Epilogue 永遠の誓い
小鳥遊小夜子の事件から二週間近くが経った。
今回の事件の全容を知ったIMF日本支部と七色家は、主家の責任として桜小路家の混色家の除名を命じた。
桜小路家も以前混色家から離れることを望んでいたため、その命令に素直に応じた。
また小鳥遊夫妻は一〇年以上も幽閉されていたせいでひどく痩せ細っており、平均的な肉体に戻るまで高度医療機関で長期入院が決まり、退院後は普通の家庭として暮らしていくことになった。
件の人狼夫婦も三日で元気になった子供達を連れて、故郷へ帰った。彼らはこれからも穏やかな生活を送っていくだろう。
楓華は小夜子の暴行の傷が癒えるまで学園内病院で数日入院し、今は退院し元気になっている。
家族が戻ってきたことで精神が安定し始め、口調はたどたどしいままだが表情が明るくなった。
今まで隠していた実力も発揮し始め、今では一年生の中で優秀な生徒として名を連ねることになった。
そして、今回の事件の首謀者である小鳥遊小夜子は、遺体すら発見できないまま死亡が決定した。
何故彼女の遺体が発見できないのか、その理由は誰もが口を閉ざした。
彼女はその傲慢さにより〝神〟の裁きを受けた――そう納得するしか選択肢はなかった。
それから何事もなく時間が過ぎ、予定通り学園内にある迎賓館でダンスパーティーが開催された。
自前やレンタルの礼装を身に包む生徒達は豪勢な食事に舌鼓を打ちながら談笑する中、楓華は壁際に立ってノンアルコールシャンパンをちびちびと飲んでいた。
初めてのパーティー参加である彼女は、煌びやかな雰囲気に適応できず、こうして壁の花と化した。しかし、入学当初と比べて明るくなってきている楓華は一際目立っていた。
「楓華」
男子からの視線を受ける中、楓華の前に現れたのは凛音だ。
彼も黒い礼服姿で、普段隠れている額が露わになっている。両手には料理が盛り付けられた皿を二人分あり、片方は肉料理が多め、もう片方は鶏のササミのサラダだ。
「軽く食べろ。ササミ好きだろ?」
「う、うん」
普段から脂っぽい料理を好まない楓華は、凛音からサラダを乗せた皿を受け取る。
鶏のササミは楓華が食べられる数少ない肉で、ベジタリアン寄りであるためこの料理を選んでくれたのは素直に嬉しかった。
もぐもぐと小動物のように食べる楓華を見ながら、凛音は肉汁たっぷりのフライドチキンにかぶりつく。
「凛音は、踊らないの?」
「そう言うお前は?」
「私は……ダンスしたことないから……」
今までは魔法の特訓ばかりで、パーティーでの立ち振る舞いやダンスを教わることはなかった。
踊れないことは少し残念だが、こうして憧れのパーティーに参加できて満足だ。
だけど凛音は少し複雑そうな顔を浮かべると、そっぽを向きながら言った。
「桜小路家はもう混色家じゃなくなったけど、魔導士家系はそのままだから、参加するパーティーが一応まだある」
「……?」
「その時は……お前を連れて行くから、一緒にダンスの特訓しよう」
「……!」
凛音の言葉に楓華は目を見開く。
思わず彼の方を見ると、凛音の耳は楓華でも気づくほどほんのり赤く染まっている。
それを見て、楓華は口元を緩めながら言った。
「……私、鈍臭いよ」
「それくらい知ってる」
「練習中、何度も足踏むかもしれない」
「ちゃんと我慢する」
「迷惑かけることもあるけど……その時は、エスコートしてください」
「……おう」
そこで会話が途切れ、二人は壁際に寄り掛かったまま食事をする。
周りはせっかくのパーティーなのに勿体ないと思うが、彼らにはこれで十分だった。
煌びやかな会場の中、長い時を経てようやく前に進めた少年少女は、互いの顔を見つめながら静かに笑い合った。
「悠護、どこに行ったんだろう?」
会場でパートナーの姿が見当たらなかった日向は、ドレス姿のまま迎賓館周りを探していた。
今日のドレスは朱美がわざわざデザイン画を見て選んだものだが、日向の好みに合わせてくれたおかげで一目見て気に入った。
今回のドレスは鮮やかな真紅色で、首から胸元にかけて精緻な白レースで隠されている。スカートは花弁のように何枚も重ねており、裾には細やかな金刺繍が縫われている。
腕には二の腕半ばまで長さがある白手袋。結っていないそのままの髪には、レースやリボンなどがあしらわれた大輪の白薔薇の髪飾り。
そして、首には悠護がくれた白銀の十字架のペンダント。中央に埋め込まれた琥珀が月光を浴びて輝いている。
ドレスと同じ色をした靴を履いた足で裏の庭園を歩いていると、ようやく黒いフォーマルスーツ姿の悠護を見つけた。彼の首には黒い十字架のペンダントを提げていた。
白薔薇を見つめる彼はどこか物憂げで、月明かりに照らされているため儚げな印象を与える。
そのまま芝生を踏んで歩く日向に気付いたのか、悠護は静かに微笑んだ。
「日向か。どうしたんだ?」
「会場にいなかったから探してた。何してたの?」
「んー……いや、無性に薔薇を見たくなってな。覚えてるか? 前世の俺達が出会った時のこと」
「覚えてるよ。あの時のあたし、交流会がつまらなくて抜け出して庭園の薔薇で花冠作ってたよね」
「そうそう。声をかけたら、薔薇は友達だから大丈夫だよーとか変なこと言っててよ。あの後、魔法の影響で声が聞こえるって知った時はようやく長年の謎が解けたって思った。というか、今も植物の声は聞こえるのか?」
「聞こえるよ。噴水広場近くの花壇とかたまに水やりすると喜んで歌とか歌ってくれるし」
「花が歌うって、不思議の国のアリスかよ」
「本当だよ。ノリノリでラブソングとか流行りの歌とか歌うんだ。あと、なんでか知らないんだけどパンジーの花壇が歌うのはヘヴィーメタルなんだよね」
「マジかよ!?」
日向の花壇の花達のエピソードを聞いて、悠護は驚きながらも熱心に聞く。
いつしか前世での思い出を語り始め、話がさらに盛り上がったところで迎賓館からゆっくりとしたクラシックが流れ始める。
「あ、ダンスが始まっちゃった……そろそろ戻ろう」
「日向」
迎賓館に戻ろうとした時、悠護に呼び止められて振り返る。
その時、悠護はそっと日向の右手を取った。
「悠護……?」
「俺さ、今回の……いいや、今までずっと考えてた。どんなに止めてもお前は危険に突っ込んで、怪我しても平気とか言って笑うどうしようもない奴だって」
「う、うん……」
「でもさ、それで心配してるこっちとしてはさ、目を離したら死ぬんじゃないかって思ってすげー怖いんだよ……」
「…………」
悠護の言い分は正しい。
現に日向は事件を解決するためなら多少の無茶をするし、どんなに仲間が窘めても同じことを繰り返す。
それが心配事になっているなど、考えれば当たり前のことだ。
「本当ならこんな形で言いたくない。でも、俺は……この言葉しか、お前を生かすことができない」
取った右手をぎゅっと優しく握りしめながら、悠護は告げた。
「――俺と、結婚してくれ」
突然のプロポーズは、日向の呼吸を止めた。
ようやく意味を理解すると、日向の顔が徐々に薔薇色に染まっていくのを見て、悠護は握りしめた右手を自分の頬に添えた。
「ごめんな、こんな卑怯な真似をして。でも……俺はお前とこの先の未来をずっと生きたいんだ。子供もたくさん欲しいし、じいさんばあさんになってもそばにいて、『いい人生だった』って笑いながら一緒に死にたい。そう思ってるのは……俺だけかな?」
悠護の問いに、日向は首を横に振った。
髪が乱れてしまうことも気にせず、ポロポロと涙を零しながら。
「ううん……あたしも、そう思ってる。でも……ごめん、あたしのせいで、こんなこと言わせちゃって……!」
「いいんだ。言うタイミングが今日になっただけだ。お前は気にするな」
涙を流す日向を優しく抱きしめる。
優しく髪を撫でながら、悠護は笑みを絶やさず言った。
「それで……? 返事は?」
「っ……はい、よろしくお願いします……!」
返事をする日向に、悠護は甘い笑みを浮べてその唇に優しく口付けを落とす。
薔薇の香りが漂い、月明かりが照らす中、迎賓館から聞こえるワルツはまるで二人を祝福する鐘の音のようだった。
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