第257話 予期せぬ客

 東京魔導具開発センター。

 魔導具の開発・研究を主にしており、本来なら月締め以外の時は定時退社できるホワイト企業なのだが、デモや魔導犯罪事件が多発してからは残業や休日出勤が多くなった。

 ちょうど実習に来た学生達も開発の手伝いをさせられてはいるが、さすがに残業も休日出勤もさせていない。


 実習では長期間学生を預かるため、その間の衣食住は全て実習先である施設が用意する。

 しかも実習の一環とはいえ労働をしてもらっているため、毎月アルバイト代が支給されるという特典つき。

 学園在学中は安全のためアルバイト禁止されていたため、初めての給料に誰もが目を輝かせる。


「うーん……ここの回路をもうちょっと複雑化して……いや、それだと魔石ラピスの接続が鈍くなる。それだと設置部の設計図を一から作り直さないとダメだなー……」


 だが、中にはアルバイト代より目の前の課題に集中している生徒もいる。

 その生徒こそが、センターの資料室でうんうん唸っている樹だ。


 樹はテーブルのほとんどを覆うほどのサイズをした自作の設計図を広げており、その周りには筆記道具や消しカス、別紙の束に電卓などが所狭しに置かれている。

 明らかに学生が読む内容ではない専門書と睨めっこし、シェーペンを持った右手は別の紙で部品の設計図を描き直す。


 しかも設計図は見ながらではなく完全なノールック状態で、定規などの道具を使わないで綺麗な線を描いている。

 かなり器用なことをしていると思いながら、イアンはべしっと樹の頭にチョップを落とした。


「あいたっ!」

「根を詰めすぎだ。そろそろ休憩にしろ」


 後頭部を走った痛みに悶えながら背後を振り返ると、呆れ顔のイアンが立っていた。

 チョップした右手とは反対に、左手には具沢山のサンドイッチと熱々のコーヒーを乗せたトレーを持っている。

 わざわざ食事を持ってきてくれたのだと気付くと、すぐさま設計図を丸め、散らばっていた道具を一点に集めさせる。


 ようやくテーブルにスペースができたのを見計らい、イアンはトレーを置いた。

 サンドイッチは余裕に三人前あり、どれも手の半分ほどの分厚さ。コーヒーは淹れたての熱々で、おかわり用として保温機能付きのポット型魔導具もある。

 イアンの心遣いに感謝しながら、コーヒーを一口飲む。雑味もエグみもない、コーヒー特有の苦味が口に広がった。


「……お前、大型魔導具でも作るつもりなのか?」

「あっ、まだ途中なんだから見んなよ!」


 勝手に設計図を見ているイアンに気付くが、今は食事に集中しているため手も足も出せない。

 その間に設計図を隅から隅まで見たイアンは、樹よりも綺麗に丸めながら言った。


「どこも回路接続の不備が多い。サイズも大きすぎるし、魔石ラピスも出力が足りない。お前、このセンターで駄作を作る気か?」

「~~~~だああああっ! んなの分かってんだよ! わざわざ口に出さなくてよくね!?」

実習生お前を預かる者だから口に出すんだ。こんなものを作って事故でも起きたら、責任は俺に来るんだぞ」


 実習先で事故などが起きたら、当然責任は実習生の担当者に来る。

 そのことを指摘され何も言えなくなった樹は、持っていたサンドイッチを口に押し込みそのままコーヒーと一緒に流し込んだ。


「デザインは悪くないけどさー、回路が……ちょっと、いやかなり複雑し過ぎたんだよな。魔石ラピスの設置部を変えるか、回路そのものをやり直すか……」

「回路をやり直せ。設置部はちょっと手を加えれば修正ができる」

「回路かー……でも、ピッタリな図案が見つかんないと話になんねーんだよなー……」


 魔導具の回路のモチーフに使われているのは、応用美術やデザイン工学などで掲載されている図案だ。

 魔導具技師は図案を回路へと変換させ、多少のアレンジを交えながら描いていくのだ。


 食事を終えた樹が、椅子から立ち上がるとそのまま本棚へ行く。

 資料室の本棚は普段はきちんとタイトル別で整理されているが、ここ数ヶ月はされていない。職員の多忙と用務員の立ち入りが制限されているせいで、別の行のところに全く違うタイトルの本が入っていたり、並べられた本の隙間に横向きで入れたりとごっちゃになっている。


 樹は「後で整理してやるかー」と職員全員に聞いて欲しいセリフを言いながら、爪先立ちでよく使われているデザイン本を手に取る。

 彼の指が背表紙の角に当たり引き抜いた直後、隙間に乗せられていた本が一気に落ちてきた。


「おわああああっ!?」


 悲鳴を上げながら落ちてくる本をなんとか受け止めるが、中には拾えなかった本もある。

 最後の本なんかは角が樹の頭部に直撃し、「いっで!!」と声を上げて尻餅をつく彼の頭の上で跳ね、あるページを開いた状態で床に落ちた。


「いてて……」

「大丈夫か?」

「ああ……なんとか、な……」


 床に落ちた本を拾うイアンの声に答えながら、樹は自分の頭部にダメージを与えた本を見る。

 その本を見た直後、樹の動きがピタリと止まる。

 じっと開かれたページを凝視する彼に首を傾げながら、イアンも同じようにページを覗いた。


「ああ、生命の樹か」

「生命の樹?」

「別名『セフィロトの樹』、旧約聖書『創世記』に出てくるエデンの園中央に植えられた樹だ。その実を食べると、『〝神〟に等しき永遠の命を得る』とされている。ほら、アダムとイヴがいるだろ? あいつらは〝神〟から禁忌とされていた知恵の樹の果実を食べた。

 だが、知恵の樹の果実と生命の樹の果実を両方食べると〝神〟に等しき存在になってしまう。それを危惧した〝神〟は、アダムとイヴをエデンの園から追い出した」

「へぇー、そんなにスゲー樹なのか」

「それと宗教的観点から、この樹は宇宙を支配する法則を図示したものであり、人が〝神〟の下へと至るために取るべき手段と過程を表したものだと言われているそうだ」

「人が、〝神〟の下へと至るため……」


 イアンの話を聞き、樹はもう一度生命の樹の図案を見る。

 天に根を広げ、地に枝を伸ばしていくように描かれており、一〇個の球体と二二本の小径で構成されている。

 少し文字を読み進めていると、樹の視界に『Ain』と書かれた文字を見つける。


「ア……アイン……?」

「アイン。意味は『無』。この生命の樹の誕生起源である『未顕現の三者』呼ばれている内の一つだ」

「起源……」

「アインという『無』そのものからアイン・ソフという『無限』が生まれ、更にそのアイン・ソフからアイン・ソフ・オウルが生じた。これが生命の樹を通じて物質世界に下りてきて、最終的に今の俺達が住んでいる物質世界が形成されたと言われている」

「アイン・ソフ・オウルの意味はなんて言うんだ?」

「……アイン・ソフ・オウルの意味は―――『無限光』」


 無限光。文字通りの意味で言うなら、無限に輝き続ける光。

 それを見て、樹はぽつりと言った。


「…………なんかこれ、日向に似てるな」

「え?」

「ああいや、単純に無限光なんてあいつにピッタリな文字だなーって思ってさ」

「……まあ、言いたいことはなんとなく分かる」


 今世でも前世でも、彼女は自分達を照らす無限光だ。

 どんな困難にも苦境にも立ち向かい、心挫けそうになっても足を震わせながら立ち上がる彼女を『光』と思う者は少なくない。

 だからこそ、樹の言ったことに納得した。


「……なあ、この図って使っちゃダメか?」

「? 別に使っていけないものではないからいいが……」

「そっか。サンキュ!」


 イアンの許可を得ると、樹はシュババッと素早い動きで本を棚に戻すと、生命の樹の図が描かれた本を手に取り、再び設計図に向き合う。

 部屋に入ってきた時とは違い、目つきを変えて図を描いていく樹を見て、イアンは自分の手助けは必要ないと判断する。


 作業の邪魔にならないように皿とマグカップをトレーに乗せ、それを持って行きながら資料室を出る。

 ドアが閉まる直前の樹は、まるで何かに夢中になった子供のような顔になっていた。



 神藤メディカルコーポレーション。

 魔導医療シェア世界三位に君臨し、国内のみならず国外にもその名を轟かせている。魔導医療機器と魔法薬は東京二三区から離れた場所の工場で生産されており、この情勢の影響によってその数を倍に増やしている。

 実家の会社が持つ工場の一つが実習先になった心菜は、調合室で魔法薬を作っていた。


「数種類の薬草を合わせて、No.13の青粉末を入れて混ぜる……その後に生魔法を付与させれば……」


 青紫色の液体が満たされているビーカーに魔法を付与していく。通常の付与と違い、複数の効果がある薬草の成分が付与する魔法と反発を起こすこともある。失敗すれば漫画でよく見るような爆発し首から上が真っ黒になる。

 そうならないように全神経をビーカーに注ぎ、慎重に魔法を付与していく。


 ペリドット色の魔力が液体に降りかかると、濁ったような青紫色から澄んだ碧色へと変わる。そしてわずかに発行すると、ポンッと軽い音を立ててドーナツ状の白い煙が浮き上がった。

 その煙が成功の証だと分かっている心菜は、ふうっと息を吐いた。


(みんな、どうしてるのかな……?)


 時間がある時は連絡を取り合ってはいるが、それでも顔を見れないのは少し寂しい。

 悠護は今回の実習でIMF日本支部長としての教育が始まり、樹はイアンの元で魔導具の腕を磨いている。ギルベルトは留学生である以上に一国の王子、今はIMF日本支部の一室を借りて各国の重役達とこの騒動についてオンラインで話し合っている。

 そして日向は黒宮家に匿われながらも、互助組織創立に向けての準備に向けており、それと同時に無魔法を強化している。


 それぞれができること、やるべきことをきちんと見据えている。

 心菜はこうして少しでも魔法薬を用意したり、両親から生魔法やリリウムへの指示についての指導を受けたりしているが、みんなと比べたら圧倒的に差がある。

 思わず思考がネガティブの方向へ行こうとした時、机の上に置いてあったスマホが震えた。画面には見覚えのない電話番号が表示されており、心菜は首を捻りながら電話に出た。


「……もしもし。どちら様でしょうか?」

『随分と他人行儀なのね』


 スマホから聞こえてきたのは、しばらく会っていなかったヘレン・グレイス――元『レベリス』の魔導士ルキアの声。

 彼女はいわゆる専業主婦で、時折ギルベルトや怜哉などのIMFが持ってくる厄介な案件の手伝いをしている。

 しかし、いくら魔導士認定免許証を持っていようと、彼女は正規のIMF職員ではない。そのため普段と変わらない生活を送っているはずだ。


「ど、どうしたんですか? それに電話番号……」

『イアンのところにあの赤髪坊やがいるでしょ? 私があなたに連絡したの』


 電話番号の出所について納得していると、ヘレンはどこか重々しい口調で言った。


『……あなた、国王様達と戦うのよね?』

「あ……はい。みんなの力になりたいので……」

『そんな曖昧な気持ちで挑むというのなら言っておくわ。――あなた、死ぬわよ』


 鋭利な一言に、心菜はひゅっと息を呑む。

 すぐさま反論しようとするも、口ははくはくと上下に動くだけで声が出せない。

 ……いや、違う。図星だから何も言えない。


 心菜自身、自分が足手まといで戦い方も中途半端だ。

 基本後衛に徹してることもあり、いざ前に出てもロクに攻撃できない。

 日向達は何も言わないでくれているが、むしろはっきりと言ってくれた方がマシだと何度思ったことか。


『あなたにその気があるのなら、召喚魔法のその先――〝秘術〟を教えてあげるわ』

「〝秘術〟……?」


 召喚魔法は、文字通り魔物を使役する魔法。むしろそれ以外しか使えない、周りから無意味扱いされている。

 そんな魔法に……先がある?


『これはIMFに所属する召喚魔法使い、それも厳しい審査を経て許可を得たごく一部にしか使えない代物よ。……

「……!」


 心菜を含めたほとんどの魔導士は、召喚魔法については授業の範囲でしか知らない。

 だけど、【魔導士黎明期】から生きているヘレンが、その〝秘術〟を知っていても不思議ではない。


『どうする? 〝秘術〟を覚えるか、それとも覚えないか』


 問いかけるというより、意思確認するような物言い。

 だけど、心菜の心はすでに決まっている。


「―――お願いします。その〝秘術〟、私に教えてください」



☆★☆★☆



 夜の繁華街は賑わっていた。

 日中は反魔導士勢力や魔導犯罪者の事件が起こり続けているが、さすがに夜になるとその勢いも少し収まる。もちろん夜半に活動する組織もいるため、IMF職員と警察による巡回は続いている。


 繁華街の裏路地にあるこぢんまりとした酒場、そのカウンターでジークと陽が疲れ切った顔で座っていた。

 この酒場は陽が王星祭レクス選手だった頃に気分転換としてよく通っていた。教師となってからは足を運ぶ回数は減ったが、それでもマスターであるバーデンダーは自分の顔を覚えてくれていた。


 何も言っていないのにウイスキーのロックを二人分置いてくれる。

 綺麗な球体をした氷が、琥珀色の液体の中でカランと音を立てる。二人はグラスを持ち上げ、無言で一口飲むとそのまま息を吐く。

 すかさずバーテンダーがつまみとしてミックスナッツとチーズを乗せた皿を置く。相変わらずの気遣いの良さに舌を巻きながらも、各々つまみを食べる。


「……ジークも大分お疲れやなぁ」

「それはお前もだろ。【五星】がどの部署にも人気なのは知っている」

「はあぁぁ~~……それは言わんといてんな。あっちこっち連れ回されてもううんざりしとんねん」


 聖天学園の教師は、普通の教員のように大学で学び実習を経て免許を得るのではなく、IMFで一年の教員指導を受けて一定の基準に達すれば特殊教員免許を得られる。

 教師となった魔導士は魔法学の知識ではなく魔法の腕も必要で、陽とジークはその辺りはチート級なため一年ではなくたった半月で免許を習得した。


 その経歴のせいで、二人は他の教師人と違い色んな現場に駆り出される羽目になった。

 おかげで予想より早くいくつもの事件を収束に導いたが、火種はあちこちに散らばっているせいですぐ事件が発生する。

 正直、イタチごっこだ。元凶を討たなければ、永遠にこの世界に平穏など訪れない。


「―――あらぁ、随分といい雰囲気じゃない」


 日々蓄積された疲労のせいで警戒心が緩んでいたのか、甘ったるい声を聞いた直後、二人は顔つきを変えて入り口を見た。

 入り口に立っているのは、ローズピンク色のツインテールをした派手な出で立ちの女。肌白い両腕を惜しみなく晒したノースリーブのワンピースは鮮やかなルビーレッド。

 白いフリルや黒のリボンがたっぷり装飾され、同色のオーバーニーソックスを履いた足はかなり高い同色のヒール。


 あまりにも派手で、趣のあるこの酒場では異彩を放つ。

 そして、そんな恰好で堂々とした態度で現れた女を見て、ジークはその名を呼んだ。


「【ハートの女王】リリアーヌ・シャーロット……!」

「久しぶりね、【叛逆王】。同席よろしいかしら?」


 かつて、日向の無魔法を狙い一戦交えたフランスの級魔導犯罪組織『サングラン・ドルチェ』の女ボスは、自分を見つめる男二人に妖艶な笑みを向けた。

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