第238話 怨嗟の叫び

「ふぅ……これでもう大丈夫だよ」

「ありが、とう、ございます……」


 治療を終えて一息を吐きながら言う心菜に、楓華は深々と頭を下げた。

 レジャーシートの上で眠る凛音は、規則正しい呼吸をし、顔色も赤みを取り戻している。

 普通、出血した分の血まで回復させるのは、年単位の経験がある魔導士しかできない。それをまだ三年の内に習得している心菜の手腕は、楓華も内心驚いた。


「ひとまず峠は越えたみたいだな」

「ああ。心菜、お前にはまだ仕事が残っている。もう少し食べておけ」

「うん、ありがとうギルくん」

「小鳥遊も食えよ。腹減ってるだろ?」

「あ、私は、平気で……」


 平気だと伝えた直後、楓華のお腹が鳴る。

 ぐるる~~っと鳴るお腹を真っ赤な顔をしながら抑える楓華に、樹がくすくす笑いながらサンドイッチが入ったランチボックスを持たせた。

 サンドイッチの具は照り焼きチキン、ベーコンレタストマト、ポテトサラダ、ハムチーズなど高校生の食欲を十分に満たすメニューになっていた。


 横でぱくぱくとサンドイッチを消費していく心菜を見て、ひとまずポテトサラダのサンドイッチをリスみたいに食んでいると、家の方から人影が現れる。

 最初は新手かと思ったが、出てきたのは陽とあの人狼夫婦だった。

 狼女は毛布に包まれた二人の子供を大切に抱えており、狼男は男性、陽は女性を横抱きしていた。


「目的を果たしたか」

「ああ……感謝する」


 ジークと狼男がそれだけの会話を交わすと、レジャーシートの上に抱えていた男性を寝かせる。

 陽も女性を寝かせると、その二人の顔を見てはっと息を呑んだ。

 頬が痩せこけ、唇はひどく乾燥している。髪も艶を失い、かつての面影はないけれど……それでも、楓華にとってはずっとずっと会いたくて堪らなかった。


「パパ……ママ……、やっと会えた……」


 ぽろぽろと涙を流し、二人の頬をそっと撫でる楓華。

 狼女がジークから渡された暖かなお茶を子供二人に飲ませている横で、狼男はそれをじっと見つめていた。


「あの二人は、銀の娘の親だったのか」

「ああ。小鳥遊楓助ふうすけ、その妻華代かよ。数年前に行方不明扱いされとったけど……家の地下に幽閉とは、あくどいばあさんやで」

「だが、何故地下に? あんな仰々しい生命維持装置を使わずとも、己の手で始末すればよかったはずだ」

「小鳥遊小夜子はしなかったんやない、

「できなかった……?」


 狼男が問いかけると、陽は楓助の左腕と華代の右腕を持ち上げる。

 ほぼ皮と骨しかない細い腕は、数センチほどだが同じ位置に縫合の痕が残っていた。


「これは……?」

「魔導士家系の中には家族殺しを企む輩が多いから、もしもの場合に心肺停止と同時に自分を殺した相手の魔力を探知しそれをIMFに情報を送るチップをどこかに埋め込んであるんや。この二人の縫合痕はそのチップを入れた証拠や」

「恐らく、小鳥遊小夜子はこの二人にそのチップが埋め込んであるのを知っていたからこそ、直接手を下せず眠らせた状態で幽閉しておいたのだろう。そして、小鳥遊楓華には両親は死んだと虚偽の報告をし、今日までいいように利用していたということだ」


 陽とジークの推測を聞いて、楓華はそれが当たっていると内心思った。

 小夜子は自分だけでなく両親も嫌っている。理由は父が母と結婚するためだけに小鳥遊家当主の座を捨て、やがて生まれる子供にも継がせる気はないと言ったからだ。

 ただの絶縁宣言だと思うが、魔導士家系ではそうはいかない。


 魔導士家系の後継は、自分以外の親族がいない場合のみしか養子を後継者として認めることができない。

 楓助がした絶縁宣言は、小鳥遊家を潰すと同義だ。

 嫁いでから小鳥遊家に全てを捧げた小夜子にとって、それは避けなければならない事態。


 最初はそれが目的で両親を奪い、楓華に厳しい指導と容赦ない暴力を振るってきた。

 しかし今、己の人生をやり直せるチャンスが巡ってきたせいで、家の存続すらも彼女にとってはどうでもいいことになってしまい。

 結果、このような事件を引き起こし、楓華はトランスモードになるまで殴り蹴られ、そして凛音を刺してしまった。


 祖母のしてきた所業は、魔導士界にとっては決して見過ごせない悪事。

 事が終わり次第、自分を含む小鳥遊家はなんらかの処分を受けるだろう。

 だが、それも仕方ないと思っている。操られていたとはいえ、結果的に見れば祖母の悪事に加担していたのだ。カルケレムに入所する可能性だってある。


(でも…………そのほうがいい……)


 ここまでの罪を犯し、人を傷つけてきた自分には、これくらい重たい罰を受けた方がいい。

 そんな楓華の思考を察したのか、まだ眠っているはずの凛音が服の裾を強く掴んだ。


「凛音……?」

「…………」


 思わず名前を呼ぶが返事はない。

 しかし、裾を掴んでくる指先はとても力強い。

 まるで、決して離れないと言っているようなものだ。


「…………」


 楓華もこの指先の強さにどうしていいかわからず、そっと自分の手を重ねる。

 どこか強張っていた凛音の顔が、微かに綻んだような気がした。



(――何故、誰も分かってくれない?)


 全ての魔法が日向に斬り捨てられる中、小夜子は心の中で問いかけた。

 自分の願いは誰だって抱いているはずなのに、『蒼球記憶装置アカシックレコード』を使うことを許してくれない。

 そんなに人生をやり直すことが罪なのだろうか? 神の如き力を使うことすら許されないほどに?


(――そんなの、凡人の詭弁よ)


 世界の常識を壊すことを恐れているだけの言動だ。

 たとえ世界中が許されなくても、小夜子はもう一度人生をやり直す。

 そのためならば、家族すらも犠牲にすることもできる。


 小鳥遊小夜子――旧姓、澤田さわだ小夜子は、戦後に魔導士の子として生まれた。

 当時、聖天学園が創立したため世界中から魔導士の卵が集まり、魔導士が生きやすい世の中にしようと世界各国が動いていた。

 小夜子も一五歳の時に聖天学園に入り、そこで魔法について学んだ。


 自分と同じ一般家庭からの子もいれば、戦争以前から何代にも渡り魔導士としての血を繋げてきた家出身の子もおり、家も身分もバラバラだったけど一種の仲間意識が芽生え、学年問わず仲が良かった。

 小夜子が小鳥遊帝吉ていきちに目を付けられたのは、その時だ。


 小鳥遊家はすでに桜小路家の従者として生きており、帝吉は卒業後に結婚する花嫁候補を探しており、身体的にも魔法の素質的にも合格ラインにいた小夜子を選んだ。

 卒業直後に結婚の申し出をされた小夜子は断ったが、帝吉は家に援助をするという条件を突き付けた。

 その時、小夜子の父が友人の借金の保証人になっており、友人が失踪したせいでその借金が父に回ってきた。


 友人が借金した金額は貧乏な家では一生働いても返せない金額で、日々の食事すらも戦時よりも粗末なものになっていた家の現状を慮り、結局その結婚を了承した。

 帝吉が約束通り援助してくれたおかげで借金はなくなり、家族が普通に暮らせるようになった頃、小夜子は生き地獄にいた。


 好きでもない相手との夜伽は苦痛以外の何物ではなく、恥ずかしい場所に触れられて嫌なはずなのに、僅かな刺激ですら快感になってしまう体に開発されていくたびに何度も自己嫌悪した。

 しかも中々妊娠することができず、親族からは跡継ぎを催促され、義両親の提案で帝吉が愛人を作って肩身の狭い思いもした。


 結局、愛人との間に子はできず、結婚から数年後に小夜子は無事子供を授かった。

 悪阻つわりは重く、胃の中には何も入っていないのに何度も吐き、水すら飲めないほど衰弱していった。

 小鳥遊家では父親は育児にはノータッチという方針のせいで、帝吉は一度も見舞いに来ることはなかった。


 なんとか息子・楓助を出産し、安堵したのも束の間、今度は初めての育児に苦戦した。

 毎日二時間おきの授乳とひどい夜泣きは悪阻の時より小夜子を憔悴させ、目を閉じるだけで眠るくらい弱っていった。

 帝吉はたまに楓助に会って可愛がるが、それ以外は何も手伝わなかった。


 離乳食も好き嫌いが多い上にやんちゃ過ぎる息子の手を焼き、いたずらをすると姑から怒鳴られる毎日。

 夫は何もせず傍観するばかりで苦痛しかない生活の中、いつしか小夜子は小鳥遊家だけでなく間違った選択をした己の人生を怨むようになった。


 何故、父が借金保証人になるのを止めなかったのか?

 何故、帝吉の条件を呑んで結婚してしまったのか?

 何故、欲しくもない子供を産んで育てているのか?


 思い返すたびにどの選択肢も全て間違いであると思い知り、何度も人生をやり直したいと思うようになったのは当然のことだった。

 そんな日々を過ごしていたある日、帝吉が事故で亡くし、義両親も相次いで亡くなったため、小夜子が小鳥遊家の当主として君臨した。


 今まで育児に専念していたせいで当主の仕事は右も左もわからず、周りの力を借りながらなんとか家を存続し続けた。

 しかし、楓助はこれまでの生活を通して小鳥遊家の使命に嫌気が差したのか、成人してしばらくして、突然家を継がないと言い出した。


 楓助は小夜子が用意した婚約者は全て断り、貴重品と数日分の着替えを持って家を出た。

 すぐさま捜索するも、小鳥遊家の魔法を習得した彼を見つけることは難しく、捜索は難航していた。

 しかしその数年後、ようやく楓助を見つけるも、彼にはすでに幸せな家庭を築き上げていた。


 その事実は、今まで小鳥遊家に縛られていた小夜子の憎悪が溢れ出た。

 自分を差し置いて幸せを手に入れた実の息子を、本心から憎むようになった。

 家族殺しは魔導士にとっては禁忌であると理解していても、心から溢れ出る憎しみを制御することはできなかった。


 溢れ出る憎しみに駆られるように、小夜子は開発途中のネオキメラを使って息子夫婦の家を襲撃した。

 最初は自分の手で殺すつもりだったが、二人の腕には家族殺し防止のチップを埋め込んでおり、殺すことができなくなった小夜子はそのまま二人を眠らせて地下に幽閉した。


 家から孫娘が発見されると、今度は今までの鬱憤や受けてきた理不尽の数々を孫娘に受けさせた。

 自分よりも弱く、魔法の腕も微妙な出来損ないの孫娘。

 若い頃の小夜子と同じ顔をする彼女を虐げ、言う通りにしか動けない人形のようにさせるのは、まるで間違いを選んだ昔の自分を殺しているような感覚だった。


 そんな日々を送り始めてから、一〇年が経ったある日。

 小夜子はついに、人生をやり直せる夢のような魔導具の存在を知った。


蒼球記憶装置アカシックレコード』。

 小夜子の願いが叶う、魔法を超えた魔導具。己の望みを、欲望を叶えてくれる、夢の結晶。

 それさえ手に入れば、あとはもう何もいらない。


(絶対に手に入れる。私の願い――私の人生の再始動のためにっ!!)



☆★☆★☆



 杖を突くたびに、違う魔法が発動されていく。

 風の刃、水の弾丸、火の歯車、土の槍、光の矢、闇の手裏剣――どれも自然魔法の攻撃魔法ばかりだ。

 だけど、それこそ小鳥遊小夜子本人が本来得意としている魔法なのだろう。


 小鳥遊家の隠密魔法は学んではいるが、今の彼女の年齢では奇襲など難しい。

 杖も彼女専用魔導具であり、突く行為自体を魔法発動のアクションとしている。分かりやすいやり方だが、それ故にフェイントを仕掛けてわざとタイミングを外すという行為もできる。

 実際、日向もそのフェイントで攻撃を受けてしまった。


 これまでの戦いで培った反射神経でなんとか回避できたが、左太腿から血が流れている。

 他の攻撃も途中で方向転換したりトラップみたいに発動したりと、小夜子の底意地の悪さが顕著に出た攻撃だった。

 この手の戦い方は勉強になると同時に相手にしたくもないものだ。


 しかし、魔力量では日向の方が上だ。

 前世の影響によって規格外の魔力を宿している日向は、どれほど魔法を行使しても疲れる気配はない。

 だが、小夜子は平均より少し上な魔力しかなく、魔法の連発によって枯渇状態。今も立っているのが精一杯だ。


(そろそろ、終わりにしよう)


 これ以上、戦いを長引かせるよりも終わらせてしまった方がいい。

 襲いかかる風の刃を斬ると、今も目を血走らせる小夜子を見つめた。


「もう終わりだよ。小鳥遊小夜子」

「何が、終わりなものですか……っ! 私はまだ、『蒼球記憶装置アカシックレコード』を手に入れていない……!!」


 執念の炎を今も宿す双眸を向ける小夜子。

 しかし、日向は《スペラレ》を垂直に構え、魔力を剣身に集中させる。

 琥珀色の魔力が鱗粉となって周囲に舞い、足元にも魔力が広がっている。


 異界そのものが震えているほどの魔力。

 今までの戦いで魔力を消耗した小夜子だが、目の前の少女の圧倒的な魔力量を目の当たりにし息を呑む。

 それでも小夜子は悪足掻きのように、一際強く杖を突く。


 全ての自然の力を凝縮した上級魔法。

 その名も、『自然の暴虐ナトラエ・ヴィオレンティアム』。

 風の、火の、水の、土の、光の、闇の力が濁流となって押し寄せ、日向の命ごと刈り取ろうと襲いかかる。


 だがその直前、剣身に集まっていた琥珀色の魔力が強く輝き出した。

 魔力が金色になるほど集まった瞬間、《スペラレ》を振り下ろした。


「『000カムビアティオ』ォォォ――――!!」


 人類が築き上げた歴史・文明の『理の情報』やこれまで生まれた全ての生き物達の『魂の情報』を書き換える、無魔法の上級魔法。

 疾駆する魔力の奔流に飲まれていく小夜子は、枯れ木のように細い足でなんとか持ちこたえようとする。


 しかし、光は小夜子の抵抗をあしらうように、その勢いを増していく。

 自分という存在が消えていくのを感じながら、小夜子は光の先にいる日向を睨みつけ。

 細い喉から、怨嗟を吐き出した。


「許さない!! 私の願いを、望みを殺したお前を!! お前など、この世全ての苦痛を受けて、惨たらしく死んで地獄に落ちてしまえ――――!!」


 その叫びを最後に、小鳥遊小夜子は消えた。

 己の人生をやり直すためだけに家族殺しを犯しかけ、多くの者を巻き込みながらも悲願を果たせなかった魔女は、今日この日死んだ。

 ストゥディウムの時の同じように、何も手を加えてないため、いずれ彼女も生まれ変わるだろう。


「日向」


《スペラレ》を腕輪に戻した日向に声をかけた悠護は、振り返った彼女を見て息を呑む。

 いつも見ている日向の顔は、疲労の色を色濃く残し、どこか泣きそうなものだった。

 一度も見たこともない顔を見て、悠護はたまらず日向を抱きしめる。


「悠護……あたし、終わったよ……」

「ああ」

「あたしは……間違って、いないよね……?」

「ああ。お前は、間違ってない」


蒼球記憶装置アカシックレコード』を〝神〟に返還することも。

 小鳥遊小夜子を消したことも。

 他者からすればそんなことは間違っている、その考えはおかしいと言われるだろうか。


 それでも、悠護は日向の選択を謝っていると言わない。

 たとえ彼女の選択がどれほどの茨道だろうと、自分はそれについて行くと決めている。

 だからこそ、悠護は日向の選択を否定することはしない。


「帰ろう。みんなが待ってる」

「……うん」


 ふらつく彼女の体を肩で支えながら、悠護は出口へと向かって歩き出す。

 異界から現実世界へと戻った二人は、眩しい朝日と安堵の表情を浮かべた仲間達が出迎えてくれた。

 駆け寄る仲間達を見て、日向と悠護は小さく笑い合った。

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