第259話 困惑
都内の高級ホテルの一室、支配人と契約して長期利用しているその部屋でギルベルトはシャワーを浴びていた。
本来なら彼も他の外国出身生と一緒に帰国するはずだが、王族としての責務と前世からの因縁によって帰国はせず、寮が使えないためこうしてホテルで寝泊まりしている。
このホテルは最上階のレストランの下にあり、フロアが丸々部屋になっている。ルームサービスも充実しており、電話を一本すれば部屋まで食事を運んでくれる。
しかし、一人になると仕事の方に夢中になってしまうため、なるべくレストランで食事を摂るようにしている。
今日も上のレストランで食事をした後、そのままシャワーを浴びているところだ。
今浴びているシャワーの温度はやや熱め。こうでもしなければ、腹の中にあるムカムカが落ちないと思ったからだ。
(ああくそ、血統主義の老害共が……目先の欲に囚われよって)
今日、ギルベルトはIMFの重役達にカロンについての危険性を説き、一部の魔導士部隊の命令権の譲渡を要求した。彼らと戦いは『落陽の血戦』、いや過去二度起きた世界大戦より苛烈になることは間違い。
そう説明したにも関わらず、血統主義の連中は鼻で笑うだけでなく、永遠に正規の魔導士になれない準魔導士が選別できてむしろありがたいとさえ言ってきた。
もちろん魔導士として上に立つ者の発言ではないため、同席していた徹一によって強制退室させられたが、こうして思い出すだけでも腹が立つ。
あの者達は上に立つ者としての責務を放棄し、くだらない自尊心と地位を守ることだけに力を注いでいる。
王族として生を受けた者として、そして一人の魔導士として、彼らの在り方はひどく醜悪だ。
(それこそ、カロンの『理想の世界』には不必要だとされるだろうな)
カロンの『理想の世界』にとって必要とされているのは、醜悪さも欲深さもない清廉で善性のある人類のみ。
今の状況はその対象を探すだめの選別の真っ只中。早く決着をつけなければ、今よりも多く死体の山が作られてしまう。
この現状は、まさに世界の危機の前兆だ。
一刻も早く、盤石かつ強力な人材を得なければ、カロンによってこの世界の全てが奪われてしまう。
それさえも分からないとは! IMFも王宮にも勝らず腐っている人間が多い。
「いかん……さすがにのぼせるな」
シャワーしか浴びてないものの、長時間温度が高い場所に居続けるのは危険だ。のぼせて倒れる前にシャワーを止め、バスカーテンの向こうに置いてあったバスローブを着てシャワールームを出る。
日向から教わったドライヤー魔法で髪を乾かしながら、キッチンで眠気覚まし用のインスタントコーヒーを淹れ、中身を入れたマグカップを持ったままリビングルームに向かう。
リビングルームには4人掛けのテーブルセットとソファー一式、さらに最新鋭の大型液晶テレビが置かれている。
そのテーブルの上にはノートパソコンと山のように積みあがった資料があり、ここが今のギルベルトの仕事場だ。
パソコンの画面にはここ一ヶ月の事件とカロンの関係性についてまとめてあり、資料には事件を起こした魔導犯罪者と内部犯の経歴、そして彼らの死亡結果が書かれている。
この資料を参考にカロンの関係性を割り出し、より効率よく人材を手に入れるための算段だ。
ひどく苦痛な作業だが、あの老害達を納得させるには目に見える数字と文字でなければならない。幸い、パソコンスキルは教育の一環として培っているため、操作は難なく進む。
「三日前の代官山の銀行強盗犯と五日前の六本木駅襲撃犯、彼らの死亡結果と殺害方法を照らし合わせれば……」
画像に載せられている凄惨な死体写真。魔導犯罪課の職員ですら顔をしかめてしまうそれを、ギルベルトはなるべく無表情を貫きながら見る。
カチカチとキーを叩きながら、USBに入れられた死体写真の画像を報告書用の文書の中に挿入する。その下に円グラフを挿入させ、左隣に文字を打っていく。
時折コーヒーを啜り、目の間を指でほぐす。この一ヶ月で慣れてしまった作業だ。
ホテルが用意するインスタントコーヒーはスーパーで買うと少し値が張る物だが、幼少期から高価な物に舌を慣れさせられたギルベルトにとって、最初飲んだ時は新鮮みを感じたが今ではすっかり馴染んでいる。
見る方も作る方も陰鬱な気持ちにさせる資料をなんとか作り終え、ふぅっと息を吐く。
「……今日は疲れた。もう寝るか……」
明日も今日と同じ面子で会議がある。
肉体的にも精神的にも疲弊している身としては、いつもより就寝した方がいい。
ふらふらした足取りでベッドまで近づくと、緩慢な動きをしながらバスローブを脱ぎ捨てる。下着以外身につけていない彫刻のように腹筋が割れている白い裸体の上にホテルが用意したパジャマを着て、キングサイズのベッドに潜り込む。
サイドテーブルにある埋め込まれたパネルを操作すると、部屋の電気を消え、カーテンも自動で閉める。
最近のホテルでは遠隔操作パネルの流用が始まり、まだ一部ではあるか個人宅に設置している者も出始めている。
最新鋭の技術の発展について他人事のように賞賛しながら、パネルに表示されている日付を見る。
(今日は八月三一日だったのか……そういえば、カロンの誕生日は、たしか…………一〇月だった、な………………)
ぼんやりと前世のことを思い出しながら、ギルベルトの意識は眠りの世界へと足を踏み入れた。
立川市にある趣のある日本家屋。道場が併設され、契約している庭師によって定期的に整えられている庭園もあるその家こそ、七色家『白石』の邸宅だ。
いつも通り帰宅した怜哉は玄関で靴を脱いだ後、使用人が用意した食事と入浴を済ませ、寝巻き姿で庭園を一望できる長廊下を歩き、本宅の傍にある離れに入る。
離れは落ち着いた和室で二人暮らしても十分な広さがあるが、和風デザインのベッドと和箪笥、それに学習机と本棚とコート掛けと必要最低限の家具しか置かれていない。
いつもと変わらない部屋の様子に、怜哉はほっと安堵の息を吐く。
この離れは、かつて怜哉の母・
何故、母がこの離れを使っていたのかは理由がある。それは、母が当時父の愛人だったからだ。
父・雪政にはパートナー時代からの付き合いである正妻がいたが、彼女は生殖機能に異常があると診断され、子を成すことができなかった。
七色家の権力目的だった正妻は自身が
周囲から子を望まれ、正妻のヒステリーに耐え切れず、父は行きつけの喫茶店で母と出会う。
母は魔導士の道に行かなかった準魔導士で、身寄りもなく奨学金を使って国立大学に通い、アルバイトをかけもちしながら暮らしていた。
常連の様子が気になった母はお人好しにも相談に乗り、父は自分のことを気にかけてくれる母に何度か話していく内に二人は少しずつ惹かれ合うようになる。
何度も逢瀬を重ねた父は、母の腹に新しい
話を聞きつけた親族達は愛人を作ったことを咎めるより、跡取りとなる子供が産まれることを喜んだ。
母はそのまま白石家の離れで暮らすことになり、周囲からのサポートがありながらも、無事怜哉を出産した。
しかしその間、母は正妻の嫌がらせを受け続けた。
食事すれば飯に薬を盛られかけ、庭で散歩すれば転ばれそうになり、最後には離れまで来て母子もろとも殺されかけた。
正妻の行為を父はさすがに見過ごせず、最後の殺人未遂をきっかけに正式に離婚。正妻は送られた精神病院で今も入院している。
母は離婚後そのまま父の後妻となり、本宅で平穏に暮らしていたが、怜哉が中学に上がる前に肺炎で亡くなってしまった。
母が亡くなった時、父はしばらく仕事にも手を付けられないほど嘆き悲しんでおり、きっと父は父なりに本気で母を愛していたのだと嫌でも伝わるほどだった。
喪に服した後、父は母との思い出のある離れを壊そうとしたが、怜哉が自室として使うと言ったら止めてくれた。
単純に広さも室内もそれなりに気に入ってたし、本宅の部屋は広すぎて逆に落ち着かなかったから壊すのは惜しいと思ったからだが、あの時止めた自分はナイスだったと今でも思う。
離れの部屋に入ると、怜哉は一直線にベッドに向かう。
もそもそと緩慢な動きで布団に潜り込み、《白鷹》を添い寝させるように隣に置く。
今日も一日を共にした相棒を見つめながら、今度は疲労を滲ませたため息を吐いた。
(最近は激務が多い上に、雑魚の相手ばかりで疲れた……)
魔導犯罪課に所属している以上、魔導犯罪者と戦うことは避けて通れないと理解しているが、どれも怜哉が手を下すほどではないほど弱い。
それにあの雑魚達が犯した犯罪や事件は、全てカロンの『理想の世界』に相応しい人類の選別として利用されている、とギルベルトは言っていた。
このまま、否応なくカロンの選別のためだけに駆り出されるのはごめんだ。
「そろそろ、連中と戦うことを視野にいれないとダメだね」
むしろ、あそこにいるのは自分を超える強者ばかり。
全力の、それこそ命を懸けた戦いができるとしたら、カロン達しかいない。
思わず笑みを浮かべた怜哉は、そっと《白鷹》の柄を撫でる。
「ふふふ……ああ、楽しみだなぁ……」
強敵の血に、激しい戦いに飢えた白き剣士は、自然と眠りにつくまで恍惚とした顔で静かな笑みを零し続けた。
☆★☆★☆
『ノヴァエ・テッラエ』の拠点は、かつて『レベリス』から奪い取った異位相空間だ。
ボスと幹部のみ専用の鍵の所有が許されており、
その城の地下には、『
真鍮を贅沢に使用した天球儀の形をしており、中央の球体を囲んでいるいくつものリングには細かな数字が刻まれている。
『
かつての国王の姿を彷彿とさせる豪奢な衣装を身に包み、爪先まで綺麗に整えられた手は『
誰かが地上からここに繋がる階段を降りているようだ。
集中力が切れたことで魔力の供給がストップし、カロンは一息吐きながら触れていた支柱から手を離す。
ちょうどそのタイミングで階段を降りていた人物が姿を現す。
「なんの用だ、フィリエ」
「お仕事中失礼いたします、我が王。本日の進捗についてのご報告です」
着物ドレスに身を包み、お辞儀をするフィリエ。
かつて質素なメイド服を着ていた孤児の娘の面影はなく、今では目的のためならあらゆる男を魅了し利用する大淫婦バビロンに劣らない女性にまで成長した。
上を目指すためならば手段を問わず、狡猾な手で相手を貶め、時に自分の手を汚すことすら躊躇しない残虐さと妖艶さを手に入れたせいもあり、当時を知っているカロンにとっては少し違和感を抱いてしまう。
豊満な胸元を大胆に晒した着物ドレスも、丁寧に手入れされてパサつきがない金髪も、薄すぎ厚すぎない化粧も、全て違和感がある。
初めて一夜を共にした時の彼女は、全体的に貧相だった。
毎日水仕事をしているせいで手はあかぎれだらけで、髪はパサつき痛んでいて、体つきも当時の基準体型と比べても痩せ細っていた。
今も昔もかつてのフィリエは美人とは言えない容姿だっただろう。
でも、素顔を隠すような厚い化粧をし、大粒の宝石や真珠がついたアクセサリーをジャラジャラとつけ、フリルたっぷりの派手なドレスばかり着ていた貴族令嬢と比べたら、メイド時代の彼女はまだマシな部類だった。
……いや、むしろ。
あの時のカロンにとって、フィリエはアリナと同じくらい目を惹く少女だった――と思った直後、はっと我に返る。
(……何を考えている、私は)
今の彼女は『ノヴァエ・テッラエ』の幹部であり、体のいい専属娼婦。それ以外でも以下でもない。
ましてや、自分という男が、本命ではない他の女に現を抜かすなどありえない。
「王? どうかしましたか?」
「……いや、少し疲れていただけだ。話ならば自室で聞く」
「なら……その後のご予定は?」
誤魔化すように適当に言い訳しながら階段に登ろうとすると、フィリエがどこか期待するように訊いてきて思わず足を止める。
振り返るとフィリエは頬を薔薇色に染めていて、それを見たカロンはどこか気まずそうに顔を逸らした。
「………………お前が望むなら、褥を共にする許可をやろう」
「ありがとうございます、我が王。今宵もあなたの腕の中にいられるなんて、わたくしはとても幸せ者です」
「……そうか」
いつも聞いているはずの台詞なのに、今日は何故かとても嬉しく感じてしまう。
己の感情の変化に困惑しながら、カロンはフィリエを連れて地上へ戻る。
……今日は、フィリエが望む抱き方をしようと頭の片隅で考えながら。
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