第258話 【ハートの女王】の提案

【ハートの女王】リリアーヌ・シャーロット。

 フランスを中心に活動をしている一級魔導犯罪組織『サングラン・ドルチェ』のボス。彼女は召喚魔法の達人であり、彼女が召喚したアエテリスは天候と同等の力を振るう。

 しかも組織の幹部は七人全員彼女が生んだ子であり、構成員は魔力を分け与えられたことで生まれた疑似魔物――ホエミス。


 普通の魔導士よりも厄介でしぶとく、女王の命令には従順なホエミス。

 遺伝子選別によって選ばれた男達と交わり、強力な魔導士として生まれた七人の実子。

 そして、天候を操る魔物を使役するリリアーヌ。


 フランスではなくヨーロッパ周辺国では彼女らを危険視する者は多く、去年の春に起きた事件を機に姿を消したと思っていた。

 しかし、その女ボスが何故自分達の横で酒を飲んでいるのだろうか?

 戸惑いながら隣に座った元凶を見ると、彼女はバーテンダーが作ったベリーニが注がれたカクテルグラスを優雅に傾けさせ、ピューレした白桃を舌の上で転がすように味わっていた。


「この桃、とても瑞々しいわね……マスター、良い腕してるじゃない。フランスでもここまでの腕をした人はお目にかかったことないわぁ」

「恐縮です」

「ねぇ~、こんなお粗末なお店なんか閉じて、わたしの元に来なさいな。ここよりもっといい待遇をさせるわぁ」

「生憎ですが、私はこの店が潰れるまで続けるつもりです」

「そう、残念ね」


 さすが創業五〇年の老舗酒場を経営しただけあり、見習いたいほどの貫禄が出ている。

 同性である自分達でさえ思わずドキリとしてしまうスマートさだ。


「……で? なんであんさんがここにおるん? 立場上、ワイらとは敵対関係にあるやろ」

「そう邪険にしないでちょうだい。わたしだって立場を弁えているわ。……でも、だからこそ。あんた達に会わないといけなかったのよ」


 リリアーヌの思わせぶりな口調に、密かに転移魔法を準備していた陽の眦が動く。

 中立として保っていたジークが無言で酒を飲むのを見て、それが『話を聞く』という選択肢をしたと察する。

 陽もため息を吐いて乱暴に椅子に座り、酒を一気飲みした。


「……去年の夏、『叛逆の礼拝』のすぐ後に『ノヴァエ・テッラエ』は世界中にいる魔導犯罪組織を傘下に入れた。もちろんそこにはわたし達も入っていたけど、得体の知れない相手の言うことなんて聞けないからね。しばらく様子見と不干渉を貫いていたのよ」

「なるほど。その時期に『サングラン・ドルチェお前達』が活動停止したのはそのためか」

「結果、色んな雑魚があっちこっち派手にやらかしてね。トーゼン、あのいけ好かない新世界の王様は連中を切り捨て。残党は部下によって粛清。もうイヤになっちゃうわ」


 リリアーヌの話を聞いて、二人はこれまでIMFによって捕獲された魔導犯罪者、ひいては魔導犯罪組織の結末を思い出す。

 捕まえた者も生き残った者も全員街中のどこかで死体として発見されており、組織は内部分裂によって空中分解。

 これまでの遺体発見場ではIMFの留置場も含まれており、口封じのために用意された内部犯も捕まえても翌日には死体になっている。


 こんな芸当はできるのは女狐フィリエしかおらず、あの上辺の美に隠された醜悪な顔を思い出すだけで怒りが湧いてくる。

 陽の心情を察したのか、バーテンダーはそっと氷がぎっしり入った水を渡す。それを見て陽は苦笑し、それを一気飲みするだけでなく氷をガリガリと噛み砕いた。


「だが、様子見だけでは判断はつかないだろう」

「そう。いくら最低でも相手はIMFだけでなく『クストス』さえ手こずる相手。だからしばらく王様の様子を見ていたんだけど、この前の宣言を聞いて思ったわ。『あ、こいつ。散々利用したくせに結局わたし達のことを捨てる気だ』って」

「何を理由にそう思うたん?」

「目よ。あいつの目……『理想の世界』とやらに必要な人間を決めているって言っていたのよ」


 目は口ほどに物を言う、とはよく言ったものだ。

 昔からカロンは口や表情ではなく目に感情を出すことが多く、しかも付き合いの長い相手ではあまり見破れない。

 それを片手の指で足りるほどしか会っていないリリアーヌが見破るというのは、少なくとも彼をよく知る陽とジークはかなり驚いた。


「……さて、前置きはこれくらいにして。そろそろ本題に入るわぁ」

「本題……?」

「わたし達は今回の一件をきっかけに『ノヴァエ・テッラエ』とは縁を切っている。もちろん連中にとってわたし達は邪魔じゃないけど排除した障害物。対して、あんた達は何やら連中と因縁がある。違わない?」

「「……」」

「そこで、わたしから一つ提案があるのよ」


 二人の無言を肯定と受け取ったリリアーヌは、残っていたベリーニを飲むと細い足を組む。

 二〇代の見た目に反し実年齢はその倍はあると分かっていても、世の男を夢中にさせてしまうほどの妖艶かつ蠱惑的な笑みを浮かべた。


「―――わたし達、手を組まなぁい?」



 ジャズが流れる酒場から出て、しばらく道を歩くと二人はようやく深い息を吐く。

 度の強い酒を飲んだというのに、あのふわふわとした酩酊感がない。

 その理由など、あの女王様の提案のせいだ。


『わたし達の共通の敵は『ノヴァエ・テッラエ』。し・か・もぉ、そっちは戦力も情報も不足……特に裏世界の情報や物資の入手ルートへのツテはほとんどないと見た。対して、わたしはフランスだけじゃなく世界各国に裏の情報網もルートもをたぁくさん持っている。

 ――言っておくけど、この期に及んで清濁に拘っている場合じゃないよ。IMFは資源も人材も枯渇寸前。そこを叩かれたら、あの王様にぜぇんぶ奪われる。男なら、命を賭しても守りたいものがあるなら覚悟を決めなさい』


 二人が一言も告げられない内にリリアーヌはカウンターに代金と一緒に五センチサイズの紅水晶玉を置いて酒場を去った。

 紅水晶玉は『念話テレパティ』が付与されている。同じ術者が付与した片割れがなければ話を聞くことも割りこむこともできないため、電子機器にハッキングされる危険性を考えると安全性の高い通信アイテムとして裏では重宝されている。

 ヒビも歪みもないそれを手で転がしながら、陽はもう一度ため息を吐く。


「あの女王様、かな~り痛いところ突きよったなぁ」

「だが、それは事実だ。ともかく、この件は一度集まって話し合うしかない」

「せやなぁ……」


 正直なところ、可愛い教え子達をリリアーヌに会わせたくはないのが本心だ。

 しかし彼女の言う通り、カロンに勝つためには清濁を拘っている場合ではない。それに、彼女の持つ裏ルートのツテは今の状況ではかなり心強い。


 カロンに崇拝というか狂信している者は魔導士も非魔導士も問わず各地に伝播し、その影響力はIMFと軍内部に内通者ができるほどだ。

 武器や情報がカロンに流されて、捕縛しても情報を漏らさないために内通者は全員殺されている。

 さきほど思い浮かべた内部犯達と同じように。


(…………こうなったら、私も久しぶりに裏に顔を出さなければならないな)


『レベリス』時代、認識阻害魔法をかけながら裏とのツテ――少なくとも『サングラン・ドルチェ』より多い数を手に入れている。

 二年も音沙汰はなかったが、裏ではいつ死んでもおかしくない世界だ。きっと向こうもジークは死んでいると思い込んでいるだろう。


 裏は、金さえあればなんでも手に入る。

 ある時には政府機関の情報、ある時には流通禁止されている他国の武器、ある時は凶悪な魔導士……もちろん全てが非合法の手段で輸入されたものだが、表に恨みがある人間にとっては喉から手が出るほど欲する。

 可能性があれば、『ノヴァエ・テッラエ』の情報もあるかもしれない。


(問題の資金だが……幸い、この国にも非合法のカジノはある。そこを襲撃しても問題はないだろう)


 資金調達についてあれこれ考えながら、リリアーヌのことで頭を抱える親友の腕を引っ張りながら、【叛逆王】は夜の街へと消えた。



☆★☆★☆



 日本は治安のいい国ランキングで上位に入るが、裏組織が存在しないわけではない。

 マフィアのようにアジトを表向きは平凡な会社として装ったりせず、堂々と雑居ビルの一室に事務所を構えたりする。彼らは法律に引っかからない程度のシノギなどで銭を稼ぐが、それでも限度というものがある。

 そこで、彼らは東京湾の港の廃倉庫にあるものを作った。


 それは、地下カジノだ。

 使われていない地下を大幅改造し、豪華絢爛な会場に作り上げる。改装費だけでも国家予算とまでは行かないが、莫大な金が消費されている。

 その出費分を賄うため、客層は一流の財界人、政治家、資産家などの富裕層。


 煌びやかなシャンデリアが天井に釣られ、壁に貼られているのは安っぽい壁紙ではなくダマスク織。床は寄せ木細工になっており、その上には毛足の長い絨毯が敷かれている。

 室内にはポーカーテーブルやルーレット台、スロットなどが等間隔に並べられていて、ディーラー達は手際よくゲームを進行する。


 その近くにはバーカウンターがあり、棚には裏ルートで入手した年代物の酒瓶が並べられ、客はそこで談笑を楽しむ。

 ここではカウンターで酒を飲むか、バニーガールから配られるのを受け取るか好きな方を選べる。

 入り口、室内、裏口には組織から派遣された見張りがおり、不正した者や紹介状のない者を追い出す番人として立派に務めを果たす。


 ラスベガスと比べて規模は劣るが、同等の絢爛豪華な会場。

 禁酒法時代に使われたジュークボックスから流れるジャズをBGMにゲームに興じる、贅沢な時間。

 そんな夢のような時間は、泡沫の如く消えていく。


 一人の少年が、扉を蹴破ってカジノに入ってきたのだ。

 髪は色素をごっそり落としたように白く、双眸は死人のようにひどく濁っている。顔も年不相応に痩せこけて、眼窩がはっきりとわかるほど。

 しかし、少年の持つ槍鎌の刃にべっとりと血が付着していた。足元に倒れている見張りを見た直後、カジノにいた全員が悲鳴を上げて逃げ惑う。


 少年はその隙を逃さず、槍鎌で悉く命を刈り取る。

 我先に逃げる男の首を刎ね、ポーカーテーブルに隠れた女をテーブルごと頭から貫き、見張りと同じ役目を持ったバーテンダーが銃を取り出した直後に心臓を一突き。

 高級な調度品を血で染め、死体を大量に作った少年は、返り血で染まったまま幽霊のような足取りでカジノを後にした。



 少年が出て行ってから一〇分後、リリアーヌは目の前の惨状を見て顔をしかめた。

 彼女はこの地下カジノにはたまに足を踏み入れており、小さながらも本場にも負けないサービスと対応にはそれなりに満足していた。

 それをここまで血生臭い大量殺人現場に変えた相手に憤りを感じる。


「そういえばここを経営してるのって、『ノヴァエ・テッラエ』に与してない組織だったわねぇ」


『ノヴァエ・テッラエ』は魔導犯罪組織だけでなく、非魔導士の犯罪組織にすらにも手を伸ばし、その勢力を拡大している。

 しかし突然現れた連中のことを気に入らない者は少なからずおり、このカジノを経営していた組織もその一つだ。


 ならば、これはいわゆる見せしめ。

『ノヴァエ・テッラエ』に逆らう者は、出入りしているだけの客にすら手を出し、徹底気に排除する。

 リリアーヌには理解できないやり方だ。


「ま、そのおかげで目的の物が手に入るわ」


 リリアーヌは血が染み込んでびちゃびちゃと音を立てる絨毯を歩き、中央に置かれたルーレット台の前に立つ。

 強化魔法で脚力を強化させ、そのままルーレット台を蹴り上げる。ルーレット台はボールとチップをばら撒きながら倒れ、そのままその下の絨毯を剥がす。


 絨毯の下に現れたのは、電子式の大型金庫。

 このカジノは床にこの金庫を埋め込んでおり、ルーレット台は一〇人もいなければ持ち上げられないほどの重量がある。リリアーヌはこの金庫の存在を以前から知っていたし、暗証番号も知っている。この情報の入手先は秘密だ。


 電子キーに一二桁の数字を打つと、金庫の奥で歯車が動いて扉が上へ持ち上げられる。

 中に入っているのは札束の他に有価証券、さらに換金目的のために客が持ち込んだアクセサリーや宝石の数々。

 特に後半のはカジノで遊び足りない時、銀行で金を下ろせない客が手持ちの物品を売ってそれをチップに変えた時の名残だ。これも売ればそれなりに値がつくので、この金庫の仲間入りになるのは当然だ。


「これだけあれば、しばらく困らなそうねぇ」


 リリアーヌはこの金庫の中身を奪うために来たのだが、先に『ノヴァエ・テッラエ』が手を出したおかげで余計な手間は省けてしまった。

 それ自体は別にいいことなのだが、まるで自分達を侮っているみたいで腹が立つ。

 怒りで歪めたリリアーヌは無言のまま亜空間に金庫の中身を放り込んだ後、お気に入りの靴が汚れるのを構わず、彼女は血塗られたカジノから出るのだった。

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