべき声の主――悠護は黒猫の絵柄が入ったそれを手に取ると、表裏を見て首を傾げる。


「ゆゆゆゆゆ悠護っ!? なんでここにいるの!?」

「なんでって、そりゃお前を追ったんだよ。勝手に消えて驚いたからな」

「それは……ごめん」


 そういえば庭園に行くことは心菜に言ったが、肝心の悠護には言ってなかった。

 よく見ると彼の頬から汗が伝っており、心配して自分を探し来たと思うと申しわけなさで一杯になる。

 深々と頭を下げる日向を見て、悠護は肩を竦めながら息を吐く。


「まあ別にいいけどよ。……ところで、これなんだ?」

「あ……えっと、それは……その、悠護の誕生日プレゼントっていうか……」

「俺の?」

「はい……」


 本人にバレたならしょうがない、と半分ヤケになりながらも日向は説明する。


「実はこの前、悠護のプレゼントを買いに行ったんだけど……お恥ずかしいことに中々いいのが見つからなくて。樹のアドバイスで手紙を贈ることにしたんだけど、周りがすごい高そうなものばっかり贈ってたから……渡そうにも渡せなくて……」

「……………………」


 恥ずかしそうに顔を逸らしながら説明する日向の事情を聞きながら、悠護は手元にある手紙を見下ろす。

 確かに金はそこまでかかってないだろうが、絵柄が黒猫だといい開け口にされている封蝋の薔薇の香りといい、日向が自分のことを考えて選んだものであることは十分に伝わってくる。

 気まずい顔で髪を弄り始める日向を見て、悠護は手紙を持つ手をかざしながら言った。


「なあ、読んでもいいか?」

「えっ、今っ?」

「今。ダメか?」

「いや、ダメじゃないけど……ちょっと恥ずかしいというか……」


 確かに自分の書いた手紙を自分の目の前で読まれることは、悠護自身も抵抗を感じる。

 それでも今、この想いがつまった手紙が読みたい欲求が収まらない。


「うーん……でも、元々それは悠護宛だし……読んでもいいよ。ただしっ、絶対に声に出して読まないでよ!」

「はいはい、わぁってるって」


 必死に手紙から視線を逸らす日向に苦笑しながら、悠護はごく自然に彼女の隣に座ると封蝋の形を壊さないよう慎重に開けて行く。

 封筒の中には便箋一枚が三つ折になっており、開いてみると黒猫と猫の足跡が可愛らしい絵柄が目に飛び込んでくる。

 そしてゆっくりと、便箋に丁寧に書かれた文字を読み始めた。


『悠護へ

 16歳の誕生日おめでとう。本当は悠護にピッタリなものを贈りたかったけど、何を贈ったらいいか分からなかったから手紙だけになっちゃったけどその辺は許してね。

 あたし達が聖天学園に入学して早三ヶ月、その間にいろんなことがあったね。新入生実技試験、合宿、そして今回の悠護の家の訪問。今まで平々凡々な日々を過ごしていたあたしにはどの出来事もどこか現実離れしていたけど、それも今はいい思い出になってると思ってる。

 正直に言ったとね、入学した当初のあたしは不安で一杯だったんだ。突然魔導士になって、魔導士として生きていけるのか自信がなかった。でも悠護や心菜、樹と出会って過ごしていく内にその不安は一瞬で消えちゃったんだ。

 初めて使う新しい魔法が成功した時、美味しいものを食べている時、一緒に勉強している時、そんな些細な日常さえもみんなのおかげであたしの目には輝いて見えているんだ。

 その中で悠護、あなたと過ごす時間は一日の中で特別なものだと感じるんだ。それはあなたがあたしのパートナーだからじゃない、あたしが黒宮悠護という人間を大切に想っているからなんだ。

 あなたを大切に想う気持ちが一体どういう感情なのかまだ分からないけど、少なくともあたしの中では悠護は家族と同じくらい大切だってはっきりと言えるの。

 ……もしかしたらあたしは、今まで巻き込まれた事件よりもっとひどい事件に巻き込まれてしまうかもしれない、その事件で傷つく人を助けるために首を突っ込むかもしれない。それでもどうか、あたしを見捨てずにそばにいて欲しい。こんなこと言ったのはワガママだって分かってる、それでもあたしは悠護の隣にいたいと思っている。たとえ聖天学園を卒業した後でも、ずっと。

 最後に改めて言ったね。誕生日おめでとう、悠護。あたしと出会ってくれてありがとう。

                                日向より』


 たった一枚の便箋に書かれた文字は、全て自身に向けての感謝の気持ち。

 一言一句逃さないように読み終え、静かに便箋を封筒にしまう。ちらちらとこっちを伺う日向は、緊張した顔で恐る恐る訊く。


「……どう、だった? あたしからのプレゼントは――」


 嬉しかった? と続く言葉は、悠護に抱きしめられたことで言えなくなった。

 彼の家のお風呂場のように服が互いの体温を遮っているため、あの時のようなぬくもりは感じないのは寂しいがそれでもこの温かさは心地よかった。


「悠護……? どうしたの? やっぱりあれじゃダメだった?」

「違う……そうじゃない。ちょっと嬉し過ぎたんだ」


 そう、嬉しかった。自分に対してこんな飾らない綺麗な言葉を伝えてくれたことが。

 そして改めて思い知る。自分はこの少女のことがどれだけ好きなのかを。

 今はまだ『好き』とは伝えられない。未来への誓いもまだできない。それでも彼女は『隣にいたい』と言ってくれたこと自体が嬉しい。たとえその感情が恋によるものか、友情によるものか分からなくても。


 そっと自身の体を日向から離れる。

 服越しのぬくもりが離れるのは寂しいが、ここから先はちゃんと彼女の瞳を見て伝えたかった。


「……なぁ日向、これから俺の誕生日には手紙を贈ってくれよ」

「え? いいの?」

「ああ、いいんだ。俺は、これさえ貰えれば十分だからよ」

「…………分かった。でも、手紙と一緒に贈りたいものができたらそれもちゃんと受け取ってよ? じゃないともう書かないから」

「ああ、約束する」


 そう言って悠護は右手の小指を出す。それを見て日向も同じように右手の小指を出してそれを絡める。

 細く、それでいてしっかりと結ばれた指切りは、今までしてきたものよりずっと特別な感じがした。

 ゆっくりと指を離れると、二人の耳に小さくも穏やかな曲調をした音楽が聴こえてきた。


「あれ、この音楽って……」

「多分会場でワルツでも踊ってんだろ。意外とここまで聞こえるんだな」

「じゃあ早く戻らないといけないんじゃない?」

「……いや、せっかくだしこのままここで踊ろうぜ。庭園でダンスなんてちょっとロナンチックだろ?」

「……まさか悠護の口からロマンチックなんて言葉が出るなんて思わなかった」

「どういう意味だコラ」


 なんとなく心外なことを言われて軽く睨みつけると、日向はクスクスと小さく笑うばかり。

 これ以上追求できないと踏んだ悠護は椅子から立ち上がると、日向の前に立ちゆっくりと手を差し伸べる。


「俺と、一曲踊ってくれませんか?」


 本来ならここで「Shall We Dance?」と、昔見た映画俳優のように芝居かかったセリフを言えばよかったのか分からなかった。


「――喜んで」


 だが頬をほんのりと染めて手を取ってくれた彼女を見て、そんな杞憂は一気に消えた。

 ワルツは三拍子のリズムで踊る初心者にも優しいものだが、ダンスなんてフォークダンスしか踊ったことのない日向にとっては難しいものだった。

 それに自然と距離も近くなり、腰に回された手のぬくもりが服越しに伝わって気恥ずかしくなる。


「そう緊張すんなよ。こんなの1、2、3って頭で数えながらやればすぐできる」

「そ、そういうものなの……?」

「そういうもんだよ。ほら、次は右だぞ」

「う、うんっ」


 悠護に言われた通りに右足を出して三拍子を取る、次に左足で三拍子。その繰り返しだ。

 次第にリズムを掴み距離にも慣れてきたのか、日向の顔には緊張感はなく楽しそうに頬を緩ませていた。

 その顔を愛おしそうに見つめながら、悠護は心の中で改めて誓う。


(日向、俺は必ずお前のことを守ってやるよ。どんなことが起きても、絶対にこの手を離さないからな)


 満月が浮かぶ夜空の下、優雅なワルツを踊りながら少年は少女に声なき誓いを立てる。

 その誓いが、幸多き未来が待っていると信じながら――。

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