第256話 魔導士令嬢の覚悟

 カリカリカリカリ、と小さくも響くシャーペンの音。

 今日用意されたノートにはびっしりと文字で埋め尽くされ、メイドが入れてくれたココアはすっかり冷めている。

 自分にしか読めない文字を書きながら、日向は真剣な面立ちでノートと向き合っていた。 


(『00モディフィカディオ』は魔核マギアを破壊しないで堕天化を強制解除させるようにしたけど、効果がこれ一つっていうのはさすがに心許ない。強制解除部分に他の魔法術式の改変効果をつけよう。あ、でもそうなるとこの術式の書き換えは必要ね)

「おーい、日向ー? もしもーし?」


 黒宮家の一室、用意された部屋で机に向かって唸る日向を悠護が声をかけるも、集中しているのか反応がない。

 一度こうなると中々反応せず、前世では寝食を忘れて何日も没頭した挙句、そのまま机の上で死んだように爆睡していた。その悪癖はどうやら今世でも残っている。

 おやつとして持ってきたカヌレを片手に、悠護はどうしたものかとため息を吐いた。


 聖天学園が正式に休校となり、ギルベルトを除く面々は自宅へ帰って行った。

 日向も本当なら都内にある自宅に帰るつもりだったが、不安定かつ危険な情勢の影響で陽が自宅に置いておくのを反対したのだ。

 日向は大袈裟だと言っていたが、その不安は至極当然だと悠護は思った。


 IMFの職員の手が足りていないため、聖天学園の教師も事態の収束のために駆り出されている。

 もちろん【五星】である陽も元『レベリス』リーダーのジークも戦力として入っており、いつカロンの手の者が日向を狙って襲撃してくるのか分からない。

 ギルベルトは王族権限を使って駐日英国大使館が用意した宿泊施設に泊まっているが、一般人である日向にはその恩恵が与えられない。


 そこで悠護はしばらく黒宮家に泊まることを提案した。

 七色家には東京魔導具開発センターが推奨した結界が張られており、所在地も機密情報扱いになっている。

 陽もジークも黒宮家なら安心して任せられると太鼓判を押され、こうして黒宮家にホームステイすることになった。


 今の情勢のせいで聖天学園ではなく一般学校も休校になっており、自宅待機を強要された鈴花は日向が来てくれたことに大いに喜んだ。

 徹一はIMFで缶詰になっているせいで帰ってきておらず、家を預かっている朱美もあまり詳しいことは聞かず日向を歓迎してくれた。


 そうして黒宮家に居候した日向は、メイド達の仕事を手伝いや鈴花の遊び相手、そして魔法の特訓以外ではこうして部屋に篭るようになった。

 何時か来るカロンを含む『ノヴァエ・テッラエ』との戦闘に備え、無魔法の効果を微調整したり、既存の魔法の複合魔法について考えており、時には半日以上も机と向き合っている。

 一点に集中している時は前世の時もあり、悠護は慣れた様子で持っていたカヌレを乗せた皿を机の上に置く。


 朱美と鈴花が気分転換で作ったカヌレは、まだ飲酒できない自分達のことを考えてラム酒は抜きにしてある。

 ラム酒の風味はないが、その代わりバニラビーンズの味が口の中でふんわりと広がり、焼く前にバターを型に塗ったおかげで外側はパリパリとしている。


 出来立てから時間が経っておらず、まだ温かいそれを半分に割る。

 パリパリの外側と違い内側はしっとりしており、香ばしい匂いが悠護の鼻をくすぐる。半分に割ったカヌレをそのまま日向の唇に触れさせる。

 ふに、とカヌレが唇に触れると一瞬だけ日向の動きが止まる。そのまま無意識にカヌレを口に入れ、もぐもぐもぐもぐと食べ始めた。


(……餌付け)


 前世でもこうして果物の砂糖漬けを口に入れさせていたが、毎回そう思ってしまう。

 しっかり噛んだカヌレを喉を鳴らしながら飲み込むと、ようやく我に返ったのか日向は横でじっと見つめる自分に気付いた。


「あ、悠護」

「『あ、悠護』じゃねぇよ。もうおやつの時間だから、これ食っちまえ」

「ありがとう。あ、今日のおやつはカヌレなんだ」


 残ったカヌレごと受け取り、むしゃむしゃと笑顔で食べ始める日向。

 豪快に糖分摂取する恋人を横目に、悠護は机の上のノートを見る。授業でよく使っているノートには悠護には読めない文字――神聖文字ヒエログリフで書かれており、これが魔法術式に干渉するために必要なものらしい。


 悠護には絵のように見える文字は読めないが、『蒼球記憶装置アカシックレコード』と繋がっている日向には分かる。

 その事実が、前世で〝神〟とそれなりに親密な関係であることを突きつけられているように、少し胸がモヤモヤする。


(もしかして……俺、〝神〟に嫉妬してんのか?)


 会ったことのない相手(?)に対して向けた感情に困惑していると、日向がカヌレを口に咥えたままノートにまた文字を書こうとしたのを止めた。


「おいコラ行儀悪いぞ。そういうのは食べてからやれ」

「ふぁーい」


 咥えたまま返事をした日向がちゃんとお行儀よく食べるのを確認した後、悠護はもう一度ノートを見た。

 魔法には基本、術式なんてものは存在しない。

 そもそも新たに魔法を作るのは、系統魔法の性質をきちんと理解した上でそこから自分の想像力を働かせて生み出す。魔法陣は生み出した魔法を安定させるための制御装置のようなものだ。


 日向の場合、『蒼球記憶装置アカシックレコード』の効果で魔法が術式として現れ、脳内で必死に考える手間を限りなく削減させた。

 もちろん想像力は魔法を使うために欠かせない要素で、今神聖文字ヒエログリフで書かれているのは彼女が想像力を膨らませたことで生まれた代物だ。

 興味深そうにじっと見つめていたからなのか、カヌレを完食した日向はおもむろにノートの一ページを切る。


「ねぇ悠護、神聖文字ヒエログリフ覚えてみる?」

「え? これを?」

「ヤハウェを除いたらあたし以外読めないし、暗号っぽく使ったら結構に役立つと思うんだ」

「あー……その……教えてくれるってんなら、覚えるけど…………いいのか? 術式変えてた最中だろ?」

「八割方終わってるし、微調整だけ済ませれば大丈夫! ほら、早くやろっ」


 悠護が興味を抱いていたのは術式の方なのだが、神聖文字ヒエログリフは覚えていても損はないだろうと思ったので、特に何も言わずそのまま神聖文字ヒエログリフ講座に入る。

 日本語とも英語とも違う文字は、悠護の中にある知的好奇心を刺激し、あいうえお表のように書き出された神聖文字ヒエログリフを覚えた頃には、外はすっかり夜が更けていた。



 朱美と一緒に作った夕食を食べ終えた日向は、すぐさま自室に戻り椅子に座る。

 机には広げられたノートだけでなく、分厚い紙の束が山のようにできていた。


「……あ、これ互助組織の加入予定メンバー名簿か」


 以前から話していた準魔導士互助組織。この騒動のせいで一時活動停止状態になっているが、徐々に創立の兆しが見え始めていた。

 というのも、互助組織自体は日向が案を出す前から話に出ていた。しかし、IMFの上役――特に血統主義の面々が「金の無駄だ」と言って、今までその案を反対してきた。


 しかし、『新主打倒事件』で隠していた情報が日向の手に渡り、そのまま徹一に譲渡されてしまったという事態になった。

 その情報はこれまで汚職や新主派と手を組んでIMFの実権を握ろうとする証拠が芋づる式で明かされてしまい、これには査問会も動かざるを得なくなり、結果彼らの権限は幾分か失われた。


 日本支部長である徹一より強い権限を持っていた上役の力が失われ、今まで却下され続けた互助組織の話がようやく通ることになる。

 弱みを握られた上役が強く口を挟めないのをいいことに、日向は徹一や有志者と共に互助組織の設立に向けて地道に活動を続けた。

 今では不安定な現状にも関わらず、互助組織の創立メンバーとして加入してくれる志願者の名簿が来るようになった。


「えーと……そこそこ名のある魔導士家系の人が多いなあ」


 名簿には加入予定メンバーの名前と顔写真、そして経歴などが載っていたが、どれも家の存続が不安定な魔導士家系出身者ばかりだ。

 黒宮家の恩恵狙いが半分、純粋に日向と同じ志を持っているのが半分。

 なんとも分かりやすい思惑が紙越しでも伝わり、ため息を吐きながら次のページを捲ると、見覚えのある名前と顔写真を見て目を丸くする。


「な、なんで遠野さんの名前があるの……?」


 遠野麗美。

 日向達のクラスメイトで、七色家を除く上流階級の魔導士家系の中では五本の指の中に入るほどの名家のお嬢様。

 彼女の家は聖天学園の教育関連の仕事に関わっており、将来は父親が委員長を務める魔導士教育委員会の委員になるのだと思っていた。


 まさかの相手の名前を見つけて驚いていると、まるでタイミングを計ったかのようにスマホが震える。

 画面には『遠野麗美』と表示されており、その名前を見てすぐさまスマホを手に取り通話ボタンをタップした。


「も、もしもし」

『その様子じゃ名簿を見たようね』


 開口一番、率直に言い当てた遠野の言葉に日向は息を呑む。

 食後のお茶でもしているのか、電話越しからカチャン、と陶器のぶつかる音が聞こえてきた。


「あの、これ本気?」

『あら、何かご不満が?』

「不満とかじゃなくて、その……互助組織のことで上がネチネチ文句言ってるの知ってるでしょ? あたしは覚悟の上でやってるからいいけど、遠野さんは別に互助組織こっちじゃなくても他に活躍できる場が……」

『わたくしをあまり舐めないでくださいまし。それこそ、覚悟の上です』


 きっぱりと強く遮った遠野に、日向はもう一度息を呑む。

 電話の向こうでは嚥下する喉の音と陶器のぶつかる音が聞こえてくる。お茶を飲んで心を落ち着かせたらしい遠野は言った。


『……わたくしだって、今の魔導士界に思うところはあります。準魔導士という理由で蔑まれ、家畜のような扱いを受けているこの現状は、わたくしもいつしか改善したいと思っていました。まさかあなたに先を越されるとは思いませんでしたが』

「そ、それは……その、ごめん……?」

『謝らないでください。むしろ、あなたが前に出たからこそ、わたくしも覚悟を決めたのです。ですから、必ず実現なさい。このわたくしを長く待たせると恐ろしいのですからね?』

「わかった。現状必要な人員を揃えれば問題ないから、少なくとも来年までには設立させるよ」

『よろしい。なら、今日は無理せず早く休むことを勧めるわ。では、ご機嫌よう』


 そう言って、遠野は電話を切る。

 プー、プーと音が鳴り、日向も電話を切るとくすりと笑った。


「あそこまで言われたら、ちゃんと休むしかないじゃない」


 なんだかんだいい関係を築けたことを嬉しく思いながら、着替えを持って部屋を出る。

 今日は、鈴花と一緒にゆっくりお風呂に入ろう。



☆★☆★☆



 スマホを切り、テーブルに置いた遠野は上品な仕草で紅茶を飲んでいた。


「……ふぅ」


 一息を吐きながらカップをソーサーの上に置くと、窓の外から見える景色を眺める。

 遠野の自宅があるのは、都内の一等地に建てられたタワーマンション。普段は綺麗な夜景を眺められるが、情勢が不安定な今はその光の数は日に日に減らしている。


(昔のわたくしは、この綺麗な景色の裏側で暮らす人々のことを何も知らなかった)


 魔導士教育委員会の委員長である父と、文部科学省の初等中等教育局員の母。

 二人は仕事で何度か顔を合わせていたが自然と恋に落ち、遠野を生んだ。秀才で真面目、時に厳しくも優しい愛で育ててくれる両親が大好きで、遠野は普通の日常でも幸せを感じていた。


 しかし、遠野が魔導士として目覚め、父による魔導士教育が始まってから、これまで見てきた景色が一八〇度変わってしまった。


 生まれた魔導士家系で冷遇を受ける準魔導士。

 聖天学園の試験に合格できず、『出来損ない』の烙印を押され、行き場を失った魔導士崩れ。

 そして、その現状を見て見ぬフリをしながらも私腹を肥やす選民主義の魔導士家系。


 元は同じ人間なのに、少し特別な力があるだけで自尊心を持ち、他者を蔑む。

 外側は完璧だけど、内側は腐敗した魔導士界の現状に幼くとも衝撃を受けた。なんなら、衝撃的過ぎて三日も寝込んだほどだ。


『いいかい、麗美。信じたくないだろうが、これが魔導士界の現実だ。たとえ正式な魔導士になれなくても、彼らは私達と同じ人間なんだ。それをたった一度の失敗で杜撰に扱うことなどあってはならない。お前もいつか、この現実を変えられるような素晴らしい子に育ってくれ』


 寝込んでいた時、悲しそうな顔をしながら言った父の願望に近い言葉に遠野は決心した。

 いつか、父の望む現実を作ろう。たとえ才能がなくても、一度の失敗で全てを失うような今を変えてみせると。


 しかし、現実はそう簡単には行かない。

 誰もが現状を変える努力をしないところが、むしろこの状態を放置したまま家の存続のためにライバル達を蹴落とすことしか考えていなかった。

 周囲から冷たい目を向けられながらも、遠野は必死に仲間を集めようと努力した。


『……悪いけど、遠野さん一人でやってくれない?』


 だけど、同級生のその一言で全てを悟った。

 ……ああ、この人達に何度問いかけても無意味なのだ、と。

 その日を境に、遠野は仲間を集めることを諦めた。代わりに一人で進められるように緻密な計画を立てた。


 いくら遠野家の娘だからといって、一人でできる範囲など限られている。

 何度も何度も案を出しては没にし、学業にも集中しながら考え続ける日々。

 そんな日々が続いたある日、遠野の前に一人の少女が現れた。


 豊崎日向。

【五星】豊崎陽の実妹にして、一五歳になってから魔導士として目覚めたイレギュラー。

 魔導士界の常識に染まっていない彼女の言動は、厳しい魔導士界で育った者にとっては陽だまりのような心地がして、いつしか彼女の周りには多くの人が集まった。


 自分にはできなかったことを成し遂げたことに嫉妬はしたが、それは彼女が往来に持つ一種の魅了によるものだと気付き、他の女子のような嫌がらせはしなかった。

 その間にも、日向は様々な事件に巻き込まれた。

 全容は知らない。しかし、実技の授業で日に日に魔法の腕を上げている様子や着替えの時に見かけた傷を見るに、決して楽なものではなかったはずだ。


 決定的に変わったのは、二年の夏休み後。

 どこか一気に年を取ったような、今までなかった貫禄と風格を見せるようになった。それが一体なんなのかわからないまま、日向は互助組織の創立を着実に実現させていった。

 それは後ろ盾になった黒宮家の力もあるが、それ以上に彼女のやる気がほとんどだろう。


(……あれには完敗しました。ええ、負けを認めましたわ)


 一人で全てやろうとした自分と違い、日向は周囲の助けを借りながら己の望みを叶えた。

 人脈というのは単純な契約関係では得られないため、それを疎かにしていた遠野では土俵に上がることすら烏滸がましい。


(ならば、わたくしは敗者として勝者の下につきましょう)


 実現すらできなかった自分には相応しい結末だ。

 当の本人は遠野が自分の部下になることに驚いていたが、さっきの電話でこの覚悟が本気であることは伝わったはずだ。


(それに……彼女とならどんな問題でも解決できてしまう。そんな気がしてしまうわ)


 初対面ではあんな風に意地悪を言っておきながら虫がいいと思うが、それでも遠野は日向の部下として下ることを決めた。

 父も母もこの件には全力で応援してくれると言ってくれたし、後は今できることをするだけ。


「さて、豊崎さんも目を飛び出すような案を考えなくてはね」


 目を大きく見開いて驚く彼女を想像しながら、遠野はおかわりの紅茶を貰うべく自室を出た。

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